7.残されたもの(上)
2019.2.6 誤記修正(研究日誌の日付)
「丁度いい、喉も乾いたことだし一旦休憩とするか」
ファダー邸の応接間で。ファダーとマイミーの、どこか喜劇がかった、それでいて緊張感に溢れた会談の中、兵士が訪ねてきたとの連絡を受け。暗に「軍のことは屋敷の外でやれ」とほのめかすようなファダーの言葉に、マイミーは頷き、スクアッドを引き連れて屋敷の外に出る。
そのまま、連絡役の兵士に案内されて、馬車の中に準備された通信機に向き合い、遠く離れた陸上部隊と連絡を取り合う。そこで、ジュディックを含めた隊員たちの一部に、比較的軽いとはいえ入院治療が必要となるような負傷者を出しながらも、全員が無事であることを確認し、マイミーとスクアッドは軽く安堵する。――もっとも、そのジュディックが継続して部隊を指揮しようとしていると聞いて、スクアッドは苦笑いを浮かべるのだが。
(まったく、指揮官殿らしいといえば、らしいっすけどね)
こういったことには全く融通を聞かせようとしない上官のことを思い浮かべて、やれやれとスクアッドは肩をすくめる。状況を聞く限り、ジュディックが無理をしてまで指揮する必要も感じられなかっただけに、とっとと病院に行った方が良いだろうと、そんなことを考えたところで、マイミーが指揮継続の許可を出すのを耳にする。
「良かったんですかい?」
「本人が帰投を拒んだんだ。無理して中断させることもなかろう。……ああ見えてもあれは、『無茶』はしない性分だ。大丈夫というからには問題ないのだろう」
一通り指示を出して、通信を終えたところで、スクアッドはマイミーに対して質問をして。返ってきた返事に対し、軽く首を捻る。――確かに指揮官殿、意外と無茶はしないと思いやすがね、だからと言って、わざわざ無理をするのを認めることも無いでしょうに、と。
そんなことを考えながら、再びファダー邸へと入り。応接室で、再びファダーと対面をする。
「おう、何かいい知らせでもあったか?」
気軽そうな態度で声をかけてくるファダー。気を緩めているように見えてその実、目だけは笑っていないその表情に、スクアッドは、このオッサン、休憩どころか神経を研ぎ澄ませてたんじゃないかと、そんなことを考えつつ、再び同じ席に座る。
「現場の指揮官から連絡があった。指名手配犯たちの内、速射銃を手にしていた男は死亡、もう片方の砲撃手も重体を確認。今、別に部下たちを現場に派遣しているが、どうだろうな、もしかすると間に合わんかもしれん」
「……はん、そうかよ」
同時に咳に座ったマイミーの説明に、一瞬だけ表情を動かした後、軽く言い捨てるファダー。その射貫くような視線を正面から受け止めながら、マイミーは以前と同じように、重々しい口調でファダーに返事をする。
「『教会』系の研究者に渡らぬよう、例の小屋を封鎖するよう部下たちに命じておいた。私が許可しない者は、決して小屋の中には入れないだろう。――軍研究所の信頼できる筋にも連絡をした。今日中にも、小屋の中の研究結果は軍研究所の、信頼出来る者たちの手に渡ることになるだろう」
◇
「それでは、何かあったら速やかに私に報告すること。以上」
「は!」
廃坑の脇に建てられた小屋の、少し広めの応接間らしき部屋で。部下達に一通り指示を出し終えたジュディックは、誰も居なくなった部屋の中を、改めて見渡す。
いくつかの私室らしき部屋に応接間、奥にあるのは研究室を兼ねた医務室だろうか、以前病院の地下で見たような、少し年代を感じさせるような医療設備が所狭しと置かれた小部屋があり。賊が治療に使ったのであろう、机の上には、血液が入っていたと思われる硝子でできた密封容器と注射器が置かれ。
そんな特徴的な部屋の中へとジュディックは一人で入り、壁の本棚に並んだいくつかの資料を眺める。――賊がいなくなった今、その賊が秘匿していたであろうここの資料を、今度は自分たちが守ることになったという事実に、皮肉めいたものを感じながら。もっとも……
(正直なところ、俺がここでできることなど、何もないのだがな)
実のところ、ジュディック率いる武装偵察小隊は、元々少数だった上に最後の戦いで負傷者も出した結果、既に十人を切るほどに人員を減じている。そんな自分たちの部隊に、今更できることなど無い。そんなことはジュディック自身、百も承知なのだが。
それでも彼は、無傷ですんだたった数人の部下たちを引き連れてここに来た。それは、もはや任務を超えた、彼自身の「わがまま」で。――ジュディックは、何かを求め、本棚の資料を一つ一つ手に取り、中身を確認し……
(……あった)
やがて、求めていたものを見つける。――研究日誌と書かれた、一冊の本を。
(……俺が見たところで、書かれていることがどれだけわかるのかは疑問だがな)
そんなことを思いつつも、パラパラと日誌をめくるジュディック。以前、病院の地下研究室で見た日誌と同じ、可愛らしい文字で書かれた、専門用語に溢れた文章で埋め尽くされた紙面。その紙面を、拾い読むように読み進めながら、ジュディックは、マイミー少将から通信機越しに聞いた内容を思い出す。
ここには、過去に軍が採用しなかったために提出されなかった研究成果と、研究者が非業の死を遂げたことでによって中断されてしまった「はず」の研究結果が眠っているはずだと。
(ここには、十年前に突然中断された「未完成の研究」がどのようにして「完成」したか、まとめられているはずだ)
そんなことを思いながら、専門外のことが書かれているであろう日誌を、それでも読み続けるジュディック。最後まで膝を屈せず、ただ自分たちの好きなように、それでいて、私利私欲とは違う理由で動き続けた賊を突き動かしたものを少しでも理解しようと試みるように。
――なにより、最後まで意思の疎通を果たすことなく果てた敵が何者だったのか、少しでも知ろうとするように。
ジュディックは、手にした研究日誌を読み進め。ページをめくり。……やがて、その文字は、女性らしい文字から、癖の強い、勢いのある文字に変わっていった。
◇
……共和暦二二三年一月二七日――
採取した血液を濃縮してより濃度の高い「聖人の血」を作る、その限界点に到達する。……限界点が存在することは当初から予想していたことだし、ここに至れたのも一つの成果だとあの野郎は言うけどな。そんな言葉、慰めにもなりゃしねぇ。こんなのは、あのアマの立てた「血液には魔法濃度を一定に保とうとする性質がある」をまずは立証しただけだ。
まあでも、確かにこいつも一つの成果だ。こいつを分析して、「魔法行使の素」とでも言うべき「何か」を見つけ出す。――畜生、あのまま本物の「聖人の血」に到達できれば、楽勝だったのになあ、オイ。
――共和暦二二三年一月三十日――
また「聖人の血」を作ってるのかさ、あの野郎がそんな憎たらしい言葉を言ってくる。うるせいなぁ、あんな「特濃血液」、そう簡単に消費できっかよ。あれは「魔法行使の素となる何か」を見つけるまではお蔵入りだよ。
あん? 相変わらずの書き方だ? うるせえよ、あのアマが「君の研究日誌には感情が足りない」とか、訳の分かんねぇことを言いやがった結果こんな書き方になっちまったって、テメェだって知ってるだろう。いちいち下らねぇこと言ってんじゃねぇよ。――所長はいねぇ? ハン、俺がどんな書き方をしようが勝手だろうが!
――共和暦二二三年二月……
◇
(……なるほど。確かに「研究者」だったのだな)
手にした研究日誌の、とても日誌とは思えないような、まるで私小説のような文章を読みながら、ジュディックは思う。書き方こそ独特だが、そこに書かれた内容は確かに一研究者の日誌そのもので。本当に、今まで対峙してきた「賊」は研究者だったのだなと、そんなことを考えながら、ジュディックは、手にした研究日誌をさらに読み進めていく。
◇
……共和暦二二四年五月十二日――
また失敗かさ、そんな憎たらしい奴の言葉にうんざりしながらも、考えをまとめようと、机に座ってペンを取る。そうだな、まず、研究方針としては、「聖人の血」と「普通の血液」を比較して、片方にしか含まれない物質を探し出そうと、そんな考えでこの研究を始めた訳だが。その「片方にしか含まれない物質」ってのが、どうやっても出てこねぇ。
中の細胞だの分子だのをどれだけ比べたって、全部一緒だ。大体、そもそも細胞なんてのは「何から何まで一緒」なんてことはありえねぇ。そいつらを「比較して」違いを見つけようとするだなんて、普通に考えたら阿呆の考えだな。ああ、だからあのアマはやらなかったのか。ようやく納得できたぜ。
しっかし、どう見たっておんなじ血液としか思えねぇんだよなぁ。「聖人の血」を作るための濃縮も「より魔法反応が多い血液」だけをかき集めてくるだけだしな。本気で「魔法反応」以外に違いがありゃしねぇ。
いっそ、前提を変えるか。「魔法反応の有無を除いては全く同じ」血液を比較するんだ、まずは「魔法反応の有無を除いては全く同じ」成分を絞り込んだ方がよさそうだ。
……っていうかな、とうとう言い訳を日誌に書き始めたって、いちいちうるせぇんだよ、オイ。テメェにはテメェのやることがあるだろう、だまってそっちをやってやがれって、あん?、ロード・トレイルの中核となる「並列魔法式固定刻印」の目途はついた?、あとは部品の手配に組み立てだけだ?、そうかよ、そっちは順調なようで、良かったな、ああ!
――共和暦二二四年六月二十三日――
次の研究に向けて、「聖人の血」の成分分析方法を検討し始める。魔法反応が血球由来なのはわかってんだ。そいつを「体液」としての組成を保ったまま、そうだな、任意の成分を抜き取ってから比較すると考えると、……こりゃああれだな、専用の魔法式を組むしかねぇな。
それにしても、あのアマがいねぇだけで、こうも進まねぇもんなのか。ったく、だいたいこいつはあのアマの仕事だろう、勝手に放り投げてんじゃねぇよ。
――共和暦二二四年七月五日……
◇
(一年以上進展が無いのに、諦めようともしない、か。ずいぶんと粘り強く研究を進めていたのだな)
研究日誌をめくりながら、ジュディックは思う。賊に対し、どちらかというと、圧倒的な実力で、華々しく押し通すという印象を抱いていただけに、日誌から伝わってくる愚直なまでの地道さに、意外さを感じ。――日誌を読みすすめるうちに、どこか濁った感情の波のようなものが打ち寄せるのを感じて、ジュディックは、応接室のソファに座り、心を落ち着けるように息を整える。
(……落ち着け。「何故」などと考えたところで、意味はない)
日誌に書かれた、互いに信頼しあっているであろう、二人組の真摯な研究者。その様子を読み進めていくうちに、今まで苦渋をなめさせられた記憶が蘇る。列車の中の銃撃戦、河原での一方的な負け戦、つい先ほどの戦闘。――何よりも、砲撃が飛び交う河原で、目の前で部下の命を奪われた光景が、頭の中を何度もよぎり。そのたびに、その光景を頭から追い出そうと、呼吸を整える。
(奴らが「どんな」研究者だったのかを知れれば良い。だから、落ち着け)
ジュディックは心の中で「落ち着け」と、そう自分に言い聞かせるように、繰り返す。どうしてただの「研究者」だった男たちが、あんな凶行を行う賊になってしまったのか。彼らは何を思ってあんな凶行を繰り返したのか。それを知るためにここに来たのだからと。
それはきっと、自分たちが追い続け、追い詰め、そして、自らの手で致命傷を与えてしまった賊が、本当はどんな人間だったのかを知りたいとの思いからの行動で。
――同時に、自らの手で断罪した賊が、本当にそれだけの罪を背負った「悪」だと、そう信じたいが故の行動だった。