灰色雲の行き場
曇り空の中、いつも僕の隣を歩いていた人の姿はもうそこにはない。それでも、僕は目の前に見える灰色の少しばかり古く見える車に向かって歩き出した。
僕が助手席に乗り込むと同時に、エンジンが力のない声で唸る。それに合わせてゆっくりと彼の車が動き出した。僕は俯き加減に運転席の彼の表情を伺った。彼は特にこれと言った表情を見せずに車の運転に集中している。しばらく様子を見ていると、それに気づいたのか彼が横目でこちらを伺う。
「別れたんだってな」
僕は力なく頷いた。
「どうして別れたんだ? あんなに仲が良かったのに」
「うん、仲は良かったよ」
彼の方を見るのを止め、窓から見える景色に目を移した。
「だったらどうして?」彼は穏やかな声で続ける。「性格が合わなかった、とか?」
「そんなところだよ、たぶん。彼女に悪いところはない。悪いのは全部僕だ」
天気は曇りでも、街を行く人たちはいつもと変わらない。きっと、雨でも、晴れでも変わることはないのだろう。同じ道を辿れば景色も同じようにきっと変わらない。
景色を見るのも飽きて、また僕は助手席の中で俯く。いつもなら、このお世辞にも座り心地の良いとは言えないシートで自宅に着くまで眠りにつくところだが、今日はどうも眠れるような気分ではない。
「寝ないのか。珍しいな」
彼は意外そうに、目を丸くした。
「今日は眠れそうにない」
僕はわざとぶっきらぼうに聞こえるよう答えた。
「一人で抱え込むのは良くない」
「僕が? そんな風に見えたかい?」
彼はステアリングを握ったまま、表情を変えずに頷いた。
赤信号の交差点に差しかかり、車が動きを止める。この交差点を過ぎれば、もうすぐ僕の家だ。気が付かない内に時間が進んでいたらしい。きっと景色を見ている時だったのだろう。
「これで何人目だ」
「さあ、もう僕にはわからないよ」
僕は大げさに首を振った。彼には視界の隅でしか見えてないと思う。そして、溜息。
「もう、紹介するのはやめにした方がいいか?」
彼の言葉通り、今まで僕と恋人と呼べる関係にあった人物は、全員が彼からの紹介だった。だけど、どの人物ともあまり長続きはしなかった。その中で今回の人とは、珍しく半年以上関係が続いたが、ついに先日、関係を解消する事になった。
そして、どの関係も僕から別れを告げている。原因が僕自身にあることは理解していた。だからこそ、彼の言葉は僕に刺さる。
「いや、大丈夫」
無理に笑顔を作ってみせる。彼には見えてないだろうけど、無理に笑顔を作っていることは、たぶんばれているだろう。
「なにかあれば相談に乗るぞ」
僕は無言で拒否の意思を示した。通じたかどうかはわからない。
信号が青に変わり車も発進する。
それから、無言の時間がしばらく訪れ、間もなく僕の家に到着した。
「それじゃあ、また」
ドアを開け、別れを告げる僕の腕を彼がつかむ。突然の事に僕は驚きを隠せずにいた。動揺したせいで、自分がどんな表情になっているのかすらわからない。
「なにかあったら、また相談に乗るから」
彼は微笑んでみせた。
そう、君が優しいから、優しすぎるから、僕は言えないんだ。
僕は胸の奥から込み上げるものをなんとか堪え、彼から逃げるように車を出た。すぐにでも家の中に逃げ込みたかったけれど、彼の車を見送るまでは家には入れない。
曇った空は明日には、晴れるだろうか。
彼の車が見えなくなるまで、そんな事ばかりを考えながら見送った。