12.ほんの小さな、大きな変化(下)
「……で、今日はあと、何をすればいいんかのぉ」
「……部屋で過ごすしかないんじゃないかなぁ」
飛行場で、プリムお姉さんとメディーンを見送って。昼ごはんを食べに自分の部屋に戻る途中、ピーコックとそんな話をする。
ピーコックがわたしに先のことを聞いてくるなんて、めずらしいなぁ。ひょこひょこ歩く姿を見ながら、ふとそんなことを考えて。
「まったく、あのプリムとかぬかすヒトも! この先どうすべきかぐらい、言い残しておくことも出来んのか!」
「……そういえば、そうだね」
ピーコックの言葉に、そういえばプリムお姉さん、先のこと、何も言ってくれなかったなと、そんなことを考えながら、いつもの訓練場宿舎にまで戻ってきて。……あれ、でも、えっと。今日は教会の日だったけど、お昼ごはん、準備してあるのかな。そんなことを心配したんだけど。
部屋に着いて、扉を開けて。部屋の中で、レシティおばさんが、お昼ごはんを準備して待っていてくれたのを見て、少しホッとする。
「ようやく戻ってきたね。今日はフィリちゃんに、色々と伝言を預かってるよ」
部屋に入ると、レシティおばさんがそんなことを言って。なんだろう、おばさんがそういうことを話すの、珍しいな、そう思ったんだけど……
「まあ、メンドくさい話はあとにして、まずは昼食さ!」
うん、やっぱり、まずはごはんだよね。机の上に並べられた、色んな具が挟まれたパンを見ながら、ソファに座って。意識して、元気よく挨拶する。
「いただきます!」
自分のあげた声に、少しだけ元気になった、そんな気になりながら、お皿の上のパンに手を伸ばした。
◇
「メディーンがいないと、ちょっと落ち着かないねぇ。まあ、昼食の前にこう、ズシンズシンと来られないのは安心だけど」
あれ? レシティおばさん、メディーンとは仲が良かった思うんだけど。今までメディーンと、何度もご飯のことについて話してたし。……そう言えば、最初のときはびっくりしてたっけ。手にしたパンをもぐもぐと頬張りながら、そんなことを考えて。
「そりゃあ、初めてのときはびっくりしたけどね。だけど、フィリちゃんの食生活とか、ホント良く知ってたからね。食べてみて口に合わなかった、くらいならまだしもね。お客さまに、食べ慣れていないものを食べさせて身体を壊したりしたら、えらいことだからねぇ」
その言葉を聞いて、思う。やっぱりわたしは「お客さま」なんだって。……メディーンはいつのまに「お客さま」じゃなくなったんだろう、ふとそんな疑問が頭をよぎる。
「まあ、そんな話はいつでもできるね。それよりも、せっかくの昼食、あったかい内に食べな」
レシティおばさんにすすめられるままに、一つ目のパンを飲み込んで、二つ目のパンに手を伸ばす。腸詰のおにくにやさいをたくさん入れて、切れ目を入れたパンにのせた、初めて食べる料理。
おにくはたぶん豚肉で、火が通ってくたっとしたやさいに、トマトのソースがかかってて。塩の味がすこし強い気がしたけど、美味しかった、かな? 次のはどんな味だろう。さっきとは色あいの違う具に、少し期待しながら、二つ目のパンを頬張って……
◇
「ごちそうさま!」
昼ごはんを食べ終えて、食後のあいさつをする。――あぁ~、おいしかった!
◇
「じゃあ、次はジュディック・ジンライト大尉からの伝言だね」
レシティおばさんの言葉に、少し考える。ジュディックさんって、確か、プリムお姉さんのお兄さんだよね。ピーコックにやり込められそうな、真面目そうな印象の人だけど。あの人が、わたしに伝言って、なんだろう?
「とりあえず今日のところは、宿舎内ですごして欲しいって。教会は明日に延期ってさ。
で、プリム・ジンライト大尉は明日からも不在。メディーンもだね。許可したんだろ?」
その、「許可したんだろ」という質問に、すこし考える。……うん。飛行場から歩いて、ごはんを食べて、落ち着いて。今なら、なんとなくわかる。――プリムお姉さんに「メディーンを貸してくれ」って言われたとき、きっと断ってもよかったんだって。
だけど、わたしは断らなくて。それで良かったって、今は思ってる。
「はい」
だから、「わたしが」決めたんだって、ちゃんと答えよう、そんな決心とともに頷いて。
そんなわたしの答えを聞いて。きっとそれは、レシティおばさんには何でもないこと、なんだと思う。わたしの返事に、特に何か言うわけでもなく、話を続けて。
「だけど、フィリちゃんとピーコックだけで外出は難しいんじゃないかって、大尉がね。少なくとも、教会まで行くのは無理だろうって。で、いつでも外出できるように、部隊の隊員をこの宿舎に待機させておくってさ」
あっ! プリムお姉さんもいないから、外に出れないんだ! そんな当たり前のことに、初めて気付いて。代わりの人がいるって聞いて、少しほっとして。
けど、他の人かぁ、どうせならレシティおばさんが良かったなあ、なんて思ったところで……
「あと、教会には、大尉が同行するってさ」
ええぇ~! あのお兄さん~? ちょっと待って!? 思わず叫びそうになって……
「確かその、ジュディック言うヒトは、ここで一番偉い、そう思うとったんじゃが。フィリなんかについてく暇があるのかのぉ」
横から割り込んできたピーコックの言葉に、口から出そうになった叫びを飲み込んで、大きく頷く。……えっと、ピーコック。わたし「なんか」って、どういうこと!? 叫ばずに済んだのは良かったけど。少しだけホッとしながら、そんなことを思って。
「それだけどね。ただ、最初の約束もあるし、まだメディーンの協力だって必要なんだってさ。何より、色々聞きたいこともあるみたいだからね」
……そっか。結局はメディーンなんだ。少しだけ残念に思いながら。どこか納得して。
「まあ、そんなわけで。教会の日はジュディック大尉が、他の人も誰か隊員はいるからさ。そうだね、あたしに声をかけてくれれば、その隊員を呼び出すよ」
みんな、わたしのことを考えてくれていることが、なんとなくだけど伝わってきて。それでも、どうしてだろう、そのことに少し寂しさをおぼえる。
◇
おばさんが部屋から出て。とりあえず中庭で、いつものように「球蹴り」の様子をながめようと中庭に行く。
最近はルールもわかってきて、上手い人の見分けもつくようになって、観ているのが楽しくなってきたと、少しわくわくしながら中庭に行ったんだけど。
「……誰もおらんのぉ」
予想とは違って、そこにはほとんど誰もいなくて。一人、木陰で本を読んでいる人がいるだけ。
「ああ、他の隊員たちはみんな訓練場の方だよ」
その、座って本を読んでいた人にそう教えられる。
昨日までは、みんな「休暇」で、身体を休めるのが「仕事」。今日からは、身体を鍛えるのが「仕事」なんだって。
「……部屋に戻るかのぉ」
「……そうだね」
このままここにいても良かったんだけど。遺跡の頃は、晴れた日はだいたい外にいたし。……けど、何かここには居づらくて。結局、部屋に戻って本でも読もうと、何もしないまま、中庭を後にした。
◇
部屋で本を読む。どこか集中できない。それでも、がんばって本を読み続けて。
「……ふあぁ」
……気がついたら、あくびが出始めて。一瞬、眠りそうになってはハッとして。すぐにまた眠くなって。
――そんなフィリが、机の上に伏して、スヤスヤと寝息を立て始めるまで、さほどの時間はかからなかった。
◇
やがて日も傾き始め、薄暗くなりかけた部屋で。私室の机にうつ伏せになりながら、静かな寝息を立てるフィリ。
朝の無邪気な寝顔と比べ、少しだけ、フィリの表情に、なにか、取り残されてしまったような寂しさがにじみ出ているのは気のせいか。それとも、本人も気付かない内に、ここの環境に馴染み始めていた故に、自分以外の人たちが変化したことに、何か感じるものがあったのか。
そんな、一人うたた寝をするフィリを起こすように、窓ガラスを叩く音が、フィリを呼ぶ。
――コン、コン――
その音に、浅い夢の世界から引き戻され、顔をあげるフィリ。時計を見て、窓の外を見て。自分がうたた寝していたこと、ピーコックが起こしてくれたことを理解して。眠気を覚ますように、軽く背伸びをした。
◇
いつのまにか寝ちゃったな、もうすこしで夕ごはんかなと時計を見て、起こしてくれたピーコックに、「ありがとう」と声をかける。
「……なんじゃ、すんなりと目を覚ました上に、感謝の言葉とは。ホントにヌシは、フィリか?」
ピーコックの憎まれ口に少し笑う。ピーコックだけはいつも通りだよね、いつも「暇じゃ」って言ってるし、働かないのにも慣れてるんだねと、そんなことを考えて。
……ふと思いついたことを口にする。
「ねえ。……一度、『食堂』って場所で、ごはんを食べてみようか?」
わたしの言葉に、ほんの少しだけ、ピーコックが考えたあと、返事をして。その返事は、どこか妙に優しげで……
「そうじゃな、今日はヒトをほとんど見とらんからな。そういうのもアリかもしれんな」
……なんでだろう? からかうときの口調とは全然違うのに。なぜか、からかわれたときのような気分になって。
「そうそう。ピーコックも少し歩かないとね。太るよ?」
「今日は十分に歩いたと思うんじゃが。……まあ、飛ばんからといって、飛べんほど太るのもダメじゃろうしな」
……ちょっと、ちくりと言ったつもりだったんだけど。あっさりと普通に返されて。――そんなつもりで言ったんじゃないんだけど、言わない方が良かったかな、気をつけようと、ちょっと反省しながら、部屋を後にする。
◇
スウッと大きく息を吸って。
フウッと大きく息を吐いて。
食堂と外とをつなぐ扉の前で。たくさんの人たちの、ガヤガヤと騒ぐ音を扉越しに聴きながら。少しだけ勇気を出して。握った扉の取っ手を掴んで。……そっと小さく扉を開けて、忍びこむように食堂に入る。
――そこでフィリが見たのは、多くの人たちが、様々な様子を見せながら。それでも、そこにいる全員が、同じ喜びを共有しながら食事に舌鼓を打つ、今まで見たことのないような、そんな光景だった。
明るい、大きな部屋の中。たくさんの人たちが、並べられた机の上にごはんをおいて。周りの人としゃべりながら、笑いながら。そんな部屋の中の様子に、びっくりして、その場に立ち止まって、ただ、食堂の中の様子を眺め続ける。
ある人は立ち上がって、お盆を持ち上げて。ある人は、ごはんの乗ったお盆を手に、食堂の奥から机の方へと歩いて。ある人は美味しそうにおにくを口の中に入れ。ある人は、こっそりとおやさいをとなりの人のお皿に入れて……
誰もが違う動きなのに。それでも、誰もが同じように、ごはんの時間を楽しんで。そんな景色にびっくりして。ようやく落ち着いてきたところで。――後ろからバタンと、大きく扉を開ける音が響きわたる。
「やれやれ、あんな小さいスキマじぁ、入れんじゃろう。少しは儂のことも……」
大きな音を立てて扉を開けたピーコックは、そんなことを言いかけて、途中でいいよどむ。
さっきまでとは違って、こっちを見続ける人たち。お盆を持って歩いていた人も、おやさいをとなりのお皿に入れていた人も。みんな、わたしを見て。――怖くなって、思わず一歩下がって。そのまま部屋を出かけて。頑張って、踏みとどまって。
……少しして、周りの人たちは、今までと同じように、食べ始めて、周りの人と話し始めて。でも、まだ少しずつ、ちらちらとわたしを見てて。
――少しだけ、地面が、ズシンと揺れていることに気がついて。その振動が懐かしくて、ちょっとだけ、ほっとする。
「……お前らなぁ。 女の子はそんなコソコソ見るもんじゃないだろう。――女の子ってのはなぁ、もっと堂々と、真っ正面から、熱い視線を送るように見るもんだろう!」
「馬鹿なことを言ってんじゃないよ!」
ある人が、急に立ち上がって、大声でそんなことを言って。プリムお姉さんが、手にした履き物で、その人をスパーンと叩く。
その音と、変なことを言った人の仕草が、なにか面白くて、少し吹き出す。なんだろう、何か似たようなのを見たことがある気がする。――プリムお姉さんとピーコックとのやりとりに似てるんだ!
「いや、だってこいつら、下手すると尻ばかりを舐め回すように見かねない奴らだし。――見るならやっぱり、顔だろう!」
「「「いや、そもそも、そこまでじろじろ見ねえよ!」」」
履き物で叩かれた変な人は、よくわからないことを言って。周りの、えっと、食堂の中の半分くらいの人たちが、声を揃えて反対して。たくさんの人が言い合ってるんだけど、なんでかな、怖くなくて、その人たちを見続ける。……ちょっと面白いかも。
ズシンズシンという音はさらに近づいてきて。やがて、メディーンがわたしの後ろの扉から、中に入ってきて。――そのまま、変な人たちの元へと歩いて行って。
あの変な人たちも、メディーンのことに気付いて。メディーンの方に向きなおって。えっと、少し腰が引けてる? 冗談だと言い始める人を、メディーンは片手で持ち上げる。
「……メディーンの奴、なんか言うとるのか」
そのメディーンの様子を見て、ピーコックがふと気付いたように話しかけてくる。えっと、また難しい言葉で何か言ってるみたいだけど……
「……えっとね。『オンセイカイセキノケッカ、キョギガミトメラレル。カンリシャ、イマダ、キケントハンダン、ボウエイコウドウヲゾッコウスル』だって」
「つまり、『嘘をついとる』と判断しとる訳か」
「……そう言えば、メディーンにうそをつくと、絶対に叱られるんだよね」
ピーコックにメディーンの言葉を伝えて、その意味を教えてもらって。遺跡にいた頃の、まだ小さかった頃のことを思い出す。
メディーンにうそをついても「絶対に」見抜かれて。で、「うそはだめ」って怒られるんだよね。でも、ちゃんとお願いすると聞いてくれるから、結局、メディーンにはうそをつかなくて良いって気づいて、うそをつかないよう、気をつけるようになったんだけど。
「ありゃあ、止めた方がええと思うがのぉ」
「……えっと、わたしが?」
そんな、昔のことを思い出していたら、ピーコックに話しかけられて。えっと、わたしが止めるの? ピーコックの方を見たら、軽くうなずかれて。……えっと、なんて言おう。
「メディーン、もう良いから」
結局、どう言えばよくわからないまま、そんな言葉でメディーンに話しかけて。メディーンが動きを止めるのを見て、少しホッとする。
「嬢ちゃんも夕飯かい? ならここで一緒に食べないかい?」
「はい!」
プリムお姉さんの声に、返事をして。慌てて、部屋の奥の方にごはんを取りに行く。……えっと、確か、好きなごはんを選んで良いって、以前、レシティおばさんに聞いたことを思い出して……って、レシティおばさんがいる! 軽く手を振って、あいさつして。
そのまま、レシティおばさんにいろいろと教えてもらって。おにくとやさいを焼いたお皿とか、トマト味のスープとかをお盆の上に乗せる。
そうして、プリムお姉さんの席に行って。となりにお盆を置いて。椅子を引きながら、立ったままのメディーンに声をかける。
「おかえり、メディーン」
そんなわたしの言葉に、メディーンは何も言わず。それでも、そこにはいつものメディーンがいて。それがどこか嬉しくて。にこにこが止まらないまま、先に座って。
「いっただっきま~す!」
自分でも声がはずむのを自覚しながら、それでも元気良く、食べる前の挨拶をして。フォークでおにくをすくって、口の中に運ぶ。
ほんの少しだけ、今までと違った一日。わたし以外の人が動き出した一日も、今はもういつもと一緒。でも、そんなことに気付いたのは後になってから。
今日、わたしは、他の人につられるように、ほんの少しだけ、この「訓練場宿舎」という小さい世界を、自分の足で歩いてみた、そんなささやかなことをした最初の日。
――そしてそれは、フィリが外の世界で過ごしていくために必要な、最初の一歩を踏み出した日でもあった。