幕間.科学者、諜者、狂った歯車(上)
それは、遠く過ぎ去った過去の話。
軍研究所の奥にある特別貴賓室の片隅で。一人の男が、重厚な雰囲気を醸し出すソファの影に、なかば腰を抜かしながら身を潜ませる。――普段は、内外の音を完全に遮断した、まるでこの世から切り離されたかのような静寂さを誇る部屋。だがこの日は、遮断しきれない、悲鳴まじりの混乱の声に、特徴的な炸裂音を伴った銃声が漏れ聞こえ。
その音が近づく度に、男はその身体を震わせ。入口の方を気にしながらも、視線を送る勇気も無く、少しずつ近づいてくる銃声に、ただ時を待つばかり。
足元も見ずに高みを見上げ。分不相応な妄想に手を汚した男の終焉は、すぐそこにまで迫っていた。
◇
――さらに数年、時を遡る。
「……これらの機構により、従来の九式弾のまま、六発まで装弾可能となります。これにより、今までのように一発毎に給弾する必要がなくなることで、射撃間隔を縮めることができます。また、従来と同じ銃弾を使用することで、装備転換にかかる負荷は軽く済むという利点があります。これは、今までよりも、より実用的な方式であると確信します。――以上です」
軍の兵器採用試験を前にした、軍研究所での成果提示の場で。居並ぶ研究所上層部を前に、この数年間研究を重ねた試製新型銃刀の詳細について、発表する。
最近の兵器採用試験は、基本的に従来兵器の延長上にあるような、改良兵器の類が採用されることが多かった。それに比べ、今回俺たちのチームが作り上げたのは、改良兵器としての性質を持ちながら、従来の兵器の置き換えとしても機能する、そんな兵器。
革新的な武器を望む層に訴えつつも、最近の、新機軸を避けようとする風潮にもあわせた、あらゆる層に受け入れられることを狙った、そんな野心作。これなら、兵器採用試験の候補として間違いなく選ばれる、そんな自信をもって望んだこの説明の場は、――たった一言で、その思いを挫かれることになる。
「ありきたりだな」
「……はい?」
トゥーパー国軍省技術統括管理局局長。兵器採用試験における開発者側の最高責任者で、事実上、今参列している研究所上層部のさらに一つ上、この場における決定権を握っている人物。その人物の断じるような声に、思わず疑問の声が漏れる。
その声に、自分の表情に。トゥーパー局長は、いらだつような声を上げる。
「誰でも考えるようなことだと言っている」
「……ですが。仮に独創性が無くとも、有用性があれば問だ……」
「誰でも考えると言うことは、問題点も既に考えられていると言うことだ」
そのあまりの内容に、思わず反論の声を上げ。――その反論を全て語ることも許されず、途中で遮られ。局長は隣に座っている副官に視線を送る。その視線を受け、副官は説明を始める。
「は。それでは、まずは九式弾を流用した兵器全般に言えることを。九式弾はそもそも九式魔法銃刀の銃弾として設計された銃弾です。この銃弾は、九式魔法銃刀側の機構により生産性を上げるという設計思想で開発されていますが、その結果として、九式魔法銃刀自体の信頼性が低下するという弊害が謳われております。――この銃弾を使用するのであれば、まずは信頼性に対する疑問を払拭する必要があるかと」
「――だ、そうだ」
……その説明に、嫌な汗が流れるのを感じながらも、反論を開始する。――大丈夫、そもそも、この試製兵器における重要事項の一つに、信頼性の確保がある。従来武器の置き換えも売りにしている以上、決して品質は落とせない。そこから攻めればいい、そう思いつつ説明を始め……
「十式試製銃刀においては、九式の設計思想を踏襲した上で信頼性を高め……」
「残念だが。現場からは、既に信頼性に疑問を持つ声が上がっている。その声を静めるに足る仕組みは? 九式からの変更点は?」
「……九式では、爆発魔法の効果を安定化させるために、銃身と魔法杖をつなぐ魔法口の大きさを大きくしております。また、露出が増えたことによる耐久性の低下は……」
「それはつまり、『九式の機構はそのまま、微調整を行った』と取って良いのか」
……その目算は、トゥーパー局長自身による反論によって、打ち砕かれる。
「話にならん。銃器には最大の信頼性が求められる、九式で得た教訓だろう。――君の代わりはいくらでもいることを忘れるな。……次!」
そうトゥーパー局長は言い捨て。俺の成果提示は既に終わったものと、こちらを一顧だにすることなく。この時、俺自身の運命を賭けた勝負の結果を悟り、荒れ狂う内心を抑えつけながら、そっと部屋を後にする。
――今日、俺は、自身の出世を決めるこの大一番の賭けに、見事なまでに惨敗した。
◇
「よろしかったので?」
一人の野心的な開発者が部屋を出て。次の男が成果を説明する途中で、副官はトゥーパー局長に話しかける。先ほどの開発者の説明した試作兵器、出来そのものは決して悪くなかった。確かにいくつか問題はあったが、その問題を改善すれば、次の兵器採用試験に出すには十分な性能だったと。
だが、トゥーパー局長は、そんな副官の視点とは違う視点を持って、先ほどの成果説明を聞いていた。それは、武器の性能でも将来性でもなく……
「彼の経歴だが。少々問題だと感じないかね、君は」
「……承知しております。元々貧しいせいでしょうか、少々、上昇志向が強すぎるきらいはあるかと」
「それだよ、君。あれは明らかに『何があっても上に上がりたい』奴だろう。――金、名誉、権力、そういったもののために全てを賭けることができる奴だと、そうは思わないか?」
……トゥーパー局長は、その説明をする開発者だけを見ていた。
そしてそれは、開発者としての適正だけでは無く……
「強い上昇志向を持ち、才能も悪くない。そして何より、自分のためなら何にでも手を染めるような、どこか信用ならなさそうなところがある奴だ。――あんな奴に開発者なんてことをさせるのは勿体ない、そうは思わないかね、君は」
人の目に止まるだけの才能はあるか。金で操ることはできるか。そして何より重要なのは、非合法なことに手を染められるかという一点。――丁度いい手駒を探していたトゥーパー局長にとって、その開発者は正にうってつけだと感じ。探していた駒を見つけた喜びからか、目の前の成果説明には意識を向けず、自分の内心に集中する。
信用の無い代表者! 社交性皆無の統率者! どれだけ科学者として有能でも、組織の上に立つには明らかに才能が不足した、なのに自分たちの邪魔をする、あの忌々しい女科学者。
だが、あいつらが大きな顔をするのもあと僅かだ。防諜対策をまともに行なっていないなんてことは、買収した技術者から既に明らかになっている。後は、中枢にまで到達できる何者かを潜りこまれれば、全ての成果を盗み放題。――あの世の中を知らない奴らもそれで終わりだ。
そんな昏い情念に囚われながら、トゥーパー局長は、目の前で行われる成果説明を、ただ聞き流していた。
◇
「すまなかった」
「いんやぁ、あんたのせいじゃないっしょ」
「そそっ。たまたま、役人のお偉いさんの好みに合わなかっただけでしょ」
成果提示を終えて。軍研究所の本棟の外で待たせていた「仲間」に成り行きを説明して、謝る。そんな俺をこいつらは、笑いながら許し、慰めて。何でもないことのように声をかけ続けてくれる。
「まあ、いい夢だったっしょ」
「そうそう。給料も良かったしね。また面白いことやるなら、よろしく」
首都ホープソブリンの最外周、貧民街よりはいくらかマシ、そんなところで生を受け。こんなところで終われないと必死になって働いて。
雇い主に気に入られ、紹介され、外周部から内周部、市街地へと上がっていき。辿り着いた軍研究所でこいつらと知り合い。同じ最外周出身のこいつらと出会い、舞い込んできた「兵器採用試験候補選定」。
それに応募するために企画を出し、開発許可が下りて。今日の最終選定の場までこぎつけ。――だが、ここで夢は終わり。明日からはまた、周りと同じ、ただの一研究員に戻っての毎日が始まる。
そんな状況で。ふと、手にした「軍研究所・本棟」の入場許可証を見て。心の中に邪念が起きる。
「……どうせなら、最後にちょっと『夢』を見てこうぜ」
明日には夢から覚める。なら今日は、いつか果たす夢の味をこの身に覚え込ませよう、そんな、高揚感に似た決意を胸に、仲間と共に、歩き始める。
◇
「……ねぇ、やっぱまずくない? うちらの入る店ちゃうよ、ここ」
「いいからいいから。……ああ、うん? 紹介状? ……代わりにこいつで……、良し、じゃあ入るぜ」
首都ホープソブリンの中央商業区の、高級市街地よりに建つ、通称「ナイトサロン」と言われる高級酒場。政治家、高級官僚、実業家といった、この国のひと握りの「成功者」が好んで使うことで有名なこの店は、同時に、「ただの市民」には入場すら許可しないことでも有名な、正に「雲の上の世界」を象徴する酒場。
その中に入った俺たちは、入り口と店の中とをつなぐ廊下を、軽く緊張しながら歩く。
「……どうやったんだ、おい」
「うん? ああ、『軍研究所・本棟』の身分証を見せただけだぜ。ここ、『上位研究者』サマの御用達だからな」
「……不味くないか、それ」
「なあに、金さえ払えばいいんだろ?」
「……その金も、開発費の残りだろ?」
「細かいことをいちいち気にするなぁ。上手くやる奴はみんなやってることだぜ。最後の日に豪遊したり、山分けしたり。馬鹿正直に金を返す奴なんか、ほとんどいないってよ」
そんなことを話しながら廊下を進み。やがて、目の前に開けた光景に、まずは息を飲み。そして、軽く口笛を吹く。
やや抑えられた光量の店内。中央の灯りに煌びやかな硝子の装飾が光を反射し。ゆっくりと回る装飾が、その光を瞬かせる。ゆっくりと歩く店内の人々。統一された制服を来た給仕が、軽食や酒を静かに運び。客と給仕、男と女が互いに座る席へと運ぶ。
そんな店内の様子に、どこか場違いさを感じながら、それでも俺たちはどこか浮かれ、いつの間にか目の間に立った給仕に案内されて席につく。
そうして、その日はしこたま飲んで。開発費もほとんど使って。それでも、まあたまにはこんなバカも良いさと、あいつらも文句を言わず。
夢も終わり、周りと同じ毎日が始まり。もう一度あの場所へと言って見せる、そう決意をしつつ、市街地にある「軍研究所・一般棟」へと出勤して。思いもよらず、トゥーパー局長からの呼び出しを受ける。
――それは、「兵器採用試験候補研究特別費の横領疑惑」という、予想していなかった罪状に対する、局長直々の聴取の召喚だった。
◇
「君もなかなか大胆なことをするものだね」
椅子に座った俺を、机の反対側を往復するように歩きながら、トゥーパー局長がそう詰問する。
「確かに私たち『技術統括管理局』は、兵器採用試験にあたり、君たち『軍研究所』の研究員に開発費を支援している。だが、それは決して『ナイトサロン』なる場所で享楽をむさぼるための金では無いのだがね」
靴音を立てながら、トゥーパー局長はゆっくりと、机の前を往復し。静かな部屋の中に響く靴音が、俺に圧力をかけてくる。
トゥーパー国軍省技術統括管理局局長。教会とのつながりが強い「教会派」の官僚で、技術系官僚の頂点にほど近い位置にいる、あと数年もすれば教会派技術系官僚の頂点にまで上り詰めているだろうと目されている、そんな人物。
野心家で、独自の情報網を持ち、教会とのつながりも強い。そこから生まれる政治力でここまで登りつめた、あまり技術官僚らしくない男。同時に、その技術官僚らしくなさにより、独自の立ち位置を得た男でもある。
「当然、君には開発費を返却する義務がある。使い込んだ分では無い。全額だ。そのことはわかっているね」
トゥーパー局長がさらに圧力をかけてくる。無茶な論理を振りかざして。……確かに、決まりではそうなっていたはずだ。研究費と私用した分を明確に分けることが出来ないという理由で。
実際、不可能なのだ。その研究費から人件費や滞在費、移動費まで出費することが許されている以上、どこまでが私用かなんて、明確にはできない。今までも、形式的に査問されることがあっても、「一旦給料として支払った上で使った」と言えば通ってたのだ。――局長級が直々に詰問しに来るなんてことが起きなければ。
流石にトゥーパー局長相手に「人件費」と強論することも出来ず、だからと言って何か答えられる訳でもなく、結果として沈黙してしまう。――このままでは不味い。そう思いながらも何も言えない俺に対し、局長が、今までとは打って変わった優しげな口調で、その言葉を口にする。
「……時に君。そうまでして『出世』をしたいかね?」
――それは、追い詰められた俺にとって、この上なく蠱惑的な、悪魔のような声だった。
◇
こうして、この日から。いや、その前日からだろうか。俺は道を踏み外す。トゥーパー局長から、ウェス・デル研究所に諜報員として潜入し、成果を盗み出す。目標は、過去において試製兵器として提出された「魔封魔弾」という武器の中核技術。
潜入している間は返済義務は保留とし、目的に近づけば別途報酬も支払う。――そして何より、上位研究者としての資格が与えられるという言葉につられる。それは「ナイトサロン」を始めとした、「雲の上の世界」に入るための通行証でもあり。
――夢にまで見たその報酬に俺は、一も二もなく。目の前の、局長の形をした悪魔と契約を結んだ。