美少女、事故る
第九十八話 美少女、事故る
いよいよ劇が始まる。
「アユミちゃん! 大丈夫?」
萌香ちゃんが心配そうな顔で声をかけてくれる。何とか安心させなきゃと思い返事をするも……、
「だ、ダイジョブデス」
と、よくわからない発音で返してしまう僕。全然大丈夫じゃないです。
落ち着かなきゃと思うけど、舞台裏の空気や、体育館に来てくれている人の声を聞いてしまうと、どうしても緊張してしまう。
心臓があり得ないくらいのスピードでバクバク言うし、口を開けたら飛び出てしまいそうだ。
「こういう時は、人って書いて飲み込むといいんだよ!」
「もう五十人ほど飲み込んだんだけど……」
僕の答えに萌香ちゃんは「あはは」と笑った。笑うしかないよね。
「アユミ、ちゃんと練習したんだから大丈夫だろ」
「良治は全然平気そうだね」
萌香ちゃんの後ろから出てきた良治は、爽やかな笑顔をしてサムズアップをしている。
「いやいや、今すぐにでも前転倒立しちゃいそうなくらい緊張してるぞ」
「なにそれー。あはは、全然緊張してないじゃん」
いつも通りの良治を見ていると、少しだけ安心できた。
それに、良治の言うとおりだ。それに僕だって一生懸命練習してきたんだ。
余りにもな棒読みで恥ずかしい思いもしたし、良治と二人で練習して笑われて恥ずかしい思いもしたし、町娘とは思えない可愛い衣装着ちゃって恥ずかしい思いもしたんだ! あれ……恥ずかしい思いしかしてない!?
まあいいや! 恥ずかしい思いがもう一個増えたって今更感あるってことだよね! 女の子は度胸だ。
「なんにせよ、劇が始まったら泣いても笑っても最後までやるしかないんだ。どうせなら楽しもう」
「うん……。そうだね」
楽しもう……か。良治はいつも僕を応援してくれる。
男の子だった時から今まで変わらずに接してくれて。いつも助けてくれた。
だから僕は好きになってしまったんだ。きっと良治には届かないだろうけど、それでも僕は隣にいたい。隣にいられる今を大事にしたい。
『次は一年A組の出し物です』
体育館いっぱいの拍手とともに、ステージの幕が開く。よし、頑張ろう。
劇は順調に進んだ。
初めは緊張で声が小さくなってしまったりもしたけど、だんだんと周りの事が気にならなくなっていった。
後半に向かうにつれ、楽しくなっていく。ステージの上で演じると、まるで自分ではないような不思議な気分になっていった。
観客席にみんな来てくれているのだろうか。お客さんを意識する余裕はないけど、来てくれているといいな。
このまま最後まで上手くできそうだと、僕は確信していた。
敵国に囚われの身となっているヒロイン役の僕を助けてくれた幼馴染役の良治。
愛し合う二人が再び出会い、一緒に国へ戻るという山場も終え、いよいよ物語はクライマックスに向かう。
再び戦地へ行かなければならない良治を僕が引き止めるシーンだ。
この戦地は現状で最も苛烈な場所で、向かえば生きて祖国の地を踏めないと言われている。国のために、戦地へ向かう意思を固めた良治に必死で追いすがる。
「君と別れてしまうなんて、僕だって嫌さ! でも、しょうがないんだ……。」
スポットライトが良治と僕だけを照らす。
劇もクライマックス。幼馴染役の良治とヒロインが別れ、ヒロインが別の国へと旅立ってしまうシーンに差し掛かった。
良治の言葉に対し、ヒロインは最後の一言をかわし、口づけをする――。
はずだった。
あれ……?
――次の言葉が出てこなかった。一番大事なところの一言だったのに、セリフが全くでてこない。
頭の中が真っ白になった。
まずいまずいまずい! 考えても考えても全くセリフがでてこない。完全に抜け落ちてしまっている。
緊張と恥ずかしさで顔も体もゆでたこのようになってしまっている。
僕は良治の方を見る。
良治は、僕のことを不安げな表情で見ていた。ここぞという時にどうして僕はダメなんだ。
「あ……」
何か声を出さなきゃ、そう思ったけど声はでない。出せない。
このままじゃ台無しになってしまう。
あんなに練習したのに。あんなに! どうしよう。
「……君のために必ず帰ってくる! そう、僕は必ず帰ってくるよ」
「え……」
僕は小さくつぶやく。
次は僕のセリフで、良治のセリフではなかったはずだ。
「あ……」
そして僕は思い出す。
「必ず帰ってくる」。そうだ! 「私のために必ず帰ってくると約束してください」だ。
良かった! 思い出した。
「私のために、必ず帰ってくると約束してください」
そしてヒロインは幼馴染の少年に寄り添い、キス――の真似事をする。
これでそのあとはナレーションが入って劇が終わる……!
僕は台本通りに良治に向かって駆け寄る。
「きゃっ」
足がもつれた。
良治まであとわずかのところで。
セリフを忘れて極限まで緊張し固まっていたのが、何とか乗り越えられた安心感から弛緩してしまったせいかもしれない。
でも、転ぶわけにはいかない。何とか踏ん張ろうとするもそれは叶わず、僕は良治に飛びついてしまう。
そして――。
暖かくて柔らかい感触と、そのあとに歯がぶつかる痛み。
「「え!?」」
僕と良治、お互いが声を漏らす。
それでも良治は僕が倒れないようにしっかりと支えてくれた。
まさか、今、僕は……。
あの感触は。
僕は唇にそっと手を触れる。
一つ間をおいて会場内から歓声が上がった。
「うおおおお」とか「キャー」とかで大盛り上がりだ。最早動物園のような騒ぎになっており、何がどうなっているのかわからない。
でも僕にはそんなことどうでもよかった。
良治と……キスしてしまった。
そのまま幕が下りたからよかったものの、今の僕は最早劇どころではなかった。
良治とキスしてしまった……。
そのことしか頭になかった。
唇に手を触れると、その事実を思い出してしまい顔が熱くなる。
劇が終わってから、クラスのみんながいっぱい労ってくれてたけど、何も頭に入ってなかった。
ああ、どうしよう。僕の頭の中はそれだけだった。
嬉しい……と言う感情はなかった。
事故とは言え、良治になんて謝ればいいんだろう。良治からしてみれば、僕とキスしてしまうなんて気持ち悪いと思っているだろう。だって男の子だったことを知ってるんだから……。
きっと嫌われた。そう思うとショックが大きすぎた。
「――ちゃん、アユミちゃん!」
「あ、萌香ちゃん……」
控室となった教室で、萌香ちゃんが声をかけてくれた。
僕の雰囲気がおかしかったから、気を使ってくれたみたいで、萌香ちゃん以外のクラスメイトの姿はなかった。みんなに迷惑をかけちゃった……。
「大丈夫? 顔が真っ青だよ!?」
「あ……うん」
僕の体調を心配してくれたようで、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「大丈夫……」
「どうしたの? 保健室行く?」
「ううん、大丈夫」
萌香ちゃんは僕の頭をやさしく撫でてくれる。
その優しさが嬉しい反面、少し辛い。友達にもこんなに迷惑をかけてしまっている。
「アユミちゃん、辛そうだね。我慢しなくてもいいんだよ?」
「うん……」
優しい萌香ちゃんの顔を見ていると、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
「僕……、良治とキスしちゃった」
「でも、あれは事故だよ?」
「事故でも! 事故でも、きっと良治は嫌だから……」
「どうしてそう思うの?」
「だって、良治は――」
僕が男だったことを知ってるから、とは言えない。僕は言葉に詰まる。
「大丈夫だよ」
萌香ちゃんの言葉に根拠はないと思う。でもちょっとだけ安心してしまった。
「大丈夫!」
そう言うと萌香ちゃんは僕を抱きしめてくれた。
「あー♪ アユミちゃん、やっぱりいい匂いするし柔らかいし、大好きー」
「えっと、その!?」
「んふふー。冗談冗談! 大丈夫だよ。良治君、アユミちゃんに「気にすんな」って言っておいてって言ってたもの。にやけ顔で」
「そう……なの?」
「うんうん!」
実際良治が気にしてるのか、どうかはわからない。……でも救われた気がした。
気を使ってくれてるのかもしれない。いや、にやけ顔で言ってたなら、案外大丈夫なのかな?
「気にすんなって言いつつ、アレは絶対喜んでるって!」
「そうなのかな……」
喜んでるって、もしそうだったら、嬉しい……のかな? でもあれは事故だし……。
「そうだよ! だからアユミちゃんも気にしない事! むしろラッキーだったって思っとこ!」
ラッキーかあ。そういう考え方もできる……かな? でも――、
「やっぱりキスはちゃんとしたかったなぁ」
「アユミちゃん……! 可愛いー♪ もうすっかり恋する乙女じゃん!」
やば、声に出てた。あわてて口を塞ぐも、もう時すでに遅し。萌香ちゃんに抱きしめられて頭をワチャワチャとされている。
「うううー! 今のなし! なしだから!」
「もう遅い―!」
うわあああ! よりによって聞かれたくない子に聞かれちゃったぁああ!
「んふふ! じゃあ後は……いつ告白するか、だね!」
「こ、こここここ」
「アユミちゃん、ニワトリみたいになってるよ!」
それは萌香ちゃんが爆弾みたいな発言するからでしょー! 僕が良治に告白なんて……考えたこともなかった。
だってそれは、それをしてしまったら、きっと今の関係は壊れてしまう。
……でも、そうだね。変わろうとしなきゃいけないのかもしれない。
芳乃さんも、「ここだって時に、ちょっと頑張るだけ」って言ってた。このまま文化祭が終われば、きっといつもの日常に戻ってしまう。文化祭という特別なイベントだから……良治と劇ができる今だからこそなのかもしれない。
「あっ! アユミちゃん。スマホ鳴ってるよ」
「え!? ホントだ」
僕は慌ててスマホを手に取る。
メッセンジャーアプリが新しいメッセージを受信したようだ。
ええと、差出人は……? 蒼井君だ。
メッセージは……『今から会えないかな?』
僕がメッセージを見て固まっていると、萌香ちゃんが「どうしたの?」と尋ねてくる。言おうか言うまいか迷った僕だったけど、結局は萌香ちゃんに蒼井君からメッセージが来た旨を伝えた。
すると萌香ちゃんは「ほほう」と意味ありげに呟いた。
「アユミちゃん、どうするの?」
「うん。行ってくるよ」
「そっかぁ。頑張ってね!」
鈍感な僕でも、蒼井君からの呼び出しが何を意味するのかは理解できた。
僕にできることは、僕の素直な気持ちを伝えるだけだ。
話の大筋は昔考えていた者とかわってないです。
劇中劇をどうするか、とか色々悩みすぎましたが、「よく考えたら、劇中劇をそのまま話として落とし込む必要なくない?」と脳内の何かが囁いた結果結局こんな感じになりました。