21.狭まる網、迫りくるその日(上)
いつものように、朝の少し早い時間に目を覚ましたジュディック。一度中庭で軽く走り、眠気を完全に飛ばしてから部屋に戻ってきた彼は、軽く水分を補給した後、紙とインクを準備して、机に向かう。――今日、フィリと共に行くことになっている教会で、彼女に質問する内容を考えるために。
(まずは年齢、それから、今までどこに住んでいたのか、ピーコックやメディーンとはどこで知り合ったのか。そこからは、話の流れに任せて情報を引き出すくらいか。――今まで何度も聞きそびれていが、いい加減先送りには出来ないだろう。彼女たちについては謎だらけだ。少しは解明しないとな)
まさか、彼女たちから賊につながるような情報が出てくることもないだろうがなと、そこまで考えて、ジュディックは軽く苦笑いを浮かべる。――今の状況だと、つい賊とからめて考えてしまうな、と。
(まったく、彼女たちのことといい、賊のことといい、わからないことだらけだな)
内心でそんなことを考えながら、まずは思いつくままに書きとめようとばかりに、ジュディックは筆を走らせる。……やがて、その単調な作業に疲れを感じたのか、ジュディックはふと筆を止めて、気をそらすかのように別のことを考え始める。――今追っている賊のことを。
当然のことだが、ジュディックは、あの賊がなぜあの事件を起こしたのか、詳しく知ることはない。軍研究所から諜報員が送られていた詳細な理由までは、公式の資料には書かれていないのだから。とはいえ……
(まあ、明らかに軍研究所が怪しいのだが)
反復して資料を読み、細部まで覚えこんだジュディックは思う。――ウェス・デル研究所で所長が殺害された翌日、軍研究所から移籍した諜報員が姿を消す。再び発見された際に、何故か軍研究所に連行され、それから間もなくして事件が起こったのだ。これが怪しく無くて何なのかと。
(第一、情報部の息がかかっていない「諜報員」とは何なのか。これは国家に属する諜報員というより、ただの「機密泥棒」ではないか)
資料の内容を思い出して、ジュディックは軽く頭を振る。ジュディック自身も、これが諜報活動というよりは、ただの「機密泥棒」であることはわかっている。それでも性格だろうか、つい「国家としての」諜報活動を頭に思い浮かべ。その思考の脱線に気付いて、馬鹿げたことを考えたと、その考えを追い払う。――そんな、自分の手に余ることがわかり切っていることはマイミー少将に任せ。今は自分の仕事をするだけだと。
◇
程なくしてまとまった覚え書きの内容を見て、ジュディックは満足そうに一つ頷く。
体重だの趣味だの好きなタイプだの、もはや何のために聞こうとしているのかわからないようなことまで一度は書かれた、訂正線だらけの覚え書き。その一見すると無駄な、それでも漏れを無くすために敢えて書かれた内容を見て、ジュディックは確信を深める。
(やはり、どの国の「文化」とも違うな)
今までも疑問に感じていたこと。見たこともない服装に食事の味付け。ごくわずかに、使う言葉に王国の特徴が混じっているのが気になるが、かといって王国と何かつながりがあるようにも思えない。
そうなると、まずはその「王国風の言葉づかい」をどこで覚えたか、聞くとしたらその辺りからかと、そんなことを考えながら。フィリたちと教会に行くために、まずは馬車を準備しようと、席を立ち、部屋を出る。
◇
フィリたちと共に、馬車で教会に移動して。教会の扉を開けたフィリが、いつものようにシスターのダーラに挨拶をする。そのまま席に座るフィリに、一旦教会の奥へと姿を消すダーラ。ピーコックは部屋の片隅で、その巨体を器用に丸くする。……やがて、奥から戻ってきたダーラが、人数分の茶を机の上に並べ始める。
「軍人さんも、どうぞ」
ダーラの声に、空いた席に腰かける。「確か、プリムさんの兄妹って聞いてましたけどぉ」茶を淹れながらそう聞いてくるダーラの言葉に、まだ自己紹介をしていなかったなと思い当たり、簡単に自己紹介をする。
「ああ。プリムは俺の妹だな。――ジュディック・ジンライトだ。よろしく頼む」
「はい。こちらも、よろしくお願いします」
そんな、どこかおっとりとした声を聞きながら、なぜかふと、隊員たちの間で話題になっている「ピーパブハウスのダーラちゃん」のことを思い出す。――確か二十代半ばの、色気に溢れた女性という話だったなと。
……自分がそんなことを考えていることに気付き、心の中で軽く苦笑いする。――目の前の、神に仕える女性に対し、たまたま同名というだけで、酒場で軽く色気を振りまく女性と重ねるのは失礼だろうと。
「さてと。今日は確か、フィリちゃんが今までどんな場所で生活してきたか、教えてもらう日だったわよね」
そんなことを考えている間に、ダーラがフィリに話しかけ。その声に、さて、こちらの聞きたいこともそのまま聞けるといいがと、そんなことを思いながら、フィリの方へと視線を向ける。そのフィリは、少し困ったように、教会の片隅へと視線を向け。それを見て、俺やダーラも、フィリと同じ方へと視線を向ける。
「――儂か?」
少しして、皆の視線に気付いたのだろう、ピーコックが丸めていた身体を起こし、俺たちの席の方へと身体の向きを変え。――仕方がないのぉなどと言いながら、フィリの過去を話し始める。
◇
それは、話としては意外性があり、かつ、よくもまあ「普通に」育ったものだと感心するような、そんな話だった。多分、ダーラも同じことを考えたのだろう、本当に?、あの二人に赤ちゃんの頃から育てられたのと、信じられないとでも言いたげに、様々な質問をフィリたちに投げかける。
「言葉? えっと、絵本の内容をメディーンに教えてもらって覚えたかなあ」
「食事? 子供の頃はピーコックがとってきたお肉や果物をメディーンがお料理してたよ」
「服? いつもメディーンが準備してたよ」
……その答えのほとんどに、「メディーンが」という答えが返ってくるのを聞いて。ふと疑問に思い。その間、ピーコックは何をしていたか、聞いてみたのだが。「儂ゃ、鳥じゃけぇのお」「うん、いっつもそう言って、何もしないよね」などと憎まれ口を叩きあう二人。まあ、仲はいいのだろう、そう感じたところで、なんとなく質問をする。
「そのピーコックは、今はいくつぐらいなのか?」
「儂か? 細かいことは覚えとらんのじゃが。まだ地面が焼けただれとったころから生きとるのぉ」
「……大災害か!」
ピーコックの答えに、思わず叫ぶ。まあ、メディーンが大災害前、聖典が作られたであろう時代から生きていることは想像していたのだが。ピーコックまでもがそんな長い時間を生きていたことは、正直予想外だった。だとすると、確かピーコックは「大昔に」人間と接触したことがあるらしいとプリムから聞いていたが、その大昔というのは、本当に途方もない昔なのかも知れないのだな。
――それじゃあますます聖鳥さまねぇと感心するダーラを横目に、そんなことを考えていた。
◇
フィリのことに加えて、ピーコックのことも聞いてみる。……が、正直なところ、要領を得ない。
いや、決してピーコックが何か隠そうとしているとか、話の内容が曖昧とかではないのだ。だが……
「いつ、と言われても、のぉ。昔としか答えようがないわい」
全てがそんな感じで、とにかく「何時」の話なのか、はっきりしないのだ。
結局、彼の話を聞いてわかったのは、大災害当時の風景と、過去に彼が接したという「山の上のヒト」が、ある日、村ごと焼き払われたこと。そして、ある時から「落ちてきた大地」に、メディーンと共に過ごし始めたこと、そのくらいだった。
◇
フィリたちの過去の話も終わり。密かに、覚え書きに記した内容も一通り聞けたことを確認して。そのまま、教会に来た本来の目的である、フィリの「勉強」が始まる。
「……この聖典を持っていた人は、周りに色んなことを言えるようになってね。つまり、えらくなったの。
となりの王国なんかも同じようにね、聖典を持っていた人がえらくなって、フィリちゃんが読んでいたっていう絵本の中に書かれていたような、えらい王さまになったの。……ただ、王国では一人の人がえらくなったんだけど、私たちの国では、もう少し多くの人、だいたい十人くらいの人がえらくなったのよね。
最初はそれでも、王国と同じように、その人たちの中で一番えらい人が『王さま』だったんだけど。他のえらい人たちも、王さまと同じくらいえらくて、みんなでいろんなことを相談して決めてたの」
今までは宗教のことを中心に話していたらしいが、今回は我が国の歴史についてらしい。子供向けに書かれたであろう教本を元にダーラが説明するのを、わかりやすいなと内心で感心しながら、勉強の邪魔にならないよう、静かに聞き続ける。
「最初の内は、王国と同じように、その王さまの子どもが次の王さまになっていったんだけど。あるとき、王さまは嫌になっちゃったの。何をするにも、周りの人と相談しなければいけない。やらなきゃいけないことは多いのに、自分の好きなことはできない。――こんな王さまは『損だ』って。
で、その王さまは、勝手にすればいいって、王さまの仕事を放り投げちゃったのね。――でも、王さまがいないままにすることもできなくて。結局、みんなで相談して、違う人に王様になるよう「お願い」したの。
だけどまあ、その王さまも、やっぱり好きなことはできないから、子供には継がせたくない。結局、今では、みんなが定期的に王さまを選んでいるのよ」
ダーラの語る、子供向けの歴史の説明を聞きながら、学生時代の歴史の講義を思い出す。
聖典から科学技術を得た我が国は、魔法技術を得た王国や、農業技術や他の国と違い、技術を「個人で」独占することが出来なかった。鉱石採掘の指揮者、精錬の指導者、生産の工程管理者、どれも等しく重要だったのだから。
結果として、有力者が複数人となり、王政の頃からすでに、合議による決定が重んじられる気風が生まれ、やがて、その王も合議で決められるようになり、形骸化することで、今の「共和国」の形が出来上がったと、そんな内容の講義だったか。
そんなことを考えている間にも、講義は進んでいき……
「……そんな訳でね。『聖典』なんて言われてるけど、この国では、あまり私たち『教会』には関係ないわね。ただ他の国ではそう呼ばれているのに合わせてるのと、私たちは違うと思っているのだけど、『聖人たちが残してくれた本』という意味で、そう呼んでいるわ」
それが最後の説明だったのだろう。「今日はここまでね」というダーラの言葉で、それまで漂っていた真剣な雰囲気がガラリと変わり、柔らかくなり。――やがて、ダーラから出された菓子を、フィリが実に美味しそうに頬張り始める。
◇
フィリが菓子を食べ終わるのを待って、訓練場宿舎まで戻り、正門の前でフィリたちと別れ。その日は自室で、まだ目を通していない資料や本を読んで、静かな午後を過ごす。――本来なら休息してもいい時間なのだが。今の状況で休むのはどこか気がひける、そんな考えから、つい資料を見続けて。
――やがて日も暮れて、夕食の時間になるまでの間、休息とはいえないながらも静かで落ち着いた、そんな時間を過ごした。
◇
「今日も賊の居場所を特定することは出来ないまま。だが、確実に『ここ』に近づきつつある、と」
「は。最終的な目的地かどうかは未だ不明ですが。間違いなく共和国首都『ホープソブリン・マイニング』に近づいています。……新都区域か旧都区域か、どちらかを目指しているのかは未だ不明ですが」
夕食を終え。いつものようにプリムから報告を受け。通信機を使って、マイミー少将と会話をする。もう何度も繰り返された、いつも通りの「成果なし」の報告。――だが、この日はいつもの捜索の他にもう一つ、期待の持てる「計画」がある日。その計画の首尾を、マイミー少将に伺う。
「――で、『網』の方は」
「そうだな。――『餌』と思しき人物に目処は立った」
――その答えは、久方ぶりに希望が見えるような、そんな答えだった。
◇
賊が強奪した聖典をどう現金化するつもりなのかという、今回の件での最大の疑問。その賊が国内に舞い戻ってきた以上、当然、この共和国内に聖典を現金化する手段が存在することになる。――だが、そもそも、聖典に金銭的な価値があるとは思えないのだ。
何せ、知識を得る道具としてはすでに機能していない、本来であれば壊れているはずの道具だ。その上、この国の象徴とも言える、たった一つしかないわが国の宝。とてもじゃないが、誰か個人が持ちたがるようなものではない。むしろ、所有するだけで身を危うくするだろう。
だから、その目的は政治的なものと仮定し。「大物」が依頼したと仮定し、その対象を選別し、情報を流す。今日はまさにその目的のために集められた、「餌の候補を見極めるための」会合が開かれていたのだ。――そしてその中に、今回の事件への関与が疑わしき人物、賊を誘い込むための「餌」となる人物がいたと。
「ではやはり、今日の、技術官僚高官を集めた会議の席に?」
「ああ。予定通り、重要機密事項と謳った上で、賊が国内に入ったことを大々的に通知したのだが。その結果、動きがあったと諜報員から連絡があった」
最初は政府高官。それも過去の事件に関係がありそうな、軍研究所関係の人物を集め、情報を流す。聖典を持った賊が首都に向かって移動中。その賊を、取引相手もろとも一網打尽にすべく、軍は作戦行動を実行中、と。――それまでは、軍は賊を捕縛しないという情報を、それらしい理屈を付けて。
「こちらの意図は?」
「うむ。まあ、読まれているかも知れんな。だからといって、何か変わる訳でもないだろうが。次に賊が接触する相手を賊と共に捕縛するという方針は嘘でもなんでもないからな」
通信機の向こうから聞こえてくる声に、きっと真顔のまま、大真面目な表情で話すマイミー少将の表情を想像し、思わず苦笑いする。
何せこちらは、「賊に接触してくる人物は賊の関係者に違いない」という、乱暴極まりない論理を振りかざしているのだから。――さすがに、真面目な表情で言うことではないだろうとは、俺ですら思う。
「で。その『餌』は?」
だが、例えどれだけ乱暴でも。それでも、相手は従うしかないのだ。ここで自分だけ怪しい動きをすれば、それを理由に捕縛されかねない。――大量殺人犯を使って国宝を奪わせるなどという罪を着せられるような愚を犯せるような立場の人間はいないだろう。
そう考えながら。マイミー少将に「餌」と目された人物を尋ねる。――そうして返ってきた返事は、意外な名前だった。
「トゥーパー国防省参謀室付装備計画上級参謀官。事件当時は国軍省技術統括管理局局長だった男で、軍の装備採用に最も強い発言力を持つ男だな」
トゥーパー上級参謀官。教会とのつながりも噂される、技術官僚出身の、装備採用の責任者の一人。だが、ウェス・デル研究所は、明らかに教会関係者とは反目していた。それだけに、今回の件に関わっている可能性は低いのではないかと思うのだが。そう思い、マイミー少将に質問する。
「ですが、トゥーパー上級参謀官は明らかに、今回の族とは『敵対関係』にあると思うのですが」
「そのことだが。トゥーパー上級参謀官はどうも、今回の『聖典強奪』の実行犯が『十年前の軍研究所襲撃の実行犯』と同一犯だということは知らなかったようだな。名前を出した後、明らかに態度が変わっていたからな。――大方、今回の強奪事件に関わってはいたが、実行犯との直接のつながりはないと、そんな感じなのだろう」
そう前置きして、マイミー少将は、何故トゥーパー参謀官が「餌」の候補としてあげられていたか、説明を始める。
この最近、科学技術のめざましい進歩により、魔法系の技術――教会系の技術――が消えつつあること。それにより、トゥーパー上級参謀官に教会側からの風当たりが厳しくなっていたこと。今回の件で、諜報部はすでに容疑者の一人として内偵を開始していたこと。――何より、過去において、特定には至っていないものの、いくつかの不祥事に関わっている疑いがあること、そんな説明を受ける。
「聖典を奪い、『教会派以外の』研究者を犯人に仕立て上げることで、相対的に『教会派』の地位を高めようとしたのではないかと、諜報部はそんな推測をしているようだが」
「……そうですか」
そのあまりな話に、一瞬、マイミー少将の本気を疑いかけ。軽く頭を振って、大きく息を吐く。――こんな荒唐無稽な話を信じるだけの何かを、きっと諜報部は掴んでいるのだろうと。そう自分に言い聞かせる。
……「餌」さえ見つかれば後は、賊が現れるのを待って、餌もろとも処分するだけだ。そう考えを切り替える。そのために、マイミー少将を始めとした軍の上層部や政府の高官は、政治的な手続きに、今日まで時間をかけたのだから。
そして、賊の居場所を逐一確認し報告もしたのもこの日のため。聖典強奪と国境突破の時以外には他者に危害を加えていないことも確認している。それは、事件に無関係であれば護衛はいらない、そう強弁するためのものでもあったのだ。
――その努力は今、ひとつの結果として、形を取り始めていた。