血濡れた道の果ての先、どこまでも続く道
(フィリちゃんもねぇ。いきなりあんな騒動を起こすなんて、びっくりするわよね)
聖典強奪から起こった一連の騒動。その騒動の最後を飾るように起きた、フィリたちの騒動について、フィリの関係者と話しあうために、軍の宿舎へと足を運んでいたダーラ。……と言っても、結局のところは、手紙に書かれていた「戻ってくる」という言葉を信じて待つ以外のことは何もできることは無いと、あっさりとそんな結論に達し。参加者たちの間で、フィリたちが戻ってきたときには連絡を取り合おうと決めて、ダーラは軍の宿舎から出て、帰路につき。
――教会の門の前で、花束を抱えて佇む一人の女性を見つける。
(あら、お客さん? 珍しいわねぇ)
当たり前の日々に感謝し、心の中で祈りを捧げれば良いという教義のせいだろう。定期的に祈りをささげる信者以外はあまり訪れることがない、そんな教会には珍しい来客に、ダーラは軽く首を傾げる。
年の頃は三十半ばだろうか。知性的な雰囲気を醸し出した、どちらかというと地味な感じのする女性。その女性もダーラに気付いたのだろう、ダーラに向かって軽く会釈をする。
「ごめんなさい。所長……、シェンツィ・アートパッツォさんのお墓はこちらにあると伺ったのですが」
多分、遺族とは違うのだろう、故人のお墓の場所を聞いてくる女性。その女性の言葉にダーラは、普通の墓参り客とは違った「何か」を感じていた。
◇
教会の裏手にある、どこか静粛な雰囲気の墓地。その中の小道を、ダーラは、軍の研究所に勤めているという女性を先導するように歩く。
「昔、一緒に働いていた同僚に、ですね。ちょっと面白い、個性的な人たちがいまして」
女性の話を聞きながら、ダーラは思う。きっと、彼女の言う「個性的な人たち」というのは、酒場のお得意さまたちが追っていたという「指名手配犯」のことだろうと。
お得意さまたちは誰一人として詳しく口にすることが無かった指名手配犯たち。だが、その言葉の端々から、二人組であること、十年もの間潜伏していたこと、その過去の事件で、軍の施設を襲撃したこと、そういったことを言葉の節々から読み取っており。その相手の目星をつけるのは難しいことではなかった。
「個性的な人、なんて言いましたけど。正直に言って、所長……、私たちの上司さんが一番個性的だったかな。けど、その二人も負けず劣らずで。本当に個性的な人たちでした。
一人は、ちょっとワルぶるのが好きな人で。見た目は悪くないんですが、こう、性格かな、どこか近寄り難かった人で。もう一人は、えっと、人当たりは良いんですけどね。なんだろうなぁ、アレ。肉体派? 見た目が近寄り難い人でしたね。――どちらもね、結構人気のある人たちだったんですよ?」
研究施設としての性質が色濃かった隔離病棟で、研究の成果を上げながら、同時に治療方法も確立させていった、有能な科学者。ダーラが知るのは主に隔離病棟で研究していた頃の彼女だが、その後、軍を追い出されるように独立し、非業の死を遂げたことも当然のように知っている。
――その傍らに、彼女自らが拾い上げた二人の研究者がいたことも。その内の片方が大きな事件を起こし、共に表の世界から消えたことも。
「片方のワルぶっちゃう人はね、周りの人も遠慮してたのかなぁ、あんまり浮いた話も無かったけど。もう片方の肉体派さんはね、『外では』結構遊んでたのかなぁ。その辺り、人付き合いが本当に上手かった人だったなぁ」
ああ、この人はきっと、その人たちのことをよく知っていて、好ましく思ってたんだなぁ。話を聞いていたダーラは、しみじみと、そんなことを感じ。
――誰かにとっての仇が、誰かにとっての大切な人で、時にそれが良い思い出で。昔のことと忘れずに、こうして足を運ぶ人もいる。
きっとそれは、誰が良くて誰が悪いと、そんな簡単に色分けできるようなことではないのだろう、そうダーラは思う。現にダーラも、酒場のお得意さまたちが仲間の死に心を痛めていることを知りながら、今こうして、多分その仲間の「仇」であろう人物が亡くなったことを惜しむ人に対して、その行動を好ましく思っているのだから。
「その人たちですが。つい最近、亡くなったんです。いろいろあって、多分、お墓も建てられないのかなと。知人とかは誰もお祈りができない、そんな場所で供養されることになりそうなんです。
……それはもう、しょうがないことなんです。でもね、その人たちがしてくれたこと、受け取ったこと、そういったことをね、せめて所長には伝えてあげたいかな、そう思いまして」
多分、ある程度は事情を知りながら、それでもなお、その死を惜しむ彼女の話を聞いて。ダーラは、昨晩の酒場で隊員たちから聞いた話を思い出す。
――人伝てに聞いたその話は、一人の人間の命の灯火が消えようとしている、その今際の話で……
◇
道が拓かれた鉱山跡とは違った、鬱蒼と木々が生い茂った山の中腹。その先にある目標地点へと、徒歩で移動をしていた陸上部隊の兵士たちは、林を抜けた先、目の前に広がったその風景に、思わず息を飲む。
見晴らしのいい、どこかのどかさを感じるような草原の、さらに先に広がっていたもの。それは、たった一発の砲撃が地形を変えてしまう、そんな荒々しい光景だった。
やわらかく風になびく草木は、大地を滑る砲撃に抉られ。
強く空に向かって伸びた木々は、大地に張っていた根をあらわにする。
着弾地点の、爆発と言っても良いような規模の衝撃を物語るように、一帯の木々がへし折られ、広範囲にわたって飛び散ったであろう土砂が草木を覆い、吹き飛ばされた木々が転がり。その中に、身体を赤く染め、その樹木に下半身を押しつぶされるように仰向けに倒れた賊を確認した兵士たちは、その賊に駆け寄るように、再び足を動かす。
――その賊が長くないことは、誰の目にも明らかだった。
◇
何も見えないまま、痛みも遠くなって。マークスは、まどろむような、浮かんだり沈んだりする意識の中で、あとわずかで命の灯が消えることを自覚しならがらも、それも良いかと、ぼんやりと考えながら、時の流れに身を任せる。
「……、…………、……」
(…………何か、聞こえるさ。……話し声、さ……)
これで何度目だろう、まどろみのなか、意識が浮かび上がるのをマークスは感じ。今更、何かできる訳でもないと、静かに命の灯が消えるのを待とうとしていたところで、何かが意識に引っ掛かるのを感じ。
外で誰か話してるさ、何を話してるさと、途切れがちな意識をそちらに向けて……
「良いから続けろ。救命よりもこちらを優先せよ、との命令だ」
「っても、なんの意味があるんですかね。『親父から遺産を預かった、交渉は成立した、悪いようにはしない』って言葉に」
「知らん。知る必要もない。だが、これといって拒否する必要のない命令だろう」
「そうですね、ったく、隊長殿は真面目なこって。聞こえてるかー、『親父から遺産を預かった、交渉は成立した、悪いようにはしない』だってよ」
(……は、ほんと……に、おもてのに……げ……てやつは、あま……さ)
言われた言葉の節々から、つい先ほどまで殺し合いをしていた相手とは思えないような気楽そうな感情と、その奥の「命令」とやらが持つ意味を感じとったマークスは、呆れたような感慨を抱く。――ったく、敵にまでこんな「手向け」をするって、どこまで……、と。
――やがてマークスは、沈みゆく意識の中で、良い「土産話」が出来たさと、そんなことを思いながら。今度こそ、その意識を完全に手放し、永い眠りについた。
◇
「……しょうがないことって、ありますよね。でも、しょうがないで済ませたくないことだって、ありますよね。私の同僚はね、みんな、所長があんな形で研究を終わらせることを、認めたくないんです。――しょうがない、そんな言葉で終わらせることはできないってね。
きっと、あの二人もそうなんです。そして、私たちがそう思っていることを喜んでくれる、きっとそうなんです。だから、私たちは、あそこで終わった訳じゃない、そう言うためにも、結果を出さなくてはいけないんです」
シェンツィ・アートパッツォの眠る墓の前で。お参りに来た女性と共に祈りを捧げたダーラは、その言葉を聞いて思う。――帰ってこなかったあの二人も、敵を討ちたかった他のお得意さまたちも、この女性の想いを無下にしようとはしないだろうと。
それは単に、一部分とはいえシェンツィ・アートパッツォという科学者が残したものと指名手配犯が犯した罪、その双方を知ることになったダーラだからこそが感じた、甘い考えなのかもしれない。実際に傷つけられた者、命を落とした者とすれば、罪人はどこまでも罪人で、認めることなど出来ないのかもしれない。……それでも。彼女の、残された人たちの願いが叶うことを祈るのは、許されないことなのだろうか。
「案内頂いて、あと、一緒に祈って頂いて、ありがとうございます」
彼女と別れの言葉を交わし、その場で別れ。ダーラは教会に戻る道を歩きながら、一人思う。――その願いには罪は無く、これまで様々な人がその歩む道を狂わせながら、なおもその願いを持ち続ける人がいる。それはきっと「救い」なのだと。
そんな、神に祈るのにも似たような思いを抱きながら。同時に、強く、決意するように想いを固める。
――例えそれが罪人の願いだったとしても、祈ることで救いがもたらされるのなら、救われるべきだ、と。