幕間.全てが変わった日、何も変わらなかった日
――これは、遠く過ぎ去った、もう戻らない過去の話。
「どこに行くつもりさ」
シェンツィの形見となった「シュバルアーム」を手に、どこかに行こうとするアスト。その行く手を遮るように立ちはだかりながら、マークスはアストに声をかける。
「……どけよ」
「行き先を告げるのが先さ」
普段の、どこか飄々とした態度は鳴りを潜め。相棒の問いにも答えず、ただ刺すように言葉を吐くアスト。
普段通りの口調で。それでも、いつもとはどこか違う、絶対の信念を持って立ち塞がるマークス。
「決まってる。落とし前をつけさせる」
「やめとけ。そんなことをしても、誰も喜ばないさ」
「知ったことかよ」
相棒の問いに、当然のように答えるアスト。
相棒の答えを、当然のように否定するマークス。
互いに心情を理解し、受け入れられないと知りながら、言葉を交わす。
「所長も、そんなことは望んでないさ」
「……あのアマがどう思おうが、知ったことかよ」
マークスの言葉に引っかかったのだろう。アストはマークスを睨みつけながら、その目の前で足を止める。――そして、その声にありのままの苛立ちを乗せて、言葉を吐く。
「ざけやがって。人の前にいきなり現れて、駒とかふざけたことを言いながら、コッチには与えてばかり。研究所の流儀とやらを覚えて、ようやく対等だと思った所で勝手にくたばりやがった。これが黙っていられるかよ」
アストの、微妙に筋が通らない苛立ちの言葉。その言葉を吐く心情を痛いほど理解しながら、それでもなお、マークスはアストの前に立ち塞がり。どこまでも、アストの言葉を否定する。
「だからって、落とし前なんざ取らせてどうする。第一、どう見たってアレはただの道具だ。あんな奴のために、お前は取り返しのつかないことをするつもりかよ」
マークスの言葉を理解しながら。それでもなお、先へ行こうとするアスト。そんな理屈なんか言われるまでもねぇ、そんなことはわかってる、それでもなお……
「巫山戯ろよ」
……そんな理屈に何の意味があると、燻っていた感情を爆発させる。
「どう見たってただの道具、ああそうだろうさ。下手すりゃ勝手に始末されるくらいの奴なんだろう。――だから今、落とし前をつけさせるんだろうが。取り返しのつかなくなる前に! 他の奴に始末される前に!!」
朝の路地裏に、怒りの声が響く。日の当たる表通りに人が増え始め、活気が生まれる時間帯。そんな街の生活の裏側で、二人の男が対峙する。
一方は、激しく怒りを撒き散らし、己がどうなろうと知ったことかと、怒りのままに行動し。もう一方の男は、その男を、どんな手を使ってでも止めて見せる、そんな秘めた決意に満ち溢れ……
「――そうか」
どこまでも熱くなる相棒の声に、マークスは一つ頷き。――表情を変えないまま、その決意のままに、固く握った右手の拳を、アストの鳩尾に向けて叩きこむ。
だが、そんなマークスの行動に、アストは何一つ慌てる事なく。唸りを上げて襲い掛かってくるその拳を、まるで予測していたかのように、左手で受け止める。
「そうだよ」
その声は、まるで相棒の行動がわかっていたかのような、そうするのが当たり前だと思っていたかのような、そんな落ち着き払ったような声で。
――そんな声を上げながらアストは、右手に握った銃の台尻を、マークスの額に叩き込むべく、弧を描くように振り回した。
◇
眠ってくれないさ、マークスはそう嘯きながら、銃を握りこんだ拳を躱し、拳を振り上げる。いいからどけよ、アストは乱暴に言い捨て、相手の拳を食らいながらも蹴りを入れ。やがて、互いに激情を言葉にしながら。その激情を相手にぶつけあう。
マークスの拳が唸る。「未来を捨ててまですることかさ!」。アストの肘が顔面を襲う。「そんな未来、拾って嬉しいかよ!」。感情のままに拳を振るい、叫びあう。
アストが動く。飛び退り、周りこみ、懐に入り。「理屈並べてんじゃねえ!」、叫びながらも動きを止めず。「馬鹿が言い訳するなさ!」どこまでも重々しく、マークスは拳を力任せに振り回す。
重々しい拳がアストを襲い、鋭い衝撃がマークスを襲う。重々しい拳が頬を撫で、跳ね上がるような膝が腹にめり込む。互いが激情のままに振るい、暴力がぶつかり合う。だが、その天秤は少しずつ、アストに傾き始めて。
気が付けば、気を失い、道端に伏せるマークスを、アストは立ち上がったまま、冷たい目で見下ろし。――どこか冷めた声で、マークスに向かって吐き捨てる。
「ふん。――ああ、くだらねぇ」
やがて、本来の相手を求めて、軍研究所へと足を向けるアスト。――感情のままに爆発したせいだろうか、どこかその勢いは陰りが見え。相棒を見下す視線には、ほんの少しの後悔が混じり。
「ったく。――ああ、痛ってえなぁ。本気出しやがって、おい」
そんなボヤくような言葉を吐きながら。――それでも、そこで立ち止まることだけは許されないとでも言わんばかりに、譲ろうとしないその目的のために、独り歩き始める。
――その右手に、冷たい鉄の塊を、固く握りしめるようにぶら下げて。
◇
時が過ぎ。意識を取り戻したマークスは、自分が道端の塀にもたれかかっていることを確認し。立ち上がろうとして、脇腹に走った鋭い痛みに顔をしかめる。
「……ったく、本当に大馬鹿さ、あの馬鹿は」
誰にともなくそう呟くマークス。こりゃあヒビでもはいったさ、そんなことを思いながら、痛みをこらえて立ち上がる。
(上手く「落とし前」をつけられなくても、「お尋ね者」になるのは間違いないさ。まったく、馬鹿も程々にするさ)
そんなことを思いながら、貧民街の、この一月近く過ごした隠れ家へと歩き出す。――事が終わった後、無理矢理にでも相棒を生き延びさせるために。
この日二人は、シェンツィ・アートパッツォと出会って築き上げたものを全て失い。彼女が作りあげた武器を置き土産のように受け取って。彼女に出会う前からそこにいた相棒と共に、彼女がいたことの証のように罪を背負い。
――誰にも縛られず、自由奔放に。彼らは彼らの道を歩き始めた。