7.蹂躙 ~ 戦いの爪痕 ~
「残酷な描写」がありますので、ご注意いただくようお願いします。
(来ちゃいかん、フィリ、――ここには来んでくれ)
目の前で起きた惨劇も終わり、その爪痕が深く残る戦場で。ピーコックは独り、片翼をもがれた苦痛に身動きできぬまま、一つの事だけを思い続ける。――フィリにはこの風景を見せる訳にはいかんと、繰り返し、心の中で念じるように。
翼を撃ちぬかれ、落下したピーコックが思ったことはただ一つ。きっとこのままでは、フィリは外の世界、――いや、ヒトのいる世界に出ようとは思わなくなる。その想いだけが、頭の中を支配する。
落ちていく中見た光景。こちらに向かおうとしたフィリを、メディーンが後ろから抱きかかえる光景に、ああ、ショックじゃったろうなぁ、失敗じゃなぁ、などと思い。
目の前で繰り広げられる惨劇に、遥か昔に見た、かつて人が住み、何者かによって滅ぼされたであろう風景を思い出し、再びヒトの業を目の当たりにし。
そして、その惨劇を繰り広げた男が去り、遠くから、この地に近づいてくる聞きなれた足音が近づいてくるのを聞き、暗澹とした想いを抱く。この光景は、フィリに見せてはいかんと。そう思いながら、どうすることも出来ないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
「……ピーコック!」
足音は無常にも近づいて。やがて、惨劇の向こう側に、自分の名を叫び立ち尽くすフィリの姿に、顔を向け。ヒトの言葉を忘れたかのように、痛々しい、――それでもなおピーコックは、強い意志の籠った鳴き声を、叫ぶようにあげた。
◇
長い距離を焦燥に駆られながら走り、たどり着いた戦場で、フィリはピーコックの名を叫ぶ。――そして、その声に応えるようなピーコックの声が耳に届く。
「クエェ、クエエェェ!」
その鳴き声の悲痛な響きに混じる強さに、ほんの少しだけ、安堵を覚えるフィリ。――大丈夫、来るなという意味が込められたその鳴き声には、そんな、悲痛ながらも、生に溢れる響きがあった。
それでもなお、心配そうな表情を浮かべ、歩み寄ろうとするフィリ。その目に、その足を止める何かが映る。――赤い色をした何かが。
いままで気に留めなかった何か。知らないヒトが抑え込むように握る手の甲から滴り落ちる何か。必死になって動くヒトの頭から垂れ落ちる何か。思わず足を止めたフィリの耳に入ってくる、か細く、それでも聞こえてくる苦痛の呻き。
今まで意識しなかった、目の前の光景に。聞こえてくる声に。思わず周りを見渡すフィリ。そこに映る傷ついた大勢のヒト。やがて、森の木に座り込むように、微動だにしないヒトにその視線を移し。眉間から血を流すその姿に、本能的に顔を背け。その先にある、河原に伏した、不自然な形をしたヒトを視界に入れ、それが、――過去にヒトだったものだと理解したフィリは、悲痛に叫ぶ。
「いやぁーー!!」
行かないと! そう思いながらも進まない足。
ピーコックが! 焦燥に駆られながら、それでも先に進むことが出来ないまま。恐怖を感じた自分の心に気付かずに。
駆け寄りたいと思う心は、目の前に広がる光景に押し止められ。その中を歩くだけの強さを持たず、ただ義務感に似た叫びを心の中で上げることしか出来ず、その場で立ち尽くすフィリ。
そんなフィリの耳に、後ろの方から、聞きなれた噴射音が耳に入る。振り向き、空を見上げるフィリ。――その視界の先には、轟音をあげながら飛ぶ、見慣れた銀色の身体。
やがて、すぐ隣に着地したメディーンに抱きつき、ピーコックがと繰り返し口にして、泣きじゃくるフィリ。その声に、メディーンは視線をピーコックの方へと向ける。
やがて、地に横たわるピーコックの失われた片翼、その傷口を精査し終え、フィリへと伝える。――チハトマッテイル、イノチニベツジョウハナイ、と。
「……ほんと、に?」
メディーンの伝えてきた言葉に、ほんの少しだけ穏やかさを取り戻して、確認するフィリ。――その言葉に同意しながら、メディーンは、フィリが落ち着くまで、静かに待ち続けた。
◇
アストに頭部を蹴られ、意識を失っていたジュディック。彼が目を覚ましたのは、アストが立ち去り、入れ替わるようにフィリが戦場へと姿を現した後。
朦朧とした意識の中、フィリの叫びを聞き、周りを見渡すジュディック。介抱していた部下から、気を失ってる間の出来事の報告を受け、彼は悟る。――全てが終わっていることを。
頭を庇う際に撃たれた右腕、その傷口の応急処置として巻かれた布を一目見た後、ジュディックは、立ち上がり、周りを見渡す。既に治療のために動き始めた部下たちの姿。治療を受けているのは、主に銃弾を生身で受けた者たちか。防弾装備のおかげで軽傷で済んだ者、銃撃をまのがれた者たちが走り回り、手や足に銃撃を受けた者や、倒れ来る樹木に巻き込まれた者を助け、治療していく。
(あれほど一方的にやられながら、この被害で済んだことに感謝すべきなのだろうが……っ!)
現状を把握しながら、ジュディックは歯を食いしばり、こみ上げる怒りと口惜しさをかみ殺す。自分が気絶している前に見た光景、手も足も出ずに良いようにされたという事実。指揮を忘れ、なすがままにやられていた自分、今も、自分抜きで最善の行動を取る部下たちに対し、自分は何なのかという、悔恨の思いに、強く歯ぎしりする。そんな彼の耳に、重い傷を負った、彼の最も信頼する部下の声が届く。
――違いやすぜ、大尉……殿。
その耳に届いた声に、愕然として、声の主の方を見る。――片腕を失い、応急的に止血を施されていたスクアット曹長を。
「……しゃべるな。安静にしていろ」
ジュディックの、感情を押し殺した、それでも荒く混じった感情に震える声を出しながら、横たわったスクアッド曹長の横、銃刀を焚火で焼く部下の方を見るジュディック。――血を止める為に切断面を焼くという、現状成しうる唯一の治療の準備をする、その光景を。
――誰……が悪い訳でも……。どうやっ……ても、避けら……。
なおもしゃべり続ようとするスクアッド曹長に、傍らに屈み、頷き、声をかけるジュディック。――わかっている、だから、これ以上話さなくていい、と。
その言葉に、苦痛を耐えながら、話を終えるスクアッド曹長。その様子に、どこかためらいながらも、再び立ち上がり、静かに距離を置き、部下への指示を始めるジュディック。
「巨鳥と少女は相手にしなくて良い。まずはけが人の治療を優先だ。……機械人形の様子は?」
「は! 特に動きはありません」
ちらりと、今しがた着陸した機械人形の方を見たジュディックは、自分の目で確認したことを、念のため部下に確認、自分と同じ見解に、一つ頷く。
「よし。動きを見せた場合は、各自、班長の指揮に従う事。出来うる限り敵対は避けるように。……伝達!」
「は!」
言葉少なく指示を出すジュディック。敬礼し、即座に各班長へと伝達しようとする一人の部下。
(とにかく、本国からの救援を早めるよう要請する、ここから特別貨物車両までの搬送は……)
忸怩した思いを抱えながらも、けが人の搬送、特にスクアッド曹長をどう搬送すべきか思案をしかけたところで、ジュディックは、機械人形の隣に立つ少女の声を聞く。隣に立つ機械人形に話しかけたのであろうその声は、まるで、音のない機械人形の声を聞き、会話しているかのよう。そして、その聞こえてきた内容にジュディックは、一瞬、自分の耳を疑う。
「……えっと、治すの? このヒトたちを」
……その声は、ジュディックにとって、衝撃すら伴う、救いの声だった。
◇
カンリシャニトウ。ヨウショチフショウシャタスウ、ウチイチメイハキンキュウヲヨウス。チリョウハヒツヨウカ?
落ち着きを取り戻したフィリに、メディーンが伝えてきた言葉。普段とは違う、まるで指示を仰ぐような、そんな言葉。――フィリの知る、いつもわからないことを教えてくれるメディーンとは違う、自分に問いかけてくるメディーンの姿に、フィリは戸惑う。
「えっと、治すの? このヒトたちを」
戸惑いながら、あまり使わない難しい言葉に首を傾げながら。何とか理解できた言葉を確認するように問い直すフィリ。だが、その言葉に、メディーンよりも先に反応した、叫ぶような大声に、フィリは鼓動を跳ね上げる。――治せるのか! スクアッドを!、と叫ぶジュディックの声に。
「……えっと、血を止めることは出来るみたい。今なら、えっと、『イノチニベツジョウハナイ』だって」
「頼む! 治してくれ! 後でできる限りのことはする!」
ジュディックの声に驚きながら、メディーンの方を見上げるフィリ。不安気に、戸惑いながら、たどたどしく、それでもメディーンの言葉をジュディックへと伝えるフィリ。その言葉に、ジュディックはまるで何かに縋るように叫ぶ。その間、じっとフィリを見続けるメディーン。
やがて、ジュディックの声に押されるように頷くフィリ。それを見たメディーンは、スクアット曹長の元へと、まるで大地を揺らさないよう気を使っているかのように、そっと短い距離を飛ぶ。
そのままスクアッド曹長の元に膝をつき、治療を始めたメディーンを見るフィリ。再び一人となったフィリは、どこか不安気な表情。フィリの足を止めていた恐怖はそのままに、ピーコックやメディーンの方へと進むことが出来ないまま。それでも、少しだけ安心しながら。その場で一人待ち続ける。――不安が、恐怖が、ほんの少しの安心が、どこから来たものなのか、本人にもわからないままに。
◇
「……なんだい、こりゃあ」
墜落した一六式強襲偵察機の操縦席から、自力で陸上部隊と合流したプリムは、目の前の光景を、半ば呆れたように眺め、思わず呟く。
不時着時の衝撃で気を失っていたプリムは、目を覚まし、通信機が生きていることを確認すると、特別貨物車両に残っていた通信兵から状況を聞きだす。――陸上部隊が遠距離から砲撃を受け、賊に乱入、聖典を奪われ負傷者も多数出たと思われるという現状を。
その言葉に、救助を待つという選択肢を捨て、陸上部隊への合流を果たすべく、まずは川岸まで歩くプリム。そうして、川岸から陸上部隊を視界に納め、合流したプリムを待っていたのは、負傷者を機械人形が治療するという、先日までは想像すらしていなかった光景だった。
「止血と銃弾の摘出をしているようだ。麻酔無しだが、それはどうしようも無い。摘出創も切ったそばから血は止まり、その傷も驚くほど小さい。これ以上の治療は望めないだろう。体内のどこに銃弾が残っているかも正確に把握しているようだしな。……どうやってるかはわからないが」
プリムの呟きに、どこかずれた返事を返すジュディック。その言葉に、一瞬だけジュディックの方を見て、言葉を発することなく、頷くプリム。その声の響きに、今まで自分の兄から聞いたことが無いような、そんな感情の揺らぎを感じた気がしたのは、彼女の気のせいだろうか。
――与えられた任務に忠実で、生真面目で、時に情を見せながらも、一定以上の枠から外れることができない、そんな自分の兄。そんな兄がいままで感じたことの無い感情を、今のアニキは抱いていると、そんな気がした。
◇
隊員たちの治療を終えたメディーンは、傷ついたピーコックをそっと抱き上げながら、フィリの元に戻る。
メディーンに抱きかかえられたピーコックを心配そうに見ながらも、メディーンの背におぶさるフィリ。二人を抱え、差し掛け小屋へと戻るために、そっと空へ上がるメディーン。
飛び立つ機械人形をじっと見つめるプリム。改めて本国に報告と救助要請をするために、通信機を取り出すジュディック。動ける者を中心に野営の準備をする隊員たち。――今度は、任務のためでは無く、もはや動くことのできない要救助者として、救助を待つために。
比較的軽傷な者がいて、苦痛に呻く者がいて。そして、片腕を失った重傷者一名。殉職者二名。聖典は奪われ、負傷者は多数。最新鋭の戦闘機は大破。賊は行方もわからず、打つ手も無い。何一つ成果は無いまま、任務の続行は断念せざるを得ない状況に追い込まれ。
――苦難に満ちた、大自然の中の六日間の任務は、そんな、何一つとして成果の無いままに幕を閉じることになった。