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フィリ・ディーアが触れる世界  作者: 市境前12アール
第三章 人の生きる世界と歩く道
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幕間.キャニオンブリッジ攻防戦(下)

 アストによって空高く投げられた魔封魔弾セイント・ブラッドが、同じくアストのシュバルアームから放たれた銃弾に打ち貫かれる。

 特殊弾が、魔弾の中に収められた、ささやかな量の火薬に点火し、魔弾の中身を辺りにまき散らす。ほんの一雫でも魔法を発動可能とした、特殊な濃縮血液「聖人の血」を。


 その日、国境の渓谷が織りなす絶景を楽しもうとしていた列車の乗客たちは、突然窓の外に付着した血の雫に、表情を失う。

 反射的に窓から離れる者、思考を停止させその場で固まる者。そんな中、一部の乗客は、外の様子を目撃することとなる。――列車の窓と同じように、飛び散った血を僅かに浴びた悪漢の姿と、周辺に無数の魔法式が浮かび上がるその景色を。



「……なんだ、これは?」


 列車の上にいた兵士は、その光景を見て、戸惑いの声を上げる。魔法式と共に空中にあった球状の何か。それが破裂したと思ったら、血液と共に無数の魔法式が辺り一面に広がっていくという、初めて見る光景に困惑し。――やがて、今まさに発砲しようといていた同僚の焦りを含んだ声に、我にかえる。


「魔法式が!」


 慌てて声のした方を見る兵士。――そこには、自分の同僚が発砲するために刻んだ魔法式が、飛来した魔法式に吸い取られていくような、そんなありえない光景があった。

 その光景を見て慌てて自分の魔法銃刀に魔法式を刻もうとした兵士は、式を刻むことすら出来ないことに気付き、――追い討ちをかけるように、自分の体から力が抜けていくような感覚を覚える。

 自分たちの身に起こり始めた異常事態に慌てる兵士たち。彼らは気付かない。魔弾からまき散らされた魔法式は、地上で待ち構えていた兵士たちからも、自分たちの乗る列車の先頭からも、撒き散らされた血が届く範囲全てで、同じように浮かび上がっていた事に。



 アストが魔封魔弾セイント・ブラッドに刻んだ魔法式。それは単に、周辺の魔素を使って魔法式を構築する、たったそれだけの魔法式。

 だが、「聖人の血」という、濃縮された特殊な血によって構築される魔法式が、本来なら干渉できないはずの、他者の体内に取り込まれた魔素までもを奪い尽くし。いつまでも構築され続ける魔法式は、その魔素を周囲に解放せず。


――結果、その血が飛び散った範囲に、敵味方問わず、人や動物が無意識のうちに行使している魔法すら発動しない、魔素欠乏地域を作り上げた。



「……この脱力感だけは何とかならんかさ」

「そう言うな、相手はもっと悲惨なんだからな。嗚呼、全く、可哀想に!」

「……本当にさ。銃は使えない、謎の脱力感に襲われる、なのにお前さんだけは容赦なく銃をぶっ放す。うっかり相手に同情したくなるさ」


 相棒の奥の手の弊害に、アストもこの脱力感に襲われているはずなのに元気なことさと、そう思いながらぼやくマークス。――まあ、彼も「完全に魔素が欠乏した」空間に対応するための訓練はしているからこそ、無駄口が叩ける程度の脱力感で済んでいるのだが。

 確かに「アストにとっては」理想的な切り札だろう。周りにいる人間は誰一人、魔法銃が使えなくなる。それに対し……


「この状況で道を塞ごうとするって、仕事熱心だねぇ。――そらよ!」


 ……アストの持つ火薬銃は、全く影響をうけないのだから。


「すげえなぁ、まだ道をふさごうとしてるぜ、奴ら」

「そりゃあ、連中だって必死さ」


 列車の先頭車両が、正面の歩兵部隊の真横に差し掛かろうとする中。その列車からの銃撃も途絶え、正面の兵士たちに向けて立て続けに発砲するアスト。一方的な銃撃に晒されながらも、なおも諦めず、アストたちの行く手をさえぎろうと動く、正面の歩兵部隊。

 彼らとアストとの距離は、時間にして残りわずか数十秒の所にまで迫っていた。



「まだだ! 何としてもここで止めろ!」

「しかし……」


 必死に声を上げつつ、兵士で壁を作るべく、自らの小隊を指揮して最前線に向かおうとする中隊隊長。その行動を半ば身体で遮りながら、何とかこの場に押しとどめようとする副官。


「敵は砲を撃とうとする気配がない! 小型銃だけであれば、この数だ、刀でも対処できる!」


 中隊隊長の半ば無謀とも言える行動。だが、それこそが、兵士たちから脱力感を忘れさせ、まるで自分を隊長の身代わりとするかのように、発砲できない銃刀を抜いて、その身を最前線へと駆り立てさせる。


「一太刀でも良い! 何としても落馬させろ!」


 叫ぶ中隊隊長。至近距離を走る列車の音が響く中、必死になって動く兵士たち。――その様子を、馬上のアストは、絶え間なく発砲しながらも、冷たく眺めていた。



 通り過ぎていく列車の横で、激突する二人の賊と兵士たち。重量感あふれる列車の走行音に、いつまでも鳴り続ける銃声。

 一方的に撃たれながらも、数の差か、少しずつふさがれていく突破口に、アストはシュバルアームの銃口を、兵士たちの壁の奥、中隊隊長の方へと向ける。

 その指が引き金を引く。撃鉄が降ろされ、信管が火花を散らす。薬莢が爆発し、銃身を弾丸が通り抜ける。兵士たちの間、僅かに通った射線を、弾丸が進む。正確に、中隊隊長の側頭部を目指して。


――その瞬間、周りの兵士たちから、音が消える。


 聞こえなくなった、叫ぶような指揮の声。起こったことに気付き、勢いを失う兵士たち。やがて、ふさがれないままの突破口を、列車と共に駆け抜けるアストとマークス。その様子を、なす術もなく見送る歩兵たち。


「……後続の騎兵たちは?」

「そのまま賊を追撃するようですが」

「……そうか」


 目の前で起こった光景に半ば呆然としていた副官は我に返り、近くにいた兵士に質問をし。帰ってきた答えに、張りのない声で、つぶやくように返事をする。

 駆け抜けていった賊を追うように走る騎兵たち。その身体に、僅かながらの血が付着し、その血から魔法式が刻まれ続けているのを目にして、ため息をついた後、看護兵を呼ぶよう、近くの兵士に命令する。

 賊が去った後に残されたのは、指揮官を失い、戦う術を無くした兵士たち。彼らには、この場の後始末以外、できることは残されていなかった。



「しっかし、勝算も無いのに追ってくるかねぇ、普通」


 追撃してきた騎兵を難なく撃退したアストは、空を見上げ、航空機がいないことを確認して、緊張を解きながら、そううそぶく。

 列車から距離を置き、再び線路から離れ、森の中に潜み。既にその身についた「聖人の血」も拭きとり。あとは適当に変装して、どこかの街にでも紛れてしまえば、当分は追手の心配も無いだろう、そんなことを考えたところで、マークスの言葉が耳に入ってくる。


「しっかし、よくもまあ『聖人の血』なんて名前を付けたもんさ。一体、どこらへんが聖人なのやら」

「全くだ。トチ狂ってるとしか思えねえ。どうしてこいつを、俺の血から作り出そうだなんて考えたんだか、アイツは」


 マークスの言葉に同意しながら、アストはふと思い出す。遥か昔、まだアストが研究者だったころ、いや、研究所に入って数ヶ月しか経っていない、まだ研究者未満だった、そんな昔のことを。



「……あん? 『聖人の血』だぁ」


 アストがシェンツィ・アートパッツォと路地裏で出会い。その翌日に、警戒しながらも彼女の研究所に足を運び。あっさりと受け入れられ、研究員という地位と当座の金を与えられ。外出だろうが何だろうが自由にして良いと言われ、個室を与えられ、監視も付けない相手の様子に、警戒していたのが馬鹿馬鹿しくなり。

 やがて相棒は本当に釈放され。衰弱し、傷つき、弱り切った相棒は、それまで縁が無かったような立派な病院で手当てを受けながら過ごすこととなり。そんな、路地裏での会話そのままの好待遇に、アストは、とりあえずは付き合ってやるかと、シェンツィの求めるままに行動を共にし始める。そうして、研究者としての知識を実践という形で教わり始めた、そんな頃合い。

 研究室の中、いまだ着慣れていない白衣を身にまとうアストは、シェンツィの言葉に、コイツ本気かよと、相手の正気を疑う。


「そう。血液には『魔法を使える血』と『使えない血』が混ざりあっている。その中から『魔法を使える血』だけ取り出せば、今まで使えなかった魔法も使えるようになる、そう思わないかしら」

「……理屈はわかるけどよぉ。まともじゃねえよなぁ」


 シェンツィの言葉に、アストは呆れたように首を振る。今まで雲の上だった研究者という存在。シェンツィと行動を共にし始めて、その研究者というのがどういう奴らか理解し始めたアストは、これなら路地裏に住むゴミみたな奴らの方がよっぽどまともだなんて感想を抱き始める。――もっとも、それはシェンツィ・アートパッツォという人間を、普通の研究者だと誤解した上での感想なのだが。


「あら、どの辺りがおかしいのかしら」

「全部だよ! 血を選り分けるなんて発想も、実際にやろうとする行動力も! そいつに『聖人の血』なんて名前をつけようとする感性もだ!」


 すでにアストには、その名前の意味を理解できるだけの知識がある。おとぎ話に出てきた「聖人」とやらは、普通の人間には使えない魔法が使えるだけの、それ以外はただの人間だったことや、その違いは、主に流れる血の成分が違っていたのであろうことも。

 その上で、いや、だからだろうか。人の血を加工するという冒涜的な発想と、それに「聖人」を冠した名前を付けようとするシェンツィに、危うさを覚えずにはいられない。


「急にどうしたのかしら。でもまあ、お世辞でも嬉しいわ」

「褒めてねぇ!」


 ずれたシェンツィの反応に、つい叫ぶように返事をするアスト。自身の大声が少し気分を落ち着かせたのだろうか、どことなく機嫌良さげなシェンツィに、アストは諭し始める。


「……なぁ、いい加減、喧嘩を売るような真似はよせよ。こんな事して、一々教会を敵に回したって、しょうがないだろ」


 心情の籠ったアストの言葉。目の前の、出会った時に自分をおちょくり、今もどこかまともでは無いと感じてながらも、言葉通りに自分と相棒を救ってくれた、恩を感じてもいる人間への、心からの忠告の言葉。その言葉も、シェンツィには届かない。


「それなら大丈夫よ」

「あん?」

「私は、どう転んでも教会と敵対してたから」


 これ以上ないほどの確信をもって放たれたシェンツィの言葉。その言葉にアストは、どこか迫力めいたものを感じ。今は(・・)、諭しても聞かないであろうことを悟り、口を閉ざす。

 そんなアストを見て、シェンツィは話を進める。


「そんなことより、『聖人の血』よ。さあ、まずは材料よ。貴方、健康状態には問題ないわね。さあ、行きましょうか」

「……ちょっと待て。材料って、おいテメェ」


 シェンツィの言葉に、嫌な予感がしたのだろう、低い、迫力のある声を出すアスト。その言葉に込められた迫力を大したことがないと受け流しながら、合図をするように指を鳴らすシェンツィ。いつの間に待機していたのであろう、部屋の外から入ってくる、数人の屈強な男たち。――程なくして、アストは、その男たちに両手両足を固められ、持ち上げられる。


「ざけんな、このクソアマ! タチが悪いにも程がある!」

「照れるわね」

「だから、褒めてねぇ!」


 暴れながら叫ぶアストを抱えて、男たちが別室に移動するのを眺めていたシェンツィは、部屋に小さな呟きを残して、彼らの後を追うように歩き始める。


「……世界は全て理で動く。だからその理を解き明かす。祈りが力となって人を救うなんて言う詐欺師たちとわかり合うだなんて死んでも御免。――誰が何と言おうと、誰も認めようとしなくても、世界の理は変わらないわ」


 その言葉は、冷たくも強い、――シェンツィ・アートパッツォという人間の生涯を貫き通すような、そんな言葉だった。



「……全く、何が『聖人の血』だ。真逆もいいとこだ」


 過去に想いを馳せていたアストは、今に意識を戻し、懐かしげに、情のこもった声を上げる。その声の響きに気がついているのだろうか、マークスは、少し優しげに、アストに話しかける。


「まあ、おかげで助かってるさ。お前さんの血で作れなかったら、補充もままならないしな」

「……作るこっちの身にもなってほしいけどな」


 そう答えて、アストは軽く苦笑いする。それはまるで、らしくもない思い出にひたった自分を揶揄するように。――そして、意識を今の「仕事」に切り替える。


「……あと何かあるとすれば、『依頼主』との接触ぐらいか?」


 この先のことを思い浮かべ、そう結論付けるアスト。もう、自分たちの行く手をさえぎるようなものは無いだろう。だから、障害になるとすれば、依頼主だけだと、そう結論づける。


「全く、世も末だねえ。『自分の国の国宝を盗んでこい』だなんて、何を考えているのやら」

「そりゃあ、『こっそりと』盗むもんだと、相手は思っていたんだろうさ」

「俺たちがか? 人選を間違えたとしか言いようがないね」


 冗談めかして話すアストとマークス。彼らは知っている。何人もの仲介者を挟んで接触してきた、見たこともない依頼主のことを。そいつが、こちらのことを対等な人間だなんて思っていないことを。――当然、仕事が上手くいった所で、その報酬が鉛玉で支払われる可能性も十分にあることを。


「まあ、俺たち以外にこんな依頼を受ける奴はいないさ」

「そりゃあ、可哀想に! 結果は望ましくないのに、金だけぶんどられるなんて、まるでタチの悪い詐欺だぜ。まあ、単にきっちりと契約通りに依頼を果たした結果なんだけどな」

「全くさ。それならきっと強盗にあった方がマシだと思うだろうさ。まあ、相手がどう思おうと、自分らは、誠実に仕事をするだけさ」


 それでもなおこの仕事を受けた理由。その依頼主から得られた数々の情報に仮初めの支援。そして、相手は隠していると思いこんでいる、その背景。

 依頼主のことを思い出して、アストは嗤う。相手が何者かを知った上で、あえてアストたちはこの依頼を受けたのだ。相手の思惑を知った上で。そいつを慌てふかめさせ、恐れさせ、その身を破滅させ。――そして奪い、殺すつもりで。


――後は、依頼主の住む、首都の中心部に建つ豪邸。そこで全ては終わると、二人はそう確信していた。

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