雨天家
その日はいつもと違い、家についてからも雨は止まなかった。普段ならとっくに止んでいてもいい頃なのだが……。
変に思った照子は台所で鼻歌混じりに夕御飯を作っている最中の母親に訊ねてみた。
照子の母親、景子もまた、雨天家に嫁いでから雨女の称号を与えられてしまったらしい。
「そりゃあ決まってるじゃない。今日は雨天家の一大イベントがあるんだから」
「何かあったっけ?」
「あんたねぇ……今日はお父さんがアメリカの出張から帰ってくる日でしょう?」
「あー、そういえば今日だったけ。一大イベントってそんな……」
照子はそう言いかけて止めた。四ヶ月ぶりにアメリカから日本に帰ってくる訳だから、確かに一大イベントと言っても大袈裟過ぎる事はないのであろう。照子は覚えていなかった。つまりこの雨は、照子の母と父が降らせているというわけだ。
「パパとママ、本当に仲良しなんだね」
「あら、そう思う?」
「うん」
母は少し得意げに微笑んでから照子に書斎に居る祖父を呼んでくるように言った。
コンコン、と控えめにノックする音と、がらがら……と少しだけ引き戸を開く音が、趣ある書斎に響いた。
「おじいちゃん、お夕飯もうすぐ出来るから来てって」
祖父はうむ、と一言短い返事をし、読んでいた書物に詩織を挟み閉じた。そして立ち上がるわけでもなく、開け放しにされている障子の向こうの外の景色を観て目を細めた。奥の雨戸さえ開いている。
「どうしたの? 開け放しにして。何か見えるの?」
「いいや……。昼の雨とは打って変わって、なんとも良い音をたてていたから、ついな。照子はどう思う?」
訊かれた照子は祖父と同じように障子の向こうに意識を集中してみた。
雨はぶれることなく、ただひたすらに真っ直ぐ地面へと軽快に降り注いでいる。
「んー……聴いてて、不愉快にならない……心地よいって言うのかな? そんな感じ」
「うむ、そうだな。それに、なんだかやけに嬉しそうに聞こえないか」
そう言って、二人は少しの間また、静かに雨音を聴いた。
しばらくして、ようやく立ち上がり、祖父と照子は雨戸と障子を閉めて居間へと向かった。
食卓にはいつもより品数が豊富で綺麗に惣菜が盛り付けられた皿が、いつも家にいる人数分より、一人分多く並んでいた。
「おやおや、今日は誰かの誕生日だったかな。それともまた夕貴みたいな孫が増えたのかな?」
祖父はそう言って自分の席につき三歳の孫の夕貴を膝に乗せた。夕貴は照子の弟だが、実際は父の妹夫婦の子で、従兄弟にあたる。
夕貴の両親は残念な事に昨年の冬に他界した。彼を保育園に迎えに行く途中、凍っていた道路にハンドルをとられ、対向車線から来た車に衝突されてしまったのだ。
夕貴の両親は中学の頃から照子の母と同級生で、とても仲がよかった。彼女らの死後、遺った夕貴を母親の実の兄である照子の父より先に引き取ると言ったのも、景子である。
「ちょっとお義父さん、縁起でもないこと言わないで下さいよー」
「今日はお父さんが出張から帰ってくるの」
「ああ、なるほど。だからか……」
祖父は感心しながら、閉まっているカーテンの方に目を向けた。その様子を見た母は、「そろそろ着く頃だと思いますよ」と、父の帰宅時間について言ったが、きっと祖父が思ってる事と、母の考えてる“義父の思っている事”は違うのであろう。
祖父の言った「だからか……」は、別に皿の数が多い理由に納得した発言ではなく、雨の音が嬉しそうに聞こえる理由に納得した末の発言だ。カーテンの方を見たのも、息子の帰りを待っていたわけではなく、雨を思ったからだろう。
照子は、2人の噛み合っていそうで噛み合っていない会話をにやにやしながら聞いていた。直後に祖父の膝の上にいる愛らしい弟に、しょうちゃん、かおーへんー! と言われ、ものすごいショックを受けるのだが。