003 GL 傘がないなら屋根を作ればいいじゃない
ファルティシアは長い話を終えると、深い深い溜息を吐いた。この世界の人間は軍事経験がほとんどない。そのため、戦争での対処という点で蓄積された知識も技術もない。長く戦争が続いていけば自然と開発されていくのだろうが、先のない現状では行き詰って感じても不思議ではない。
その責をたった9歳の少女に負わせている現状が、すでに詰んでいると言われても仕方のない所だろう。
だが、その陰鬱な回顧録話を聞かされても、控えて聞いていた侍女ビオラはほとんど表情を動かさなかった。両親が目の前で殺されたところでやや痛ましげに目を伏せたぐらいで、あとはほとんど表情に変化がないのだ。
確かに自分の思考の整理が主目的とは言え、同じ崖っぷちに立たされた人間の一人としてもう少し大きなリアクションがあってもいいではないかと、ファルティシアはついキツイ目をビオラに向けたが、当人は涼しい顔で久々に合いの手ではない言葉を口にした。
「あらあら大変でございましたねぇ、お嬢様。そうですね…雨のように矢が降るのでしたら屋根があったらいいかもしれませんわ。」
「………ああ…そうじゃな。屋内で戦えるように魔物どもに頼んでみるかの。」
そのあまりにも呑気な発言に毒気を抜かれ、ついつい軽口がこぼれた。だが口にした後で、ずーんとのしかかるような自己嫌悪や押しつぶされそうな責任感に、ついつい重いため息が吐き出された。しかし、その後のビオラの言葉に、ファルティシアはその秀麗な侍女の顔を呆然と見つめることになった。
「ああ、そういう意味ではございません。言葉足らずで申し訳ございませんわ。軍隊を等間隔で整列させてその頭上をカバーできる大盾をかざして、列を崩さず行進したら屋根の代わりになるのでは…と思ったのです。けれど一介のメイドの浅知恵でございますわね。」
「お耳汚しでしたわ」とか言っている侍女の言葉はすでにファルティシアに届いていなかった。言われた状況を脳裏に描くと、弓勢の弱い毒矢の雨は完全に防げる気がした。最前列はどう守るか、何人で隊列を組めば側面の危険が無くなるか…すでにファルティシアの脳裏で無数の試行錯誤が始まっていたのだ。
だから、思考に沈む幼い女王をいたわるような温かい瞳で見つめてから、そっと退出していくビオラの動きも全く見ていなかった。もう少しで会議が再開されるので、会議室の換気や飲み物の手配などのために侍女たちが円卓周りで働き始めて、やっとファルティシアの意識が会議室に戻ってきた。
はっとしたように侍女の中に黒髪の小柄な人影を探すが、そこにいたのはファルティシアの3倍は体重がありそうな(よく言って)豊満な赤毛の侍女や、古参のやや嫁ぎ遅れ感のある侍女たちばかりだった。もっともこの田舎の国では本来、王族に直接使えるのは古参の侍女の仕事だった。
一瞬、夢でも見ていたかと思ったファルティシアだったが、たとえ白昼夢であっても今優先すべきことは一つだった。近くにいた侍女に「すぐに全員を円卓に呼び集めよ」と命じ、もう一度考えていた案を詳細に吟味検証する。
一通りのプランに現実性を見出したところで、円卓の席が埋まったようだった。さっきよりも一人多い。誰かと思って見回すと、解毒や治癒の魔法を使い過ぎてぶっ倒れていた英雄で“蒼の聖女”と呼ばれているシスルファリア、通称シスルが疲労に淀んだ顔で円卓に突っ伏していた。
彼女がいなかったら、兵は3千人は減っていただろうと現場の将軍が言っていたが、相当無理を押しているようだ。もっとも、今無理をしていない人間はいまだに利権や保身を念頭に発言している大臣達ぐらいなものだろう。
英雄から目を離し円卓を見回すと、何とも微妙な雰囲気があふれていた。絶望と倦怠と諦観、そしてほんのわずかな期待。ファルティシアが会議を急かしたので、「何か現状打破の可能性が見つかったのかも。だが子供の思い付きだ、期待しない方がいいかも。」といったところか。
ファルティシアは会議の再開を宣言すると、午前の会議の時とは別人のように引き締まった顔で、参加している軍の将軍達に確認の質問をしていく。
将軍と言っても組織されたのはここ3カ月ほどの事で、にわか司令官もいい所だ。当然、全軍の武装状況や兵の練度など詳細に把握しているわけもなく、むしろ3百人規模の部隊を指揮する中隊長たちの方が部隊を把握していた。
ちなみに、現状円卓についている軍部の人間は12名。最高責任者である元帥は元王国警備隊隊長だった壮年の男性で赤い髪を角刈りにしたオーガーのような2メートルを超える大男である。
その両脇に大隊長格の男性が二人、上座から見てその右側に中隊長格の6人の男女が座る。また逆側には輜重隊の重鎮で、兵站・装備・人事をそれぞれ取り仕切る3人の初老の男女が座っていた。
一通り必要事項を聞き出すと、ファルティシアは一度言葉を止め、大きく息を吸って心を鎮めた。
「今から、対ゴブリン弓兵戦術についての概要を説明する。実行可能かどうかよく吟味してもらいたい。」
ファルティシアはビオラからもらったヒントから、自分で考察し修正した案を説明していく。方形の大盾を頭上に掲げて等間隔で整列して行軍する。それは軍事概念がなかった彼らにとって、驚愕の発想だったが、考えるほどに有用性が理解できる。
ドラゴンなど範囲で強力な攻撃をしてくる魔物には逆効果だが、だれもが今回の場合には最も有効な戦術に思えた。最後にファルティシアが実行可能かどうかを軍や英雄の面々に問い尋ねると、彼らはしばし顔を突き合わせて協議していたが、盾の確保次第では可能だと結論を出した。
「では、わらわがロールテニアの王として命ずる。新たな戦術をもってゴブリンどもを打ち破れ。王国に、いいや人類に勝利をもたらすのじゃ!」
軍の隊長たちは部隊に使える盾の数を調べに走り出し、元帥と輜重隊の面々は大臣達と盾作りに使える資材の協議に入る。足りない分は作るとして細工師の手配や確保も必要だ。部隊人数や列の数、最前列の兵の保護方法など、決めること考えることは山の様だ。
だが、アンデットのように覇気のなかった円卓は活気と喧噪に満ちていた。誰の顔にもすでに絶望の色はなく、むしろ未来を見つめる強い意志が宿っていた。
ファルティシアはふと気が付いた。長く続いていた腹痛がきれいになくなっていたことを。