終わりを告げるかのように
十二月三十一日、二十三時五十九分。そんな時間が示されいた。
チッチッチ
時計の音が鳴り響く。そしてカチッと少し大きな音を鳴らし、それにより僕はわかった。
新しい年に突入したのだ。一月一日、零時零分。きっとそれが今の時刻。
始まりを僕は祝いたい。
新年を迎えたら、気持ちも切り替わると思った。それなのに気分は暗いままで、祝うことなんて。
鐘の大きな音が聞こえてくる。それも嫌で、僕は必死に耳を塞いでいたんだ。
なんだか、始まりを素直に喜んだりなんて出来ない。
これから始まると言うことは、今までは終わったと言うこと。それを認めたくないんだ。
そんなことに苦しみ、僕は耳を塞ぐ。始まりを告げてくれる鐘の音を聞きたくないと、耳を塞いでいたんだ。
この世は平和になった。だから僕も、平和な世の中を生きていくことが出来るんだ。
それは願い続けていたこと。ずっと願っていたことが叶ったんだから、もっと喜ぶべきだよね。
一刻の休憩ではない、永い安らぎを手にすることが出来た。
新しく、平和な世の中を生きていきたい筈。僕はそれを願い望み、追いかけ続けていた筈。
それなのにどうしてなのだろう。理由はわからないけれど、僕の気分は暗いままだったんだ。
今まで僕が生きて来た世界はもうここにない。争いばかりの世界ではなく、平和な素晴らしい世界にすることが出来た。
そんな素敵な変化。
それでも、変化する世界に僕は取り残されてしまったんだ。変わって行くことを恐れて、僕は立ち止まっていた。
変化していく世界。僕の感情は、喜びよりも戸惑いでいっぱいになる。
そしてその戸惑いを隠すことなんて出来なくて。結局僕は、顔を隠してしまっていた。
平和な世界へ行くことが出来なかったんだ。
去年のまま、立ち止まった僕の時は動いていない。そんな臆病者の僕のことも、君は待っていてくれた。
この寒空の下、君は僕のことを待っていてくれた。
凍えてしまいそうなほど寒い筈なのに、君はそれを表情にも出さない。
僕を温かく迎えてくれる為、君は細い体を必死に温めてくれた。温かい微笑みを絶やさずに、僕のことを待っていてくれた。
終わりなど訪れない。とまで言われた長い戦いが終わり、僕は君の隣に帰ってくることが出来た。
こんな幸せなこと、他にはないだろう。こんな幸せを手に入れた人、他にはいないだろう。
何にも代え難い最高の幸せを手に入れた。
平和、そして君。繰り返し起こる戦い、戦場を駆け抜ける僕がずっと欲し続けていたもの。何よりも欲しいと願っていたものを、今の僕は持っている。
何も不満なところなどない。僕は最高の幸せを手に入れた筈なのに。
初夢を見た気がする。とてもとても縁起の良い初夢を、見たような気がしていた。
そしてそれは、今や現実となっている。
夢が現かもわからない、曖昧な幸せ。
それを僕は堪能したかった。手に入れたかったけれど、手を伸ばすことを恐れてしまっていた。
富士山を見ても鷹を見ても茄子を見ても、僕は喜んだりしなかっただろう。
そんな僕が見た夢は、僕が最も見たいと思っていたもの。僕が最も手にしたいと思っていたもの。
一般的に縁起がいいと言われているその三つではない。
君だよ。
幸せな空間で、僕は君を見たんだ。
その夢の君は、現実の君とよく似ていた。見た目だけではなく、行動もね。
ずっと温かい微笑みを浮かべ、僕のことを待っていてくれたんだ。
だからこそ、僕は君の下へと行けなかった。手を伸ばすことが出来なかった、その程度の勇気すら持てなかった。
ズルいよね。
僕を待っていてくれる君は、いつもそう。腹を立てるでもなく、疲労を見せるでもない。
今浮かべている表情と同じ。柔らかいその微笑みで待っていてくれるんだ。
一月一日の朝、僕の胸の中を満たしていた感情。
それは幸せや祝福ではない。不安、恐怖、そんな負の感情ばかりが溢れ出ていた。
その感情が僕を満たす理由。僕はそれを知っていた。新年を迎えてではなく、その前から僕はそれに気付いていた。
知っていたからこそ、更にそんな感情ばかりが溢れ出て来て。
だから知らないふりをしたくて、僕は問い掛けるんだ。
「どうしてだろう」
しらばっくれた表情で、何度も。
孤独の中戦ってきた僕。
それでも今は、僕の隣に君がいる。
君は僕にとっての全て。君さえいてくれるなら、僕は他に何もいらない。
君だけを、と願い続けて来た僕。
今は夢が叶った。全てを手にし、何よりも大切な時間を生きている僕。
幸せの最高潮。幸せを噛み締め、何もかもを素晴らしく想えるような日々。
僕が生きている今は、そんな幸せの筈なのに。
初夢を見たせいであろうか。
僕が一番避けたい事実、堪え切れない不安。
夢か現かもわからない、曖昧な狭間で。
それは悪戯好きな君の、可愛らしい悪戯だと思いたい。しかし現実の君とは比べ物にならないほど、その君は演技が上手い。
悪戯、演技。それにしては、少し上手過ぎるんだ。
そんなもの偽者だ。
僕は惑わされない。そんなもの、偽物に決まっている。
ただの夢、現実になんてならない。絶対、正夢となる日は訪れない。
脳ではきちんと、それが贋物であることを理解している。
それなのにどうして。どうして、こんなにも不安になるのだろうか。
君だよ。
悲しみの空間では、君が僕を見てくれない。
当然さ。僕なんて見ないだろうな。
だってその君の隣には、あいつがいたんだから。
あの世界では、それも当然のことなのか。あいつの表情を見ていると、そう思えた。
君とあいつは、何かを話していた気がする。
何を言っていたのか。それは聞こえなかったのでわからない。声の聞こえる近距離、そこへいく勇気が僕にある筈もないし。
それに、僕は近付いてはいけないように感じた。
君の隣はあいつの場所、僕の場所ではない。君の傍に僕の居場所はないんだ。
君の表情を見ていると、そう思えた。
だって僕にしか見せない筈の表情をしていたのだから。柔らかいその微笑みで、君はあいつを見ていた。
今でも思い出す。
「君は帰って来ない」
そんな言葉を否定し、僕は孤独と戦った。
孤独に押し潰されそうになった。でもそんなときには、君を想うと少し気が安らいだ。
寒さに凍える冬の夜。一人でいると、寒さは増すような気がした。
だから僕は、君を待ち続けていたんだ。
決して、もう君を一人にしない為に。
君を信じて、世界を信じて。幸せを信じて待っていると、神様はご褒美をくれたりするんだ。
君と僕の運命を繋げてくれる。いつも、君のことを僕のところまで連れて来てくれる。
それでも一つ、不安なところがある。
幸せなのか、と言うことだ。僕は確実に幸せを感じているが、問題は君。
疑問に思う。
僕のところに来ることで、君は幸せを手に入れているのか。本当はもっと広い世界を見たいんじゃないかって。
初夢を見たような気がする。
幸せでいっぱいになれる、素晴らしい夢。僕の夢を写したような、素晴らしい夢だった。
現実になって欲しい、強く願うもの。だからこそ、現実から遠いもの。
この幸せを永遠にしたい。
恐怖など捨てて、僕は縁起の良い初夢を抱く。掴み取りたいから、高く手を伸ばす。
届くことなどない手を、高く高く……。
一般的に初夢に見るといいと言われているもの。
そんなもの、僕は全く求めはしない。僕が見た縁起の良い初夢と言うのは。
誰が言い出したかもわからないもの、嬉しくない。
僕にとっての、僕だけの為の初夢。
君だよ。
幸せな空間で、君と僕は見つめ合う。
寒い中、君は僕を待っていてくれた。
本当は寒いに決まっている。こんな寒空の下、たった一人で待っていたんだ。寒いに決まっている。
それなのに、僕を気遣って寒そうな素振りも見せない。僕を温めてくれる為、冷たい体を温めてくれていたんだよ。
気付かない筈、ないじゃないかッ。
勇気を出そうにも、君が優し過ぎてしまう。
あまりに優しいから、近付き辛いよ。君の優しさが遠くて、悲しくて。
そんな僕を君は見ていたね。柔らかいその微笑みで。
終わりを告げるかのように。