4.過ぎゆく時間、動き出す事態
「気になりますかね、この雨」
「……まあ、な。任務の上で、良いことはないだろうからな」
空から落ちる水滴が軍服を濡らす中、近くに寄ってきたスクアッド曹長と言葉を交わし、空を見上げる。
昨日の夕食後に振り始めた雨。決して強くはないが、それでも任務をさらに困難にするであろう、気まぐれな天候の悪戯。出立までに止んでくれればという願いも裏切られ、いまだ降り続ける細かな水滴。たとえ小雨とはいえ、間違いなく体力を奪っていくであろうこの天候に、どこか間の悪さを感じずにはいられない。
「なに、この位の雨、どうってことありませんぜ。よし、ちょっとあいつらに喝をいれてきまさあ」
そんなことを言い、辺りを見回した後、河原の方向、全員を視界におさめることができるような場所に移動するスクアッド曹長。――そのまま手を叩き、全員の視線を集めて、叫ぶように叱咤する。
「野郎ども、そろそろ出発するぞ! もたもたしてる奴はな、ダーラちゃんへのいい土産話になるってんだ。――笑いの種になりたくなけりゃ、きびきび動け!」
スクアッド曹長の喝に、途端に動きが良くなる部下たち。それを見て、ふと思う。――俺が昨日、柄にもなく行った演説は、一体なんだったんだろうか、と。
◇
「あー、こちらリコ・一バン、今捜索区域に到着、これより捜索任務に入る、通信終了」
一六式強襲偵察機の操縦席からアニキに通信を送り、視線を眼下の森に戻しつつ、これからの行動を思い浮かべる。
まずは捜索区域全体を軽く見渡すように確認した後、その日毎に決められた重点区域をより詳細に確認、そこまで確認したところで、自分が苦笑いしていることに気付く。速度を落として目を凝らしたところで、見つからないものは見つからないね、と。
同時に、そのことに、ほんの少しの安堵が混じっていることを自覚しているが故に、苦笑に自嘲が混じる。――あの時見た「女の子」、あれを相手に軍人であることを通すことが正しいのかという疑念が生んだ、できれば「賊」として会いたくは無いという、そんな迷いが。
機械人形と孔雀怪獣と共にいた、少女と言ってもいい年ごろの女の子。襲撃前の目撃情報でも、外から列車の中を覗き込む様子は、どちらかと言えば楽しげだったという情報もある。そんな子が、どうして聖典を盗んでいったのか。本当に、聖典を盗もうと企んだのだろうか。この二日間、そんなことが頭から離れない。
本当にあれは賊なのか。なにせ機械人形と孔雀怪獣だ、常人には考えられないような行動をとることもあるのではないか。そんな、訳のわからない存在と一緒にいただけで、成人になったかどうかもわからないような少女を、果たして賊として扱って良いのだろうか。そんなことばかりを考える。
たった今も、思い出したようにそんなことを考え始め、――ああでも、これも任務だからねぇと、悩みをねじ伏せる。
どんな理由があったって、連中が聖典を盗んでいったのには変わりが無い、ならアタイらのやることは一つだけ。そんな思いを胸に、操縦桿を操り、地上へと目を向ける。――それでも、出来ることなら、あんな少女に照準を向けることは避けたいねぇ、そんな揺れる気持ちを抱えながら。
◇
昼過ぎに捜索開始地点に到達したジュディック率いる陸上部隊は、昼食を済ませた後、そのまま河原を中心として、捜索任務を開始する。
降り続ける雨は、徐々に隊員たちの体力を奪っていく。それでも、この任務が終わったらダーラちゃんに甘えるんだという隊員もいるあたり、まだまだ余裕があるのだろうと、ジュディックは複雑ながらも前向きに考える。――結局、成果が無いまま陽が沈み、その日の任務を終える。
開けて翌日。昨日から降り続けた雨は勢いを増し、もはや小雨とは言えない天候の中、捜索任務は再開される。降りしきる雨に体力を奪われながら、悪化した視界の中を黙々と、陸上部隊は辛抱強く捜索する。
どこか暗い、沈みがちな口調で、ダーラちゃんのことを話題にする隊員たちを見て、ジュディックは一度休養を検討すべきかなどと考えながら、指揮を続ける。――その様子を隣で見ていたスクアッド曹長に、大尉殿も染まってきましたぜ、なんて密かに思われていることなど露とも思わずに。
またこの日、本国との通信で、脱線区域の修理が終わり、明日にでも二国間列車の運行が再開されることをジュディックは知る。今や王国と共和国の主要運送路となっている列車の復旧は最優先で進められたこと、後日、物資の補給にはこの鉄道を利用できることも併せて伝えられる。
だが、この朗報といっても良い連絡にも、ジュディックの顔は浮かないまま。――今はそれを生かす人員が圧倒的に不足しているのだから。全ては援軍が到着し、補給体制が整ってからの話だった。
手がかり一つ得ることが出来ないまま、さらに次の日へと捜索は続く。
やや小ぶりになった雨にどこか安堵しながらも、泥にまみれた軍服を身にまとい、たまっていく疲労で重くなった身体を引きずりながら、スクアッド曹長の叱咤の声に、ペースを落とすことなく任務につく隊員たち。
ダーラちゃんの笑いの種になることだけは避けようと、どこまで本気なのかわからないような言葉を合言葉に、気が付けば、三日間で河原付近を捜索しながら、五十キロもの距離を踏破し、――それでもなお、成果のないままに、その日を終える。
だが、この日の夜、事態は大きく動くことになる。彼らが野営をしている僅か数キロ先、フィリたちが潜んでいる差し掛け小屋の傍らで。――森の中に潜みながら、静かに聖典を修理していたメディーン。その修理が完了したのが、この日の夜遅く、人間たちが寝静まった後のことだった。
◇
久方ぶりに雨も上がり、朝の太陽に照らされながら、差し掛け小屋の前で大きく背伸びをするフィリ。嬉しそうに両手を組み、伸びあがるように背伸びをしながら、久方ぶりに身体を伸ばせることに対する嬉しさだろうか、笑顔がこぼれる。
まずは身体を動かして、残り少なくなってきたごはんをとってきて、あとは、……そうだ! ちょっと周りを散歩する位良いよね、この辺になにがあるか全然知らないし、そんなことを考えながら、フィリは辺りを見回す。
雨が上がったばかりでまだ濡れた木々の葉からは水滴が滴り落ちる。落葉に彩られた地面は湿ったまま。ところどころにできた水たまり。差し掛け小屋のすぐ隣では、まだ起きたばかりなのだろう、ピーコックが体を丸めたままのんきに欠伸をしてる、メディーンはいつものように、いつもの木の下で静かに佇む。
そのままメディーンの方を眺めるフィリ。ピーコックはもう少しとんでもないことをすると思ってたみたいだけど、変なの、メディーン、お仕事のときはいつも静かなのにと、そんなことを思い浮かべ、――今まで、一人黙々と修理をしていたメディーンが、動きを止め、こちらに何か伝えようと、目の辺りを光らせていることに気付く。
「……えっと、修理が終わったって」
その言葉を読み取ったフィリは、少し悩んだ後、今も大きな口を開けて欠伸をしていたピーコックに、その意味を伝える。
「クアアァ、そうか、終わったクぁ、……って、終わったか!」
「きゃ! ……びっくりした。急に大声あげないでよ」
欠伸まじりの寝ぼけ声から突然大声を張り上げたピーコック。その大声に、フィリが軽く飛び上がりながらも文句を言う。
「じゃあ、わしゃあ、今の内に空に飛んどるけぇ、なにかあったら声を上げてくれ」
「……えっと、今から?」
「ああ。この時間ならまだ、あの飛行機とやらも飛んどらん。飛びあがるなら今のうちじゃて」
訳も分からんままに「端末デバイス」とやらを持ち帰り、泥棒として追われることになった今の状態。そんな、森の中で潜む生活も、返してしまえば全て終わりじゃとばかりに立ち上がり、羽ばたき始めるピーコック。メディーンから端末デバイスを受け取り、ピーコックの元へと駆け寄るフィリ。――そのまま背中に飛び乗ろうとしたフィリを、首を振りながら、ピーコックは押し止める。
「ぬしはいい。ここで待っとれ」
「……えっと?」
「ええか? 儂らはその『端末デバイス』とやらを盗んだことになっとるんじゃ。あの『銃』とやらで撃ち落とされても文句は言えん。……だから、フィリはここで待っとるんじゃ」
「でも……」
ピーコックの言葉に、フィリのつぶやくような返事。理屈はわかる、けど納得できない、そんな気持ちが声を震わせる。何より、今までピーコックが使ったことの無い「危ない」なんていう言葉に、悪い予感がぬぐえない。
そんなフィリに、ピーコックは優しく、諭すように声をかける。
「大丈夫じゃて。儂とて撃たれるのは御免じゃけえ。相手の飛行機が来たら、大声で叫んで、直した端末デバイスをきちっと返す。
そしたらメディーンが直るのを待って、いつもの施設に帰る。フィリが外の世界に行くために、もう一回準備をしなおさにゃあかん。こんな所で油を売っとる訳にはいかんじゃろうて」
「……怪我、しない?」
「カッカッカ! 儂がどうして怪我をするんじゃ! 木登りを覚えたての頃のフィリでもあるまいに」
心配するフィリに、笑い飛ばすピーコック。そのまま、フィリから渡された端末デバイスを足で持ち、大きく翼を羽ばたかせ、空へと飛び立つ。――地上からその様子を窺う目がすぐ近くに存在することを知らぬままに。
◇
「大尉殿!」
「ああ」
朝食も終わり、捜索を開始しようとした矢先に、少し先の森から、見慣れない鳥が飛び立つのを見て、ジュディックとスクアッド曹長は短く言葉を交わす。
「どうしやす? 撃ち落としますか?」
「いや、あの距離では無理だろう。しばらくは様子を見る。――プリム!」
視線を上空の巨鳥に向けたまま、通信機を取り出し、向こうにいるであろう妹に話しかける。
目測では四キロ程度先、いや、少女を乗せて飛ぶ位だ、相当な大きさだろう。そうすると、もっと距離があるか。そんなことを考えながら、ジュディックは、通信機の向こうにいる妹の応答を待つ。
「はいはーい。コッチはまだ離陸準備中だよ。――何かあった?」
「目標の一味と思わしき巨鳥が飛び立つのを確認した。急ぎ直行しろ」
「っ! そいつはまた、えらいこったね。――了解、リコ・一バン、可能な限り急行します」
「ああ。頼む」
妹がここに来るまで一時間、それまでの間はなんとしても補足し続ける。このまま飛び去る可能性は?、いや、わざわざ高度をとった以上、発見されるのは織り込み済みなのか、だとすると……、ジュディックの頭の中を、さまざまな仮説が浮かんでは消える。相手の思惑、可能性、取るべき行動、あらゆることを考えながら、その視線は空にある巨鳥から外さない。
「ウチらは現場に急行しないんで?」
「報告にあった少女が見えなかった。なにより、飛び立てばプリムに発見されるのは向こうも承知だろう。――相手は接触を図ってきた可能性もある。無理に刺激するより、まずはプリムに接触させる」
「なるほどなるほど、了解しやした。――野郎共、この先事態がどう動くかもわからねぇ。戦闘態勢だ! 直ぐにでも動けるように準備を怠るな!」
スクアッド曹長の問いかけにも即答し。部隊の細かい指揮を任せながら、ジュディックはただひたすらに思考を巡らせる。突然訪れたこの好機を確実に成功に結び付けるために。
こうして再び事態は動き始める。空で飛行機を待つピーコック、急行するプリム。その両者が邂逅するのを、地上のジュディックは息をひそめて待ち続ける。そして、聖典を追い求めるもう一組の男たちも。――ウェス・デル第四試製砲・アンティアエリアン・アーティレリを構えた一人の男も、事態が動くその時を、静かに待ち続けていた。