美少女、文化祭に向けて歩き出す③
第八十六話 美少女、文化祭に向けて歩き出す③
劇の練習が始まる。
役を貰ったクラスメイトは、僕を含めて教室の前方に集合し、台本を手に大きな円になって立ち並ぶ。
大道具や小道具、音響その他の係の子も、実際に役を演じているところを見てみたいと思うらしく、みんな一様にこちらの様子を伺っている。
うわぁ、緊張する……。本番じゃこれより多くの人に見られながら演じるんだよね。考えただけで気が遠くなりそうだ。
「アユちゃん、大丈夫?」
たまたま隣に並んだ東吾が僕に声をかけてくれた。
そんなに心配をかけてしまうような顔をしていたのだろうか。いや、しているんだろうなあ。緊張しすぎて、体が震えてるくらいだもの。
「それじゃあ、まず佐倉さんのセリフからいこうか」
三田君の無慈悲な宣告に、一瞬体がびくっと反応しまう。
「ひゃい!」
そしてなんだかよくわからない返事をしてしまった。
みんなが一斉に僕を見るので、さらに上がってしまう。と、兎に角落ち着かないと。頭に水を入れたやかんを置いたら、お湯をわかしてしまうんじゃないかってくらい体が熱くなっている。
僕は一回息を大きく吸い込んで、そのままゆっくりと吐き出す。
少しだけ頭が冷えてきた。よしっ、僕は心の中で掛け声を発し、台本に目を落とす。そしてセリフを読む。
躓かずに読めたっ。そう思って顔をあげる僕。しかし、視界に入った三田君の顔はいかにも残念な顔をしていた。
「さ、佐倉さん。もう少し大きな声でお願い」
三田君の指摘を受けて、がっかりしてしまう。
でも、指摘された内容はもっともだ。教室の中ですら小さいと思う声が、実際の舞台の上で、広い体育館の中で聞こえるかというと聞こえないと思う。
僕、大きな声とか出したことないんだけどな……。どうしたものかと考えたが、とりあえず兎に角声を振り絞ってみることにした。
大きな声で、と意識して頑張ってお腹から声を出してセリフを読む。
「うん。大きさはまあまあなんだけど……うーん、まあ初日だしとりあえず進もうか」
三田君は腕を組んで暫く考えていたけど、結局こう言って次のセリフに移る。
僕はというと、暗にヘタクソということを言われているのを理解して、軽く落ち込んでいた。セリフを読んだ方としても、上手くないのはわかっているけど……。自分で分かっているのと人に言われるのでは、また違うんだよっ。
うう……。噛まずに読むことに集中しすぎちゃってるのかな。難しいな。
「佐倉さん、気にすんなよ。初めてなんだから仕方ないって」
そう言って笑う須藤君。笑いながら頭をぽんぽんと手で軽く叩いてくる。
ちょっとムッとしてしまったけど、そんな様子は外に出さないように気を付けた。同性の子や、良治に頭を触られるのはまだいいけど、やっぱり男の子に気安く触られるのは、少し戸惑いを覚える。それに髪だって綺麗に整えるの大変なんだぞっ。
そんな僕の思いをよそに、須藤君のセリフがやってくる。彼は劇中では僕の幼馴染役ということなので、僕と同じくらいに序盤に出番が多い。
さらさらと台本を読む彼。悔しいほどに上手にセリフを喋る。
これがいつも人前で快活に喋っているクラスの中心人物と、身内とこじんまりと集まっている僕の差なのだろうか。
「どうだった? 佐倉さんっ」
「えっ!?」
いきなり僕に感想を求めてきたので、驚いてしまった。
感想は監督の三田君に聞けばいいのにっ。むう、僕が上手くできないのに当てつけてきているのかな。
しかし彼の顔を見ると、ニコニコしているし、何となくキラキラしている気がする。とてもそんな悪気があるように思えない。
うう、自分が上手くないからって卑屈になってしまうなんて良くないよね。
「俺の演技はどうだったかなっ」
「うん、良かったと思うよ……?」
「いよっしゃあああ」
僕に演技の良し悪しを聞かれても、何となくいいような気がするって感じの曖昧な答えしかできない。自分より堂々としていて、自分より上手いことだけはわかるものの、それがいい演技なのかはよくわかっていない。
そもそも良いか悪いかを言っていいような立場にいない大根役者なんだよね……。
だから語尾に疑問符が付いたような言い回しになっちゃったんだけど、それでも彼は大いに喜んでいる。
暫くセリフを読んでいく。まだ身振りなどはなく、ただ単にセリフを音読しているのだけど、それでも難しい。演じている人物は、どことなく僕と似ているところがあるけど、それでもやっぱり別人なわけで、喋り方に自分とのギャップがあるためにすらすらと読めない。
だから僕のセリフは棒読み……とは言わないまでも、お世辞にも上手とは言えないものだった。
今日はまだ「初日だから」で言い訳がつくけど、今後もこのままだったらまずい。一人心の中で焦る僕であった。
場面が変わり東吾やそのほかの女の子のセリフも入ってくる。どの子も僕よりも上手に演じているように見えてくる。
うう……本当になんでこんな大役を任されてしまったのだろうか。あの時オーケーを出した僕を恨みたい。
やがて徐々に物語はクライマックスに向かっていく。
体の動きなんかはないけど、それでも台本を読むみんなに力が入っていく。僕も頑張ろうとするのだけど、なかなか上手く読めない。
そして問題のキスシーンに突入する。
キスシーンはキスシーンでもラブシーンというわけではない。
国家間の戦争のため、どうしても幼馴染の少年と別れなくてはならなくなったヒロインが、最後に彼にキスをするというシーンだ。ヒロインは気丈に振る舞い、キスをした後に彼に向かって微笑むという流れなのだが、今の僕に演じられるかどうかは甚だ疑問だ。
セリフ自体も棒読みになってしまい、どうしていいのか自分自身もわからない。
一方で幼馴染役の須藤君はノリノリで、セリフだけなのに凄まじい程気合を入れて演じている。
一応一通り台本を通し終わり、お互いに感想を言い合う。
「うーん。佐倉さんがもう少し感情をこめて読んでくれるといいんだけど」
三田君は僕の演技に不満を隠さない。
「ごめん……」
僕はもうただただ謝るしかない。
「ま、まあ初日だから仕方ないけどね。あと二か月弱あるし頑張ろう」
しょんぼりしている僕を見て、三田君はフォローしてくれる。
彼としては、自分が作成した台本なのだから、少なくとも棒読みのような演技は勘弁してほしいのだろう。それはわかるし、申し訳ないんだけど……。
劇中のヒロインと僕のギャップは案外大きい。ヒロインは僕よりももっと感情を表に出す子だ。そこがまた難しい。
役になりきるというのがどんなものなのかイマイチわかっていないからなあ……。
「おーい、三田」
三田君の後ろから須藤君が声をかける。
「あんまり佐倉さんをイジメるなよ」
「い、いや、僕は別に虐めてるわけじゃ」
慌ててしまう三田君。元々三田君も文芸部だしインドア派。あまり須藤君達の輪の中に入ってはいなかったため、少し付き合いづらそうだ。そういうところは少し似ている。
「ははは、わかってるよ。それより、このあと軽く飯でも食べに行かないか?」
三田君が首をかしげていると、須藤君は彼の肩に手を回して強引に肩を組む。三田君は少しびっくりしたみたいだけど、嫌そうでもなかった。
「ポテトでも食べに行こうかなって思ってるけど、どうよ」
三田君は少し迷って、結局ついて行くことにしたようだ。
気づけば東吾も一緒に行くようで、他の役の子と一緒にお喋りをしている。うーん、東吾や良治みたいな社交的な性格は羨ましい。僕は女の子になったけど、結局内面的には元の引っ込み思案の男の子なのだ。
だから、こうやってあんまり話していない人と絡むのは結構難しいというか、何を話していいのかわからなかったりする。
「佐倉さんもおいでよ」
そんなことを考えていると、須藤君は僕も誘ってくれた。
放課後にクラスの子達と一緒にご飯とか、ちょっぴり憧れていたりもした。東吾もいるし、喋る人がいなくて困るってことはないだろう。
「うん、行こうかな」
僕の返事で、劇の出演者チームは大いに沸いたのだった。
こうして、喜んでくれている内が華だよね。
劇でうまく演じられないまま時間だけが過ぎれば、こんな風に悠長に構えていられなくなってしまう。正直今日の僕の出来だと不安しか残らない。なんとかしなきゃ……。
学校から少し駅に向かって進んだところにあるハンバーガーチェーン店に僕ら一同はやってきた。
各自適当なセットを頼む。
放課後のこの時間帯は、結構お客さんも多くて店内も混んでいるのだけど、幸いにして先に入っていた団体客が店を出て行ったので、僕らが座る席は確保できた。
ハンバーガーにポテトとドリンクのセットをトレイに持ち、僕は手ごろな席に座る。
やっぱり真ん中の席は気が引けるし、両隣、前が普段話さない人だったりすると厳しいかなって思って、端っこに座った。
すると、僕のすぐ隣に須藤君が腰かける。
なんでわざわざ隣に座るんだろう。もっと真ん中の方がみんなと盛り上がりやすいんじゃないかなあ。ちなみに僕の前には東吾が座った。おかげで、前も横も話しにくいってことはなくなったので、ずいぶん気が楽になった。
「佐倉さん、ポテト食べる?」
須藤君は何かにつけて、話しかけてくる。多分面倒見のいい人なんだろう。
僕は放っておくと、みんなの会話に混じれないだろうと思って積極的に話しかけてくれているんだろうな。そしてその懸念は多分当たってる。
「僕もポテト買っちゃったから、大丈夫だよ」
僕は微笑を浮かべて彼に答える。
そして自分のトレイの上のポテトを一つ手でつまんで食べた。
暫くはみんなの会話に相槌を打ったりしていたが、話題はやはり劇の内容の事が多かった。まだ今週は教室や中庭で読み合わせを進めるようだ。本番では体育館で上演するのだけど、体育館の使用は来週以降となっている。
体育館を使用しての練習となれば、当然体全身を使った演技の練習になってくる。それまでに今の読むだけで精いっぱいな状態を何とかしておかないとっ。
「どうやったら上手くできるのかなあ」
独り言じみた言葉がうっかりと漏れてしまった。
みんなは「まだ大丈夫」とか「初日だから」とか「これから毎日練習するんだし」と言った感じでフォローしてくれる。まだ初日だし、という気持ちは僕もある。慣れてくればもっと変わってくるはずとも思っている。
でもやっぱり、今の段階でみんなより明らかにダメというのは不安になってしまう。
お喋りも終わり、解散すると、僕は東吾に話しかけた。
「東吾君、どうやったら上手く演じられるかな」
東吾はびっくりすると同時に少し困った顔をした。
「うーん。俺も上手いわけじゃないからなー。とりあえず感情移入するといいんじゃないかな。あとは家で朗読するとか」
僕は「なるほど」と答え、お礼を言う。
兎に角家で台本を何度も読んでみようかな。
駅に着き、電車に乗り、そして自転車に乗る。いつもは良治と一緒に帰っている道だけど、今日は一人。日も徐々に短くなってきたし、今はすっかり暗い。
少しだけ寂しさを感じながら自転車のペダルを漕ぐ。
役をうまく演じられるのか、僕は不安に感じて仕方なかった。