20.進まぬ捜索、過ぎゆく日々(下)
2018/08/24 誤記修正
2020/08/08 矛盾点修正
「ぉぉぉおおおぉぉぉ……っ!」
お昼ごはんのあと、いつもの中庭で。目の前の地面を滑っていくピーコックを見て、あと少しなんだけどなぁと思いながら、ため息をひとつ。
今日は教会のない日。何か欲しいものがあれば、レシティおばさんに言って、隊員さん?、と一緒に、買い物に行くんだけど。別に買いたい物もないし、部屋でずっと本を読むのも退屈かなと、そう思っていたところで、ピーコックが、飛ぶ練習をしたいって言って。
この中庭を使っていいか、レシティおばさんに聞いて。誰も使う予定がないから使っていいって言ってくれて。で、今はピーコックの練習を眺めているところ。
「……もう一回じゃ!」
「頑張るなぁ。大丈夫?」
「ふん。この位でへこたれるような鳥は、空なんか飛べんわい」
諦めないピーコックに声をかけて。返ってきた返事に軽く首を傾げる。えっと、そもそも普通、翼が片方だけになったら飛べないと思うけど。そう思いながら、もう一度挑戦するために、隅の方に移動するピーコックを眺める。
どうしてかな、ピーコックが飛ぼうと本気で思ってるって、嘘じゃないってわかってるのに。何度も失敗して、残念なはずなのに。それでも、ピーコック、どこか楽しそうなんて、そんなことを思いながら。飛ぶのに挑戦し続ける様子を、中庭の片隅から、ずっと見続けていた。
◇
「やはり、この数では包囲は無理か」
市街地を摸した訓練場で、ジュディックとスクアッドは、地面の上に置いた地図に駒を並べ。無言で考え込んだあと、ジュディックは軽く頭を振り、諦めるように呟きを漏らす。
「隊を二つ以上に分けることは出来ませんかね、やっぱり」
「無茶だろうな。一人や二人の援護では撃ち負ける。――だからと言って固まれば、砲の餌食だしな。本当に厄介だ」
全身を守る盾と携行性に優れた短銃、そして接近戦用のやや刀身の短い軍刀を持った「突撃兵」。これを三名配備し、それを後方から援護する銃撃兵と遊撃兵で一班を構成するという、やや変則的な人員配備。
それは、自分たちが交戦したときや、国境線で友軍が交戦したときの情報から考案された、相手の持つ特殊な武器に対応した部隊編成。
それは同時に、一つの班の定員の増加を意味し。ただでさえ少なくなった武装偵察部隊には、もはや多くの班を編成するだけの数も無く。班を三つ以上編成するのは、諦めざるを得なかった。
「めんどくさい相手っすねぇ、やっぱ。……見通しのいい場所で、数で押すしかないっすかねぇ」
「……想定する戦場は市街戦なんだがな」
スクアッドの言葉に、ジュディックは肩を竦める。「網を張る」、つまり相手の目的地を突き止め、そこで交戦しようとする以上、当然、推測される戦場は市街地となる。――相手が、障害物のない大草原を目指しているのなら、話は別だろうが。
もっとも、そうなれば後は、相手が力つきるまで数で押すだけだ。自分たちの出番は無いだろうが。そう思いつつも、ジュディックはスクアッドに声をかける。
「まあ、そうだな。スクアッドの言う通り、包囲に関しては友軍に頼るしかないだろう。……だからまあ、自分たちは、他の部隊が真似できないような運用に特化することとしよう」
ジュディックは思う。結局、見晴らしが良かろうがなんだろうが、自分たちには包囲をするだけの数はない。出来ないことを思い悩んでもしょうがない、頼れるところは友軍に頼って、自分たちは自分たちが出来ることをすれば良いのだと。――それは、聖典強奪事件が起こる前のジュディックと比べて、どこかいい加減な、それでいて必要な前向きさで。
そんな、以前と少し変化したジュディックの様子をスクアッドは、暖かく見守るような目で眺めていた。
◇
「アンタに聞いても答えることはできないんだろうけどね」
メディーンを後部座席に乗せ、空から賊を捜索するプリム。なんの成果も無く、ここまで黙々と任務を果たしていた彼女は、喋ることができないメディーンに対し、ふとした気まぐれだろうか、質問を投げかける。
「アンタたちにとって、フィリちゃんってのは、一体何なんだい? なんでアンタは、フィリちゃんのために、こんなことに付き合うんだい?」
答えが帰ってこないことを承知の上で投げかけた言葉。それは、プリムの感じていた素朴な疑問。さらにプリムは、メディーンに対し自分が感じていたことを、素直に言葉にする。
「いやまあ、アンタにとっては、自分を修理するための材料を手に入れるなんて『取引』の側面もあるんだろうけどね。でもそれも、アンタにとっては、正直どっちでもいいことなんだろう?」
確かに、メディーンにとって、自分たちに協力するメリットもあるのだろう。だが、正直それも、たまたまフィリとの取引があったから要求しただけで、どちらでも良いという感じがある。常に最優先するのはフィリのことだと、そうプリムは感じるのだ。
(まあ、メディーンという「機械人形」にこう、何か人間味みたいなのを感じるのが、そもそもおかしいんだけどね)
例えば今のように、仕事がある時には、無駄を排したように働き続け。例えば教会に付き添った時のように、何もすることがない場合は完全に動きを止め。明らかに人間とは違う振舞いをしながら。――それでも、このメディーンという機械人形から、プリムは、どうしようもないほどの人間臭さを感じるのだ。
(一体、「明らかに人間とは違う」メディーンと、「人間臭さを感じる」メディーン、どっちが本物のメディーンなんだろうね)
そんなことを考えながら。自分の投げた質問の答えを期待することもなく。自身の位置を確認するためだろう、軽く地上に目を配りながら、プリムは、目標に向けて愛機を駆り続けた。
◇
「……次は飛べそう?」
「うん? さて、どうじゃろうなぁ」
訓練場宿舎の、自分たちにあてがわれた部屋で。フィリは、応接間のソファで本を読みながら、部屋の片隅で丸くなるピーコックを横目でちらりとみて、そう聞いてみる。
ピーコックの、とぼけたような返事。だけどきっと、今はピーコック自身にもわからないのだろう、それでも、焦る訳でも無く、いつも通りののんびりとした態度で。
「まあ、その内飛べるようになるじゃろうて」
その言葉に、「そうだね」とだけ返しながら。オルシーさんも言っていた、飛べなかったなんてどうでもいい、飛ぼうとしたのが良かったって。
だから、今はただ飛ぼうとすればいい。そう思いながら。
「……そろそろご飯かなぁ」
それはきっと、わたしも一緒で。今はいつも通りでいい、焦っちゃいけない、出来ることをすれば良い。そんなことを考えながら、普段通りピーコックと会話をして。ゆっくりと、時間が流れるのを待ち続けた。
◇
その日も成果を得ることは無く、日は沈み。訓練を終えた陸上部隊の隊員たちと共に返ってきたジュディックは、空からの捜索を終えたプリムから報告を受け、進展が無かったことを確認する。
想像通りの、それでも微かに成果を期待していたジュディックは、プリムを軽く労った後、共に食堂へと移動し。他の隊員たちに交じって食事をするフィリと、その傍らに立つメディーンの様子を確認した後、少し離れた席に座る。
ジュディックの視線の先が何か気付いたのだろう、プリムがジュディックに話しかける。
「少しずつだけど、慣れてきたみたいだね」
その言葉に、ジュディックは軽く頷きながらもフィリたちと、その周りの様子を伺い続ける。その様子に、自分の兄が何を心配しているのかを悟ったプリムは、軽く笑いながら、ジュディックに話しかける。
「フィリちゃんも、何度かここで食事を取ってるんだ。周りの人間だってもうわかってきてるさ。……だからまあ、メディーンがあんな騒ぎを起こすこともないんじゃないかねぇ」
「……まあ、そうなんだろうがな」
その場面を一部始終見ていたプリムとしては、あの事件はただの笑い話なのだが。そのことを報告でしか知らないジュディックにとっては、立派な心配事の種で。
もちろんそこには、彼の取り越し苦労を抱えやすい性格もあるのだが。だが、この件を「メディーンが食堂で、隊員たちの冗談を間に受けて暴れた」としか聞かされていない状態では、心配するのもおかしくないだろう。
そんな事情を薄々感じながらも、プリムはジュディックに、からかうように話しかける。
「アニキもね、あんまりそっちに注意を向けてると、メディーンに目をつけられるよ」
その言葉に、それが冗談とわかっていながらも、軽く引きつったように笑うジュディックだった。
◇
訓練場宿舎の面々が寝静まった頃。いつものようにメディーンは、静かに中庭にまで移動し、自身を修理する部品を作成するための「簡易工場」の建築を始める。
溶鉱炉に転換炉を備えた、小ぶりながらも大掛かりな施設。既に準備され、山のように積まれた資材を使い。小さな小屋のような簡易的な基礎の上に、メディーンは柱を立てていく。
隊員たちが訓練に行き、宿舎の運動場がほとんど使われなくなった今。フィリ達によって、昼はピーコックの飛行訓練、夜はメディーンによる工場建設と、本来の用途とは違うことばかりにこの運動場は使われており。――気が付けば、訓練場宿舎の中庭にある運動場は、フィリたち一行によって、激しく私物化されていた。
◇
「あら、また失敗したみたいね」
「う~ん、もう少しなんだけど」
隔離病棟のオルシーの病室で。フィリとオルシーは静かに窓の外を見続けて。もう何度めになるのだろうか、僅かに滑空した後、上昇することなく墜落したピーコックを見て、一方は淡々とした声をあげ、もう一方は残念そうな声を上げる。
「あんまり変わってないみたいだけど?」
「えっと、ピーコックが言うには、『長さの違う翼でバランスを崩さないよう、右と左で違う風を生む』必要があるんだけど、それが上手くいってないんだって」
「そう」
「けど、最初の頃と比べて、確かにバランスは良くなってるから。あと少しなのも、多分本当だと思うよ」
オルシーの疑問の声に、フィリが丁寧に説明して。その言葉に、オルシーは納得しながらも、ふと思いついたように、悪戯っぽくフィリに話しかける。
「そうね。確かに、単にフィリがあの鳥にからかわれている、そういう訳ではなさそうね」
その言葉に、一瞬だけキョトンとして。すぐさまオルシーにからかわれていることに気付いたフィリは、少しだけジトっとした目で、オルシーのことを見る。
「……酷くない? それ」
「そう? だってフィリ、からかいやすいし。自覚、あるわよね」
フィリが軽く、少しだけ本気を交えて文句を言って。その言葉をオルシーがあっさりと言い返し。軽くふくれるフィリを見て、この態度にこの表情じゃあ、からかわれても仕方が無いかもとオルシーはこっそりと思う。
オルシーにとってフィリは、それほどからかうのが魅力的な、そんな「新しい友人」で。何より、自分ののことを偏見の目で見ない、初めての「外の人間」だった。もっとも……
(私のこの容姿は「怖かった」みたいだけど)
オルシーは、先日、フィリと初めて会ったときのことを思い出す。このやせ細った身体に息をのみ。それを振り払って話しかけてきた、とにかく素直さが目立つ少女。
(ケイシーですら、ここで久しぶりに会ったときには、私が「患者」だって意識してたのにね)
ケイシーが赤ん坊の頃に、親から引き離され、ここに入れられ。それから数年して、ケイシーもここに来ることになって。
多分、あらかじめ決心していたのだろう、自分のことを頑張って「おねえちゃん」と言ったケイシーに、思わず「ありがとう」と返事をした日のことは、今でも忘れない。
フィリとの会話の途中で。オルシーはふとそんなことを考えて。――フィリの話しかけてきた言葉に、意識を現実へと戻す。
「オルシーも一度、わたしの部屋に来て欲しい、かな」
その言葉は、この隔離病棟で外からの目に守られながら、かろうじて命を繋いできたオルシーにとって、今はもう考えることもできないような言葉で。言葉を忘れ、そんな発想をしたフィリを、驚きの目で見る。
オルシーにとって、自分が「患者」と知っていながらなお「お姉ちゃん」と呼んでくれたケイシーと同じくらい、自分のことを「患者」として見ないフィリは珍しい存在で。――フィリのことを、もう少し好きになろうかしらと、そんなことをオルシーは考え。
そんなオルシーの様子にフィリは、もしかして変なこと言ったかな、そう軽く首をかしげながらも、返事を待ち続けた。
◇
(……今日も聞き出せなかったか)
フィリたちを教会まで馬車で送りとどけたジュディックは、フィリとダーラが、どちらからともなく前回行った病院に行こうという話を始めたのを聞いて、フィリがなぜ巨鳥や機械人形と行動を共にするようになったのか、今日も聞くことは難しいか、そんなことを考え。隔離病棟で、以前と同じように二手に分かれたフィリたちを見て、話を聞くのは無理だろうとあきらめる。
(いや、いくらなんでもフィリの付き添いというだけで、あの病室には行けないだろう)
患者と話すために病室へと訪れたフィリを見て、まさか自分がそちらに行くわけにもいかないだろうと、庭の片隅で、子供たちと戯れるピーコックを眺めながら時間をつぶすジュディック。たまに子供たちに話しかけられては、真面目に敬語で受け答えをし、その様子に子供たちも軽く笑い。時が過ぎ、フィリと共に降りてきたダーラと少し言葉を交わし、帰宅の途に就く。
(まあ、そちらは仕方がないか。今後は、あのダーラというシスター抜きで病院の方に行くことになったし、教会に行ったとき、改めて聞けば良いだろう。それよりも……)
自室に戻ってきたジュディックは、フィリの過去を聞けなかったことに関してはそう折り合いをつけ。最近、暇な時間ができるたびに読んでいる、机の上に置かれた資料を手し、ページをめくり、――「ウェス・デル研究所で起きた機密漏洩、並びにその漏洩者による研究所長シェンツィ・アートパッツォの殺害事件の詳細」と銘打たれた章をもう一度、噛みしめるように読み始める。
◇
軍研究所からシェンツィ・アートパッツォという研究者を追い出した研究所上層部の教会派。ウェス・デル研究所なんてものを独自で立ち上げた所で、彼女にはもう、軍の持つ権力や人脈を失っている。いまはまだ、過去の研究の成果で優位に立っているが、いずれその優位も覆るだろう。
そう考えていた教会派は、いつまでも成果を上げ続けるウェス・デル研究所に危機感を覚え。やがてその危機感は焦りとなり。ウェス・デル研究所を競争相手として認め、それを超える成果を出そうと躍起になり、それでもウェス・デル研究所を超える成果をあげることができなかった軍研究所教会派は、やがて一つの対策を打ち始める。――諜報員を送り込み、成果を盗むという非合法な対策を。
まず目標とされたのは、過去に軍制式装備の試験で提出された兵器の秘匿技術。それを盗み出すために、軍研究所の優秀な研究員を諜報員に仕立て上げ、ウェス・デル研究所に送り込まれる。
だが、その諜報員は固く守られた機密を掴むことが出来ないまま。焦りを覚えた諜報員は、他の有用な技術に目標を変え、見事その技術を盗み出す。――同時に、ウェス・デル研究所側に自身の存在を露見され、当時研究者だったアストやマークスに疑惑を持たれながら。だが、その後も決定的な証拠をつかまれないままその諜報員は活動を続け、……ある日の深夜、研究室に忍び込んだところを忘れ物を取りに研究室に戻った研究所所長シェンツィ・アートパッツォと遭遇、彼女を殺害して逃亡する。
その翌日、出勤してきた研究員が彼女の死体が発見され。大騒ぎとなり。事実上、彼女の才覚と知名度だけで成り立っていた研究所は活動を停止、やがて軍研究所に接収されることが決定され。
そんな最中、いつのまにか行方をくらませていたアストとマークスによって、事件が引き起こされる。
事件の中心にいたと思われる諜報員は、軍研究所の襲撃事件の際に殺害され、この事件は幕を閉じる。
◇
(何度読んでも、無茶苦茶だな)
資料を読み終わったジュディックは、何度目だろう、あまりに飛躍したこの事件のことを考える。一体何がどうすれば、軍事機密でもないただの一研究所の研究成果で人が死ぬのか、どうしても実感が湧かない。それでも……
(今この事件の真相を知っているのは、ウェス・デル研究所の研究員だった人間に例の賊、そして……)
軍研究所の、軍研究所に影響力を持った教会派の重鎮だけだろう。例えジュディックにとって実感の伴わない事件でも、そのことを疑うつもりは無かった。