3.作戦開始
「これより、聖典の捜索ならびに奪還の作戦行動を開始する」
翌日、曇り空の下、部下たちを一列に整列させるジュディック。その部下たちは、各自背嚢に少なくない量の荷物を背負いながら、不動の姿勢で、目の前に立つジュディックの言葉を待つ。
「貴官らも知っての通り、一昨日、我々が護送していた聖典を強奪せんと賊が襲撃、この賊はあろうことか、聖典を乗せていた特別貨物車両の下に潜み、その貨物車両を脱線させるという暴挙を企て、まんまと成功させている」
聖典が強奪されてから既に二度の夜を迎え。その間、即席の滑走路を造るために汗を流した者、すでに走り去った列車から物資を降ろし、ここまで運搬してきた者と三者三様。
だが、その全てが、目の前で自らが護送していた聖典を奪われる様を目にした者ばかり。
「だが、その追撃の任に当たったプリム・ジンライト空軍大尉の報告によると、さらに別の勢力が状況に介入、その勢力が聖典を賊から強奪、まんまと逃亡に成功したとのことだ」
これまで、時に食事を楽しみ、各々に割り振られた任務に、軽口をたたきながら汗を流す。任務に失敗した部隊とは思えないような、どこか陽気な、不謹慎とも思えるような空気。――だが、任務を軽んじるような隊員は一人としておらず。
「その勢力が逃げた先も特定できず、その方向には、どこまでも広い森が広がっている。情報は乏しく、捜索範囲は広い。特別貨物車両を襲撃した賊も、今はどこに潜んでいるかわからない。状況は困難を極める」
彼らの胸の内にあった当然のような認識。彼らの上官、今目の前に立ち、訓示を述べ、命令を出そうとしているジュディック・ジンライト大尉という男は、この状況を打開するために、自分たちをこき使ってくるであろうという、もはや疑う余地すらない、予測とも言えない事実。
「それでも、我々は、この困難に立ち向かい、任務を達成しなければならない。私は貴官ら命を下す前に一つ、伝えておかなくてはならないことがある。――たとえこの先、どんな苦難が待ち受けようとも、共和国軍人の名に懸けて、必ずや聖典を奪還してみせると!」
ならば、その命令に備え、一時的にでも心を休めることが最善だと、各々任務をきっちりとこなしながらも、どこか心に余裕を持たせていた二日間。整列し、ジュディックの言葉に耳を傾ける彼の部下たちは、心に刻む。――休暇は終わった、ここから先は任務の時間だ、と。
「国軍誓規斉唱! 我ら、国を守る盾であれ。――復唱!」
「我ら、国を守る盾であれ!」
ジュディックは、共和国軍誓規を謳い上げる。それは、共和国軍人であれば誰もが諳んじることができる、軍人となった者の誓い。
「我ら、国を愛し、国と共に生きる者であれ!」
「我ら、国を愛し、国と共に生きる者であれ!」
彼の前に並ぶ部下たちは、共和国軍誓規を謳い上げる。それは、共和国軍人であれば誰もが胸の内に持つであろう、軍人としての誇り。
「我らの力は国民のためにこそ振るえ!」
「我らの力は国民のためにこそ振るえ!」
上官と部下は共に、共和国軍誓規を謳い上げる。階級の上下も無い、ただ軍人としてかくあるべきという言葉を、己の存在意義とする誓いの言葉を。
「我らは国民によって生かされていることを忘れるな!」
「我らは国民によって生かされていることを忘れるな!」
その言葉は、武力という力に溺れることを戒める言葉であり、
「国民の幸福を奪おうとする者と戦い、決して屈するな!」
「国民の幸福を奪おうとする者と戦い、決して屈するな!」
同時に、武力という力の意味を明らかにする言葉でもあり、
「我ら軍人は、これらを守るため、己を捨て、国家に忠誠を誓う!」
「我ら軍人は、これらを守るため、己を捨て、国家に忠誠を誓う!」
……時に、その意義のために己を捨てよという、自己犠牲を自らに課す言葉でもあった。
「良し! それでは、現時刻、ゼロナナゼロゼロを持って、状況を開始する!」
「は!」
今この時より、武装偵察小隊は、その勇名に恥じぬ気迫をその身に宿し、本格的に動き始める。
◇
「……緊張感が続いたのも小一時間か」
「いやぁ、よく持ったと思いますがね」
周りを歩く部下たちの様子に、隣を歩く第二班班長、スクアッド曹長に思わずこぼす。出立直前に行った演説、あの演説で一旦は士気も上がったし、部下たちの動きも見事なものだった。これでこそ、精鋭と名高い武装偵察小隊だと。――ああ、我ながら柄でもないことをしたとわかってるさ、嫌でもわからざるをえない。整列した部下たちの後ろで眺めていた妹の表情を見れば、嫌でもな。
……そこまでしてあげた士気だというのに、たった一時間でこのありさまか、そう思いながら、周りを見渡す。
さっきまでの、引き締まった表情で静かに歩く部下たちの姿はどこかに消え、代わりに、楽し気に世間話をしながら進む、まるでピクニックにでも赴こうとしているかのような一団の姿。――俺も四六時中気を張り詰めろ、なんて言うつもりは無いが、これはちょっとどうなんだ?
「大尉殿には思う所もあるかも知れませんがね、これが俺らの空気ってもんですわ。大丈夫大丈夫、別に気が抜けてる訳じゃあないですから」
……スクアッド曹長はそう言うのだが、本当にそうだろうか? こう、周りから聞こえてくる会話が、相当浮ついているように思うのだが。――チーパブハウスのダーラちゃん?、あの尻こそが至高だの、撫で心地が最高だの、いや、全身から漂う色気があってのあの尻だの、撫で心地ってどういうことだオイだの、およそ行軍中とは思えない会話が漏れ聞こえてきてるのだが。
「……女の尻を評論するのがウチの空気か?」
「自然体でいいじゃないですか。……今まではね、妹大尉殿の手前、こういった話は出来なかったんですから。ちょっと位大目に見ましょうや」
……まあ、確かに平時でも、訓練の合間の休憩とかで似たような話題で盛り上がっていたのを聞いたことがあるのだが。正直この手の話は苦手でわからんのだが、そこまで楽しいものか?
「ああ、大尉殿は参加しなくていいですわ。……というか、参加されては困りますわ、こういった話は上官抜きでやるものと相場が決まってますんで」
「……いや、現に私はここに居るのだが」
「まあ、あんまり目につくようなら怒鳴り声でも上げてくだせえ」
スクアッド曹長の言葉に肩を竦める。……実際の所、弊害は何もないのだ。出立してから一時間強、既に五キロ以上の距離を進みながら、部下たちに疲れの色も無い。この先森に入れば速度も落ちるだろうが、今の所は順調そのもの。
この時点から不平不満が出るようでは、この先が思いやられる。そういった意味では有難い位なのだ。――そうは言っても、なかなか納得できることでは無いが。
……いやまあ、いっそこの事態において、先の見えない行軍に誰一人として不安を感じていないということは頼もしいと、そう思うことにするか。心の中でそう結論付けて、行軍を続ける。
まずはこの先にあるという森、その中を流れる川を目指して、地道に進軍を続けた。
◇
なお、部下の話を総合すると、チーパブハウスのダーラちゃんは、年の頃は二十台後半から三十代の前半、本人主張では二十四才の、豊かな体つきをした女性。周りの視線を吸い寄せるような胸を持った、チーパブハウスという酒場を象徴するような女性らしい。
その年齢よりも幼い感じがする顔に、我が部隊の約二割の隊員が熱を上げ、同じく約二割にその胸を愛され、約四割の隊員に尻を愛されているらしい。――約一名、黒光りする虫にも冷静に対処できそうな逞しさを感じるとかいう意見もあるようだが、それは軍人としてどうなのだろうか。
ふむ、確か「チーパブハウス」は首都の外れ、訓練場の近くにある小さな酒場だったか。部下が良く行くので、あまり私は行かないようにしていたのだが。……今度、少し覗いてみるか?
◇
一通り整備が終わり、特別貨物車両脇の滑走路から「リコちゃん」を離陸させて。森の方へと進路を定めてすぐに視界に入った、アニキが率いる陸上部隊。荒野を進軍する様子を空から見下ろしつつ、つくづく思う。――陸軍は大変だねぇ、と。
特別貨物車両から陸上部隊が出発して既に一時間半、進軍した距離はざっと八、九キロといったところか。たったこれだけ、航空機だと十分程度の距離を進軍するのですら大変だろうに、捜索開始地点はここから百キロ以上先、それをたった二日で踏破しなければならないとなると、苦労は並大抵のものではないだろねぇ、そんなことを思わずにはいられない。
まあ、そんな心配、するだけ無駄かもしれないけどね。あれはあれで精鋭部隊だし。今頃きっと、チーパブハウスのダーラ嬢の話で盛り上がってるだろうしね。ふとよぎった考えに思わず口角を上げる。――全く、ダーラ嬢のことを、きっと無邪気にはやしてるんだろうね、と。
そんなことを考えながら、流れる景色に視線を送る。森に入り、川をさかのぼり、そろそろ捜索開始地点に差し掛かろうかといった所で、通信機に手を伸ばす。
「あー、こちら、リコ・一バン、これより捜索任務に入る」
「……こちらランド・一バン、了解した。成功を祈る。通信終了」
「通信終了、と。……相変わらず真面目だねぇ、アニキは。っと、任務任務」
通信を終えた後、独り言が漏れたことに気付いて、思わず苦笑する。――このリコちゃん、いい機体なんだけどね、しゃべり相手にはなってくれないからねぇ。
◇
……妹との通信を終えて、ふとよぎった考えを振り払う。あのコールサインは「偵察機」を短くしただけで、決してあのふざけた「リコちゃん」とかいう呼び名から付けた訳では無い。それはいくら何でも邪推だろう。――例え相手が空軍でも。
「妹大尉殿ですかい?」
「ああ。作戦区域に到達、これより捜索任務を開始するそうだ」
「かぁー、いいですなぁ、空軍は。後から出発してもう到着ですか」
作戦区域に到着したとの報に、スクアッド曹長は大げさに嘆息する。その様子を見て、思わず苦笑が漏れる。俺もまあ、羨ましく無いと言えば嘘になるが……
「無いものを羨んでもしょうがないだろう。自分たちは自分たちの仕事を果たすまでだ」
「まあ、そうでしょうなぁ。……おい、てめえら! いつまでダーラちゃんに熱を上げてやがる! 尻を撫でまわすのは任務が終わった後にしろ!」
俺の返事に声を張り上げるスクアッド曹長。その声に会話を止め、静かに行軍する部下たち。叩き上げの男が見せる、自分の部下たちに対する理解と統率を頼もしく思いながら、それでも思う。――ああ、こいつも尻か、チーパブハウスのダーラちゃんとはいったいどんな女性なのか、と。
◇
空から捜索をするプリム、時折、遥か本国に住むダーラちゃんに熱を上げながらも、地上を黙々と進むジュディック率いる地上部隊。青空を雲が覆い隠す中、淡々と任務をこなす。
地上部隊二十五名は、昼過ぎに川に到着。川の畔で水の補給と昼食を取り、上流へと向かって、再び進軍を始める。
空からの目は目標を捉えられず、地上の目は未だ目標まで届かず。念のため、生活痕を探りながらの行軍は、隊員たちの負荷を上げ。チーパブハウスのダーラちゃんに癒しを求めながら、実りの無い進軍を続ける。――夕暮れ時までにさらに三十キロ、捜索開始地点まで残り五十キロの所まで進軍し、陸上部隊はその日の行軍を終わる。
◇
「今日一日、強行した疲れもあるだろう。もっと楽にしていいのだぞ」
「そう言う訳にはまいりません」
一日の行軍を終え、野営準備を命じて。特別貨物車両に残した通信設備を中継して、本国との通信を始める。目的は主に今日一日の報告と情報交換。背嚢を立てかけた上に設置した通信機の前で、通信機の向こうにいるであろうマイミー少将にむけ、姿勢を正す。
「本日だけで八十キロの行軍、ご苦労だった」
「いえ、この位、どうということはありません」
「ふむ。……君についてきた部下たちも、しっかりと労ってやるがいい」
今日行ったことを一通り報告し終わり、マイミー少将から労いの言葉を頂く。有難い言葉も今は作戦行動中、しかも元々は護送任務が果たせなかった故の現状だ、今はそのまま受け取る事は出来ない。
返事を返し、そのまま少将閣下の言葉を待つ。
「そちらの状況は分かった。まあ、まだ作戦区域にも到着していない状態だ、結果は求めておらん」
「申し訳ありません」
「そう気張るな。少しは楽にしたまえ。――で、こちらの状況だが」
閣下の慰めの言葉、それに続く本国の情報に耳を傾ける。先日来ると伝えられていた増援、その情報に期待して。――果たして、その期待は、予想以上に果たされることになる。
「援軍の第一次派兵が決定した。歩兵を四個小隊に騎兵隊を一個小隊、約百五十名からなる部隊だ。まあ、一個中隊と考えていい。これらを輸送機でそちらに向かわせる。到着するのは五日後の予定だ。――小型輸送機が着陸可能な滑走路はあるか?」
増援の想像以上の早さに驚く。――たった二日で、一個中隊を動かす決定をしたのかと。
五日後に到着するということは、今日既に準備を始めているのだろう。その決断の早さと実行力に、改めて尊敬の念を抱きつつ、閣下の質問に答える。
「は! 現在だと『一六式強襲偵察機』用に仮設した滑走路があります。ですが、通常の航空機の離着陸はどうかと」
「小型輸送機は三機、各々が一度ずつ離着陸できれば良い。急ぎ整備させろ」
「は!」
「騎兵隊は輜重兵として扱ってくれていい。――任務地は騎兵の運用は可能か?」
「森の中は困難かと。ただ、輸送に限定するのであれば、相当助かるのも事実です」
「そうか。――こちらからは以上だ。思う存分、活用してくれたまえ!」
「は!」
こちらの状況を読んで先んじて手を打つさまに、感嘆の念を覚えつつ、通信機に向かって敬礼をする。
「ああ、君も律儀だな。いちいち敬礼は要らないだろうに」
「いえ、そういう訳にはまいりません!」
「そうか。まあ、君自身が良いというのなら構わんだろう。――あと、古参の軍曹だったか? 君の部下としてやっていくのなら、この位で不思議そうな顔をするなと、そう伝えておいてくれ」
どこか笑いを含んだような声で、閣下はそんなことを話された後、通信を終える。軽く肺から息を吐き出しながら敬礼を解く。そして、通信の様子を後ろで見ていたスクアッド曹長に話しかけながら思う。――確かに不思議そうな顔をしているな、と。
「……この位で不思議そうな顔をするな、だそうだ」
「聞いていましたがね。あの少将閣下、こっちの様子を見てるんですかね?」
「いや、見えてないだろう。……そんな技術があれば、今回の任務も楽だったろうがな」
「じゃあ、何でいちいち敬礼しているなんてわかるんですかねぇ」
「……いや、当然敬礼するだろう」
「……聞いたアタシが馬鹿なんでしょうねぇ。――少将閣下の言葉、胸に刻みやす」
「? ああ、なんのことだかわからんが、閣下の言葉だ、胸に刻んでおくと良い」
そんな、わかるようなわからないような、あいまいな言葉をスクアッド曹長を交わしていると、空から特徴のある音が響いてくる。――プロペラの回転音と風を切る音、航空機の発する特徴的な音が。
「妹大尉殿が食料を運んできなさったみたいですぜ。ようやく飯にありつけまさぁ」
「……上手く受け渡しができればな」
スクアッド曹長の弾んだ声に苦笑を返す。ある意味、この任務の成否を握るであろう作戦がこれから始まるのだから。――空から運ばれた糧食を受け取るという作戦が。
◇
「まったく、曲芸だねぇ。――まあ、リコちゃんは元々空輸のことなんか考えられてないから、仕方が無いね」
低空飛行から糧食を投下する地点で垂直上昇、ある程度高度を稼いだ時点で糧食を投下するという、曲芸じみた操縦をしたプリムは、水平飛行に移行し、狙い通りに広がった落下傘と、その下で糧食を受け取ろうとする兵士たちの姿を確認して、安堵の混じった声を上げる。
元々一人乗りで余計な荷物を載せることができない一六式強襲偵察機に、最低限の積載スペースを作り、荷造りした糧食をそこに入れる。自身の脱出用の落下傘を改造して荷造りした糧食に取り付け、投下する。成功するかどうかは半ば賭けだったが上手く行ったと、プリムは胸をなでおろす。
(まあ、曲芸はもう一回あるんだけどね。果たして上手くいくことやら)
回収され、再び畳まれて背嚢に入れられた落下傘。そこにひもを付け回し始めた地上の兵士を見ながら、プリムは思う。――落下傘を空中に放り投げて受け取れだなんて、無茶も良いとこだねぇと。
再び高度を下げる一六式強襲偵察機、タイミングを見計らって空中に投げられる落下傘の入った背嚢。できる限りの低速で、なんとか空中で受け取ることに成功したプリム。缶詰に兵士たちを見ながら、胸をなでおろしつつ、思う。――アタイも帰って、メシにでもするかね、と。