幕間・最後の義理
「それじゃあ『親父』、預けた品物、確かに返してもらうぜ」
「おうよ。――しっかしまあ、惜しいなぁ、オイ。残る気ぁ、無えんだな」
首都ホープソブリンの大通りを歩きながら、通信機越しに誰かと話すアスト。その口調には、普段の彼にはあまり見られない、相手に対する尊敬の響きが混じる。通信機から流れてくるどこかなれなれしい声に不快感を示すこともなく、軽い苦笑いを浮かべながら、通信機の向こう、自身の言う「親父」――数多くの「ならず者」から、尊敬の念を込めてそう呼ばれている人物――へと返事を返す。
「前にも言ったけどな。それじゃあ『親父』に迷惑がかかっちまう。今回の件はあくまで俺たちの我儘だ」
「ハン、なぁに言ってやがる! そんな殊勝なことを口にしやがって。――俺の下につく気もないくせによぉ」
あくまで自分たちの都合、他者に迷惑はかけれないというアストの言葉を、通信機の向こうの「親父」は一蹴する。自分に従わないことを揶揄しながら。――それでも、そんなことは小さい事だと、首都ホープソブリンの裏の社会をまとめ上げてきた男は、その器量を見せつけるように笑いながら。
「テメェらのその態度はな、確かに、俺にとっちゃあ、凄ぇ迷惑だ。『なんであいつらだけ』、ウチの餓鬼共が何度そう言ってきたことか。血の気の多い、抑えのきかねぇやつなんざ、俺の命令に影で背いて暴走するような奴もいたぐらいだ。――テメェらだろ、始末したの」
「いえ、それは……」
「ハン! 最後ぐらい、言わせろや」
その口にする物騒な内容に、似合わぬ笑いと、ならず者をまとめ上げてきた重量感を含ませながら、「親父」は語る。その声に、アストたちを糾弾する響きは無く。自分の子分が始末された過去ですら楽しんでいるかのように。
「『親父』なんて殊勝なことを言いながら、テメェらは最初から最後まで、俺の餓鬼じゃなかった。ああ、貴様らにとっても、俺にとっても、その方が都合が良い。テメェらが本当に俺の餓鬼だったら、そのややこしい武器を取り上げなきゃならねぇ。――要らねぇよ、そんな物騒なモン。そんなモンを手にしちまったら、あの都の中心で踏ん反り返っている連中を本気にさせちまう。
……別に連中が本気になったところで、どおってこたぁねぇんだがな。死ぬほど面倒くせぇのだけは確かだからなぁ」
その剛毅な、それでいて政治の匂いがする言葉にアストとマークスは軽く笑う。
国の上層部が本気になったら「どおってこたぁねぇ」なんてことはありえない。どれだけ「親父」の部下が多くても、本気でぶつかったら負けるのは「親父」たちの方だ。だからと言って、国が怖いなんてことは、口が裂けても言えない。下手にそんなことを言えば、血の気ばかりが多い「親父の餓鬼」たちが暴走を始める。
だから、「どおってこたぁねぇ」と言いながら、親父は決して「都の中心で踏ん反り返っている連中」と事を構えようとはしないし、それがわかっているからこそ、「踏ん反り返っている連中」の方だって、下手につつこうとしない。――そのことをわかっているアストは、「大変だねぇ」と内心でうそぶきながら、「親父」の話に耳を傾ける。
「テメェらとは丁度いい距離だったんだがなぁ。俺らはテメェらに弾薬や情報の類を売りつける。その代価として、テメェらは俺らに、この通信機みてぇなのを売りつけたり、時には依頼を片付けたり。――なあオイ、本当に残る気はねぇか。テメェらのその腕はな、手放すには惜しすぎるんだよ」
そして、自分たちが「親父の餓鬼」になることがかなわないことを知っているからこそ、続く「親父」の愚痴っぽい言葉に、二人は苦笑いする。
本当に、この「親父」にとって、自分たちは扱いにくい存在だった筈なのだ。何せ、なめられたら終わりの裏の社会で、俺たちは、その顔役である「親父」と、対等であり続けたのだから。――自分たちも、相手も、そうすることが一番だったと、共に理解しながら。
そこには当然打算があった。俺たちが研究所から引き上げた知識や技術にはそれだけの価値があったし、親父が手配する物資は、俺たちにはどうしても必要なものだった。それでもきっと、そこには利害だけでは無い何かがあって、それが「親父」にこの言葉を言わせたのだろう、そう思いながらも……
「親父。悪ぃけどな、そこまでだ。――俺たちはな、もう二度と、誰かの下に付くつもりはねぇよ」
「そうそう。言葉はありがたいさ。――けど、それ以上の言葉は、後戻りできなくなるさ」
アストは親し気に、それでもはっきりとその言葉を否定し。マークスも同調するように、「親父」の言葉を否定する。その言葉を聞いた「親父」は通信機の向こうで「クックック」と笑い、――その声に、アストは軽く、物思いにふける。
この「親父」の、いや、親父と餓鬼共が口癖のように言っていた「義理」という言葉。恩は恩で、仇には仇で返すという流儀。多分それは、他者に舐められないための流儀なのだろう、それでも、確かに気持ちの良さのようなものを感じていたのだ。
それはきっと、自分のようなはみ出し者のための流儀で。そいつが必要な奴らは五万といて。これから自分たちはまた、その世界からはみ出そうとしていて。――すぐに俺たちがはみ出すとわかっていてなお、「今までの対価」として「義理を果たす」、それが「親父」たちの流儀なのだと。
(――フン、人が良いこった)
そして、心の中で毒づきながらも、アストは思う。――自分も大概に、その流儀に毒されてるな、と。
「おっと、見えてきたさ」
アストの隣で、どこかのんびりと歩いていたマークスは、目の前に見えてきた一軒の民家を見て、声を上げる。
新都ホープソブリンの、どちらかと言えば外周よりに位置する一般住宅街。その大通りに面した場所にある、何の変哲もない一軒の民家。――「親父」が所有者という以外は何も変わったところのないその家に、アストとマークスは立ち寄り。あらかじめ準備しておくよう頼んでおいた「兵器」を見て、軽く口笛を吹く。
それは、自分たちが研究所時代に開発していた中でも最大の大きさを誇る、そして、事件のあった当時には構想でしかなかった、最も完成に遠かった研究中の兵器。今軍で限定的に運用されている「特別貨物馬車」を引くために設計された、熱空機関を搭載した、車輪のついた鉄製の箱。
十年もの間潜伏しながら、シェンツィ・アートパッツォが未完成のまま残した研究を細々と続けていた彼らが最後に完成させた、ウェス・デル研究所最後の試製兵器。何十、何百頭分の馬に匹敵するだけの力で馬車を引き、何倍もの速さで大地を疾走するための鉄の箱、「ウェス・デル第五試製車両ロード・トレイル」が、そこには置かれていた。
――やがて二人は、シェンツィ・アートパッツォに対する最後の義理を果たすために、彼女の残した最後の遺産に乗り込んだ。