5.蹂躙 ~ 始まりの号砲 ~
ここから数話分、「残酷な描写」がされることになると思います。ご注意いただくようお願いします(今話はまだ軽いはずですが)。
雲の切れ間から差し込む幾条もの陽光が、突き刺さるように森を照らす。濡れた木々が、滴る雨粒が、風に揺れ、光を躍らせる。そんな、どこか幻想的な風景の中、一羽の巨鳥が空を躍る。
大きく広げられた翼に、艶やかに光る羽毛が、陽に照らされて、青く輝く。時にその青みを強く、時にその色を変えながら、大空を舞う姿には、ある種の神々しさすら感じられる。
(……あれで、「カッカッカ」とか笑う奴じゃなければ、本当に絵になるんだけどねぇ)
遥か先、自らが目指す場所に広がる光景に一瞬目を奪われそうになりながら、プリムは自らの乗機を駆る。一六式強襲偵察機に搭載された動力機関、循環型蒸気機関は唸りを上げ、機首の回転翼を駆動させる。やや低い高度を、風を切りながら、巨鳥に向けて一直線に飛び続ける。
一面森の風景。目に追えぬ速さで後ろに流れていく木々。少しづつ後ろに流れていく川の流れに、近づくジュディック率いる陸上部隊。――愛機から周りの風景を見渡し、そろそろ頃合いだねと、プリムは通信機に手を伸ばす。
「あー、こちらリコ・一バン、これより接敵する。回線は繋げたままにしておくよ」
「こちらランド・一バン。了解した。……健闘を祈る」
短い言葉で地上部隊とのやり取りを済ませたプリムは、巨鳥のために準備した軽火器、一三式魔法銃刀を手に取り、取り回しを確認する。
(まあ、こいつを構えている間は操縦も出来ないからね。無いよりはマシ程度だね、やっぱり)
普段使い慣れていない武器を手に、プリムは思う。――アタイじゃあ、どう頑張っても発砲までに十秒、しかも狙いも定かではない上、その間は操縦も満足にできず、動力機関を駆動することすらままならない。どうやっても当てることができそうにない主砲よりはマシとは言え、似たり寄ったりかねぇ、と。
(まあ、もしかしたら交渉で片がつくかも知れないんだ。そっちに転ぶよう、祈った方が良いかね、やっぱり)
どこか自分のこれから取る行動に疑問を抱いたまま、プリムは目標の巨鳥に接近する。――できることなら、荒事無しでいきたいねぇと、そんなことを考えながら。
◇
「そこのピーコックと名乗る孔雀に告ぐ。大人しく、我が国の保有する『聖典』をただちに受け渡すよう要求する。この申し入れを拒否するのであれば、当方に敵対する者として扱うが、如何か」
巨鳥を一三式魔法銃刀の射程内に納めながら、プリムは横を飛ぶ巨鳥に向けて、大声で叫ぶ。銃口は巨鳥にむけたまま、緊張を維持し、何事にも即応できるように体勢を整えながら、なおも思う。――せっかく準備した一三式魔法銃刀だけど、こりゃぁ、思ったよりも意味が無かったかねぇ、と。
互いの距離は数百メートル、相手がその気になれば、一瞬の内に間合いを詰められる距離。この距離では、魔法式を刻み始めた瞬間に対処されるのが関の山だと、実際に接近してみて、改めて痛感し、――銃口を向けられながらも行動を起こさない巨鳥の態度に、淡い期待を寄せる。
そんなプリムの耳に、どこか間の抜けた巨鳥の声が響く。
「……あー、わしゃぁ、多分その『聖典』とかいうのの修理が終わったんで、返しに来たんじゃがのぉ。まあ、ちいとばかり条件を付けるつもりじゃが」
その声を聞き、プリムは軽く安堵しながらも油断なくその手の銃刀を構え、――ふとその返事の中にあった単語にひっかかりを覚える。
やがてその正体に思い至り、通信機の向こうのジュディックに話しかける。
「……聖典を修理した、なんて言ってるよ、アイツ」
「こちらランド・一バン。……逃がさないよう警戒しつつ、交渉を続けろ。情報を引き出せ」
「リコ・一バン、了解。……条件とは何か!」
通信機の向こうにいるジュディックとの相談し、再び巨鳥に向けて叫び問いかけるプリム。その回答は、プリムがここに来るまでに予測した内容の範囲内だった。
「なに、簡単なことじゃて。儂らをこれ以上追わないこと。あと一つ、フィ……儂らと一緒にいた少女は、今回のことには無関係じゃ。今回のことが何か罪に当たるんじゃとしても、罰はあたえんでほしい、それだけじゃ」
「……アニキはどう思う?」
巨鳥の上げてきた条件について、通信機の向こうにいるジュディックに相談するプリム。ジュディックも予想の範囲内だったのだろう、即座に答えが返ってくる。
「そうだな。我らに与えられた任務は『聖典の奪還』、賊の捕縛は余力があればという内容だ。だが、無罪放免を約束するとなると、我らだけでは判断できない。交渉を引き延ばせるか?」
「要求が単純だからねぇ。いっそ正直に待つよう呼びかけてみるかい? 乗ってきそうな気がするよ、アタイは」
「そうだな。判断はそちらに任せる。本国に照会するまでの間、くれぐれも逃がさないように」
「了解。そこの巨鳥……
「あー、聞こえとる聞こえとる。待つ分にはかまわんよ。……まあ、要求が入れられんのなら、簡単に渡すわけにもいかんがのぉ」
通信機の向こうにいるジュディックとの相談も終わり、再び巨鳥と会話しようとしたプリムは、それに先んじて返ってきた巨鳥からの言葉に、ほろ苦い笑いを浮かべる。こっちの話が筒抜けじゃあ、捕らえろなんて言われたところで、先手を打って対策されるのがオチだねぇと。
わかった、こっちも良い返事を返せるように祈っとくよ、プリムはそう巨鳥に返事を返すために口を開き、言葉を紡ぎ、――視界の先、砲弾が通り過ぎた振動とそれが引き起こした光景に、反射的に手にした魔法銃刀を手放し、操縦桿を握りしめ、機体を回転させつつ急速旋回させる。
僅かな血しぶきに顔を濡らしながら、視線を巨鳥から外し、姿の見えない狙撃手を求め、周りを見渡す。
「……っ、こちらランド・一バン、状況を説明しろ! どうなってる! なぜ巨鳥は落ちたんだ! 何が起きた!」
通信機から聞こえてくるジュディックの叫びもそのままに。目の前で片翼が半ばから千切れ飛び、声なき叫びを上げながら落ちていく巨鳥に目もくれず。プリムはただ、機体を急旋回させる。――正確に二秒後、再び飛来するであろう砲撃から身を守る、ただその一点のためだけに。
◇
力なく、河原に向かって落ちていく巨大な孔雀。青く光る身体は、紅い斑に汚れ。なおも足掻くように羽ばたこうとする、その翼には力が無く。血に濡れた羽根が、無残に周囲を彩る。
その上空を、再び風を切りながら飛来する一つの砲弾。正確に獲物を捕らえていたであろうその砲撃。だが、その獲物――プリムの駆る一六式強襲偵察機――は、まるで砲弾がいつ放たれるかを知っていたかのように軌道を変える。
操縦席に向かって飛来していた砲弾は僅かに逸れ。機体を掠めながらも致命傷を避け。――砲弾が飛来した方向へと、その機首を向ける。
◇
「そ、こ、かぁーー!!」
自らに向かって飛来した砲弾を避けたプリムは、遥か先、森の中にある一点を見据えて叫ぶ。
その手に握った操縦桿を、再び訪れる砲撃の瞬間にそなえ、固く握りながら。
最速で魔素を送り、主砲発射のための魔法式を刻む。
機首が狙撃手の方を向く僅かな時間。
次の砲撃が飛来するまでの僅かな時間。
魔法式が刻印され、主砲が発射されるまでの僅かな時間。
永遠とも思える僅かな時間。そんな止まったような時間も、やがて過ぎ去り。遠くの地で放たれた砲弾が、ようやく届いた初弾の砲声と共に、一六式強襲偵察機に襲い掛かる。――轟音と共に主砲を放っち終えた一六式強襲偵察機に。
一六式強襲偵察機の必死の回避機動、その努力を嘲笑うかのように、その左上翼に、砲弾が命中する。砲として小ぶりな三十七ミリ砲弾、だが、空を飛ぶ航空機にとっては十分に脅威となる威力をもったその砲弾は、命中した翼を容易く抉り、吹き飛ばし。一六式強襲偵察機は、不規則に回転しながら、眼下の森に向かって落下する。
通信機から聞こえてくる、ジュディックの叫びのような声に反応する余裕もなく、ただ操縦桿と格闘するプリム。だが、彼女の愛機は、もはやプリムの言う事を聞くことも出来ず、やがて、巨鳥から少し離れた森の中へ、彼女と共に墜落する。
◇
「……妹大尉殿は?」
「わからん。だが、通信機は生きているようだ。無事、不時着していることを祈るしかない。……これより、巨鳥の墜落地点に急行する!」
プリムの乗った一六式強襲偵察機が墜落する様子を見て、通信機から返ってこない応答に見切りをつけつつ、ジュディックは部下に命じる。
「よろしいので?」
「任務が優先だ。あれも軍人だ、当然そのことはわかっている」
スクアッド曹長の問いかけに、短く答えるジュディック。そっけないその返事を聞いたスクアッド曹長は、プリムに対する信頼がその言葉に込められているのに気づく。あれはあの位で死ぬような奴ではないという、言葉にしない信頼を。
無言で敬礼をし、命令に従い移動準備を始める、スクアッド曹長を含む彼らの部下たち。彼らは知っている。たとえ信頼があろうと、言葉や態度に示さなくても、彼の上官は決して血の通っていない人間ではないことを。むしろ、表に出さないだけで、人一倍、情に厚い人間だと。
行く先は、一キロにも満たない、巨鳥の墜落地点。可及的速やかに聖典を回収して、墜落したプリムを救出する。その想いを胸に、この数日間の疲れた身体に鞭を打ち、一丸となって動き出す陸上部隊の面々。
数日前に見た、たった一人で十人以上の兵士を相手にした男に、届かぬ場所から狙撃してみせた正体不明の人物。それらを知り、立ちふさがると予測しつつもなお、――彼らに敵対するという言葉の意味を、誰一人として正しく認識していなかった。
◇
盗聴機から相手の様子を探り続け。機械人形の手から聖典が離れ、単独行動を開始した巨鳥の様子に、厄介な敵の航空機も同時に撃ち落とさんと待ち構えていたマークス。
その企みが見事はまり、まさに理想の結果を手にしながら、彼の表情には、相手を称賛するかのような、どこか愉快そうな笑みがこぼれていた。
「……いやぁ、大したもんだね、こりゃ」
数十メートル離れた場所に着弾した敵からの砲弾を見て、マークスは独り呟く。その言葉には、一切の偽りが無い、心の底からの称賛の響きが籠る。
「あん? なんだ、あの最後の砲撃、そんな近くに当たったのか?」
「誤差二、三十メートルってところか? まあ、なかなかな腕さ。初弾を躱したことと言い、実に大したもんさ。……いいねぇ、惚れちまいそうさ」
「かっ! 余裕かよ!」
その言葉を聞きつけたのだろう、通信機の向こうから聞こえてくる相棒の声に、軽く答えるマークス。――そこには、これから行うであろう行動に、一切の気負いも無く。ただ、決まったことを淡々とこなすという、まるで日常の延長だとでも言いたげな雰囲気が漂う。
「まぁ、あとはそっちの仕事さ、相棒」
「ああ。地上の奴らなんざ、何人居ようが屁でもねぇ。奥の手を出すまでも無く片付けるさ。……まぁ、一応、援護をよろしくな」
「ああ。無理はするなさ」
「誰に物を言ってやがる。じゃあな、ちょっくら行ってくらぁ。通信終了」
「了解っと。通信終了」
(……さてと。目標は……、と、おっと、発見。こりゃあ、奴さんたちの方が早くつくさ)
通信を終え、巨鳥の墜落地点からその周りをスコープ越しに探るマークス。その距離から、敵の方が目標に早く着くと予測しつつ、特に慌てた様子も無く。再び巨鳥の方へと照準を戻し、時を待つ。アストが巨鳥の元へと辿りつき、連中と衝突した時に援護できるよう準備を整えながら。
――マークスは、自分の相棒があの程度の敵に負けるなんてことは、微塵も考えなかった。
◇
巨鳥が落下した河原よりも、プリムたちの差し掛け小屋よりもやや上流の川の畔で。アストは通信機を上着の衣嚢にしまい込み、馬に跨る。巨鳥の落ちた先を見据え、馬を走らせる。
アストは嗤う。この上無く上手く運びつつある現状に、嗤いが止まらない。――これで空からの邪魔は無い。厄介な機械人形も近くにいない。相棒の支援も受けられる。これだけ条件が揃ったんだ、いっそ負ける方が難しいぜと、この先に待つであろう敵のことなど、眼中に無いかのように。
揺れる馬上で、左手の森、右手の川には目もくれず。ただこの先にある聖典を目指し、馬を駆る。
「やっぱよぉ、主役ってのはなぁ、――最後に登場するもんだよなぁ!!」
アストは嗤う。この先に待ち構える成功に酔いしれながら。全ての障害は取り除かれたと確信しながら。
――ジュディック率いる陸上部隊との再度の激突、その時はすぐそこにまで迫っていた。