26.首都ホープソブリンの死闘(下)
軽く「残酷な描写」があります。ご注意いただくようお願いします。
「……大丈夫かさ」
「――ハン。見たまんまだよッ! ……ッ!」
地に濡れた廊下を二人の人影が走る。一方の、巨大な砲を肩から下げるように持った筋肉質の男は、その身体に似合った、力強い足取りで。もう片方の敏捷そうな男は、右腕を力なくぶら下げながら、どこか危なっかしい、いまにも倒れそうな足取りで。
アストとマークスは、床に赤い跡を増やしながら、屋敷の奥から庭に向かって駆けていく。
「とりあえず、『ロード・トレイル』まで行くさ。……大丈夫か?」
「誰に口を聞ぃ……、てやがるッ」
怪我をいたわるようなマークスの口調に、強がるようにアストは答え。その、痛みをこらえていることを隠しきれていない口調にやや苦笑いしながら、マークスは、つい先刻の、非常識な光景を思い出す。
アストの言い放った「こっから出ろ!」という言葉を聞き、即座に部屋から出たマークス。扉をくぐり、振り返った直後に響く砲撃音。襲い掛かる衝撃に激しく背中を打ちつけ。――目の前で、爆発するようにめくれ上がる床と通り過ぎる何かの中で、一人吹き飛ばされるように転がる相棒の姿を見る。
壁にぶつかった衝撃で声を上げることもできないマークスの目前で。アストは勢いに翻弄されながらも、一度取り落とした愛銃を左手で拾い上げ、部屋の扉まで駆け抜け。
崩落した部屋の入口で振り返り、一階に向けて左手で一発ぶっ放し。普段よりもぎこちなく、それでも器用に片手で装弾をし。やがて階下の様子を一瞥し、踵を返し。――敵よりも先に庭に出て脱出すべく駆け出して、今に至る。
「しかし、『ロード・トレイル』の周辺は無人って、本当かさ」
「ああ。――ッ、……のままだと、連中と鉢合わ、……せるな」
痛みを抑えながら走るアストに問いかけるマークス。その問いかけに同意しながらも、痛みに顔をしかめつつ、一階で奴らと交戦し、突破しないといけないという事実を伝えてくるアスト。――言外に、今の自分はその相手をするのは厳しいという現実を込めて。
だが、その言葉を聞いたマークスは軽く答える。
「それなら大丈夫さ」
「アン、何言って……っておい、ック、何しやが……ッ!」
二階の特別警護室があった場所と階段を結ぶ廊下の中ほど、先ほど窓から正面玄関へと砲撃をした窓の前でマークスは立ち止まり。訝しげに止まるアストを強引に小脇に抱え、もう片方の手で窓を開け。
――そのまま、傷の痛みで上手く動けないアストと共に、二階の窓から庭へと飛び降りた。
◇
「全員、無事か」
「は。第一班、損害ありません」
「第二班、同じく損害ありません」
「良し。第二班は周囲を警戒、第一班はこの広間を探索。手早くな」
「「は」」
一階で砲撃の指揮を取っていたジュディックは、状況が落ち着いたのを見計らって、頬の傷を無意識のうちにさすりながら、隊員たちに指示を出す。
やがて、規律正しく動き始めた隊員たちを静かに眺めながら、記憶を辿り、砲撃の直後に姿を見せた賊から感じた違和感の正体を探り。――しばらくして、一つの結論を導き出す。
(傷を負わせることは出来たということか)
今まで決して標的を外さなかった、正確無比な射撃を誇った敵の、自分の頬を掠めただけの射撃。数の差をもろともせずに、無慈悲に銃撃を放ってきた敵の、自分たちを見下ろす絶好の位置に位置しながらの撤退。
そして何より、記憶にある過去の彼との差、銃を左手に持ったことによる違和感から、ジュディックは、敵が傷を負ったこと、その傷は有利な状況をみすみす見逃すほど深いものだと悟る。
(だとすると、追うことを優先すべきだったか。……いや)
今まで追いながらも捉えることができなかった敵への思いがけない優位に、ジュディックは誘惑を感じ、……一瞬の後、頭を振ってその考えを捨てる。
確かに今まで煮え湯を飲まされてきた相手だ。機があればそれに乗じたいとも思う。だが、自分に与えられた任務は、正確には賊を追うことでは無いと、そこまで考えたところで、隊員の一人が駆け寄り、ジュディックに対し報告をする。
「参謀官を発見しました!」
「そうか。……死因は?」
「損傷が激しく、正確なところはわかりません。ですが……」
報告の内容に、ジュディックはある予感を感じ。その予感通りのことを、隊員は口にする。
「その懐に『聖典』が入っていることは確認しました」
「――そうか」
それは、ここまで賊を追ってきた理由そのものであり。任務が完了した知らせでもあり。――そして、トゥーパー参謀官の懐から出てきたという事実は、結局「賊の手から」聖典を取り戻すことは出来なかったという証でもあった。
そのことに気付いていたのだろう、ジュディックは軽くため息をついた、その時。ジュディックの元に、新たな報告が届けられる。
「――賊が庭に放置されていた『鉄の箱』に乗りこんだことを確認! このまま逃走を図ると思われます」
その言葉に、ジュディックは一瞬だけ考え。即座に答えを出し、隊員たちに伝える。
「構わん。まずは外で包囲している友軍に情報を伝えろ。――聖典は無事回収した、とな」
それは、任務を常に最優先に考える彼らしい判断であり。――同時に、それでも彼の中に無念さを残していることを隠しきれていない、そんな響きを持った命令だった。
◇
「連中、来ないさ」
「……フン。大方、例のブツの回収を優先したんだろうぜ」
庭に止めてあったロード・トレイルに乗り込んだアストは、同じく運転席へと乗り込んだマークスの声に、手早く傷の応急処置をしながら答える。
左手で器用に右腕の袖を破り、傷口を見て、軽く舌打ちするアスト。その後、再び服を傷口に当て、そのまま硬く結びつける。その間に発車準備を整えたマークスは、動力機を動かし、ロードトレイルを発車させる。
座席に押し付けられる身体に、疼く傷口。顔をしかめたアストの耳に三発の銃声が届き。発砲音だけでどこにも着弾した様子もない不思議な銃声に首を傾げた直後、動き始めた外の包囲網に気付き、何かの合図だったかと悟るアスト。その包囲網の変化に、痛みをこらえつつも皮肉げに呟く。
「ハン。どうやら外の連中も似たような感じみたいだな。――ご丁寧に、封鎖を緩めやがった」
「……俺たちをそのまま通すってか」
「いや。ただ、さっきまでの『意地でも帰さねぇ』って感じでもねぇな。――死人が出るくらいなら通した方がマシ、みたいな、どっか日和った感じか」
「そりゃあ、また、なんとも。――まあ、今はその方がありがたいさ」
こりゃあ奴ら、さては「例のブツ」を回収したなと薄々感じながらも、今の自分たちには好都合と頷きあい。ロード・トレイルを加速させ、正門へと突っ込ませるマークスに、左手で銃を構えるアスト。
「じゃあ、一丁、突っ切るさ。――南無三!」
マークスのその言葉に、アストは姿勢を低くし。――銃口が集中するであろう、正門から大通りの間の道を駆け抜けるべく、覚悟を決めた。
◇
「撃て!」
正門から大通りへと延びる、やや狭い通りの片隅の、特別貨物馬車と共に道の脇に移動した指揮所。その中央で、マイミー少将が号令をかけ。――道の両脇からの銃声が鳴り響く。
通りを封鎖するように設置された障害物を、ロード・トレイルが跳ね飛ばし。そのロード・トレイルに、絶え間なく襲い掛かる銃弾。正面や側面の窓にはめ込まれた、硝子に似た透明な何かにヒビが入り、鉄の車体に、時折銃弾がめり込む。
――だが、透明な何かが砕け散ることも、銃弾が鉄の車体を貫通する事も無く。銃撃は、ロード・トレイルに弾かれ続ける。
(……やはり、口径が足らぬか)
目の前を走り去る鉄の箱を見ながら、マイミー少将は思う。首都の街中で使用できる銃器は限定される。先ほどジュディック率いる武装偵察小隊が持っていった携行用の砲、あれは上空に向けて撃つ前提だから使用を許可できたのであって、道を走る鉄の箱に向かって撃つ訳にはいかなかったのだ、と。
(まあ、この囲いを突破されるのは仕方がないだろう。だが……)
そんな、この先のことを考え始めたその時。マイミー少将はズシンという重量感あふれる振動を感じ。その足音のした方を見る。
――その視線の先、特別貨物馬車の出入口で、推進装置を手にしたメディーンが、今にも飛び出そうとしていた。
◇
「……えっと、『追いかける許可』? えっと、良いって言えばいいの? ……うん、良いよ」
ロードトレイルが通り過ぎようとするほんの少し前。特別貨物馬車の中に設置された通信機の前でメディーンは、通信機のマイクを軽く、トントントトンと、どこか規則性のある叩き方をし。その音を聞いて誰かと相談したのだろう、通信機の向こうから、メディーンの求めに応じるようにフィリが答え。それを聞いたメディーンが、特別貨物馬車の外へと歩きだす。
やがて、外に出たメディーンは、手にした自らの推進装置を両手で持ち。やがてその推進装置が炎を生み出し。今にも飛び立とうとする。
――その様子に気付いたマイミー少将が、メディーンに対し声を張り上げたのは、そんな時だった。
◇
「――不要!」
その様子に気付いたマイミー少将が、とっさに叫ぶ。その声を聞いたメディーンは、推進装置を停止させ、その顔をマイミー少将の方へと向ける。
「奴らを追うのは他でも可能。そして、それは軍の仕事だ。何より、貴殿には他に頼みたいことがある。――スクアッド曹長!」
こちらを見るメディーンに、マイミー少将は説明をする。あの賊を追うのは自分たちでも可能であり、それが自分たちの仕事であること。――そして何より、メディーンには他の、メディーンにしか出来ないことを頼みたい、と。
「はいはいっと」
「貴様はその御仁のことも詳しいだろう。助けてやってくれ。……後のことは任せる」
「了解っと」
同じく特別貨物車両の御者席の近くに立っていたスクアッド曹長に、マイミー少将は声をかけ。傍らの副官に後を託すと、メディーンと入れ替わるように、幾人かの兵と共に、特別貨物馬車の中に乗り込もうとし、……ふと、なにか言うべきことを思い出したかのように、スクアッド曹長の方へと振り返る。
「――ところで貴様、普段よりも口調がふざけているように見えるが」
「そりゃあ、あっしは上官に恵まれましたので。あのやり取りを見てたら、まともな対応は難しいっすわ。――時と場合によりますがね」
マイミー少将の質問に、どこか飄々とした態度で答えるスクアッド曹長。そのどこかふざけた答えに、マイミー少将は、この急を要するであろう状況の中、ニヤリと口角を上げ。
「そうか。貴様とは落ち着いて話をしたいものだな。後ほど、時を選んでそうさせてもらおう。――では、後を頼む!」
そう言い残して、特別貨物馬車の中に、その姿を消す。
――やがて、御者台に立った兵士が鞭をふるい。馬車につながれた八頭の馬が、鉄で覆われた特別貨物馬車を引き始める。その重量のためだろう、動き始めるときはガタンと音を立て。始めゆっくりと、徐々に速度を上げ。やがて、八頭の馬のいななきとまるで列車が走るかのような振動音上げながら、特別貨物馬車は、彼らの前から姿を消す。
「で、私たちは何をするのだ?」
……特別貨物馬車が立ち去り、静かになった通りの片隅で。マイミー少将に後を託される形になった副官が、スクアッド曹長へと、相談するように話しかけ。――その質問に答えようとしたスクアッド曹長は、包囲した兵士から借りたのだろう、身長ほどもある巨大な楯を手に騎乗し、駆け抜けるジュディックの姿を確認し、目の前を通り過ぎるのを目で追う。
「……これから馬は大量に必要そうってのに、その馬に乗っていっちまいましたよ、ウチの指揮官殿。――まあ、あっしらには、あっしらに似合った仕事がありますぜ」
「まあ、そうだな。そうなのだが。――わたしには、その人?、に似合う仕事だとは、到底思えないのだが」
その姿を半ば呆れるように眺め、ぼやくように呟いた後、スクアッド曹長は気を取り直すように、傍らの副官に話しかける。その、自分たちには自分たちに似合った仕事があるという言葉に頷きながら、どこか疑わしようにスクアッド曹長の傍らに立つ巨大な人影を眺める副官。
その視線の意味に気付いたのだろう、笑いながら、スクアッドは副官へと返事をする。
「いやぁ、この御仁はこう見えて、案外裏方むきだと思いやすぜ」
そう言いながら、自分の仕事が待つトゥーパー参謀官の邸宅へと視線を向け。それに合わせたように、副官も視線を向ける。――その視線の先にある邸宅の中の状況を知らないままに。
そこに待っていたのは、すでに賊との交戦を経験し、戦場を経験した彼らにとってもなお想像を絶するような、そんな戦場の跡地だった。