2.裏社会
「……本気で、ここに入るんすか、たった二人で」
「うむ。……相手はどこにでもいる善良な市民だ。部下たちを引き連れてくる訳にはいかぬだろう」
馬車から降りたスクアッド曹長は、目の前に立つ、ビアリン一家の邸宅の門の前に立ちながら、同じように馬車から降りてきたマイミー少将に話しかける。
一般市街地の外側、新都の内周部とは名ばかりの労働者住宅街。そんな立地に建っているとは思えないような、高い塀と広い敷地を誇る豪邸。立派な門扉の奥には、高級住宅街の瀟洒な邸宅とはまた違った、どこか迫力を感じさせるような古風な建物がその威容を覗かせ、自然を象ったのだろう、手入れの行き届いた、趣のある庭が広がる。
その門扉の向こうで、とても善良な市民とは言えないような迫力を出した「若い衆」がこちらに歩み寄ってくるのを見ながら、スクアッド曹長は思う。
(こういうの、異国情緒とか言うんすかねぇ? あっしにゃあ良くわからん世界ですわ)
共和国の伝統的な様式とも、良く見る王国や都市国家の様式とも違った、珍しい様式の庭園。机や椅子が置かれ、時に噴水や人工的な飾りを配した、住居の延長のような庭とは違う、木々や庭石で自然を再現し凝縮したかのような、景観を追い求めたような庭園。
一般的な庭園とは違った趣のその庭にスクアッドは、確かどこか南の国の様式だっけかと軽く考えたあと、門扉を挟んですぐ近くにまで来た若い衆へと注意を向ける。
「おい、手前ら。用もねぇのに覗きこ……」
「あー、突然でわるいっす。ちょっとこの家のご主人殿に用がありやして。――共和国軍陸軍からアイン・マイミー少将が対面を希望していると、ご主人殿に伝えてくれないっスかね」
どこか不真面目な、人を食った口調はそのままに。スクアッドは、凄んできた若い衆の言葉を遮るように、一方的にそう話しかけた。
◇
「こっちだ」
その後、若い衆が自分たちのことを伝えに行き。しばらくして、その若い衆を引き連れるように出てきた一人の男に、「奥に来い」と短く告げられ。門をくぐり、その男の後をついて、屋敷の中に入り。男に案内されるままに、マイミー少将とスクアッドの二人は、家屋の外周、庇の下に通った廊下を歩く。
(……こりゃあまた、凄い作りやなぁ)
廊下を歩きながら、スクアッドは、トゥーパー参謀官の邸宅とはまた違った形で実用的な、その作りに感心する。廊下の左手には、異国情緒あふれる庭園。反対側の右手にある大部屋には、先ほどのような若い衆が普段から住んでいるのであろう、今も数人が床に座りながら余暇を持て余している様子がうかがえる。その大部屋の中を、全面が硝子という珍しい引き戸ごしに見ながら、その個性的な作りの意味を考える。
(これじゃあ、家の中のどこにいても、庭の様子はまるわかりでさぁ。若い衆が何人いるのか知らないっすけど、こりゃあ、塀を乗り越えて忍び込むのは無理ですわ。――やっぱこいつは、その逆も考えてのことだよなぁ)
視界を遮るものが何もない、どこからでも見渡すことができる、多くの人間が住むことを前提とした作りの家。庭で何かあれば誰かが気付ける、そんな狙いのある作りだろうとスクアッドは推測する。……そして同時に、外にいる人間が、中で何かあったことに気付ける、そんな意図もあるのだろう、とも。
「……なんとも、外から筒抜けな家っすね。落ち着くんですかね、これで」
「うむ。だが、ここまで見通しが良ければ、何かあったときにすぐに気付けるのだろう。聞くところによると、この家の中に住んでいる人間は全て家族という話だ。なら、何も問題ないのだろうな」
世間話でもするように話しかけたスクアッドに、しれっと答えるマイミー少将。その言葉に、スクアッドは軽く肩をすくめる。――家族なら、知られて困ることは何もない。そりゃあ、凄い建前だねぇと。
そんな二人の話には一切興味を示そうとせず、男は無言で先導し。やがて建物の奥、今までほとんど見かけなかった、木製の扉の前に立ち。
「ついたぞ。ここが『親父』の部屋だ。――失礼します」
マイミー少将の方に向かって言葉短にそう告げた後。ここまで案内してきた男は、扉の向こうに語りかけながら、その扉を開けた。
◇
応接間としてはやや広い、そんな部屋に、どこにでもあるソファと机という、ごくありふれた調度品。特徴的なのは、部屋の片隅に置かれた棚に並んだ酒瓶とグラスだろうか。果実を蒸留して造られたであろう、意匠を凝らした酒瓶に、香りを楽しむために作られた、間口を狭めたグラスが並ぶ。
(ひえぇ、ハーフホースっすかぁ)
その酒瓶の特徴的な刻印に、スクアッドは心の中で驚きの声を上げる。一般人ではまず口にすることができない、国内有数の果樹園で製造された高価な酒。その酒と、それを楽しむためだけに並べられたグラスだけが、ここに住んでいるのがどこに《・・・》でもいる善良な|市民ではないことを、如実に示していた。
◇
「オウ、テメェらか。呼んだ覚えもねぇのにこの俺を訪ねてきた、面の皮の厚い客人とやらは」
ここまで案内してきた男に勧められがままに、二人がけのソファへと腰を落とすマイミー少将とスクアッド。その二人に、まるで機先を制するように話しかけてきた「親父」に、マイミーは重々しく口を開く。
「――その言葉。まずは客人として招き入れられたと取らせてもらうが、構わぬな」
「言うなぁ、オイ。――テメェ等がどれだけ偉ぇのか知らねぇがな、ここじゃそんなことは関係ねぇ。ここの流儀に従ってもらう。無礼は無しだ。それを承知ってんなら、いつでも歓迎してやるぜ」
「承知」
相手の乱暴な口調に、まるで自分の部下に接するような、尊大な口調で応じるマイミー少将。その態度に、むしろ楽しげな様子を見せながら、釘を刺すファダー。
そんな二人の様子を見ながら、スクアッドは考える。この個性的な少将閣下は、なんでいきなり偉そうな口調になるのかと。そりゃあ、いきなり慇懃になるとか思っちゃいなかったっすがね、それにしたって、普通はもう少し言葉を選ばないかねぇと。
――第一、このご両人、こんな会話をしながら、目だけはこれっぽっちも笑っちゃいねえって、本気でおっかねぇ! まったく、いい性格してるわと、そんな自分のことを棚に上げたようなことをスクアッドは考えていた。
◇
「……つまりはその、アストとマークスとかいう指名手配犯をどうにかするために、知ってることを洗いざらい吐けと、そういう話か? おいおい、俺たちはどこにでもいる善良な市民だぜ? 話せることなんざありゃしねぇだろ」
「否、もはやそんな状況ではない。奴らに手を貸すつもりが無ければ、それで構わん。……ただ、事後のこともあるのでな、言える範囲で構わんから協力願えないかと、そんな話だ」
案内してきた男によって、ソファの前のテーブルの上にグラスが並べられるのをよそに、話を始めるマイミーとファダー。
単刀直入に用件を切り出すマイミーに、はぐらかすように受け答えをするファダー。そうして話が途切れたところで、ファダーは、僅かな時間、視線をあらぬ方向へと向け。再び、今までと同じ口調で話し始める。――その声に、ほんの僅かな慎重さをにじませながら。
「……その指名手配犯なんざ知らねえがな。今テメェらが向かっている『研究所分室』って場所はな、元研究者のくせに喧嘩っ早いインテリ野郎から俺たちが譲り受けた場所だ。そこには、そいつらが国に知らせなかった研究成果が山ほど眠ってるって訳だ。――それを自由にしていいって、俺らはそいつらと取り決めてる」
男の手によって目の前のグラスに酒が注がれていくのを気にすることもなく、ファダーは話し続ける。まずは重々しく。次の言葉は軽く、肩を竦めたような仕草と共に。
「ってもまあ、あそこが吹き飛ばされても、俺らにゃあ、大して損はねぇ。むしろ、損をするのはテメェらの方だろうぜ。――そのくらい、あそこに眠っているお宝は魅力的だと思うぜ、テメェらにとってはな」
まるで年を重ねた喜劇役者のように、台詞に見合った態度を取りながら。刺すような視線だけはそのままに、ファダーはまるで芝居を演ずるように、話を続ける。
「あんなもん残しやがって、ただでさえ迷惑だったのに、テメェらのような奴らまで呼び寄せやがった。あれはな、奴らの残した最後の迷惑だ。――けどな、クソふざけたことに、俺らには、それを断れねぇだけのでっけえ『借り』もあるからな」
大げさに嘆く素ぶりを入れながら、ファダーは芝居がかった動きで琥珀色の液体が入ったグラスを手に取り。なみなみと注がれたその液体を、一気に胃の中に流し込む。
飲み下された高濃度の酒精に、身体を内側から焼かれながら。ファダーはそれを感じさせない、普段どおりの口調で、マイミーに話しかける。
「テメェらだって知ってるんだろう? 過去において、教会のお偉方に『誰が』暴力を供給していたか。――言い訳はしねぇし、二度とあんなバカげたことに、ウチの餓鬼どもを巻き込ませるつもりもねぇ。だけどな、やっぱりこいつは、奴らへの借りなんだろうさ。
……そいつらのことを話す代わりに、『研究所分室』にあるブツの扱いに口を出させてもらう。それで良いんなら話してやるが、どうだ?」
その言葉に、マイミーは重々しく頷いて。その様子を確認したファダーは、身体から力を抜き、その背を沈める。
その一部始終を見終わって、同じように力を抜いたスクアッドは、男の手で再びファダーのグラスに注がれる琥珀色の液体を見ながら、ふと思う。
――ハーフホースをあんな飲み方するなんて、やっぱ大物は違う、真似できねぇっすわ、と。
◇
「っ、……て、もう朝かよ」
こじんまりとした、研究所分室の仮眠室。痛みで目を覚ましたアストは、備え付けの簡易的な寝具の上で、差し込む光に気付き、軽くぼやきながら立ち上がる。
昨日、マークスと別れた後。この研究所分室にたどり着いたアストは、右手の傷口を洗い、局所麻酔を施したのちに縫合して、清潔な布で傷口を覆い、流した血を少しでも補うべく輸血をする。
それらの処置を一通り終えたのち、半ば無理やりに食事をとり、陽が沈むのを待たずにそのまま眠り、そのまま朝を迎える。
(……ったく、クソ趣味の悪い「血液研究機材」が、こんな形で役に立つたぁな)
少しずつはっきりとしてきた頭でそんなことを考えながら、自分が治療のために使った「研究機材」を見て、軽く苦笑するアスト。今回はたまたま治療に使ったが、本来なら、血を抜き取ったりするための設備なのだ。……とはいえ、最も多く抜き取られたのはアストの血なのだが。
(ってまあ、元は確か病院の機材だっけか? ……ったく、おっかねぇ病院もあったもんだ)
そんな、過去のことを思い出しそうになって。今はそれどころではないと思い出したかのように、その思い出を振り払いながら窓の方へと移動し。警戒するように、そっと外の様子を探るアスト。
そうして、まだ周りに誰もいないことを確認し。手早く食事を取り。治療の結果を調べるかのように、ゆっくりと身体を動かし、痛みを確認する。
(……ふん。ちったぁマシになったか)
身体から取り切れていない、それでも昨日よりははるかに軽くなった痛みを確認したアストは、痛み止めを注射し。さらに、注射器を使って、この研究所分室に保管されていた「血液のような何か」を、繰り返し投与していく。――元は自身の血液から作られた「セイント・ブラッド」の元となる、自身の血液で作成された濃縮血液を。
「――ふん。こんなもんか」
準備した血液を投与し終えたアストは目を閉じ、精神を集中させる。やがて、投与した濃縮血液が身体になじんできたのだろう、普段よりもさらに広い範囲を見渡せるようになった魔法反応を確認し。ここから数キロ先、この鉱山地帯の中腹に建てられた研究所分室と外とをつなぐ道の半ばで敵が陣取っているのを確認したアストは、立ち上がり、自らの武装を確認する。
腰の左側の拳銃嚢に愛銃シュバルアームを入れ。
腰の右側には切り札のセイント・ブラッドを数個、衣嚢にしまい。
右胸の弾嚢には、片手で給弾しやすいように弾と雷管を並べ。
その間、敵が動こうとしないことを確認したアストは、ゆっくりと、ロードトレイルの方へと歩き始める。
――迎え撃つ態勢を整えて待ち構えているであろう敵陣を、力づくで突破するために。