2話
俺は絶句していた。 職員室前に貼り出された真っ黒い紙には白い文字で俺の名前が踊っている。
他の生徒はそんな俺はまるで存在しないかのように慌ただしく走り去っていく。
……ただ一人、隣に立つ美しくも近寄りがたい真っ白な少女を除いては。
話は数分前に戻る。 四時間目の授業を終えた俺は校内放送で呼び出された。 無論、場所は職員室前。
そこには既にひとだかりが出来ており、その群衆は俺を見るなりばつの悪そうに逃げて行った。
遠くからでも分かる明らかに存在を主張しすぎな黒い紙。 俺の胃がキリキリとなる。
そう。 その黒い紙こそが、今日からの俺の契約者を告げる悪夢なのだ。
明らかに事態を拒絶する胃を押さえながら紙を見つめる。
『一年強行科:秋嶋廉都』 まぁそりゃそうだ。
『二年強行科:瀬高御織』 ……。 誰?
見覚えの無い名前。と言うか読めない。おんおり?
そんな事を考えつつ俺はその紙を見上げていた。
「ねぇ…貴方が秋嶋廉都?」
芯の通ったハスキーな女性の声。しかし気を抜けば聞こえなくなるのではないかと不安になるような細い声だった。
反射的に振り返った先は今まで見ていた黒い紙とは正反対な白い世界だった。 その白さが俺の目を刺激する。
「えっと…そうですけど…」
そう言って顔を上げた俺は自分が『秋嶋廉都』である事を認めたことを後悔する。
そこに立っていたのは今朝の殺気の正体。
瀬高 御織
通称 『白き狂犬』
♡♡
「だからさ~駄目なんだって!!」 明らかにかったるいと言いたげな表情で20代後半と思われる若い男が頬杖をつきながら言った。
茶色い木製の家具を中心に質素にまとめられ た部屋 壁際にはそれに不釣り合いな賞状やメダルが飾られている。
この部屋の主である学園の理事長、雷残 廻は俺と隣の少女を交互に見ながらニヤニヤしている。 正直キモチワルイ。
「だから、何で私が吸血鬼と契約しなきゃならないのよ!」
「えー、いいじゃん。何か色々お似合いだよ?身長差とか。」
「そんなことどうでもいい!これ破棄しなさい、今すぐ!!」
そう言いながら御織は先程の黒い紙を廻の机に叩きつける。
「あーうん。わかったわかった。じゃあ契約の儀式するよー。」
「わかってないじゃない!」
俺は2人の漫才にしか見えないやりとりをぼんやりと眺めていた。
…はずだ。
どうして俺はこの最早キャラなんて全く定まっていない白いのと密室に閉じ込められているのだろう。
……ってか理事長どこいった?
ぼんやりとしすぎていたおかげで何も思い出せない
。
「えーと…瀬高さん…?」
「御織。」
「へっ?」
少女の予想外な短い返答に思わず漫画みたいなリアクションしてしまった。
「名字好きじゃない。」
「え?あ、そなの?」
静かに頷かれてしまった。さっきまでの理事長への激しすぎるツッ コミはどこ行ったのだろうか。
「で?俺は何をすれば?」
契約の仕方など知らない。御織なら知っているだろうと思い尋ねたら思い切りにらまれてしまった。
ライオンが獲物を狩るような鋭い目つき。そこには明らかな蔑みと拒絶の色が伺えた。
「……」
「……」
沈黙を破ったのは御織だった。
「契約、しないから。」
「え?」
「契約なんてしない。」
契約しなければ魂の破壊が出来ない。そんなことになれば強行科は退学である。任務が遂行出来ないのだから。基本的に学園の決定は絶対だ。それに背けば下手すれば自分が魂を狩られてもおかしくない。
「契約なんてしない!!」
「でもそんなこと…」
「私は一人で任務をこなす。今までもそうしてきたのだから。」
そう言って御織は立ち上がると扉の前に立った。 いつの間にか右手には大剣が握られている。 男の俺ですら片手では持てなそうな大剣を俺より小柄な白い死神は片手で軽々と振り上げ 、扉のに向かって勢いよく降り下ろした。
閃光。
「う…あ…」
御織は苦しそうに床にうずくまった。服が所々焦げて破けている。朦朧とした目で部屋の隅についたカメラを睨みつけた。
「だめでしょー?ちゃんと契約しなきゃ。」
放送を介して理事長の能天気な笑い声が響く。
扉から出た電流は金属製の御織の大剣ごと彼女をを貫いていた。
雷残の名前の通り、理事長の廻は雷使いだ。恐らく今の扉への仕掛けも理事長がやったものだろう。御織が契約を拒むことも分かった上で逃がさないために。
見張られた完全な密室。相手の要求に従うしかないのだろう。
相手の要求
つまり御織と俺が契約すること。
「廉都…」
かすれた声で御織が俺を呼んだ。
御織は心底嫌そうな、今にも泣き出しそうな顔で唇を噛んでいた。半ばはめられたらような形であのへらへら適当な理事長の思う壺になったことがよほど悔しかったのだろう。
「契約…しなさい。」
「あの…契約ってどうやるんですか?」
「……」
「……?」
横になった状態の御織と目が合うとすぐ気まずそうに目を背けられてしまう。
そんな状態で理事長の馬鹿笑いが部屋に響いた。
「ちょ…ま…グフフ…。どっちも契約のやり方知らないとか…ギャハハハ!」
『笑いすぎだ!!』
思わず御織と声が重なってしまった。確かに俺達は契約の仕方を知らないがそこまで笑うことはないだろう。
「なんだかんだで息ぴったりじゃん。」
「う…」
「契約…契約のやり方…ギャハハハ」
「うるさいな!」
「契約のやり方ね。わかったわかった。教えるから……あはは!」
そう言った理事長の笑い声が途絶えると同時にどこからか一枚の紙きれが落ちてきた。 そこに描かれていたのは複雑な魔方陣と文字列 。
「二人の血使ってその魔方陣描いて。」
理事長の指示に従い俺は魔方陣を描き始める。 動けない御織の血と俺の血を混ぜ合わせ人が1 人入れる位の大きさの魔法陣き終えるとまた理事長から指示があった。
「その魔方陣の中で秋嶋くんの血を御織ちゃ んに入れてほしいんだよねー。ぶっちゃけそれだけで契約なんておしまいだし。」
それを聞いた御織の表情が曇った。
御織の体を抱き上げ、俺の膝に座らせる。制服を少しだけずらすと細く白い首筋が露になる。
体に力の入らない御織は俺に寄りかかる形で座った。体温が染みてくる。熱い。
首筋に顔を近付ける。髪のほのかな甘い香りが鼻腔をくすぐった。御織の熱い吐息が頬にかかる。
俺の体にかかる柔らかく確かな存在感を持つ御織の体は折れてしまいそうに細かった。
軽く抱き寄せ首筋に噛みつく。う……と御織が小さなうめき声を上げた。
御織の血は今まで飲んだどんな人間よりも甘く、どんな死神よりも透き通っていた。甘美な蜜に溺れるような感覚。頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
吸った血の分、俺は自らの牙から御織に俺の血を流し入れた。御織が俺の制服の裾をぎゅっと掴んできた。 別種族の血を流し入れるのはそれなりに痛みを生じるのだ。勿論、それは吸血鬼には無い感覚なのだが。
牙を抜き、首筋に出来た傷痕を優しく舐める。吸血鬼につけられた傷痕は吸血鬼の体液以外では治すことができないのだ。
死神は吸血鬼に服従することになる。それが本来の形だ。しかし今はそれは形だけで実際は逆になって いる。吸血鬼に戦闘能力が無く、だんだんと死神が吸血鬼を倒して下克上するようになったそうだ。
電流で麻痺した御織の体を寝かせると、御織は寝息を立てていた。後々聞いた話だが、契約時に吸血鬼から血を入れられる行為は予想外に体力を使うらしい。
つり上がった目から大人びて見えるが寝顔は普通の少女だった。 月明かりに照らされて御織の白髪がキラキラと光る。俺はそんな彼女の寝顔にしばし見とれていた。