2.回想 ~ 古代遺跡と変わった二人 ~
(いつか来るとはわかっていたんじゃがな……)
背中に感じるフィリの重みから、下をのぞき込んでいるだろうと当たりをつけたピーコックは、励ましの声をあげつつ、自身も眼下の遺跡に視線を送る。自身も長く住み続けた、世界から忘れられた遺跡。長らく止まっていた、変化の無い生。
それを慌ただしく打ち破ったフィリ。この十四年ほどの、変化に富んだ、停止とは無縁の時間。その時間が終わることに、ピーコックも一抹の寂しさを覚えながら。
(それでも。このままという訳にはいかんけぇの)
フィリは儂やメディーンのような、悠久の時を生きる存在ではないのだから。そう思った所で、そのフィリの声が聞こえる。
「ごはん!」
思わず笑う。フィリらしい、元気にあふれた言葉。だからこそ、外の世界で生きるべきだという判断は間違っているとは思えない。ヒトは、ヒトが築き上げた世界で生きていけるのだから。
止まった時に埋もれて、己の生を持て余すようなことは、フィリのような限りある時を生きる存在には不要だと。
「お肉、よろしく!」
「おうさ!」
続くフィリの言葉に、勢いよく声を張り上げ。翼を広げ、体を傾け、狩場の森へと向かいながら想い起こす。長く生きたこれまでのことを。……その記憶は、まだ地上にヒトの営みが、文明の光が灯っていない、そんな時代から始まっていた。
◇
「クエエェーー」
空を舞う巨鳥が、鳴き声と共に、口から炎の玉を吐く。突如として炎に襲われた鹿。一瞬の内に全身を燃え上らせた鹿は、やがて立ち上がることも出来ず、全身を焦がしていく。
動かなくなった獲物を両足で掴み、飛び立つ巨鳥。何者にも邪魔される事無く食事ができる、己の縄張りを目指し、悠然と飛び去っていく。
こうして、いつも通りに狩りを成功させた巨鳥は、いつも通りに縄張りに戻り、いつも通りに食事をする。飽きること無く繰り返される日常。本来であれば疑問に思う事も無いであろう繰り返し。そんなある日、巨鳥は思う。――退屈じゃのう、と。
なぜそのような考えに至ったか、巨鳥自身もわからないまま。巨鳥は、繰り返される日常を疎み始める。そしてふと思い立つ。退屈しのぎにどこまで高く飛べるか試してみようか、と。
――その巨鳥に「意識」が芽生えたのは何時のことなのか、巨鳥自身にも記憶が無い。彼に残る最も古い記憶は、大空から見下ろした大地。今とは違う、溶岩流の残骸が山肌を黒く汚し、時に冷めやらぬ溶岩が点在する、そんな光景。
百年に渡る大規模地殻変動。先史文明によって予見されながら、既に時は無く、一つの文明を滅ぼした自然災害。その自然災害のことを、先史文明、後に築かれた新たな文明、共に同じ名前をつける。「大災害」と。
巨鳥の記憶に残る光景は、大災害収束期の風景。大地も揺れず、津波も収まり、大地につけられた傷跡のような痕跡が収まるのを待つ、そんな時代。同時に、大災害によって大気中に溢れ、かき乱された魔素が偏りを見せた時代でもある。
巨鳥はその魔素の偏りにより生まれた異常個体。本来よりも大きな体躯と効率の良い代謝、なにより魔素を蓄積し扱う力、人間が魔法と呼ぶ力を持った、自然の悪戯により生まれた存在だった――
退屈を感じたその日から、巨鳥は大空高く飛び始める。高度十キロには難なく到達。息苦しさを感じつつ、高度十五キロにも到達し。雨雲を超え、まだらな雲を超え。さまざまな雲を越え。息苦しさを感じつつも、遙か高みにある、すじ状の雲を越える。
「クエェェーー」
あらゆる雲の上で、巨鳥は笑うように鳴く。何者も居ない、あらゆる物を眼下に納めたその風景を気に入ったかのように、巨鳥は何度もこの高度まで飛び上がる。いつしか魔法を駆使し、翼から空気を生み出し、より容易く空を駆け上がれるようになり。その頃には、大地の溶岩は全て冷え、黒く固い岩となる。
逃げまどっていた人々は強固な建造物を建てはじめ。大災害の脅威は過ぎ去り、生き残った逞しい人々によって急速に文明を構築していく、そんな時代。気が付けば、巨鳥に意識が芽生えてから既に、五十年以上の時が経っていた。
そんなある日のこと。いつも通り高高度を飛ぶ巨鳥は、それまでと違う光景を目にすることとなる。
大地から切り取られたかのような、落下する大地。巨鳥がそれまで見たことも無い非常識が目の前に展開していた。
◇
音も無く斜めに落ちる巨大な質量。巨鳥は目の前の光景にただ驚く。鳥でもない、虫でもない。自分と同じ大きさの鳥すら見たことがない巨鳥にとって初めての、自分よりも巨大な何かが空を飛ぶ風景。その光景はあまりに非常識で。大地が丸ごと飛ぶなんてことを想像したことすら無かった巨鳥は、目の前の光景に鳴き声を失い、音も無く、ただ眺める。
だが、驚愕に我を忘れたのも一瞬のこと。自然と翼は大地へと向かう。向かう興味、惹かれる心を自覚する。――そしてそれは、朝起きて獣を狩り、大空を舞い上がり、夜眠るという、己の生のあり方に飽き始めていた巨鳥の心の裏返しでもあった。
◇
そこは、不思議な空間だった。白を基調とした大小の建造物。同じ長さに揃えられた芝生。その芝生の中央には、石で囲われた小さな池。その中央から湧き出るように吹き上がる水柱。――その芝生の中を歩く、ヒトのような何か。
巨鳥はその何かに心惹かれる。それは、変わることのない永き時を疎み始めた巨鳥の直感だろうか。それとも憧れだろうか。同じ日常を繰り返しながら、決して飽くことがない、そんな存在がそこにはいた。
巨鳥は心奪われ、なおも近づこうと翼を広げ、身を傾けて。――大地を覆う、見えない「何か」に身体をぶつける。
◇
(痛え!)
巨鳥にとって久しく味わうことの無かった「痛み」という感覚に、飛ぶことを忘れる巨鳥。飛ぶ大地から離れ、落下しかけた所で我を取り戻し、再び羽ばたき、翼を広げる。
今度は慎重に近づく巨鳥。見えない何かは、空を落ちる大地を覆うように、半球状に存在することを知り、やや落胆し。――それでも。
中の風景に惹かれ、何にいるモノに惹かれ。見えない壁に阻まれながらも諦められず。どこか妄執に似た想いを抱えながら、なおも近づこうとする巨鳥。
落ち続ける大地の周りを飛び、見えない何かに降り立ち、嘴でつつき、炎を浴びせ、勢いよくぶつかりと、考えられる全てを試す。
「クエエェェーー!!」
全てを試してもなお、変わらずそこにあり続ける見えない何か。たまらず上げた鳴き声は高く、無念に震えるよう。真上から、斜めから、横から。場所を変え、角度を変えて。憑りつかれたかのように、時を忘れ、同じことを繰り返す。――落ち続ける物体が当たり前のように迎える末路のことなど忘れたように。
山肌の中腹に突き刺さるように大地が落ちたその時、巨鳥を襲ったのは、この日一番の驚きだった。
◇
(儂ぁ、アホか)
大地に落ちた大地を眺めつつ、巨鳥は自嘲する。落ち続ける大地の上で、見えない壁に固執し、山の斜面を目の前にして慌てて上空に待避した自分の間抜けさを。
激突しあう大地。空気を震わすような轟音に、飛来する岩のような石つぶて。十分に距離を取ってなお、大気を伝い伝わってくる衝撃。――実の所、落下自体が制御され、衝撃は最小限に押さえられていたのだが、そのことを巨鳥は知る由も無い。
震えるような空気の中、必死で飛来する岩をかわし。吹き上がる土煙は落ちた大地を覆い隠す。飛来する岩が収まった頃には打ち上げられた岩が落下を始め。それらをかわし続け、ようやく収まった局所的な天変地異に安堵の吐息を吐き。改めて落ちた大地に視線を向ける。
そこには、見えない壁の上に乗った岩石を力任せに落とす、ヒトのような何かの姿があった。
◇
その身体は銀色の何かで出来ていた。
腰の両側には風と炎を吐き出す筒状の何か。
吹き出す炎と風がその身を空に浮かせ。
助走をつけるように離れた場所から速度を上げ。
岩に向かって飛び、当たり、吹き飛ばす。
全ての岩を落とすまで延々と、飽く事無く。銀色のヒトはその作業を繰り返した。
◇
巨鳥の目に映っていた銀色のヒト。その存在は巨鳥の知る他の何者にも似ず。……そして、己を含む、どの存在よりも強大な力に満ち溢れていた。あの岩一つとして、自分には落とせない。なにより、目の前で見せた速度を出すことも出来なければ、あの速度で岩に当たって無事に済むとも思えない。だが、不可思議にも。巨鳥は銀色のヒトを脅威とは微塵も感じなかった。巨鳥の胸にあるもの、それは強烈なまでの好奇心。――それは、巨鳥の胸の奥底に潜んでいた生に飽く心を塗り替えるのに十分すぎるほどのものだった。
いつしか視界から消え去った銀色のヒト。見えない壁に降り積もった砂は半円状に積み重なり。……やがて、その砂が一斉に「真下」に落ちる。その光景に、巨鳥は気付く。――壁が消えたことに。
恐る恐る近づき。かつて行くてを阻まれた場所、そこに壁が無いことを確認し。己の好奇心に押されるように、空にあった大地に降り立つ。大小ある建造物の小さい方、小じんまりとした小屋の屋根の上に。
穏やかな空気の中、銀色のヒトが芝生を歩く。その手になにやら、ヒトの手によって作られたであろう道具を押しながら、芝生をまんべんなく、行き来するように。
先ほどまでの、天変地異のような騒動はもはや影も無く。あたりは平穏そのもの。その中で、巨鳥はなんとなく思う。ここならきっと、退屈も紛れるじゃろうと。
こうして巨鳥はこの日より、空から落ちてきた、誰も知らない大地に住み始める。興奮が去り、風景にも慣れてきたある日、ふと、巨鳥は思う。――なぜあの時、「銀色のヒト」を脅威に感じなかったのじゃろうか。アホじゃったんたろうなあ、儂は、と。