5.旧都マイニングの小さな教会(下)
お勉強の時間が終わったあと、ダーラさんがクラッカーっていう、一口で食べれる大きさのお菓子とドライフルーツ、あと瓶に入ったジャムを出してくれて。実際にひとつ作りながら、食べかたを説明してもらう。
えっと、クラッカーにジャムを塗って、干した果物をのせて。ダーラさんと同じように、わたしも、ひとつ作って口の中に入れて。サクサクとした、甘酸っぱいお菓子の味に、思わず頷く。
「お口に合ったみたいで、良かったわぁ」
わたしがお菓子を食べるのを見ていたダーラさんが、そう言って、自分もお菓子をひとつ口にして。
次は何をのせようかなと、ドライフルーツやジャムの瓶を順に眺めていると、ピーコックとプリムお姉さんが話し始めて。
「まったくじゃのぉ。昨日みたいなことにならんで、本当に良かったわい」
「……それに関しては、同意するしかなさそうだね」
……じつはさっきから、メディーンが細かく、ジャムをつけすぎだとか注意してきてるんだけど、言わない方がいいかなぁと、そんなことを思いながら、二人の会話に耳に傾ける。
「そういえばアンタは何もいらないのかい」
「ヌシは儂に何を食わせるつもりじゃ」
「そりゃあ、鳥なんだから、菓子の欠片でいいんじゃないのかい。ほら、小鳥がよく地面をついばむみたいにさ」
次はどっちが勝つかな、やっぱりプリムお姉さんかなぁなんて、そんなことを思いながら、クラッカーを手にとって、ジャムの瓶を眺めて。
えっと、あれが杏で、あれがブドウで、えっと、どれにしよう? やっぱり順番に試してみよう! まだ食べていなかった杏のジャムに手を伸ばす。……お茶の時間はそんな風に楽しくすぎて。
「人の社会に出てきたんだ、人と同じものを食うべきなんじゃないのかい」
「その言い方だと、ほれ、外に止めた馬車を引く馬、あ奴らもヒトと同じものを食わんといかん気がするがのぉ」
プリムお姉さんとピーコックは結局、お茶の時間が終わるまで、ずっと言い合ってて。いや、馬は喋らないから違うだろうとか、馬は喋らん、儂は働かん、似たようなもんじゃとか、そんな言い合いになったところで、お菓子もなくなって。さすがにその言い分はどうだろうと思ったところで、食器とかジャムとかを片付けおわったダーラさんに、声をかけられる。
「じゃあ、最後にお祈りをして、今日は終わりにしようかしら」
そのダーラさんの声に、ダーラさんの視線の先、教会の奥の方にある祭壇を見る。
◇
「えっと、神さまに祈ればいいの?」
さっき読んだ本を思い出しながら、ダーラさんにそんな質問する。昔読んだ本にも書いてあったけど、きっとお祈りは神さまにするものなんだよね、そう思って聞いたんだけど……
「フィリちゃんは、神さまを信じているの?」
わたしの言葉に、ダーラさんが真剣な声で、そんなことを聞いてきて。……えっと、そんなこと、考えたこともなかったけど。そう思いながら、ダーラさんを見る。
「いい? この先、フィリちゃんが、神さまのことに興味を持って、神さまが何をしてくれるのかを知って、神さまに感謝をしたのなら、神さまに祈るのは良いことよ。でも、神さまのことを知らないのに、感謝はできないでしょう?」
わたしの前で、わたしと同じ顔の高さで。少し笑いながら、まっすぐにこっちを見る表情を見て。さっき、勉強のときに考えたことを思い出す。――やっぱり、ダーラさんは、ほんとうに何度も、「祈り」のことを考えてきた人なんだろうなあって。
「神さまはね、自分のことを祈ってほしいなんて思ってないし、感謝してほしいとも思っていないの。だから、フィリちゃんが神さまに祈っても、神さまは喜ばないの。
だから、フィリちゃんが感謝していることをそのまま伝えればいいの。フィリちゃんがこうなればいいなと思うことでも良い。神さまはね、フィリちゃんがそういったことを祈ることが嬉しいのよ」
その言葉はとても真剣で。でも、きっとわたしがどんなことを祈っても、優しく笑ってくれるような、そんな気がして。真剣にお祈りをしようと、そんな気になって。
「でも、そうねぇ、『楽して生きたい』とか、そういうのはダメよ? 神さまは、真面目じゃない人が大嫌いだから」
その言葉に少し笑いながら、何を祈ろうか考えて。ひとつだけ、お祈りをしたいことに思い当たる。……きっと、ピーコックは、こんなことを祈ってもらいたくはないと思う。ダーラさんの言う「感謝」とは違うような気もする。神さまが喜ぶかなんて言われてもピンとこない。それでも……
(ピーコックが、もう一度、お空を飛べるようになりますように。もう二度と、大事なものを失わずにすむように)
……それでもきっと、この祈りなら、ダーラさんは喜んでくれるかなと、そんなことを思いながら、祈り続けた。
◇
そうしてフィリの祈りも終わり、「ありがとうございました」という挨拶を残して教会から出て。外から聞こえるズシン、ズシンという足音が、やがてゴトン、ガタンという音に変わって。
賑やかしい客も帰り、静かになった教会で。片付けをして、それから掃除かしらと、これからのことを考え始めたダーラの耳に、まだ十才に満たないであろう、小さな男の子の元気な声が届く。
「こんにちは!」
馴染みのあるその声に、ダーラは入口の方に視線を送り。元気よく挨拶をしてきた男の子に、ダーラは話しかける。
「あら、いらっしゃい。今日もお祈り?」
ダーラの声に頷く男の子。元気そうにしか見えないその様子に、彼女は微笑みを絶やさないように注意しながら、教会の中へと迎え入れる。
毎週欠かさず教会に訪れては、真摯に祈る男の子。危うくフィリちゃんたちと鉢合わせになるところだったよねと、今も祭壇の前で「神さまに向かって」祈り続ける男の子の姿の姿を見ながら、ダーラは軽く胸をなでおろす。この子が祈る姿を、フィリちゃんに見せなくて済んで良かったと。
――神に祈るしかない人がいる、そのことを知る必要がないのなら、それはきっと、知らない方が幸せなことなのだから。
◇
「へんな男の子だったね」
「いやぁ、あれが普通だと思うよ」
帰りの馬車の中、隣に座るフィリに話しかけられて、プリムは、帰り際にあった一人の男の子のことを思い出す。
教会から出て来たピーコックのことを見て、でっけぇ鳥と叫び、メディーンのことを見て、やべぇ、ごつい機械人形が歩いてる、この音と揺れはコイツかなんて喋っていた、まだ十にも満たないであろう、小さな子供。
その、叫びながらも半ば茫然とした男の子に、プリムは、「あんまり言いふらすんじゃないよ」と言い聞かせ。放心したまま首を縦に振るのを確認して。プリムも馬車に乗り込み、フィリを隣に座らせ、馬車を走らせる。
「……言われなくたって、誰が信じるんだよ、あんなの」
重量感あふれる馬車の音が遠くに聞こえるようになる頃、ようやく我に返ったように、そんなことを呟く男の子。やがて、少し考えた後、教会に向かって歩き出す。
「こんにちは!」
やがて、その男の子はそんな、どこかいい子ぶった声を上げながら教会に入り。それまでの態度とは一転した、真摯な祈りを捧げ、教会を出る。……その教会のシスターが、自分と、教会を訪れた「奇妙な客」とを会わせたくないと思っていたことに、気がつかないまま。
◇
時が経ち、日が沈み。教会の奥の個室で、ダーラは独り、身支度をする。酒場で働くための身支度を。
(さあて。今日も頑張って働きますよぉ)
教会の主流派である「経典派」と袂を分けて、既に数年。それにより、中央からの資金が絶たれ、自分が食べて行くことすらままなくなり、やむなく始めた酒場の仕事。
だが、そこで覗き見た「人々の生活」に、自身の持つ信仰を照らし合わせ。やがて、自分の選んだ道が間違いでなかったと、そう確信を抱かせてくれるきっかけとなった場所。
そこは、一日の仕事を終えた人々が、同僚と共に、その日の仕事のことを楽しく振り返る場所だった。
そこは、商品を積んで旅をする商人が、商いに満足しながらも、貪欲に情報を集める場所だった。
そこは、友人同士が、親交を深めながら、近況を語り合う場所だった。
教会の家に生まれ、敬虔なシスターとして育ってきたダーラには、それが何よりも新鮮だった。信者が教会で見せる何気ない日常とは違う、街を歩いているだけでは見られない、溢れんばかりの生命の喜びに満ちた光景。その光景を見て抱いた、目がくらむような想いは、今でも忘れられない。
――そこには、教会の説く感謝とは違う形で、だが確かに、生きる喜びと感謝に満ち溢れていた。
初めてその光景を目にしてから、今までの間、様々なことがあった。自分と同じように、「教典派」の教えに疑問を持つ他の聖職者と出会い、信仰がどうあるべきか、祈りがどうあるべきか、意見を交わし。やがて出来上がった、「この世界と、生きる人々」という、新しい教えをまとめた一冊の本。
それまでの、聖人という存在を中心に据えた、大災害の記憶に頼った信仰から、日々の生活への感謝という、大災害を必要としない信仰への転換。それは、教えを説く立場の人間から生まれた、大災害が過去のものとなった現代で、人々に教えを説くために生まれた、新しい信仰の形。――それは同時に、教えを説く立場の人間が、自身の信仰を守るために必要な変化でもあった。
今ではその新しい教えに対する理解者も増え、酒場に働きに出なくても、このささやかな教会を維持し、自分が生活していくだけの寄付を得ることができるようにもなった。それでもダーラは、酒場の仕事をやめようとは思わなかった。
そこでは、市井を生きる人たちの、何気ない日頃の感謝を知ることができる場所だから。喜びを感じることができる場所だから。そして……
(この位でいいかな。これならまだまだ二十台でいけるわよねぇ)
酒場の主人の言った「酒場の看板娘はまあ、二十台前半だな。二十四でどうだ?」という経営方針から決まられた、いつまで経っても年を取らない、今や日頃の年齢から十一歳も離れた、酒場で働くダーラの年齢。
その、酒場にくる客を幸せにし、酒場の売上を上げる、そして、彼女自身をも楽しませる、チーパブハウスのダーラ嬢という存在こそが、彼女に、この仕事を続けさせる原動力だった。
(確か今日は、お得意さまの軍人さんたちが戻ってくるのよねぇ)
特に「チーパブハウスのダーラ嬢」を若い娘として扱う、胸だ尻だとそんな話題で盛り上がり、大声で言いあいながらも、不思議と下卑た所を感じない、どこか普通とは違う軍人さんたち。
自分たちはエリート部隊なんだ、そこら辺にいるただのスケベ野郎とは違うからだと、意味不明な理論を言い張る彼ら。
ダーラは、そんな、どこか憎めない彼らに精一杯、誠心誠意応えきゃと、久しぶりに会う馴染みの客の、その一人一人の顔を思い浮かべながら、身支度を整える。
唇に差す紅は鮮やかに、頬に差す紅は艶やかに。地味ながらも清浄さに満ちた修道士服は、庶民的ながらも彩のある布地で飾られたにドレスに着替えられ。隠れていた髪は、露わになった肩にかかる。
彼らに会うのを楽しみにしながら、シスターダーラは、チーパブハウスのダーラ嬢へと、その姿を変えていく。
――その日の酒場で、ダーラは、彼らの流儀に従い、帰ってこなかった軍人との別れの酒を酌み交わす。市井に生きる人々の一人として、安らかな眠りを神に祈りながら。