桃の花を散らして姫は去る
三月になると、僕の村では盛大にひな祭りを行う。おひな様とお内裏さまに選ばれるのは、何よりの名誉だったのである。
あの年のおひな様は、また一段と綺麗な女性であったな。
君。誰よりも輝いていたよ。君。美しかったよ。
身に纏っていたあの綺麗な飾りは、きっと僕の一生を掛けても手に入らないほどのものなのだろう。
それを華麗に着こなして、君はひな壇の一番上に座っていた。最も高いところで、柔らかく微笑んでいた。
まるで、全てを見守る神のように。
君はなんだか少し照れ臭そうにしていたね。
ほんのりピンク色に染まる頬は、花開く桃の花と同じ色。それでも、花よりもずっと美しかった。
微笑む君の姿は、僕の心を打ち抜いた。僕の目には今まで見てきた何よりも美しく見えて、儚く見えて。
敵国も含めて、全国を巡り歩き、その中で選び抜かれた美しいお召し物。
でもその数々すら、君に相応しいものとは言い難い。僕はそう思う。
君を一目見れば誰でもそう思うさ。
なぜなら君は、その何よりも輝いているのだから。歴代どのおひな様も及ばない、圧倒的な美しさで。
そんな君を見た僕は痛感したよ。
空の上の存在なんだなって、遥か遠くにいるんだなって。登ることを許されぬこの階段は、僕と君との格差を見せ示しているかのようであった。
君に触れると言うことは、神に触れるくらい難しいもの。そうなんだね。
どんなにどんなに僕が高く手を伸ばしたところで、君に届くことなんてないんだ。
ひな壇の横の桃の花は、祭に合わせて花を開いていた。君の微笑みの美しさに、心を射抜かれ桃も花を開かせたとすら思えたね。
仄かに甘酸っぱい香りを漂わせ、その魅惑は僕を酔わせるのに十分なもので。
春の訪れを告げるかのように、小鳥も囀っていた。それは村中から聞こえる音楽を共に奏でているようで、君の美しさを謳っているようにも聞こえて。
それはそれは爽やかな気分、僕は春色に染まっていたと思う。
動物も植物も、全てがまるで君を祝福しているように思えた。
君の美しさを称え、君の栄光を讃えているように思えて。
君が微笑み春を呼んだとすら思えたくらいだ。それほどまでに、僕は君に魅了されていたのである。
同時に、全てがまるで僕を拒んでいるように思えた。
醜い僕が美しい君を汚してはいけない。優しく笑う桃や小鳥も、そう念を押し僕を監視しているように思えて。
楽しげな笑い声すら、僕を嗤っているように感じられてきていた。
君と僕では全く釣り合わない、と。
その通りなのだから、僕だって素直に受け入れる他ないとも思ってはいたが。
いつも君は優し過ぎるほど優しい微笑みを浮かべてくれる。
いつもいつでも君の瞳は優しさに溢れ返っている。
それが果たして君の本心であるか、僕には判りかねていた。本当は僕に助けを求めているのだろうか、そんな自意識過剰な考えにも陥っていたよ。
稀に、君の優しい瞳は悲しみを映す。いつでも優しいのだけれど、どうしても儚さが残る。
そしてその瞳の奥にいる存在は、僕なんかではなかった。
僕なんて所詮、君にとっては数多くいる観覧者に過ぎない。特別でもなんでもなかった。そのことにやっと気付く。
無理にでも君は全員に笑顔を振り撒いているというのに、それを僕だけのものと思っていた。
そして美しい君は僕に気があるとか、馬鹿みたいなことを本気で考えていたよ。
勝手に勘違いして思い上がっていただなんて、なんとも格好悪いことか。その頃の僕に言ってやろう。
勘違い乙。
三月になると、私の村では盛大にひな祭りを行う。我が子がおひな様やお内裏様に選ばれるのは、何より名誉なことであった。
私の親はその名誉を心より望み、幼いころから私をきつく躾けてきた。
反抗と言うことを知らなかった私は、良いように操られ素晴らしい結果を残そうと努力した。素直に喜んで貰いたいと思い、努力を続けた。
そして私は、おひな様の座を勝ち取ることが出来た。
綺麗に飾りられて、私はひな壇の頂点に君臨している。
自分が勝者であると言わんばかりの、自信に満ちた笑顔であったと思う。
けれどそれをも私は飾る。
模範解答通りの作られた微笑みで、私は笑顔を覆った。
そして今、誰もが憧れる孤独の頂点に君臨している。
そこにいるのは、私ではないと思えた。
その存在は私と全然異なるもの、そう思えたんだ。だから私は怖くて、何も出来なくて。
自分を隠すことしか出来ない。そいつの醜さを、皆が愛していることは知っているから。
私はそいつに隠れることしか出来ない。私の醜さは、誰にも曝してはいけない。そんな気がしていたから。
どうすればいいの? 何もかもが、余りに醜く見えてしまう。
それこそが、私の醜さだというのに。
この服や飾りは、私の為に用意されたものなんかじゃない。
あくまでも親の為、親の名の為に用意されたもの。それは知っていても、私に逆らう力などない。
まるで操り人形のような行動を、私は取らないといけないの。用意された台本に、従うことしかない。
私の意思では、何をすることすら許されはしない。それが、おひな様となる者の運命。
「親に感謝しな。おひな様にさせてやる為、懸命な努力を続けていたのだから」
そんなことを村民たちは言って来る。
それでも私は思った。反対に、親が私に感謝をして欲しいくらいだと。
努力しているのは認めるし、そのおかげで私は贅沢を出来ている。でも娘がおひな様になったと言う名誉は、十分な恩返しになっていると思う。
どうして感謝しなければならないのだろうか。
私は望んでひな壇の上で微笑む訳ではない。それなのに、どうして私が感謝をしなければならないのか。
どうせ私の意思など関係ない。だって私は娘ではなく、道具としか思われていないようだから。
どんなに叫びを上げようとも、私の声は届かない。決して届きはしないことを、痛感せざるを得なかった。
ひな祭りの日、色鮮やかな明かりが灯された。
そしてそれは、私の栄誉と桃の開花を祝う筈のもの。花の美しさを消して、私を照らす為のものではない。
残念だわ。私の好きな季節、冬はもう終わってしまったんだ。
それを告げるかのように、小鳥は囀っている。
聞きたくない鳴き声だけれど、私は耳を塞ぐことすら許されない。おひな様は、小鳥とも仲良しであらなければいけないから。
祭りも演奏も、全てがまるで私を祝福してくれているように思えた。
そうとでも思わなければ、もう私は壊れてしまいそうだったから。私が私を壊してしまいそうだったから。
それに、そう思い笑っていた方が両親だって満足してくれる。
同時に、全てがまるで私を嗤っているようにも思えた。
なんとも弱いものか。手が届くことはおろか、声すら届けることが出来ない。
あまりにも非力で言葉を答えることすら叶わないんだ、と。
いつも聞こえてくる、私を羨んだり称えたりする声。
それなのに私は、素直に喜ぶことも出来なかった。
だって皆が見ているのは、決して私なんかではないんだから。
中には私を見ている人もいる。でもその人が持っている感情は、私を称えるようなものではない。
醜い僻み妬み嫉み、そんなものばかりなのだから。
だから私は、その何もかもを聞きたくなかった。
皆が思っているほど、私は強くないから。逃げ出したいと願い、逃げ出す勇気すら持たない。
だけどこの村にいる限り、聞きたくなくても聞こえてしまう。
何も行動には出来ないから、私は耳を塞いでいた。手で耳を押さえ音を拒むことは容易だが、私はその勇気も持たない。
意識的に何も聞きまいとし、耳からはいる音を遮断するくらいしか出来なかったの。
そんな私を褒める人がいるとでも思ったのだろうか。
自分が特別と思い込み、優越感に浸っていられた私へ。
勘違い乙。
人形かのような完璧な微笑み。それは可愛らしくて、美しくて。
その姿を見た僕は、君が完璧な存在なんだと思っていた。何よりも神に近く、僕とは生きている世界が違うとすら思っていた。
しかし僕は、それが君の演技であったことを知る。
そして君との距離が縮まるに連れ、その苦しみにも触れることが出来た。
一人孤独と戦う、悲しい君の。
君自身は、僕と同じなんだ。神々しさは放つけれど、本当は僕と同じ人間なんだ。
だから僕は救いたいと願った。僕にも救えると、奮い立った。僕が救わなければと、奮い立った。
遥か上空に座らされて、人々の視線を浴びて。望まない栄誉を手にして、ただただ苦しみ続ける。
我慢をしていた君は、その苦しみを僕に打ち明けてくれた。それならば、僕が救わなければいけない。
手も届かぬ下界にいる僕が、助けようとするんだ。一人怯える君のことを。
期待なんてしたくない。希望を持ってしまうと、絶望もしてしまうから。
それなのにどうして? なんの感情も持たず、人形となることを決意していた私。何も考えないようにしていたのに。
まだ逃げたいと思っているようで、期待してしまう。信じてしまうの。
君は私を助けてくれるんじゃないかって。
勝手だよね? 君は迷惑だよね? 私を連れ出せば、君は皆の敵になっちゃうもん。そんな迷惑、掛けられない。だけど、助けて欲しいとも思っていて。
こんな想い、君に届いて欲しくない。それでもいつかこの思いが、君に届いたらいいなとは思ってる。
どうすればいいの? いつか君は私を助けてくれる。
そう、本気で信じてしまいそうになっているの。
有り得ないのに。そんなこと、有り得たりはしないのに。
そもそも、私が三月を耐え抜けばいいだけ。今から億劫になっているより、楽しんだ方が私だって君だって幸せ。
そんなこと、気付いているのに。
村民が、否、民衆が求めている美しさ。
民衆共が美しさと思い込んでいるもの。そんなものの為に、私はひな壇ににいる。
それならば、私である意味なんてない。私ではなく、この煌びやかな衣装がそこに残っていればいいのでしょう。
私が守るべきものはここにない。私がここにいる意味も、ここにはない。
人より美しいと、幼少時より言われてきた。
自分でそうは思わなかったけれど、その態度は好かれないと気付く。だからいっそ自らの美しさを売り、私は上へと昇り詰めようとした。
けれど美しさに磨きを掛けたところで、誰も私を好いてはくれない。
外見のことしか見てくれない。そんな村民なのだから、仕方がないだろう。
それを知った私は、自分を飾ることをやめた。本当の私を見てくれる人がいるから。
だから、だから私は行動するの。
いつまでも思い通りになる人形でいると? 私は延々操り人形でいるつもりはない。
今を乗り切ったところで、また両親は私を利用しようとする。
一人では生きていけないから、私は贅沢をさせてくれる両親のもとにいた。ご機嫌を取り、傍にいさせて貰った。
それでも今は大丈夫。もう一人じゃない。私は戦えるの。
私が動く筈ないと安心しきっていたのなら、こう言ってあげましょう。
勘違い乙。
桃の花を散らして姫は去る。




