3話
甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。首筋にかかる熱い空気と身体に触れる生温かい物体に覚える快楽。このまま深い眠りに……
『はーい!イチャイチャ終わりーっ!!』
無数のノイズと共に聞こえたやかましい声が俺の耳を切り裂いた。微睡んだ意識に浸っていたところを邪魔されて現実に引き戻される。
「うるせーっ!!」
柄にもなく大声を上げながら目を開け、声のした方を睨みつける。
「イチャイチャするな!!」
一体何を言い出すんだ、こいつは。
「イチャイチャするな!!」
同じ事を2度も……。
「イチャイチャするな!!」
「イチャイチャしてませんって。そろそろうるさいんで黙ってくださいよ、理事長。」
目上の相手だということも忘れ苛立ちを露わにする俺に理事長である雷残廻はこちらを睨みつつ、しかし馬鹿にしているのか状況を楽しんでいるのかへらへらとした笑みを浮かべながら言った。
「服のはだけた美少女を寝取っておいて何を言う。」
「……は?」
恐る恐る後ろを振り返る。服のはだけた美少女なんてどこにもいない。
「え?いないじゃないですか……」
そう俺は答えたはずだった。
「この……」
「変態がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
殴られた。御織に。かなり全力で。
俺の体はしなやかな曲線を描き、鈍い音を立てて壁を突き抜けた。
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俺が授業に復帰したのはその日の2時間目からだった。 契約の疲労によって眠ってしまった俺と御織はそのまま朝を迎え、何故か俺が変態のレッテルを貼られて気絶した。そして目覚めて今に至る。
2時間目の授業は戦闘実技。勿論、契約者との共同戦術を学ぶわけだが。
「瀬高、秋嶋チームはまだかっ!!」
「す、すみません……」
「瀬高はどこだ!!」
知らねぇよ、んなもん。 むしろ俺が聞きたい。
心の中で悪態をつきながらも相手は教員なので当然のように謝罪し下手に出る。何より戦闘実技の担当教員なのだ、喧嘩して勝てる相手でもない。
周囲からはクスクスと笑い声が聞こえる。
「瀬高ってあれだろ?白い狂犬……。」
「そうそう!!可哀想だよなー、問題児の相手なんてさ。」
「えー、でも瀬高さん可愛いからいいじゃん!!」 「どうやらああ見えて巨乳らしい……。」
「ちょっと!アンタらそんな話しやめなさいよ!!」
「ごめんごめん」
「でも何か……もうできてるって噂も……。」
「俺はもうヤッたって聞いたぞ!!」
「マジかよ……。」
「えー、ありえないっしょー。」
軽蔑を含む冷たい視線とまるで漫才でも見るような視線が俺の背中に突き刺さる。
……。
ってか御織は巨乳なのか……。
……じゃなくて。なぜそんな噂が広がってるんだ。デキてもいないしヤってもいない。残念ながら僕は貞操を守り続けているのだから。
俺はグッと唇を噛む。まさか転校そうそうに変態のレッテルを貼られるとは。フォローしてくれる友達はまだいないし。若干憂鬱になりながらも授業を受けるために自分の座席へ戻ろうとすると先生に呼び止められた。
「とりあえず……今日のペアはどうする?」
「は?」
「だから、契約者がいないとこの授業受けられないだろ?」
「……」
「……」
「……じゃあサボります。」
そう言って俺は教室を出た。契約の疲労もまだ残っているし俺だってまだ健全な男子高校生だ。当然授業なんか面倒だし受けたくはないのだ。変態のレッテルも貼られたし……。
「ちょ……まてっ!!」
教師の声など聞かずに歩き出すと校内放送が俺を呼んだ。
『えー、ごほん。御織ちゃんとその契約者の変態くん、それから夏希ちゃんと眼鏡!』
いやいや、その呼び方は無いだろ……。
『今すぐ俺の所集合ね☆』
どこだよ……。そもそも誰だよ……。
その場で呆然と立ち尽くす。突っ込み所が多すぎる。
「廉斗」
ぼんやりとどうしたら良いかを考えていると背後から声をかけられる。
「御織……」
振り返ると御織は既に歩き出していた。こいつのせいで怒られるし変態扱い受けるし哀れみの目で見られるし、転校そうそう災難ばっかりだ。出来ることなら関わりたくもなかった。
しかしそんな俺の浅はかすぎる不満などすぐにかき消されることになる。
「急ぐわよ。」
何時もと変わらぬ真顔とは裏腹に張りつめた声。その目が静かに揺れていた事など俺には知る由も無かったが、明らかに状況が切迫している事だけはわかった。白銀の少女は早足に目的地へと向かう。俺は急いでその後をついていった。