2.空と地上から
荒野を飛び立ち、西へと進路を向ける軍用機、一六式強襲偵察機。その操縦席で高度を上げるために操縦桿を引くプリム。荒野から森に差し掛かろうとする風景をその視界に納め、記憶にとどめながら、プリムを乗せた一六式強襲偵察機は、森の奥へと進んでいく。
(あの怪獣野郎とやり合ったのがこの辺り、その先は……)
探し当てなければいけない目標に対し、あまりに巨大な捜索範囲。眼下には、大地を木々が覆いつくす森という、潜む側に極めて有利な地形。
そんな、自分たちにとって不利な状況の中にありながらも、腐ることもなく、まずは与えられた任務に従い、地形を頭の中に叩きこんでいくプリム。どこか陽気そうな笑みを浮かべながらも、結果を焦らず、地道な任務をこなしていくその姿勢は、生来の性格から来るものか、――その姿勢こそが結果に結びつくことを知る故か。
昨日の騒動を思い出しながら、日没までの時間を計算しながら。プリムは操縦桿を握り、自分の手足を動かすように愛機の舵を取る。
困難が予想される捜索任務、その初手となる周辺地形の確認と地図の作成。その機体につけられた名にふさわしい偵察飛行任務はまだ、始まったばかりだった。
◇
まったく、手が抜けないよ。――やばいねぇ、アニキのあの天然は。
向かう先から流れてくる清流、その水の流れを眼下に納め、流れに沿うように舵を切りながら、そんなことをふと思う。
先ほど荒野から離陸する際に受けた、思いもよらぬ陸軍からの見送り。アニキのあの、自然体、真面目、なのに人をやる気にさせるあの態度。アニキも伊達に小隊を率いている訳じゃないと、改めて実感する。――まあ、あれでもある意味花形、武装偵察小隊の指揮官サマだからねぇ、と。
武装偵察小隊。その本質は、偵察小隊とは名ばかりの、時に「何でも屋」と揶揄される、あらゆる任務をこなす最精鋭部隊。
戦時には常に最前線に身を置き、部隊運用に必要な情報を収集、時には本隊が展開するまでの間、あらゆる手を尽くして戦線を維持するという、過酷な任務を行う部隊。
そんな部隊を率いるのには、たしかにあの性格はうってつけだろう。常に真面目、手を抜かない、そのくせ、さっきの見送りみたいなことを平然とやってきたりと、意外と部下の心を掴むのも上手い。――まあ、機転なのか天然なのかは微妙だけどね。
間違っても、「お祭り」に派遣されるような部隊じゃないはずだけどね。「リコちゃん」とワンセットにされたかねぇ? 荒野を抜け、川を眼下に見下ろしながら、そんなことを考える。もっとも、戦争なんざ、この所起っちゃいないんだけど。――最後に戦争が起こったのは何時の事だっけか、座学で学んだはずなんだけどね、そんなことを思いつつ、学生次代に学んだことを思い出す。
かつての大災害から復興し、大地を人が埋め尽くす。足りなくなった土地が争いを生み始めた、そんな頃に突如として登場した飛行機という名の技術の結晶。それを目の当たりにして、各国が競い合うように開発してきた銃器を始めとする武器の類。それらは当然のように、人の争いにも投入される。
飛行機が開発されて、銃器が世に広まって、最初に起こった戦争。遠く離れた共和国との友好国と、名前しか知らない彼方の国で起こったその戦争は、その規模からは考えられないような、それまでの戦争の常識を変えるのに十分な、破壊と殺戮の嵐だった。
互いに傷つけ合い、得られるものが無いままに国力だけが落ちていく、その様を目の辺りにした各国は、それまで考えられていた一つの推測を、この上無い事実として付きつけられる。――航空機から完全に身を守ることは出来ないという、冷徹なまでの事実を。
空を飛ぶ機械に攻撃できるのは銃器だけ。けど、個人で携行できるような銃器じゃあ威力が足りない。砲の類では、空中を飛び回る飛行機に狙いを定められない。故に、航空機を落とせるのは航空機のみだと。
そして、戦闘機が敵機を落とす間に、地上は甚大な被害を受けるのだと。
だが、それはあくまで戦争時の話。今回の任務では敵機など考える必要がない。だから、この「リコちゃん」は切り札になる。……そんな筈だったんだけどねぇと、昨日目にした怪獣と機械人形を思い出して、プリムは嘆息する。
どこにでも離着陸できる、それこそが「リコちゃん」の特徴であり、この旅では絶対的な優位を保障するはずだった。――あんな、本当の意味でどこからでも離陸できるような、非常識な奴らが出てこなければ。
飛行機構を半分失いながらもゼロ距離で離陸してみせた機械人形。人が飛び降りれるような速度で地上すれすれを飛行した直後、難なく上昇してみせた孔雀の怪獣。――どちらも、アタイとこの「リコちゃん」には出来っこない。そして、そんなことが出来る連中だ、当然、どこにでも着陸できるだろう。こんな森の中にだって。
まったく、普通だったら、着陸した地点を割り出してから捜索するんだけどね、厄介にも程があるねぇ。銃器を持っていなさそうってことだけが唯一の救いだよと、そこまで考えた所で、ふと思い出す。――昨日のもう一つの非常識、威力と異常なまでの命中率を兼ね備えた、姿なき砲撃手の存在を。
走りゆく特別貨物車両の車輪を遠距離から次々と撃ちぬいていった、その威力と正確さ、なにより射程距離を兼ね備えたあの砲撃。あれに狙われた時、果たして自分は落とされずに済むのだろうか、そう思わずにはいられない。――もしかしたら、本当に厄介なのはアッチかも知れない、と。
……っと、今は任務中、他事に気を回しすぎだね。他事に夢中になった意識を任務に戻し、眼下の風景に集中する。意識を広く、広範囲を覚えるように、正確に。太陽の位置から方向に当たりをつけながら。
◇
「……行ったね」
「ああ」
上空を飛び去った後の空を見上げながら、ピーコックとフィリは声を潜めて言葉を交わす。急ごしらえの差し掛け小屋の床の上、少し身を乗り出して上空を見上げていたフィリは、軽い緊張をその表情に浮かべながら、隣で身を丸くしているピーコックに話しかける。
「……気付かれなかったかなぁ」
「多分な。ヒトの目で儂らを見つけるのは相当難しいじゃろうて」
ピーコックの返事に、フィリの表情に少しだけ安堵が混じる。――それだけ、ピーコックの声には確信に近い響きが籠っていた。
切り落とした木の枝を荒く組まれた骨組みに布を張り、その上に木の葉を積み重ねただけの簡素な屋根。同じように枝で組まれ、木の葉を敷き詰めることで底上げされた床の上には、敷物代わりの布が敷かれ。近くで見れば明らかに人工物と分かるそれも、上空から見れば、自然の色に溶け込んだ一つの風景。上空を飛ぶ飛行機がこれに気付くのはまず無理だろう。――ヒトの視力を知るピーコックは、そう確信する。
「……ピーコックだったら気付いてた?」
「あと、あ奴もじゃな」
ピーコックの言葉に視線を移すフィリ。その視線の先、差し掛け小屋から少し離れた場所で、物音一つ立てずに「端末デバイス」の修理を行うメディーン。
……実際、ピーコックにしても、音を立てずにいる方が発見されにくくなって良いとは思いながらも。それでも、そのあまりの静かさに、つい疑問を口にする。
「……身動き一つしとらんのだが。本当にあ奴、修理しとるのか」
「えっとね、『シンダン、イジョウカショスキャンチュウ』だって」
「……よくわからんが、何かやっとるいうのは分かったわ」
フィリの答えに、なんとなく「異常個所を調べている」ことを理解しつつも、本型のデバイスになにか線を接続したまま微動だにしないメディーンに、呆れたように声を上げるピーコック。――そんなピーコックをフィリは、どこかもの言いたげな目で見ながら、文句を言う。
「……ピーコックこそね、もう少し何かしても良いと思うよ?」
「……儂か?」
「ご飯はわたしが取ってきたでしょ? メディーンはああやって修理中。で、ピーコックは?」
「……今は空を飛べんけぇのぉ、儂に何かを求められてものぉ」
「うそだぁ、絶対働きたくないだけでしょ?」
……言葉を重ねる毎に楽しくなってきたのだろうか、楽し気に問うフィリに、やや苦笑しながら答えるピーコック。――実の所、ピーコックの存在が野生動物を遠ざけており、フィリたちの滞在する差し掛け小屋の安全確保に寄与しているのだが、当のピーコック自身もそのことに気付いていない。
「……じゃあ、軽く働くとするかの」
「?」
「ほれ、そこのリンゴ、火であぶってやろうかの」
「……それだけ?」
「ああ、それだけじゃな。……要らんかったか?」
「……それも大事な仕事だね、お願い!」
きっと火にあぶられたリンゴの味を思い起こしたのだろう、ピーコックを問い詰めるのをやめ、あっさりとお願いをするフィリ。手にしたリンゴを串に刺してピーコックの方に向けると、そのまま火を吐いてあぶりだす様子を見て、少し拍子抜けした表情を見せる。――絶対、「カッカッカ」とか笑われると思ってたんだけどなぁと、そんなことを考えているかのように。
◇
「……なんだろうな、何で奴ら、『盗聴器』をそのままにしとくんだろうな」
「知らないさ。案外、興味無いとか、そんな理由じゃね?」
やや離れた地。馬上でフィリたちの様子を盗聴器越しに窺っていたアストは、ふと思いついた疑問を傍らの相棒に話しかける。どうでもよさげに、適当な答えを返すマークス。――まさか本当に、遠方の機械人形が修理を最優先事項とした結果、盗聴器はそのまま放置されたのだとは思いもよらず、言葉を続ける。
「いいんじゃないか、こちとら、その方が都合がいいさ。それよりも、次の拠点さ。……あの辺りなんてどうさ?」
「……少し遠くないか? 狙撃できるのかよ」
「はん! 誰に物を言ってるさ」
マークスの差した指の先、少し小高い丘の上を見て、アストは首を傾げる。一際高くそびえる木々は確かに潜むにも好都合だが、目標からキロ単位で離れているその場所から果たして狙撃は可能なのか、そう疑問に思うアストを、マークスは笑い飛ばす。
その声を聞いて、アストも思い直す。別に地上の奴らなんざどうだっていい。あの機械人形だって何とでもなる、他の奴らなんざ俺の敵じゃねぇ。そう思いながら、上空を見上げる。――後は、上空をちょろちょろと飛び回っている飛行機さえなんとかすれば、こっちのもんだと。
◇
「……この先、荒野を抜けて森に入ると、少し先に川が流れている。と言っても、ここから四十キロくらい離れてるけどね」
一通り偵察飛行を終え、日も沈み。特別貨物車両の中でアタイとアニキともう一人、第二班班長のスクアッド曹長を交えた三人。まずは二人を前にして机の上に即席の地図を広げて、周辺地形の説明を始める。
「まあ、この川沿いを探していくしかないだろうね。一面に広がる森じゃあ、正直他に探しようがない。……分の悪い賭けだねぇ」
相手はどこにだって着地できる奴らだからね。こんなわかりやすい場所に潜んでくれるものか。――そう思った所で、アニキの、意外な言葉が耳に入る。
「……案外、そうでも無いかもな」
「……そうかい?」
「ああ。プリムが『空から見て』そこが好都合だと思ったのだろう? 連中が同じ結論に達する可能性だって十分にある」
……ああ、なるほど。どこにでも着地できるからって、どこにでも潜伏できるとは限らないと、そういうことか。
「今日、奴らは飛行していなかったんだろう? なら、それまでの間に潜伏箇所を探して移動したことになる。わかりやすく潜みやすい場所があれば、そこに潜伏してもおかしくないんじゃないか?」
確かにねぇ、言われてみればそんな気もするね。だけどどうなんだろうねぇ、アニキの横で黙ったまま話を聞いていたスクアッド曹長も思う所があるのだろう、苦笑いを浮かべる。
「……でもねぇ、正直この川沿いは『わかりやすすぎる』。私なら、こんな場所には隠れないけどねぇ」
「まあそうだがな。だが、相手もそう考えるとは限らないだろう? ……少なくとも、軍人では無いのは明らかだしな」
「……相手の落ち度を期待する、ねぇ。いかにも希望的観測だね」
あたいの「希望的観測」という感想に、アニキもそれは承知だったのだろう、スクアッド曹長と同じように苦笑いを浮かべる。まあ、あの森を全て探すなんて出来っこない以上しょうが無いってのはわかるけどね。そんなことを思いつつ、目の前の床に広げられた地図を眺める。
鉄道で回り込むように走ってきた湖、その湖に流れ込むように流れる川。なだらかな山間を流れる川に、その山間を埋めるように広がる、決して狭くはない森。
「一応聞いておくけどね、そこまではどうやって行くつもり?」
「勿論、歩いてだが」
アニキの予想通りの言葉に、やれやれと首を振る。勿論なんて言うけどね、川までは大体四十キロ、そこから目標とする捜索開始地点までさらに八十キロ、とても気軽に言えるような距離じゃない。――当然、気軽に口にしてる訳じゃないなんてわかってるけどね。
「途中、物資とかを空輸してもらうことになると思うが、頼めるか?」
「構わないよ。……ていうかさ、こう、命令しちゃえばいいじゃん? 『必要な物資を運べ』って。アタイはアニキの指揮下にいるんだからさ」
「……ああ、そうだな。じゃあ命令させてもらうか。『プリム・ジンライト大尉は、この先行軍する我々陸軍に対し、この地に集積した物資、主に糧食等を定期的に空輸すること』、これで良いか?」
「了~解。ジュディック・ジンライト大尉の命令、確かに拝命しました~」
この後におよんで「お願い」してくるアニキを、茶化しながらも思う。アタイが空輸できる量なんてたかが知れてる、せいぜいが食料程度のもんさ。自然、地上を行軍する部隊は重い荷物を背負って、百キロ以上の道のりを踏破しなきゃいけない。馬車の一つも無いままに。――しかも、それはただの準備なのよね。
「俺が指揮する陸上部隊は二日以内に捜索開始地点にまで移動、その後、川沿いを中心に、上流に移動しつつ捜索を行う。その間の物資等は空輸で補う。……あてにさせて貰うぞ」
野営の設備を抱えながら、いるかどうかもわからない相手を探す。しかものんびりしている暇は無い。物資にだって限りはある。いつまでもこんな所で、あても無いままに捜索なんてできやしない。
それでも、空からの目だけで発見なんかできるとは思えない。川沿いに移動して生活の後を見つけ出しその周辺を探る、それは地上からの目が無ければできないことだ。まったく、割に合わないとは思うけどね。
「まあ、たかが百キロやそこら、リコちゃんなら三十分でお釣りがくるからね。運び屋くらいは受け持つさ」
――その後、今いる特別貨物車両に通信兵とウチのボーウィ少年は待機、定期的に本国と通信を行うこと。同時に無線中継地点としても機能させることで、常時陸上部隊と「リコちゃん」との間に通信できるようにすること。陸上部隊に定期的に輸送する物資は、居残った通信兵とボーウィ少年で日中に準備しておくこと。そういった細かいことを決めていく。
「……こんな所かねぇ」
「ああ、そうだな。――地図作成任務、ご苦労だった。貴官の協力に感謝する」
そんな言葉でアニキは打ち合わせを一度切り上げる。
アニキの言葉に一つ敬礼して、机に背を向ける。――陸上部隊の作戦行動の詳細とかを詰めるつもりなのだろう、再び話し始めたアニキとスクアッド曹長を背に、そのまま特別貨物車両の外に出る。
「ジンライト大尉!」
陽が落ちて、すっかり暗くなった特別貨物車両の周辺。周りには、所々で焚かれた焚火に瞬くように照らされるいくつかのテントと、こちらに向かって走ってくる少年の姿。
「その呼び方じゃあ、アニキと区別が付かないね。形式ばらなくても良い、普段どおりに呼びな」
「……えっと、……姐さん! 向こうの方に食事の準備ができています!」
「そりゃぁありがたいね。……ちなみに何だい?」
「野菜入りほぐし塩漬け肉と乾パンのスープです!」
「ああ、『塩肉パン粥』ね。いかにも野営だねぇ」
軍隊名物手抜き糧食の代表格と言っても良い、とはいえ肉から出る味が意外と悪くない料理に、改めて空腹を自覚しながら、案内するように歩く少年の後ろについていくように歩く。
これから先の糧食は陸軍式か。まあ、しょうが無いだろうね。ただちょっと油くどくて塩っ辛いんだよねぇと、そんなことを思いながら。
こうして、聖典が奪われた次の一日は終わりを告げる。先が見えないまま、それでも、やれることを、やるべきことを定めて。
方針を定める者、準備をする物、英気を養う者、その立場によって行うことは違えども、一つの目的に向かって動き、今日という一日を終える。――全ては、次の日から始まる捜索任務のために。