002 世界の窮状と王国の難題
ファルティシアが語ったこの世界の現状と、この国の現在もっとも深刻な問題をまとめると以下のような話になる。
この世界は巨大な大陸が人間の唯一の生存圏であり、エセルティア大陸と呼ばれている。ちなみに世界自体もエセルティアと呼ぶが、住民の大半の意識では大陸と世界は同一のものだ。
大陸は東西に長い四角に近い形をしていて、真中だけ南北が短い。また、南西の一部が南に延びていて、そこが最も新しくできたロールテニア王国である。
大陸の中央に巨大な山があり、その少し西に三つの山が連なった山脈があるのだが、その両者に挟まれるようにして神聖王国と呼ばれる古い国がある。この国には“神人”と呼ばれる不老不死の超人類が住んでいて、現在増え広がっている人類は、その劣化種であると考えられていた。
神聖王国を取り巻くように人が増え始め、村が街に変わり、街が集まって国となる。神聖王国の南北に王国が建ったのは700年ほど昔の事らしい。それ以来神聖王国を取り囲むように人間は増え続け、国も増え続けた。
山々も神聖王国の領地なので、それを取り囲んで隣接するように26の国が建ち、著しい発展を遂げていった。この世界には「軍隊」というものがなかったので、財政が潤沢だったのも大きいだろう。
国家間の紛争には、まだ口論の段階で全て神聖王国の「騎士団」が調停に出る。この騎士団は一人でも一軍に匹敵すると言われ、またその調停も理にかなったものであったため、国家間の対立を念頭に置いた軍事力が無意味だったのだ。
町や村の中での治安維持や、時折現れる山賊や魔物の討伐に警備隊は組織されていたが、度を越した魔物などは騎士団が討伐してくれたので、軍事力が実際に必要ではなかった。神聖王国を見習って騎士団を組織しようとした国もあったが、他国がその費用で開拓を進めているのを見れば、予算の見直しを迫られるのは必至だった。
そんな発展を遂げた人類が、とうとう神聖王国と隣接しない国を建てたのはほんの一年前の事だ。大陸南西部にはみ出したでっぱりに作られた田舎の王国、ロールテニア王国。
大陸の西の端には広大な森がエルフによって迷いの森とされていて、ここも神聖王国と接しないエルフの王国だったが、その成立は1千年以上昔だという。また、大陸東側の一帯は不毛の荒野や瘴気のあふれる山々が連なっている魔物の領域となっていた。
このため、ロールテニア王国の建てられた半島は人類が国を建てられる最後の地とも言われていた。それでも、建国の祭りには各国の王族も勇者や各地の英雄達も祝福に訪れ、人の世の発展は今後も限りなく続くだろうと思われていた。
ところが、ロールテニア王国建国から半年、つまり今より半年ほど前の事。突如湧き出した魔物の群れが神聖王国を攻め滅ぼしたのだ。一夜明けると、神聖王国のあった渓谷地帯には竜が舞い飛び、巨人が闊歩する危険地帯になっていた。
各国がパニックに陥っている間に、あふれ出るように進軍を開始した魔物の群れが列国を蹂躙していった。ゴブリンやコボルドといった亜人種やブラックハウンドと呼ばれる火を吐く犬、飛竜やアンデットなど無数の種類の無数の魔物の群れが組織だって侵攻を開始すると、軍事概念を持たない列国はろくな抵抗もできずに蹂躙されていった。
大陸北西部に勇者と英雄と呼ばれた者達が集まったのは侵攻開始から3か月後のこと。今より3か月ほど前の話だ。各国の避難民を5人の英雄に預けてロールテニア王国に逃がすため、防衛線を築いたのだ。
ちなみに“勇者”とは、マイナスの因子を持たない突然変異のように生まれてくる者のことである。負の感情や暗い念は魔物を活性化させるが、“勇者”はそうした因子を一切持たないため、魔物の天敵のような存在と言える。この特徴ゆえにカリスマ性も高い。
つまり実力とか功績は関係なく、生まれもって決まるのが“勇者”である。
一方、“英雄”とは、人類を超越した実力を持つ者達の総称である。死後には英霊となる偉大な者という意味で、大陸では尊敬を集める者達だ。剣を究めた戦士や魔導の神髄に至った魔道師などが“英雄”と呼ばれるようになる。
この戦いで“勇者”と多くの英雄が命を落としたらしい。避難民も逃れることができたのはほんの一部であり、それすら途中の襲撃で数を減らしていた。ロールテニア王国に向かった避難民は10万人近かったらしいが、たどり着いたのは7千人を切っていた。
この逃避行で、5人いた英雄の一人も命を落としたのだった。
そうして今から2か月前、元から居た28万の王国民に7千の避難民、その後ばらばらに逃げついた戦士や難民5千ほどが残された人類の全てとなったのだ。5千万と言われた人口が30万弱に減ったのは、すでに滅亡と言っていいぐらいだろう。
それでも、追いすがる魔物を退けつつ、何とか一月ほど凌いでいたのだ。この間に避難民の中にいた魔道学園の教授が持ち込んだ“異世界の英雄を招喚する魔法陣”というのを試してみたりもしたらしい。
ただ普通は20人ほどの魔法使いが行う儀式を、英雄の一人とはいえたった一人の魔道師が執り行ったため最後の最後で術式が崩壊し、失敗した上に衝撃で2週間以上意識が戻らない状態になっているらしい。
ロールテニア王国は半島の先にある国だが、半島の首には大きな山が真っ二つに割れたような渓谷があり、王国に入るにはここを通り抜ける必要がある。そうしないと西側に広がるエルフの迷いの森か、東側にあるリザードマンの住む沼沢地や起伏の激しい森林地帯を通ることになる。ここを抜けるのは大変な時間と労力が必要なのだ。
本来なら渓谷の北側までがロールテニア王国の領土であり、そこに立派な門が建てられていた。実際には門というより砦のようなものらしい。最後の王国の顔となる入口の大門であるので、各国が面白がって最新技術を提供したうえ、切り立った渓谷地なので石材の切り出しが容易だったのだ。
もしここで踏みとどまっていれば、防衛はずいぶん容易だったのだが、数千の避難民を通している間に魔物が追いすがり、戦力的にも兵站的にも放棄するしかなくなったのだ。
その後は、渓谷の南側出口付近で定期的な戦闘が起きている。
状況が深刻に悪化したのは3週間前のこと。まず、深夜の王都にゴブリンの部隊が攻め込んだ。
渓谷の南側出口には哨戒部隊が常駐していたのだが、渓谷の東側の森林地帯はノーマークだったのだ。時間をかけて侵攻してきた200匹ほどのゴブリンの部隊が、突如王都を襲った時、深い疲労からほとんどの守備隊は眠り込んでいて、王都の東側で大きな被害を出した。
2百軒以上の家屋に入り込んだゴブリンが住民を虐殺し、5百人以上の被害が出た。だが、これは陽動だったのだ。
兵士があわてて城下に出撃していった後に、飛行できる20体ほどの魔物が城内に入り込んで国王と妃を殺害したのだ。英雄の一人が気配に気づいていちはやく助けに入らなければファルティシア「王女」も殺されていただろう。
国王の一人娘にして、最後の王族であるファルティシアが王位を継いだのはその次の日だ。精神的にも実務的にも、現状でリーダーを欠けば人類は滅亡の一途を辿るだろう。のんびりと後継者を選定している余裕もない。これが9歳の幼女が人類の存亡を背負う羽目になったいきさつである。
そして、現在の最も深刻な問題がゴブリンの戦略の変化だった。
それはいつものようにゴブリンの群れの襲撃だったらしい。ゴブリンの部隊は、ほぼ一週間周期で5千ほどの規模で訪れる。その日も、同等の規模の部隊だった。だが、大きく違うところがあった。それは装備だ。今までの錆びた小剣や木の根をそのまま使ったような棍棒ではなく、全員が粗末な短弓を持っていた。
王国側の兵士は1万ほど。落ち延びてきた者達の再編が住めは、あと数千は増えるだろう。いつもなら軽く蹴散らして5百も倒せば、蜘蛛の子を散らすように逃げ出して渓谷北側の砦に逃げ込むのだ。
ところが、この日は大きく違う展開になった。兵士が走り寄る前に、雨のように矢が降り注いだのだ。とは言え威力が弱く射程も短いので、「3回も撃たれるうちに接敵できるだろう、あとはいつも通りだ。」と誰もが考えていた。実際、革の鎧でも貫通することもないような弓勢だった。
だが実際には凶悪な攻撃だった。むき出しの手足にかすっただけでも兵士たちは激痛にのた打ち回り、泡を吹いて死んでいくのだ。それはゴブリンの糞尿と毒草を混ぜて発酵させた猛毒を塗った矢だったのだ。
その日、王国軍兵士には3千人の死者と、いまだに毒に苦しむ2千人の怪我人が出た。実に半数が戦闘不能になったのだ。運よく矢に当たらなかった兵士がゴブリンを数百倒すと、いつものように逃げ出したが、あまりに割に合わない戦闘だった。
翌週、つまり先週のこと。数を回復させたゴブリンが侵攻してきた。やはり弓を持っており兵士たちは恐々として戦いに臨み、再編した8千の兵の内2千以上が帰らぬ人となり、3千ほどがタンカで運ばれてきた。
英雄の一人“蒼の聖女”が神官団と共に寝る間も惜しんで癒しているが、一週の内に戦線復帰できるのは1千に満たない。力足りずに苦しみもがきながら落命していくものも多い。予備戦力を回しても次の8千の出撃が限界だ、というところで英雄の一人“闇蜻蛉”と呼ばれる短剣使いが反対を押し切って出撃した。
英雄たちが温存されているのは、切り札を使い惜しんでいるわけではない。ゴブリン戦で倒れたら今後予想されるドラゴンや巨人を倒す手段が無くなるからだ。ゴブリンは被害が出ても一般兵士で倒せるが、ドラゴンは兵士がいくら沢山いても倒せない。適材適所ともいえる。
それでも、英雄“闇蜻蛉”は兵士の消耗の多さに堪えきれずに出陣し、蜻蛉のように素早く敵陣に舞い込んで短剣を振り回し多大な戦果を挙げた。兵士の損害もほとんど出なかった。だが、彼は背中に受けた一本の毒矢に倒れ、帰らぬ人となった。これが昨日のことだ。
つまり、円卓で空いていた席は、寝込んでいる魔道師と、癒しに忙しくて出れなかった聖女と、昨日亡くなった軽戦士である。そして、沈黙の円卓会議の議題は、どうやってゴブリンの矢雨を凌ぐかということだったらしい。
これが、現在の王国の火急の問題であり、現状およそ6日後に到来する戦闘が、最終決戦になるかどうかの瀬戸際なのだ。