強い力
「きゃ!!」「うわ!!」
イザナミが手を振ったのを見てから、ほんの一瞬の事であった。
大きな悲鳴と音を立てて照子と重造が着地した場所は、人間が尻から着地するには硬すぎた。
「いっ……た~っ……」
ひんやりとした大理石調のタイルが敷き詰められて広がるここは、見覚えがある。
「あれ?……ここ、図書館の入り口?!」
座り込んだまま、キョロキョロと現在地を確認した。
「そうみたいだ……あの人は、もしかしてテレポーテーション能力を持っているのか?」
「ゆ、夢じゃないのこれ……」
そう言いながら照子は自分の頬を強くつねった。痛みはしっかり脳に伝わる。真実であるというショックは大きかった。
「デート楽しんでる?」
突然、聞き覚えのある嫌味ったらしい声が、照子の顔を横から覗き込んだ。
イザナミ程ではないが、長く、大きな目。
「ギャァ!!」
「何が、ギャァよ!早く立てホラ!」
むんずと乱雑に二の腕を掴んで彼女は無理やり照子を立ち上がらせた。
「人を化け物扱いして失礼ね!」
「大差ないでしょう!?あんたなんて太陽神のアマテ……」
照子が天照の名前を言い切る前に、今度は誰かの手がすかさず後ろから照子の口を塞いだ。
「おっと……デートどころじゃ、なさそうだねぇ~」
と、他人事のように囁いてきたのは思金だった。
その状況に、照子は目を見開き、顔は一瞬で茹でダコのように真っ赤になって、鳥肌を立たせながら固まってしまった。
「うちのテル子に気安く触るな、セクハラ金髪クソジジイ!!」
見るからに気が立っている鬼の形相の天照が、どこからともなく出したハリセン攻撃を、思金は愉快そうにヒラリとかわす。
「そうだ、常世!中に……」
「中に、伊邪那美命サマがいらっしゃるんだよね」
猫のようにシャーシャーと威嚇を続ける天照を猫じゃらしのようなもので構いながら、重造の言葉の先を言い当てた。
「聞かなくても分かっちゃうんだなぁ」
「え、そんな呑気な……なら、早く行こう!さっきは追い出されたみたいだけど今度は常世達がいるから、あの子も話くらい聞いてくれるはず……」
先頭を切って歩こうとする重造の腕をガシッと掴み、思金は力強く引き止めた。
「焦らない」
先程までと打って変わって、珍しく真剣な表情の思金の言葉に、重造は眉間にしわを寄せた。
「入れないのよねー。凄い力の結界張られちゃって」
今度は冷静になったらしい天照が「あれ見て」と、図書館の入り口をそう指差して言った。
いつもならガラス張りになっていて中の様子がよく見え、自動ドアが開いたり閉まったりして利用客を通しているはずの図書館のエントランス。
今は、鈍く艶めく烏羽色の、扉もなにもない壁が立ち塞がっている。
奇妙な存在感を感じるその壁に恐る恐る近寄ってよく見てみれば、その黒い壁の正体に照子と重造は一瞬にして血の気が引いた。
一本一本がか細い、大量の髪の毛で出来ていたのだ。しかもそれが束になって、まるで大蛇のようにシュルシュルと音を立てながら絶えず動き回っている。
重造はふと、手首に痒みに近い痛みを感じた。
手首には、巻きついた髪の毛が一本、髪の壁に連動しているのか、皮膚を引っ掻くように蠢いていた。
浅く切れた皮膚から血が滲む。
「中で付けられたのね」
天照がその重造の手首の上に手をかざすと、巻きついていた髪の毛はたちまち赤い炎に包まれて消滅してしまった。
「す、凄いな……ありがとう……」
「ノープロノープロ。傷は治せないから。はい、テル子!」
バトンタッチ!と、天照は重造の腕をリレーのバトンのように照子にパスした。
照子は慌てながらもカバンの中からコンパクトサイズの救急箱を取り出し、コットンと消毒液などで手際よく重造の傷口の手当てを行っていった。
「わぁーお!テル子ちゃん、包帯まで持ってる!用意周到だね〜女子力高い!」
「あ、女子力とかそんなんじゃ……やっぱり痛そうなのは見るのも辛いから」
昔からの習慣として照子は絆創膏などは必ず持ち歩いていたのだが、この、小さいが本格的な救急箱を持つようになったのは去年の冬からである。
夕貴の両親のように、大きな事故はいつ何時、誰の身に起きるか分からない。そして例えば、それが見ず知らずの赤の他人だったとしても、少しでもその人の助けになるならば、照子はできる限りの事をして力になりたいと常々思っている。大切な身近な人であるなら尚のこと。
「本当にありがとう、でも俺の事よりテル子ちゃんは大丈夫なのかい?!」
「テル子は平気よ。怪我しないもの」
「あの髪の壁より強力な守護神が、テル子ちゃんには憑いてるんだよ〜」
思金の言葉を聞き、重造は天照の方をパッと見た。
「わたしじゃない。モチロンわたしもスゴイけどね」
そんな話をしている照子達をよそに、ほかの利用客は髪の壁の存在などには全く気付いていないようで、蠢めく壁に吸い込まれるように図書館の中へ入ったり、外へ出て行く。
「ほかの人には見えないし、影響がないんだね」
ほんの小さな声でボソッと重造は呟いた。
「じゃあオニーサン達には、コレ見えんの?」
突然の聞き慣れぬ声に、4人は一斉にその声のした方を見た。
そこにはキリッとした端正な顔付きの少年が立っていた。
内の3人が訝しがる中、一番はじめに声を出したのは照子だった。
「な……波くん……⁉︎」




