桜吹雪に包まれて
戦により、疎かにされていた都。
乱世にて重視されるは力、武力です。しかしそんな世も終わり、平和を愛する者がこの地をもう一度栄えさせてくれました。
酷い乱世を治めてくれた英雄が、心ある人間で良かったと思います。
そうして都は栄えに栄え、次第に大都市へとなっていきました。
激しい戦の果て、ほぼ全ての地が戦場となり何もなくなってしまいました。そんな中、古くの文化をこの都は残しています。
それは学びを好むものにとって、素晴らしい地と言えるでしょう。美と叡智の溢れる都ですから。
そんな場所に集まりしは、富豪とも呼べる余裕のある者ばかり。それを狙い、商人たちも都へと集まって来ました。
しかし古い文化を繁栄させ、ここは大都市にまでなりました。
新しきを求める人間に、ここを保たせるのは難しかったのでしょう。天下人も散り、遂には都も衰えて行きます。
どうやら最早、衰える一方の様子ですね。
このようになってしまっては、長続きはしないと思われます。
恐らく、反逆者が現れる頃ではないでしょうか。
美しい都でしたし、このまま失うのは寂しいところもあります。僕がそう思ったところで、何も変わらないのでしょうけど。
元々力のある、強者の地ではありません。
反逆者は易々と勝利し、革命者へと変わるのでしょう。
こんなところでもう一度、革命は起こってしまうのです。人の世の性ならば、それも已むを得ませんが。
素敵なこの国、この先長くは続かないのでしょう。
何度それを繰り返し嘆こうとも、何も変わりはしませんが。
いつもはまた国が亡ぶのかと思っても、その後は何も感じません。それなのに、なぜでしょう。今回、そうは行かないようなのです。
ここまで残念に思うのは、初めての経験かも知れませんね。
革命が起こると、それは国を滅してしまいます。
しかしその革命者が次の支配者になれるのかと言われれば、答えは否でしょう。
これぞとばかりに、天下を狙う野蛮人は名乗り上げます。中には、私欲の為だけに大勢を犠牲にするような者も現れるでしょう。
そうしたらまた、全てはバラバラに砕け散り乱世が訪れるのです。
何度も乱れた世、乱世を経験して来ました。
その中に全く温かい記憶がない訳ではありませんが、殆んどは辛い記憶が占めています。そんな悲しくも辛い記憶が、忘れていた記憶が蘇って来ます。
いつどんなときでも、都は祭りを開催しているかのような賑わいを魅せてくれました。
民のことを考え、己を優先としない優しき者が頂点に立っていたからでしょう。
人々の顔は笑顔で溢れていました。他の時代の中心となった地よりも、この都は栄えていたと言えるでしょう。
この国内で最も栄えている、迷わずそう言えるでしょう。
僕が生きてきたこの世の中でも上位に食い込むであろう賑わいだと思います。
そんな都がこのまま滅びて行くんですか? 信じたくないものです。
ただただ衰えて行っています。もういつ滅んでも可笑しくはない状況となってしまいました。もうあの賑わう都の姿を見せてはくれないのでしょうね。
はあ、この国が建立された頃には考えもしませんでした。考えられなかったし、今も考えたくありません。
再び始まる乱世のことなんて。
これが運命と言うこと、それは勿論知っています。
何千年も生き続けている僕。気付きたくなくても、気付かされてしまいますよ……。
芽吹き葉を開かせ蕾となり、やがて美しい花を咲かせてくれます。しかし満開となってしまえば、後は散るだけしかありません。
それが運命、そんなことは知っているのです。知っているつもりではいるのですが。
未だにそれを受け入れられないなんて、僕は弱い存在なのでしょうね。あやかしのくせに人の心を持ってしまい、その半端な思いは強ささえも否定するのです。
そうなってしまっても、僕は人の世に留まり続けます。
いつしか咲き誇る花のようなこの世界に、魅力を感じてしまっていたのでしょう。
儚くもそれは美しく、悲しい悲しいものなのですよね。
そうしてそんな美しさに、僕は虜になってしまっていたのでしょう。
しかし人の世を愛する僕ですが、戦乱の世を好んだりはしません。あくまでも平和の中微笑み合う花咲く姿を好むのであり、潰し合い殺し合う姿など見たくありません。
もう二度と戦乱の世を行きたくはありませんでした。もう嫌と、僕は心の中で嘆いておりました。
このような時代でも、僕は死にません。人の手で退治出来るようなあやかしではありませんので。
だからこそ、僕は嫌なのです。
平和な世ならば人々は僕のような存在も受け入れてくれます。それなのに、殺し合えば死なぬ僕に気付きあやかしと知るでしょう。様々な手段を駆使し、僕を遠ざけようとするでしょう。
何度もそれを経験しているので、それも知っております。知ってはいても、気にせずはいられないのです。
大切なものを壊し合う最悪の時代、ここで聞こえるのは皆の悲鳴。
あれだけ行き交っていた楽しい話し声も笑い声も、この地からは失せてしまうのです。
経験したくないと幾度も願ったその時代が、再びやって来るなんて。いずれ訪れることを知りつつも、実際に訪れるとやはり悲しいのです。
それが運命と言うものならば、悲しみに負けてはいられませんが。
それが運命と言うものならば、神を呪いたいとも僕は思います。
どんどん政治も悪化して行っています。
自分勝手なやり方は、国を乱して行くのみです。それにすら気付かぬなんて、愚かな人もまた面白いものです。
悪戯に民の反感を買い、築き上げて来た信頼も全て棒に振りました。
手にするのは難しいですが、失ってしまうのは簡単なのです。信頼と言うのは、そんなものだと僕は身を持って学びました。
以前僕が犯した過ちを人が犯すところを見ると、なぜだか愉快な気分にすらなれますね。
こうしてあやかしとしての醜い気持ちが芽生えてしまうから、僕は乱世を嫌うのです。平和の中の僕は人間を愛しているのに、乱世の僕は人間を嗤うのです。
整えられた国も、随分と乱れてしまいましたね。もう取り返しのつかないほどにまでなってしまいました。
怒りは募って行くばかりです。
民の怒りが破裂すれば、それを訴える手段も言葉ではなくなるでしょう。言葉は決して届かないこと、もう気付き始めてしまっているようですから。
武力による訴えに入ることすら、時間の問題ではないかと考えられます。
どのような手で民の怒りに返すかはわかりません。
それに言葉で対応出来ればまだ救いようもあるかもしれません。恐らく民の怒りは収まらず、終いには武力を駆使してしまうこととなってしまうでしょうけどね。
初めから武力で対抗してしまえば、もうそれは終了の合図と考えて良いでしょう。
下にいる者のありがたさも知らぬ者は、上に立つ者として相応しくありません。すぐに散り行くのでしょうから、悲しみも小さく済むでしょう。
民の力を抑え切れなくとも、民を成敗し勝利の声を上げても結果は同じ。
それだけ国を乱してしまったのですから、何も出来ません。政権は失われた、そう思っても良いでしょう。
しかし悪が去ったからって、平和が訪れる訳ではありません。
平等を謳いたがる人の世。それはきっと、支配者が必要であることを悟っているからなのでしょう。
支配する者がいなければ、人は纏まりません。それぞれの意思が自然と一致することはありえないからなのです。
だから人は争うのです。
今の支配者が去れば、次の支配者は必ず生まれます。
そうなってから追放した以前の支配者の優秀性に気付き、後悔することも時にあるのですが。乱世を経験すればもう経験したくない気持ちが現れます。
そうして中々着いたばかりの支配者を退けることなど出来ないのでしょうか。
けれどやはり国は乱れ、何度も何度も戦います。
誰もが納得する、最高の支配者を求めて戦います。支配者の座へと君臨したいと、争うのです。
当然、そんなのは無駄な争いです。
ずっと見ていたからこそ、僕はそう思います。
しかし短き生を全うするしかない人は、それに気付くことも出来ません。同じ歴史を繰り返していることにも気付かず、先人を哀れと嗤うのでしょう。
そちらの方が哀れなことだというのに。
何にも気付くことが出来ないのも、止むを得ないことなのでしょう。人間の殆んどは二種類に分けられますから。
一つは何も知らぬ、知ることを許されぬ無知の者。
もう一つは全てを知る振りをして、何にも気付けない哀れな者。こちらの方が、醜く染まってしまっている場合が多いでしょう。
欲に目が眩み、大切なものが見えなくなってしまっているのです。
そうしてその濁った瞳は、更なる欲を望み醜さのみを映します。惑わされ操られ踊らされ、無駄な戦いを繰り返すのです。
何度も、何度も……。
「また春がやって来てくれたのですね」
美しく咲き誇る桜を見上げ、僕は一人呟きました。
どうやら満開は少し前であったようですが、十分な美しさで魅せてくれています。
今は儚く散って行く姿ですが、その姿もまた美しいものだと思います。
こうして眺めていると、僕はふとある考えに辿り着きました。それは乱れた世も含み、永い時を生きて学んだことなのでしょう。
人の世についても知れた今だから、僕はこう感じられました。
”まるで桜と言うものは、人の世を映しているかのようだ”と。
初めてこの花を見たときでは、美しさしか感じることしか出来ませんでした。そう考えると、僕は成長していると言えるのかもしれませんね。
それは、たった一刻の夢。
すぐに消えて行ってしまう幻なのでしょう。
目を開いてしまえば、賑わいをなくした都の姿が嫌でも目に飛び込みます。苦しみに満たされた心が、目を覚ましてしまいます。
だから目を閉じて、僕は一瞬の幸せに浸るのです。
一度きりですが、最高のときを迎えてくれるのです。栄光の最高潮、幸せや美しさに満ち溢れるとき。
僕は目覚めのとき、毎朝その想い出を見ます。
静止画を何枚も並べ、それを繋ぎ合わせ僕はもうない街を進むのです。それが現実をより一層辛いものに感じさせるのも、いい加減気付いているでしょうに。
夢に出るのはどうしても衰えてしまった姿ばかり。意図的に幻想を作り出すことが出来、それに見惚れていられるのはほんの一瞬なのです。
最高の瞬間が過ぎ去れば、これ以上上がることはありません。
最高潮を維持など出来る筈もなく、堕ちて行ってしまうのでしょう。
ただ落下していくだけ、残っているのはそんな命なのです。
一度最高へ上り詰めた者ならば、自尊心は強いことでしょう。そんな方が衰えて行く自分に何を思うのでしょうか。
そして堕ちて行く以外には、本当に何もないのでしょうか。
残って欲しいと思う素晴らしい方は沢山います。
それでも運命は残酷なものですよね。たとえ皆に愛されていたとしても、必ず散って行ってしまうのですから。
やがて愛してくれた者も散ります。
そうすると愛すら失い、返り咲く夢すら断たれてしまうのでしょう。
上がり続ける道を、僕は探そうともしました。
永遠に時を持つ僕ですから、ちょっとした遊びのようなものだったのかもしれません。
しかしどこにも見つからず、僕は見つけたいと願いました。見つけることが出来ないという事実が気に食わなかったので、いつしか僕は必死になって探していました。
それでも見つかりません。
登って行くと、いずれ下りに辿り着いてしまうのです。
上がり続ける道なんて、どこにも存在せず作ることも出来ない。そう言うことなのでしょうね。
花全体から。いいえ、木全体からでしょうか。
散り行く桜は、儚いような雰囲気を醸し出しています。
その儚さこそ、この花の美しさなのかもしれません。儚く散るから華は美しいのかもしれません。
美しさに永遠を求める方が、愚かとも言えるのでしょうか。
そんなことを考えさせるほどに、その花は散りながらも美しかったのです。
僕がどれだけ生きても手にすることの出来ない儚さを持っている。そのような美しい姿を持っているので、僕は桜が好きなのです。
人の世もきっと同じです。
まるで桜のよう、満開になるとすぐに散ってしまうのでしょう。
いかにその瞬間を魅せようとも、次の瞬間にはもう花を散らし始めているのです。そうして寒々しい姿と豹変してしまう。
人の世が、桜の木が。この二つが持つ美しさが、僕は好きなのでしょう。
それは、たった一刻の夢。
瞬きした瞬間、瞼に映る幻のように。一瞬しか楽しめない、幻のような美しい光景です。
苦しい現実の中で見つけたからこそ、その幸せは素晴らしいのでしょう。
目を開いていても、飛び込んでくるのは哀しい姿。目を閉じていても、結局は過去を見て進むべき道から目を逸らすだけ。
見苦しい現実逃避に縋る日もあるけれど、この美は確かに現実で見つけたもの。
感動へと誘ってくれるほどの、一度きりとも思わせる最高の出会いなのです。
賑わう都市の中では、恐らく目立ちはしないでしょう。しかし苦しくなった地でも、必死に咲いているから際立つ美を放つのでしょう。
それは僕を虜にする、何よりも美しきものとなるのでしょう。
そんな強かで根強い花ですが、咲き続けると言う夢はやはり叶いません。
満開の瞬間が訪れてしまえば、散って行ってしまいます。
静かに花は散って行きます。中には散る瞬間まで楽しませようと、派手に美しく咲き乱れ散っていく花もあります。
それでも結局、散り行くのは同じ。そう考えると少し複雑な気持ちですね。
満開の後に待っている時間。
それは花が咲くのではありません。花びらが落ちて行くだけの時間です。
散って行く以外には、本当に何もないのでしょうか。
見付けたとして、僕がそれを愛せるかはわかりませんけど。
咲き続ける桜の道。永遠を手にすることにより、儚さと言う魅力を失ってしまいます。
だから、それはそれで最高とは呼び難いところなのです。我が儘、なのでしょうか。
地獄のような惨状となってしまった、美しい過去を持つこの都。
笑い声に溢れていた記憶が頭から離れず、僕は未だにこの地を動けずにいました。それほどまでに僕はこの地を愛していたと思うと、少し自分でも意外ですね。
過去の面影を探して、絶望の中僕は歩いていました。
すると僕は、そんな中で美しいものを発見しました。大好きなあの都でも見つからなかった、美しい一人の女を見付けました。
それが君だったのです。
君は何にも例えられないような、特有の美しさを持っています。
その美しさに僕は惹かれ、何がそこまで美しくするのか興味を持ちました。
栄えた都が零落れて行く、そんな時間さえ僕にとっては短きものです。人の命なんて、あまりにも短過ぎました。
だから僕は失ってしまうのを恐れ、いつしか孤独に逃げる傾向にあったのでしょう。
そんな僕でも、君のことを本気で愛したいと願いました。君と共に時間を過ごしたい、そう願いました。
臆病者の僕の、数少ない愛した人です。本気で愛したという点では、唯一の存在かもしれません。
しかし今は隣で微笑んでくれている君。今はどんなに美しい君だって、いずれは衰えて行くのですよね。
たとえ君が衰えてしまっても、僕は隣にいたいと思います。そう簡単に飽きるほど、僕は薄情な奴ではないものでね。
絶望に暮れていた僕を、君が助けてくれました。だから君の一生を、僕が全力で守るのです。
幸せには出来ません。僕の出来ること、それは君の平和を守ることくらいです。君の為に、僕は戦うのです。
君が隣にいてくれるならば、どれだけ嫌われてもいいのです。
君一人でも僕を想ってくれるならば、恐怖の対象となってもいいのです。近付くだけで化け物と逃げられるけれど、君が隣にいてくれるからいいのです。
弱かった僕、強くなれたのでしょうか。
人を大切に想うけれど、人の短い寿命はすぐに散ってしまいます。
大切な人を失ったあとと言うのは、どうしても孤独に苛まれてしまいます。
だから僕は一人の為だけに懸命になることは出来ませんでした。その人を大切には想っても、やはり他の人間からだって嫌われたくないと努力しました。
失って出来た傷を少しでも早く癒したいと、僕は人気者になろうとするのです。
それでも傷はちっとも癒されなくて、なぜ奪ったのかと神を恨むのです。
ある程度傷が癒えなければ、いつまでも引き摺って人に会えるような状況ではありません。そしてもう一度人に近付くまでには、長い時間を要してしまうのでしょう。
幸か不幸か、その間に見慣れていたものが全てなくなっています。
大切な人と過ごした日々を懐かしむよな、想い出の場もなくなっていたりします。そのおかげで、前へとまた進めると言う見方も出来ますけれどね。
何百年も何千年も引き摺られては、大切な人に申し訳ないです。
幸せ。それは、僕の心を温かく染めて行ってしまいます。
けれど必ず、いつかは去って行ってしまいます。
幸せを失うと、それが占めていた場所にぽっかりと穴が空いてしまいます。そしてその穴を埋める為には、幸せだって時間よりもずっとずっと多くの時間が掛かります。
君は中でも美しいと思います。
僕が出会った中で、最も美しい存在だと思います。僕の愛だって幸せだって、感じたこともないほどに積もって行きます。
だからこそ、失ったその先には永い永い孤独が続くのでしょう。
幸せなときに、あえて失ったあとの恐怖を思うほど僕は愚かではないつもりですけど。ふとした瞬間に考えてしまうのです。
人を愛すること自体は初めてではありません。
僕はこれから訪れる未来を知っています。
それを知っても尚、僕は本気で君を愛したいと願っているのです。今この瞬間を幸せに生きたいと願うのです。
何百年もの孤独を背負うことになってもいいのです。その覚悟は、もう出来ています。
どんなに生きても、残った時間は数十年でしょう。
しかしその短い時間を、僕は大切にしたいのです。君と共に、いたいのです。
君はこれほどまでに美しい。なんとも表現し難い、独特の美だと言えるでしょう。
失ってしまうのは惜しい、ずっと僕の隣にいて欲しい。そうは思いますけれど、人間は永遠を手にすることなど出来ません。
短い寿命の中、精一杯咲くしかないのです。
僕は君を失って、独り残されてしまうのでしょう。
孤独に置き去りにされてしまうのでしょう。それでも僕は、君のことが好きだから。
僕が持つ無限に等しいこの寿命、君に分けてあげたいくらいです。
しかしそのようなことしたら、君は人間ではなくなってしまいます。君に苦を負わせることとなってしまいます。
そんなこと絶対に嫌ですから。
君と一緒にならば、苦しみも和らぐと思いました。
それは間違っている、気付きましたよ。
君と一緒にいると言うことは、君にも同じ苦しみを押し付けていると言うことです。君を苦しめていると言うことです。
そんなの、苦しみが和らいだりなんてしないでしょう。
僕は生き続け、君は散ってしまいます。
それは絶対事項であり、決められた運命なのでしょう。
それを変えることは出来ませんし、君を苦しませるならば僕は変えたくありません。君を取り残すくらいなら、僕が残された方がまだいい。
結局運命には逆らえないように出来ている、それを思い知らされた気分ですけどね。
必死に守ってきた、大切な人。そんな人が目に見えて衰えて行く姿を隣で見ている、それはとても哀しくて胸が苦しくなります。
そして遂には目を瞑り、動かなくなっていってしまう。温かい温もりを失ってしまう。
そんな姿を、隣で看取らなければいけないのです。「さよなら」を言わずに別れるのはもっと苦しいって、相手も寂しいってわかりますから。
大切な人の最期。
それは、もう二度と経験したくないと僕が逃げ続けている悲しみです。
そんな悲しみが再び訪れてしまうんだ。君を本気で愛しているつもりなのに、どうしてもそんなことを考えてしまいます。
溢れ出る恐怖を拭うことなど出来ず、只管君に隠すことしか出来ないのです。
ずっと僕は人間を観察して来ました。
ずっと見て来たのですが、それでもわかりません。まだ理解することが出来ません。
どうして人間と言うのは、同じ過ちを何度も何度も繰り返すのでしょうか。それが謎で仕方がないのです。
同じ過ちを繰り返していると気付かずに、何度も繰り返すのでしょう? 可笑しいではありませんか。
古くのことを示す本ならある筈ですし、その過ちに気付けると思うのですが。
僕は一度過ちを経験すれば、恐れてしまいそのことを中々出来なくなってしまいます。
そう考えると、人間は僕よりも強いと考えれば宜しいのでしょうか。それとも、学習能力に劣っていると考えれば宜しいのでしょうか。
軟弱と言われる僕ですが、臆病でひ弱な人間以下とは思いません。
人間は興味深い装置を色々と作成しますし、賢いと思うくらいです。歴史に疎いとも思えません。
僕にはどうしても、人間のことを理解することが出来ません。
同じ人間なのですから、人間同士仲良く暮らして行けば良いではありませんか。
誰かを統率者とする必要はありますが、それを力で定めるのも可笑しいと思います。上に立つ者は、それに相応しい器量のあるものを選ばなければいけないでしょう。
私利私欲の為に罪なき人を傷付ける、それはもっと理解に苦しいです。
こうして見ていると、やはり僕には人間が愚かなものに見えて仕方がありません。
どうして仲良くすることすら出来ないのですか?
協力し合う。それを選ぶことが出来る幸せ者の人間が。なぜ、なぜお互いに苦しめ合っているのでしょうか。
同じ生物が存在しているのに、仲間にならないなんて信じられません。
嫌いだとかそんな理由で、なんとも贅沢な悩みなのでしょう。その愚かさも羨ましいくらいです。
僕の場合、仲間がいないので仲良く暮らすことは出来ません。
その選択肢すらを持っていないのです。手にしたいと望もうとも、神は授けてなどくれません。
別の生物と暮らすことだって、許されることなど滅多にありません。
人間の姿を手に入れることは出来ました。しかし少し気を抜いてしまえば、人間にはある筈のない姿が顔を見せます。
すると人間たちはもう僕を化け物としか思わなくなり、その時代中くらいはそれが続きます。
中には僕の醜さを知っても接してくれる人だっています。そんなお優しい方は僕の孤独を癒してくれますが、必ず先に逝ってしまい孤独を植え付けるのです。
何も先に死んだことを怒りはしません。
ただ、神が僕にちょっと意地悪しているように思えてね。
そのようなことを思っている僕には、人間に心理などわからないのでしょうか。
それにいくら綺麗に飾ろうとも、醜いあやかしです。
そんな僕には、人間のことなど理解出来る筈がないと言うのでしょうか。理解も出来ないなら、共に過ごす権利もないと言うのでしょうか。
しかし僕は、人間の住む場所に行けないその時代も案外嫌いではないのです。
愚かにも、彼らは同じ過ちを繰り返します。何度も何度も傷付け合い、何度も何度も傷付き合います。
その愚かさに僕は美を感じているのかもしれませんね。
そう考えると、僕も性格が悪いものですよ。人間に拒まれるのも仕方がないのでしょうかね。
僕は人間のことが好きです。人間たちが織り成す物語を、次は何が起こるかとワクワクしながら拝見しております。退屈な時間を楽しませてくれる人間が、僕は大好きなんです。
しかし僕は人間が繰り返す争いを……。否、そんな僕だからこそ人間が繰り返す争いを、価値のないものだと決め付けるのです。
それは無駄な争いだと、完璧に決め付けてしまうのです。
柔らかい思考を持ちたいと願う僕は、固定観念に縛られたくありません。決め付けと言うのを嫌い、様々な人間の意見を聞こうとします。
それでも誰が偉いかなんて、そんなことで起こる争いは無駄でしかないと思うのです。
それも物語の一部だというのに、なぜそう思ってしまうのでしょう。僕にはわかりませんでした。
人間より少しでも優位に立ちたい。ひょっとしたら、僕だってそう思っているのかもしれません。人間と同じ心理を持っているのかもしれません。
ああ、考えてもわかりません。
自分の心理すら理解出来ないとは、僕も愚かなものです。
そんな愚かな僕は理解を出来ぬまま、無駄な争いを嗤ってやるのです。
桜と言うのは、なんと美しく散って行くのでしょうか。
散る姿を眺めながら、僕はふとそう思いました。
満開の姿も、勿論美しいとは思います。しかし僕は思ってしまったのです。反対に、散り行く姿の方が美しいのではないかと。
桜と人の世は似ていると言いました。
それだって、人に対しても言えるということです。
気付くのが今更になってしまいましたが、僕は確かにそうだったのです。
栄えた時代ではなく、それよりも少し乱れた時代を美しいと感じてしまっていました。いつからかはわかりませんが、今はそれが確かな想いとなっています。
乱世は嫌い、この言葉に嘘も偽りもありません。
ただ僕はそんな世を眺めているうちにこう考えたのです。
乱れた世の中は、美しいものを際立たせるのではないか。汚れに染まっていくからこそ、清らかで美しいものに目が行くのではないか。と。
それは、たった一刻の夢。
彷徨い続ける現実との狭間、その中現る泡沫の夢。
触れた悲しみが宿り、胸中の孤独が蝕む。そして凍っていった心、何も思えなくなった哀れなるあやかしの心。
それすらも、愛の温もりは解かして行ってくれるのでしょう。
夢かもわからぬほどに短く儚いものですが、確かに心を取り戻させてくれるのです。
一度きり、一度きりですが幸せなときを僕にも齎してくれるのです。人間と同じように幸せを感じること、僕にも許してくれるのです。
欲が出てしまうのはそのせいでしょうかね。
そうは思いつつも、僕は楽しみにし大切にするのです。
甘く優しい幸せなそのときを。
一枚、また一枚。風に吹かれ少しずつ散る、美しい姿を桜は見せてくれます。
たまに強く風が吹き、花びらに包まれるのはとても心地が良いものです。幸せや愛を示すような、桜色の部屋にいられるのですから。
しかしその果ては、美しいものとは異なります。
散り終えてしまえば、当然の如く花は残っていません。
全ての花を散らし、葉に包まれる木となります。それは僕が好むものとは違う、その点では桜と人の世は違うと言えるのでしょう。
僕はどのような人間の姿も好きですから。
もしかしたら、共通するのは暖かくなる季節の桜だけなのかもしれません。それほどまでに短い時間で人の世を表すなんて、桜は素晴らしいものと益々思ってしまいます。
これは新たな発見でしょうか。
永遠に美しくいてくれる訳ではありません。永遠にその花を咲かせ続けてくれる訳ではありません。
桜はすぐに散って行ってしまうのです。
だからこそ、僕は桜を素晴らしいと称えるのです。だからこそ、すぐに花を散らしてしまうからこそ、桜が好きなのです。
そしてそれは、人に対しても言えるところがあるのでしょう。
永遠ではなく、すぐに最期を迎えてしまう。
短く儚くだから美しむ、そう考えることにしたのです。
堕ちて行く姿を好むと言えば、まるであやかしのようで嫌だったから……。
それは、たった一刻の夢。
夢か現か。それすらわからぬ夢心地の時間。
君が隣にいてくれる、君と一緒にいる。ただそれだけで、僕の気分は幸せの最高潮にありました。
永遠にこの気持ちに浸っていたい。そう思ってしまいそうなほど、幸せな時間です。
一度きりではありますが、頂へと誘ってくれるのです。
しかし頂へと昇ってしまえば、これ以上はありません。
空でも飛べる、あやかしのような人間でもなければ上になど行けません。
昨日まであんなに温かかったのに、今日はなんだか肌寒く感じます。
冷たい風は僕の幸せを吹き飛ばして行きます。それは容赦なく吹き抜け、全てを奪って行ってしまうのです。
遂に華を亡くしてしまうのですね。
あれから何年経ったのでしょうか。
僕の心に残った大きな傷は未だ癒えず、また桜の木の下に来てしまいました。
幸いと言うべきか、見物客は僕以外にいません。どうやら人の世はまた大変な事態へ陥り、桜を見ている場合ではないらしいのです。
人間の元へ行く回数も極端に減りましたし、詳しくは知りませんけど。
それにしても、桜と言うのは真面目で強かなものですね。
桜並木を整えてくれる人間は、もうここにいません。枯れてしまう悲しい木も無数にありましたが、それでも桜は花を咲かせてくれます。
誰も見ていないというのに、怠ることなく毎年満開を迎えていました。
何も魅せる為に花を咲かせている訳ではないでしょう、それくらいの知識はありますよ。
なぜなのでしょうか。
いつの間にか、無意識のうちに。僕はここに足を運んでしまうのです。
温かくなる度に、廃れた都の桜を一人で眺めるのです。毎年毎年ここにやって来てしまうのです。
衰えてしまっても、僕は都を離れることを拒みました。そこで暮らし続けていると、その中で君に出逢います。やがて君も衰え散り行き、それでも僕は都を離れることを拒んでいるのです。
”いつまで引き摺っている、小さい奴だな”とでも、誰かに言って欲しいものです。
そうすれば、踏ん切りがつくかもしれませんのに。想い出は想い出と、心に仕舞えるかもしれませんのに。
人は動き去って行ってしまいます。
しかしこの桜は、ずっとここにいてくれています。
僕がこの都を訪れた頃は、小さな小さな木でした。それが今や空に届くほど大きくて、どれほどの時が経ったのかを教えてくれます。
君と笑い合ったあの日も、変わらずに桜はここにいました。ここで咲いていてくれました。
充実していた最高の幸せ、最高の日々。それを思い出すことが出来る、それどころかもう一度そこに戻ったような夢すら見られます。
大好きな、とても大切な木なんです。
桜の木の傍には、それによく合った風情ある都が栄えていました。
しかしそれも、今となっては遠い昔のことのようです。この僕の記憶すら、薄れて行ってしまっていますよ。
街はなくなり、人は去ってしまいました。それでも桜は咲き誇ります。
まるで僕を待ってくれているかのように、桜は毎年花を咲かせてくれます。
僕も毎年この桜に会いに来ます。この桜が待っていてくれているような、そんな気がして。
それに、あの日と変わらないものはこの桜くらいだから。
「あははは」
一つの考えに至り、僕は笑いを溢しました。
この桜は、唯一の僕の友なのではないでしょうか。
この地が国の中心だった頃から、ずっとここにいます。何百年何千年もの時間を、僕と桜はこの場所で過ごしました。
最早この地にいるのは、僕とこいつだけとなってしまっています。
それでも共にいるのだから、それでも共にこの地を愛しているのだから。それは友なのではないでしょうか。
実に美しく、桜は咲き誇っています。
満開は少し前であったようですね。今は儚く散って行っていますが、それでいいのです。
その姿こそが美しく、僕が愛しているものなのですから。それにもう気付いていますから。
今更、その感情を捨てる気などありません。その感情を醜いものと、己を嗤い自分の気持ちを否定する気もありません。
心が思うままの美を堪能し、笑えればいいのです。
「やはり思うのですが、桜と言うものは人の世を映しているようですよ」
誰に言うでもなく、僕はポツリと呟く。
誰も聞いていないと思うであろうこの言葉。でもきっと、僕の友達は聞いてくれました。
そしてなんの感情を示すか、多くの花びら僕の頭上に落として来ました。それは恐らく、桜なりの戯れと言うものでしょう。
それは、たった一刻の夢。
それは、たった一刻の幻。
今でも君の愛に満たされた心、一瞬の幸せ。
今まで愛した方は、愛するけれど失ったあとは失った悲しみに苛まれました。
しかし君だけは違うのです。失ってからもずっと、ずっとずっと君との幸せな記憶は幸せなまま残っています。君への愛は変わらず残っています。
醜い僕にも汚されないほどに、君は清純な方だった。その証拠ですね。
君への思いは募り、年に一度きりですが最高のときを迎えてくれます。
君と言う美しい華が散った日。そう思うと、この桜には君の魂が宿っているとも感じられます。そこで僕のことを見守ってくれている、と。
君のことを考えていると、僕の瞳から雫が零れました。
それに気付き、僕は酷く驚愕します。あやかしが涙を流すなんて、そんな筈がありませんから。
僕はそこまで人に近付いていたのか、嬉しくも思い悲しくも思いました。
様々なことを毎年気付かせてくれる、大切な日。僕はその日を、いつまでも大切にしたいと思います。
最高の瞬間が過ぎ去れば、もう落ちて行ってしまいます。
「ああ、僕の友よ。ありがとう。出来るだけ、お前にも会いに来るとするよ」
命日にだけ、僕の愛しい君にその体を貸してくれているのでしょう。
だとすれば、友にも会いに来ないといけませんね。なんだか、僕の言葉に桜が笑ったような気がしました。
落ちて行ってしまう、ただ落下していくだけの命。残るのはそんな命です。
落ちて行く以外に、本当に何もないのでしょうか。そうは思いますけど、上がる続ける道など存在しないと知っています。
上がり続ける道などいらない、今ならそう思えます。
いつか落ちる、けれど上がることの出来る坂道を僕は求めます。
永遠など必要ではない、それも君が教えてくれたのかもしれません。
自らの家がある山に戻り、籠もっていると改めて思います。
桜はズルいですよね。
殺風景な部屋の中、茶色の木だけが見えます。桜のように美しい花がどこかにあれば、そう思ってしまいますね。
つんと鼻を突くような、不快な香りが漂います。それが人間と関わり過ぎた罪なのだから、止むを得ないでしょう。しかし桜の香りがどこからしていればどれだけ気分が晴れることか、そう思ってしまいます。
家の外の木々は、ガサガサと風で音を立てます。桜のように美しい音を奏でてくれれば、そう願ってしまいます。
桜を見ると、その下で奏でられる琴の音を思い出します。
だから桜の音は、僕の作った想像かもしれません。しかし外の木々が桜ならば、どれだけ僕はこの家を好きになれたことか。
しかし僕は引っ越すことも許されません。
この山には妖力を封印する力があるのだそうです。
君がいた頃は、君がいつも宥めてくれました。都が栄えていた頃は、まだそれほどまでに乱すこともありませんでした。
愛しそれを失い、何もない今。睡眠時にはどうしても妖力が暴走してしまうので、ここにいるしかないのです。ここは封印の力があると、仙人と名乗る人間が僕をここへ連れ来ました。
本当に僕が迷惑を掛けているならば、それに従わざるを得ないでしょう。
人間が与えてくれた幸せを想えば、これくらい苦しくもなんともない筈です。
ただここにいると桜の美しさを想ってしまいます。
だから眠るときにはここに戻るけれど、目を覚ますと桜の元へと通うようになってしまいました。
散り行く桜は儚い雰囲気を醸し出し、僕の五感を擽るのです。
そんな美しい姿を持つので、僕は桜を何度でも見に来ます。友に会いに来る、そんな想いもあり僕は桜を見に来ます。
桜を友と思える今の僕ならば、花のない季節の桜も楽しめます。
やがて傷が癒えると、封印すら不要となるまでに回復しました。君のことは今でも愛していますが、もう乱したりすることはないと思います。
そろそろ人の世に出ても大丈夫でしょう。
あれは僕に快感を与えてくれる、素晴らしい幸せを見せてくれます。久しぶりの訪問だから、感動はより強いでしょう。
桜と共通する、人の世の美しさが僕は大好きなんです。
それは、たった一刻の夢。
瞬きのような短い間でも、目を閉じる度に瞼の裏に映る。なんとも美しい、僕が何より願う幻。
しかし僕はもう弱くない。目を逸らすことなく、新しい世も歩けるようになりました。
たまに苦しい現実から逃げたくなることもあります。
そんな中、見つけた一枚の花びら。僕に最高の癒しを与えてくれる、美しいものです。
他に昔の面影は殆んどないけれど、新しいこの都市にも桜が植えられました。人間が繰り返して行くのは、悲しい歴史だけではないようですね。
一度きりかもしれませんが、感動へと誘ってくれるのです。
満開のときはすぐに終わってしまいます。
しかしたとえ終わったとしても、その美しさは僕の中に焼き付いています。寒い季節が訪れようとも、僕の心を癒してくれます。
だから綺麗な目を持ったままでいられるのでしょう。
綺麗な目で物事を見られる、綺麗な目で桜を楽しみ続けられるのでしょう。
花が咲くのではなく、残っているのは花びらが落ちて行く時間です。
散っていく以外に何もありません。散っていく以外に、何もなくていいのです。
咲き続ける桜の道。そんなもの欲しても何にもなりません。それはそれで、最高とは呼び難いことなのですから。
今の僕には、散っていく桜の魅力もわかります。
僕は散り行く姿も愛し抜きます。こんな風に僕を変えてくれた君には、深く感謝しなければなりませんね。
どれだけそれが悲しいことだとしても、どのような姿も愛し抜きます。
それが本当に愛すると言うことだから、僕はそう考えますから。
悲しみから逃げたりはせず、僕は最期の最後まで愛し抜いて見せるんです。
今僕が過ごしている日々は、確かに孤独の日々でしょう。
誰の隣にいることも許されず、以前の僕ならば恐怖に怯えてしまう日々。
そんな孤独の日々の中、僕はいつも幸せを思い出します。思い出を忘れるでも引き摺るでもなく、思い出として取って置けていますから。それが今の僕の強さですから。
悲しまずに幸せになれるなんて、この場所はいいですね。
君との思い出がたくさん詰まった、この場所で。
君にもう一度会えた気にすらなれますよ。ずっと憎んで来た神だけど、君と巡り合わせてくれたことには感謝しましょう。
「ありがとうございます」
君とお互いの夢を語り合った、あの日の思い出が詰まる大切な場所です。
そして二人で、誓いを交わしましたね。
いつもいつも僕はここに来て、凍りそうになる心を温めます。温かい心は、僕を人間へと近付けてくれますから。僕に優しさと言う大切なものをくれますから。
一人になっても、僕は微笑むのです。
思い出に溢れている、この場所で。
もう一度その夢や誓いを、思い出します。
決して忘れはしません。平和な世の中を作り上げる為、平和な世の中に生きる為に。
君の夢見た世界を、この僕が必ず作り上げる為に。
僕は君の為に、平和の為に努力するのです。あの日と変わらないこの場所で。
桜吹雪に包まれて。