5.傾く天秤
戦闘機の操縦席で。こちらに狙いを定めているであろう賊に向かい最速で迫るように、プリムは機体を駆る。
迎撃もないままに、残り五キロの地点を素通りし。さらに十秒後、残り四キロの地点も通り過ぎ。なおも迎撃の砲撃が来ないことを確認したプリムは、機体を垂直に傾け、翼を立てるような姿勢で飛び続ける。
――やがて、残り約三キロとなったところで……
(……来た!)
通信機の向こうから聞こえてきた砲撃の合図の音に、プリムは覚悟を決めながら、操縦桿を引く。――たった三発、敵の砲撃を躱しきれば、接近して砲弾を食らわせることができる。そのために、ここから数十秒の間、なんとしても敵の砲撃をこの距離で躱す、いや、躱しながらさらに前進してみせる、と。
◇
風を切り裂きながら一直線に進む戦闘機が、その翼を縦に傾けたまま、まるで真横に上昇するかのように進路を変え。つい先ほどまで機体があった場所を砲弾が通り過ぎる。
(まずは一発目!)
至近距離を砲弾が通り過ぎる、その衝撃に耐えながらも、心の中で叫びながら、目指す賊の方へと進路を戻すプリムは、未だ消え去らない衝撃と慣性力に襲われながら、それを無視するかのように緻密な操縦を続ける。
危険を闘争心で上塗りしながらも思考は冷静さを維持し続けているのだろう、状況を分析したプリムは、はじき出した結果に、内心で嘆息する。
(……この距離で五秒かい。こりゃあ分が悪いかねぇ)
未だ賊は三キロも先。どれだけ飛ばしても、賊を射程に捉えるまで、あと三十秒ほどの時間がかかる。せめてあと一キロ、出来ることならさらに五百メートルは近づきたい。
……その距離になれば、当然のことながら、回避に与えられた猶予は五秒よりも短くなるだろう。果たして本当に躱すことができるのか、プリムの頭に一瞬だけ、そんな考えが浮かび。即座に決断し、覚悟を決める。
――例えどれだけ厳しい条件でも、果たしてみせると。
◇
(二発目!)
敵の方へと進路を取った戦闘機に再び襲いかかる砲撃。その砲撃をかろうじて躱したプリムは、砲撃が着弾するまでの時間、その三秒というあまりに短い時間に肝を冷やす。
そのまま近づいたのでは、これ以上躱しきれない。そう判断したプリムは、進路をずらし。やがて、残す距離を一キロと半ばとしたところで、大きく舵を切り、その距離を保ちながら、まるで挑発するように、その場で旋回を始める。
(――さあ、撃ってきなよ。それでカタがつくさ!)
そう心の中でつぶやくプリム。
――程なくして、通信機の向こうから、砲撃合図の音が鳴る。
◇
無言のまま、反射的に舵を切るプリム。進路の先、二秒後に機体が通り過ぎるであろう地点に向けて正確に飛来する砲弾。与えられた極僅かな時間に、それでも、機体は大きく傾きを変え、その傾きに追従するように、僅かに進路をずらす。
僅か一メートル程度の進路のズレ。本来機体があったはずの空間を砲弾が通り過ぎ、衝撃にさらされながらも、傷一つ付くことなく、戦闘機は飛び続ける。
(――躱した!)
三連砲の最後の一撃を躱したプリムは、機体を立て直しながらも、敵の潜んでいるであろう地点に向かうべく、再び舵を切り。砲撃を確実に命中させるべく、距離を詰め始める。――賭けに勝ったと、半ば勝利を確信しながら。
◇
「来るぞ! 例え手が焼けても、楯は離すな!」
「「了解!」」
空に向かって投げ放たれた「セイント・ブラッド」を見て、ジュディックは叫ぶ。先の、大隊に向けて放たれた魔弾。辺り一面を灼いたその一撃を見て、無茶を承知の上をジュディックは命令し。その命令に、覚悟をにじませながら隊員たちは答える。
実際、この敵を相手にするときは、いつか無力化されるであろう銃よりも、楯の方がよほど大事なのだ。そのことを、これまでの経験で、嫌というほど思い知らされているジュディックと隊員たちは、たとえ手が焼けようとも、手にした盾は絶対に手放さない、そんな覚悟と共に、足を止め、隊形を整える。――前列は正面からの銃撃に備え、中列は頭上の魔弾の炸裂するのに備え。可能な限り隙間を作らないよう密集して、楯を構え。後列の隊員たちがジュディックと共に、銃刀を敵に向け、魔法式を刻み始める。
――やがて、ジュディックたちが発砲するのと同時に、空中の魔弾が炸裂する。
降り注ぐ血のような液体が、灼熱の魔法を浮かび上がらせながら、隊員たちの楯を濡らし。その僅かな間隙をすり抜けて、隊員たちの軍服を濡らす。楯が焼け、隊員たちを灼熱が襲い。――それに耐えた隊員たちが、再び前進を始める。
そんな隊員たちの目の前に、今度は地面に転がされるように「セイント・ブラッド」が放り投げられ。その魔弾に、さらに今までと異なる魔法式が刻まれているのを見たジュディックは、慌てて隊員たちに注意を促す。
程なくして、その「セイント・ブラッド」によって広範囲にまき散らされた「爆発魔法」が、さらに広範囲に、辺り一帯に衝撃をまき散らす。
隊列を組んだ隊員たちの至近距離で起こった爆発が、隊員たちを襲う。――だが、その爆風も、隊員たちが隙間なく構えた楯によって防がれ。
さらに空中に放り投げられた「焦熱魔弾」も、ジュディック率いる武装偵察部隊は、一糸乱れぬ隊形を維持し、防ぎきり。その合間を縫うように、賊に向けての銃撃を行う。
熱に、衝撃に、その身を傷つけながらも、確実に距離を詰めていく。
「――マジでウゼェ。亀か、テメェら!」
奥の手の「セイントブラッド」を防がれ続け、徐々に近づいてくるジュディックたちにいら立ったのだろう、アストが叫び。手にした「セイント・ブラッド」に、魔封魔弾の魔法式を刻み始める。
それは、敵の銃撃を封じ、自身の持つ速射銃シュバルアームでの蹂躙を可能とする代わりに、今この戦況を支えている広範囲魔法の威力も減衰してしまう、この状況においては諸刃の剣。
その身を晒して、シュバルアームで一気にカタをつける。そんな、半ば賭けに出るような行動のために、魔封魔弾の魔法式を刻むアスト。
――やがてその魔法式も完成し。アストは「セイント・ブラッド」を、敵の頭上へと放り投げる。
◇
「……まあ、例の高級官僚のアホウな企ての証拠は、ばっちり揃えてある。あとでウチの餓鬼どもに送らせらぁ」
ファダー邸の応接間で。「王国で行われていた『世界博』で聖典を盗み、その罪をなすりつける」という陰謀の証拠は抑えてあるというファダーの言葉に、「承知した」と短く答えるマイミー。
「これはアイツ等が言ってたことの受け売りだがな。あの『血狂い』とかいう科学者がやっていた『魔法研究のために血を分析する』っていう方法を否定したのは悪手だったみてぇだな。この十年間、この国の研究開発は停滞しちまったのはそのせいだってな、奴らはそう考えてたみてぇだな」
マイミーの様子を見て、話を続けるファダー。その話をマイミーの隣で聞き続けるスクアッドは、ふと思う。……まるで過ぎ去った過去のこと語るように、例の賊のことを語るんだな、と。
「奴らが言うにはな、研究者が『これは手をだしちゃいけねぇ』とか言い始めたら、研究なんざ出来ねえんだとよ。人の血だろうが、聖人の再現だろうが、『禁忌』ってのはクソみてえなもんだし、意味がねぇって。
国だってバカじゃねぇ、そのうち、おんなじ結論に至る。そうなると、その方針に反対し続けた例の官僚様は、今度は『禁忌』の象徴みたいな扱いになる。奴がいると研究開発が進まねぇってな。だから、そいつを処分しようって話になる訳だ。……まあ、『しっぽ切り』って奴だな」
いや、多分、ファダーの中では、あの賊の二人はすでに過去のことになっているのだろう、スクアッドはそう思いながら、ファダーの話に耳を傾ける。……そしてそれは、多分マイミーも一緒だろうと。
全く、気が早いこってすわ、そんなことを思いながらも、スクアッドは、ファダーの話で引っかかったことを、軽く聞いてみる。
「『しっぽ切り』っすか?」
「そりゃそうだろ。人の血だの聖人だのなんて言ってたのは『高級官僚』じゃねぇ。その後ろにいた『教会』の方だ。なのに気が付けば、『高級官僚』をどうにかすれば万事解決、そんな話になってやがる。ったく、連中、筋ってもんを知らねぇのかね」
スクアッドの質問に、軽く答えるファダー。その言葉にスクアッドは納得しつつ、肩を竦める。
(そのトゥーパーって御仁、研究内容に思い入れがあるタイプでもなさそうっすしね)
技術官僚という、研究者に近い立ち位置にいながら、話の節々に極めて政治的な立ち振る舞いを感じるその人物に、スクアッドは思う。
事件のきっかけとなった男と同様、トゥーパーという男にとっても、研究内容はただの出世の道具で、教会という後ろ盾を得るためだけのものだったのだろう。その結果、見事に出世を果たすことができたが、同時に教会の代弁者として利用され……
(いらなくなったらお払い箱っすか。おお、怖い怖い)
話を聞いて得た結論に、スクアッドは内心で呆れたような感想を抱く。きっと、トゥーパーも教会も、どちらも相手のことを全く信用などしていなかったのだ。互いに駒として利用しあい、利用価値が無くなれば切り捨てる。そしてトゥーパーよりも教会の方が何枚も上手だったと、たったそれだけの話だったのだろう。そんなことをスクアッドが思ったところで、マイミーが珍しく口を開く。
「……トゥーパー参謀官は軍備調達計画の策定責任者の一人で、軍の研究方針を統括する立場の人間だ。結果が伴わなければ責任を取るべき立場の人間だが」
「へいへい、腹芸ご苦労なこって。立場ってのは大変だな、オイ。――でもな、こっちはそれじゃあ困るんだ。連中が置いていった『研究成果』を、教会やその息のかかった奴に渡すわけにはいかねぇ。それじゃ俺らが義理を忘れたことになっちまう」
マイミーの言葉を、一旦は「腹芸」だと鼻で笑うファダー。だが、そんな彼も、すぐに真面目な顔になり、話を続ける。
それは、彼がずっと気にしていた「義理」の話で……
「『研究成果』を『教会』の好き勝手にはさせねぇ。それがこっちの条件だ。――けどな、それだけの価値はあるんじゃねぇのか? 完全な形の『血狂いの研究成果』ってのは」
……同時に、その義理はお前らの利益にもなると、そんな提案だった。