3.回想 ~ 空から落ちてきた赤子 ~
「クエエェーー」
巨鳥の上げる鳴き声に、顔を上げ、目の位置にある何かを光らせる銀色のヒト。互いに意志疎通が図れている訳ではないのだろう、だが、繰り返されるやり取りはまるで挨拶のよう。
空の大地が落ちたその日から、そこに住むようになった巨鳥。だが、巨鳥の持つ移り気か好奇心か、長く姿を見せぬ時もあり。
それでも、この地だけは変わることなく。太陽が中天に差し掛かるころに姿を現し、芝を刈る道具――芝刈り機――を押す銀色のヒト。
(毎日飽きもせず、よくもまあ、同じことを繰り返せるものじゃのぉ)
今も芝刈り機を押す銀のヒトを見下ろしながら、巨鳥はそんなことを思う。巨鳥にとって、変化の無い日常は苦痛ですらある。時に遠くに飛び立ち、戻ってこないのは変化を求めてのこと。
最近では、ヒトの世の変化を眺めるのが巨鳥の楽しみ。じっと眺めるように観察してもさほどの変化は無いのに、ふと時を置いて訪れるとまるで別の風景になっていることもしばしば。その様子を、遥か空の彼方から眺め、時に感心し、時に呆れる。――そして、時に近くに降り立てぬ身であることに寂しさを覚える。
(「ヒト」には儂ぁ、化け物か何かみたいじゃからなぁ)
過去に一度だけ、巨鳥を受け入れたヒトのことを思い起こす。山の上に住み、麓のヒトから半ば崇拝されていた、小さな村。そこの人たちは、始めは驚きつつも、巨鳥を受け入れ、時に語り掛け、時に触れあった。巨鳥の持つヒトの知識、それは彼らの住む地で得た知識。
その地で巨鳥は、ヒトの言葉を学び、ヒトの歴史を知り、ヒトの社会を知る。自分の持つ「火を吐く」という特技が、「魔法」という技術であることも。
鉄と同じ特性を持ちながら、イオン化し蛋白質と錯体を形成することで、粒子間に働く力に干渉する、鉄であって鉄で無い物質を介した技術。体内に鉄分として取り込まれ、本人の意志によってのみその干渉を行う、先史文明の科学者に「非科学的だ」と罵られた技術。それを、まるで翼を羽ばたかせるかのように、自然に使っていたのだと、巨鳥は知る。
この世界に一度「大災害」と呼ばれる現象が起こったこと。その現象から逃れるための建造物がいくつも建造されたこと。地に落ちた大地もその一つで、知識を残すことに特化した建造物であること。そういったことを巨鳥は、彼らとの交わりの中で知る。
(きっとあの「ヒト」の群れも、過去から残った何か、じゃったんだろうな)
故に、彼らは巨鳥の存在を受け入れることができたのだろうと。――そして、彼らは今のヒトとは違う存在で、巨鳥と同じく、今のヒトには受け入れられない「化け物」だったのだろうと。
その地を度々訪れた巨鳥が最後に見た光景。それまで見てきた、小さな家が点在し、田畑を耕し、道で会話をするヒトの姿はそこには無く。――焼け落ちた後であろう家の残骸。雑草が生え、周辺の大地と同化しつつある、かつて畑だった場所。踏み固められ、かつて人々が歩いていた道はもはや面影すら無く。
そこにあったのは、かつて人が住み、何者かによって滅ぼされたであろう、残骸のみであった。
(「ヒトの業」、か)
それもまた、巨鳥がこの小さな村のヒトたちから学んだ言葉。ヒトは時に物を作り、途方も無く巨大な群れを作り、時に群れ同士で滅ぼし合う生き物だと。そして、巨鳥は直感する。――自分を受け入れる「ヒト」は、もう居ないのだと。
◇
巨鳥は、遥か上空から、ヒトの営みを観察する。例え交わることが無くとも、その変化を見るのは飽きなかった。ある時など、空を飛ぶ飛行機を見て、奇妙な形をした木の塊がヒトを乗せて飛んどる、なんともまた非常識じゃなとあきれ返ったものだ。
そう思ったのも束の間、今度は銃という、途方もない速度で鉄の塊を飛ばす道具を見て冷や汗をかく。あんなのに当たったら一発で死にそうだと。こりゃあますます見つかる訳にはいかん、巨鳥はそんなことを思いながら、その道具を観察する。
どうやら筒の中に鉄の塊を詰めて、魔法で打ち出しているらしいその道具を見て、自分ならどうやるだろうと考えたのは、巨鳥の性格か、有り余る時間がそうさせたのか。巨鳥が、爆発する弾を口から吐き出すようになるのに、さほどの時間はかからなかった。――結果、巨鳥が湖の水中で爆発を起こして魚を捕ることを覚える、そのきっかけとなったのだが。
(しかし、しちめんどくさい魔法の使い方をしよるのぉ)
ヒトの魔法を見て、巨鳥は思う。魔法式を構築する魔法を用いたヒトの魔法。それは体内に含有する「鉄ではない鉄」の保有量が少ないが故の工夫なのだが、そのことを巨鳥は知る由も無く。ただ、彼が唯一交わった山の上のヒトはそんな面倒なことをせんかったのになぁ、などと首を傾げるばかり。
(まあ、変わっていくのがヒトなんじゃろうて)
気がつけばただの森だった場所を平地にし、建物を建て、城壁で囲う、そんなヒトの在り方を遠くから眺めながら、巨鳥は考える。自分に都合の良いように世界を変えていくヒトという存在。ただの森を、林を、草原を、家に、街に、道に作り替え。広がる田畑に、ここがかつては鬱蒼と生い茂る森だったなど、誰が思うだろうと。
きっとこの先も変化を続け、いつか再び、大地を空に浮かべるようなこともしてしまうのだろう。そんなヒトという存在に、再び接することは無いのだろうと、巨鳥は少し寂しさを覚える。――そんな推測を打ち破るような出来事が待つとは夢にも思わずに。
◇
(また何か飛ばしてきおったの)
その日も、遥かな高度から眺めるように、人里から遠く離れた山間の風景を見下ろす巨鳥。峻険な山々が連なる、普段はヒトの無い、そんな風景を。
だが今は、ヒトが住むことが叶わない自然の中、明らかにヒトが作った「何か」がゆっくりと、空に浮いていた。それは、普段巨鳥が見る「奇妙な形をした、ヒトを乗せた木の塊」、飛行機とは違う原理で飛ぶ飛行機械。可燃性の軽い空気を船体に閉じ込めて飛ぶ、「飛行船」という名が付けられた飛行機械だった。
――実の所、飛行機とほぼ時を同じくして、ヒトは飛行船も完成させてはいたのだが。安全性、価格、なにより飛行速度の遅さから、輸送用には使われず、遊覧旅行のような限られた用途でのみ利用されていた。あまり普及していない、見かけることも珍しいような、そんな飛行機械だった――
(ふむ。もう少し近づいてみるかの)
その珍しい飛行機械に、巨鳥は持ち前の好奇心を駆り立てられ。翼を広げ、身体を傾け、風を切るように。眼下の飛行船を目指し、高度を落とす。
◇
(どうも遅そうじゃのぅ。これなら「空飛ぶ翼の生えた木」の方が速そうじゃ)
同じ高さをゆっくり飛ぶ飛行船を眺めながら、巨鳥は思う。横に細長い巨大な楕円形。そこからぶら下がるように固定された窓のついたゴンドラ。ヒトを乗せたその四角い場所の窓に映る、外を覗きこむヒトの姿。
ゴンドラの最上部は柵で囲われ、その柵の中にもヒトが行き来する。下の方を見るヒト、進行方向を見るヒト、こちらを見るヒトも数人ほど。
(まあ、ヒトの視力じゃあ、儂はほとんど見えんけぇ)
ヒトの視線を警戒しながらも、問題になる距離ではなかろうと判断する巨鳥。現にこちらを見る、赤子を抱いた女性も、自分に警戒を抱いている様子も無く。安全であろう距離を保ちつつ。飛行船と巨鳥は離れた距離を同じ速度、同じ方向に飛び続ける。
(なるほど。風と同じ速さで飛んどるのか)
巨鳥は気付く。風と同じ速度で飛ぶことで、壁に覆われていない、柵で区切られただけの場所でも、普段通りに動けるようにしているのだと。
地に足を付けて生きるヒトにとって、この高度の風は強すぎる。風と同じ速度で飛ぶことで、風を感じつつもあまり風を感じずに済むよう配慮しているのだろうと。
(ご苦労なことじゃ……、うおぅ!!)
心の中で独白したその時に。飛行船で起きた異変が、巨鳥を驚かす。周辺に轟く爆発音、炎を上げる楕円形の部分。そこからぶら下がった四角い部分は傾き。柵に掴まるヒト、叫ぶヒト、慌てて中に入るヒト。冷静なヒトなど一人もおらず、柵の中は騒然とした空気に包まれる。
◇
燃え上る楕円形の船体、その後部。激しく燃え上る炎に、時折小さく爆発する船体。炎と爆発が船体を大きく揺らす。それは、船体にぶら下げられるように固定されたゴンドラも例外ではなく。
激しい揺れに、ゴンドラの上を滑る乗客たち。ある者は近くの柵にしがみつき。ある者は四つん這いになり、かろうじて落ちるのを防ぐ。空に響く怒号、悲鳴。
客室に降りる階段から避難を呼びかける声。しがみつき、身動きが取れない乗客に伸ばされるロープ。避難し、徐々に少なくなっていくヒトの姿。新たな爆発、再び揺れる船体。――そして、一人の乗客から放り出される何かを見て。巨鳥は反射的に、その何かを追うように、大空を飛ぶように落下する。
◇
「フィリーー!!」
飛行船のゴンドラの上で。爆発で揺れ、傾いた衝撃で、我が子を抱いていた両手を放してしまった母親が叫ぶ。遅れて駆け寄った父親が、母親の身体を後ろから抱き抑える。まるで羽交い絞めにするかのように。
「放して! フィリが! フィリがーー!!」
「駄目だ! フィリはもう……、戻るんだ!!」
「何が『もう』よ! フィリ! フィリ! ……フィリーー!!」
叫ぶ母親を父親は力任せに振り向かせ。なおも我が子の後を追おうとする母親の頬を打つ。一瞬だけ動きを止め、なおも追おうと柵の方に歩く母親。
「落ちたんだ、フィリは。……落ちたんだよ、この高さから」
父親の声は震え。誰も恨むまいと感情を押さえつけ。ふらふらと歩く、子供の母親に――最愛の妻に――、声をかける。父親の瞳には、爆発の瞬間、衝撃と、続いて襲い掛かる揺れと傾きに、手を放してしまった妻の姿が焼き付いて離れない。
ゆっくりと流れる時間の中、後を追おうとした妻。投げ出され、ゴンドラの外に落ちていく我が子。少し離れた場所にいた父親には、咄嗟に妻を止めることしか出来ず。今、柵の方に歩いていく妻を止める言葉も持たなかった。
「急いで避難を」
「すいません。もう少しだけ、もう少しだけ待ってもらえませんか?」
「いつまで高度を保てるかもわからない状況なんです。とにかく急いで!」
父親の方に駆け寄った乗組員が避難を求める。柵にしがみつきながら、我が子の落ちた方に視線を泳がせ、ただ声を上げる妻に、もう少しだけと無理を承知で言う父親。その言葉は無情にも受け入れられず。柵の近くで泣き崩れる母親の元に向かう二人。
「……奥さん。ご心痛はお察しますが……」
母親の視界は歪み、前も、下も、我が子も、夫も見えない中で、乗組員の、心に届かない言葉が素通りする。それでも、今ここにいても何もならないことだけは、心のどこかで理解して。乗組員の指示に従い、ゴンドラの中へ移動する。
「急いで! 脱出用の飛行機に!」
「ぱぱ! まま!」
避難誘導する乗組員に従い階段を降りる途中。もう一人の娘が駆け寄って、二人に声をかける。まずは心底ホッとした様子で。……そして、どこか不安げに、出来たばかりの、もう一人の家族のことをたずねる。
「ねえ、ふぃりは? ふぃりはどうしたの?」
当然居るはずであろうもう一人の家族が居ないという疑問。その不安を取り払って欲しいという願いが発した問いかけ。その問いかけに、二人は答える言葉を持たなかった。
◇
(おおおおぉぉーーー!)
飛行船から赤子が放り出されるのを見て、巨鳥は飛び出す。翼をたたみ、ただ落ちるより速く。流線形の体を真っ直ぐ伸ばし。子供着をはためかせながら落ちる赤子に、届けとばかりに。
巨鳥が思い描くは、遥か昔、山の上で人々に交わった記憶。そこで目にしたヒトの生活。ヒトがその赤子に示す情が巨鳥の脳裏を去就する。――それは、雛鳥であったころの記憶を持たぬ、孤独に生きてきた巨鳥が持つ、親子の情の記憶。
既に失われた、交わりを持ったヒトの群れ。それこそが、巨鳥のただ一つの「孤独では無い」記憶。故に、巨鳥はただ無心に、赤子のためにその身を賭ける。
◇
雲一つ無い大空を落ちる二つの命。
わが身に何が起こったかを知らず、わが身を救う手だてを持たず。泣き声をただ周りに響かせ、落ちる赤子。
風を切り、落ちるよりも速く。その身を届かせようと、赤子だけを見すえ、赤子の落ちる先を目指し、下に向かって飛ぶ巨鳥。
両者の距離は少しづつ近づいていき。落ちる赤子に巨鳥が追いつき。両足で優しく、柔らかく、その体を掴み。少しづつ、赤子を気遣うように優しく、速度を緩め。――高度が下がり、地面に近づいた所でようやく落下が終わる。
◇
水平に飛びながら、巨鳥が空を見上げる。そこには、再び爆発する飛行船の姿。……そして、そこから逃げるように飛行機が飛び立ったところだった。
その様子を見て、再び高度を上げる巨鳥。両足の中にある小さな命を、あるべき場所に送り届けようと。だが、赤子を抱えた巨鳥に飛行機は気付くことは無く。
「クエエエェェーーー!!」
飛行機に向かい、あらん限りの大声で叫ぶ巨鳥。それでも、飛行機の中にまでその声は届かない。進路を最も近い都市に定め、飛び去ろうとする飛行機を、どうすることも出来ずに見守る巨鳥。――その両足で、小さな命は何もわからないまま、大きく泣き声をあげていた。
◇
「あ!」
遠ざかる飛行機の中、窓際で。隣で泣き震える母親と、それを宥める父親。もう二度とフィリには会えないんだと、気付きながらもこらえていた子供は、窓の外に一羽の鳥を見る。――その鳥の両足に、見覚えのある赤子が居ることも。
飛行機が旋回し、一瞬の内に見えなくなった鳥と赤子。自分が見たものが本当に自分の妹なのか、自信が持てず、隣の両親にも伝えることができないままに、飛行機は遠ざかっていく。――子供の見た希望を両親が知るのは、飛行機が地上に降り立った後のことだった。
◇
(まいったのぉ)
遠ざかる飛行機を見て、途方にくれる巨鳥。今はヒトとの交わりも無く、ヒトの赤子のことなど何もわからぬままに取り残され、どうすれば良いかも決められず。とりあえずこのままにする訳にもいかんじゃろうと、落ちた大地の方へと向き直る。――そこに住む、規則正しく同じ行動を繰り返す銀色のヒトが救い主になる未来など、巨鳥には想像する事もできぬままに。