美少女、文化祭へ向けて歩き出す①
第八十四話 美少女、文化祭へ向けて歩き出す①
「はぁ……はぁ……」
逸る鼓動、乱れる呼吸。
僕は肩を大きく上下に揺らす。ゆっくり呼吸を整えて、辺りを伺う。
良かった。どうやら誰も来ていないようだ。
僕が今いるのは階段の下の掃除用具置き場だ。普段ほとんど人が立ち入ることがないこの場所は身を隠すのに都合がいい。
呼吸が落ち着いてくると、辺りを静けさが包む。時々遠いグラウンドの方で、声が聞こえるくらいだ。
どうしてこんなところに隠れているのか。それは三十分ほど遡る。
******
授業終了のチャイムが鳴る。
クラスが一気に解放感に包まれる。担任の山中先生が入ってくるまで、雑談タイムが始まる。
僕自身も、一気に解放されるこの時間が一番好きだ。ああ、終わったっていう達成感がある。鞄を机の上に置いて、教科書をしまっていく。しまい終わったところで鞄を抱きかかえて机に突っ伏す。
いつもはこのまま先生が来るまで待っているのだけど、今日はなんだか不思議な視線を感じてた僕はのろのろと身を起こし辺りを見回す。
男の子たちは普通だ。いつも通り須藤君を中心にして騒いでいる。
この奇妙な視線は……女の子だ。何かニコニコしながら僕の方を見ている。時々、「キャー」なんて声が聞こえてくる。嫌な感じの「キャー」ではないところが救いだけど、何故そんな声が上がるのかはよくわからない僕はその様子を眺めているしかなかった。
遠巻きでジロジロ見られるのは余りいい気分じゃない。笑いものにされてるっていうわけじゃないし、腫物扱いともまた違う印象だけど、何となく気味が悪い。
と、そこへいいタイミングで山中先生が入ってきたおかげで、女の子の謎の視線も薄れていった。
ホームルームが終わると、昨日決めた各チームが動き出す。大道具は台本を見ながらどんなものがいるのかを話し合ったりしているし、小道具もそれにならって台本の読み込みを始めた。
僕の出演者のチームもいよいよ練習に入るのか。そう思うと既に緊張で胃が痛い。
そして何故か出演者のチームの子らは僕の席の周りにどんどん集まってくる。
「あの、なんで僕の席に来るの?」
「そりゃあ佐倉さんがこの劇のメインだからさっ」
須藤君がにかっと僕に笑顔を見せる。
うーん、カッコイイ顔をしているなぁ。男の子だった頃の僕とは正反対の男らしい顔をしている。昔の僕はただでさえ顔立ちが中性的――控えめな表現だけど――だったのに、大人しくて控えめな性格も災いして、男らしさという物からほど遠い存在だった。だから彼みたいな人はちょっとだけ羨ましい。
「なんて言っても俺の姫君だからなっ」
そう言って須藤君は胸を張る。
「俺の」って言われても困るんだけどな。それに「姫君」って呼ばれるのも好きじゃない。悪気があって言ってるわけじゃないんだろうけど、ちょっとだけ嫌な気分になってしまった。
「須藤のじゃないだろー。みんなのアユちゃんだろーが」
同じく劇の出演者の東吾がさらりと須藤君の話を否定する。他の役の子もみんなうんうんと頷いている。
大事にしてくれるのは嬉しいけど、当事者の僕としては結構きまずいよっ。
「ちぇー。まあそれでもいいけどな、今は」
須藤君はなんだか煮え切らない感じだったけど、とりあえず引き下がった。
一通り出演者の挨拶? が終わったところで、台本を手にした三田君が前に出る。
「それじゃあ、今日は早速台本を読んでもらおう」
き、来た! 僕の心臓も、その声にきゅーっと縮まるような反応をする。
うう、胃が痛い。
人前に出るのに慣れている須藤君は「まかせろー」なんて言っている。僕もいっそ彼に任せてしまいたいよ。
「それじゃあ、まずはじめのシーンから――」
「はーい、出演者の人、ちょっときてー!」
三田君が僕の方を向いて、何かを言おうとしたところで、教室の後ろに集まっていた衣装チームの声が遮ってしまう。
アブナカッタ。
初めのシーンは、僕の演じるヒロインの故郷の街のシーンで、僕のセリフも多い。というか僕と須藤君と一部の女子くらいしか出番がない。当然読み合わせでも僕のセリフから入るわけで、このままいけば演じなければならないことになっていた。
だから衣装チームの声は渡りに船って感じだ。
ええ、先送りにしかなってないってことはわかってるよっ!
そりゃやるんだって決めたけど、やっぱりその時が来ちゃうとどうしても鈍っちゃうんだよ。うん、こういうところも直さないとダメなのはわかってるんだけどね。
「はやく来て―」
さらに衣装チームが催促をするので、僕らはぞろぞろと教室の後ろに向かう。
衣装チームの中に桜子ちゃんや萌香ちゃんもいる。目があったので軽く手を振ってみると、二人とも不自然なほどニコニコしている。
役に入っていない女の子の大多数が所属している衣装チーム。その全員が僕を見つめてくる。
「来たわね」
桜子ちゃんがにやりと笑う。
身に迫る危険を本能で悟り、一歩後ろに下がる僕。
「じゃあ、衣装製作のために、測量をしますっ。男子はまあ適当に三田君あたりが測っておいて!」
衣装チームの女の子が無慈悲な依頼をかける。三田君は便利屋でもなんでもないんだけど……。一応劇の出演者のチームに入ってるんだし。
「え、僕!?」
当然驚く三田君だったけど、容赦ない勢いで「そう!」と言い切られる。「はい」と答えないと進まないイベントみたいになることは確実に見えたので、三田君は「わかった」とだけ答えた。
「ありがと! なんなら実行委員の高木君もつかっていいからっ!」
思わぬところで名前が挙がった高木君は、教室の前でびくっと身を震わせた。
「それで、衣装チームの女子は何をするんだ?」
東吾が疑問を投げかける。
衣装チームの女の子は人数的には結構なものだ。でも劇の役の数は、チョイ役を入れると男子と女子であまり変わらない。そのうちの半数の採寸を三田君に任せてしまったなら、衣装チームの女の子は誰を採寸するというのだろうか。
「衣装チームの女子は当然女の子の採寸をするわ。特にアユミちゃんのは念入りに念入りに念入りにするわ」
桜子ちゃんが僕を見てにっこり笑う。
にっこり笑っているんだけど、何故か怖い。よく見れば周りの女の子も同じようにニコニコ笑っている。
みんな笑っているのに、僕は寒気がしてきた。そうか、さっきの不思議な視線はここに通ずるものがある……!
「あの、そんなに念入りにしなくてもいいから」
怖くなってしまった僕は、おずおずと提案をする。
「うーん、それだとあんまり合わない衣装ができちゃうかもよ? ぶかぶかだったりピチピチだったり」
それはそれで困る……。ぶかぶかだと絶対転ぶし、ピチピチはもうそれだけで恥ずかしくて演技どころじゃなくなっちゃう。
だから、ちゃんとした衣装にならないと困るんだけど、そんなに念入りにされても採寸するものなのか。というか、何を測るというの。自己申告でもよくない!?
「それじゃあ保健室に行くわよ、アユミちゃん」
「保健室?」
「そうよ。更衣室は放課後混んじゃうから。それともここで測る?」
輪になっている衣装チームの女の子の後ろで採寸をしていた三田君達がぴくっと反応する。
「いや、それはやだっ」
ここで測るとか、もうそれ恥ずかしいって次元じゃないよっ!
それに見せびらかすほど立派な数字なわけでもないし。
「それじゃあ行きましょっ」
桜子ちゃんが僕の手を引く。
何だか、桜子ちゃんの思惑通りに事が進んでいる気がして不安しかない。
えっと、あれ……両サイドを衣装チームの他の女の子が固めて、後ろも……。なんだか連行されているみたいだ。逃げられないようにされているみたいで、余計に不安になってくる。
同級生のしかもクラスメイトだから不安ってなんだろうって気はするけど、みんなの目がぎらついているような気がするんだよね。杞憂で終わればいいんだけど……。
「も、萌香ちゃん……」
不安な僕は、横についてきている萌香ちゃんに声をかける。萌香ちゃんはちょっとだけ申し訳なさそうな顔をすると、「ごめんね」とだけ呟いた。
ごめんって、何がっ!?
保健室に到着する。中に入ると、衣装チーム女子一同はずらりと僕を取り囲む。この布陣、不安しかわかない。
「それじゃあ、アユミちゃん、上着を脱ごうか♪」
桜子ちゃんの言葉に、ごくりと喉を鳴らす女の子達。
ねえっ! 女の子同士なのに、そんなに注目するのおかしくない!? っていうか桜子ちゃんの目が怖い! 完全に己を忘れてるよ。
「それとも脱がしてあげようかしら」
「えっ! いい、いいっ! 自分で脱げるから」
今の桜子ちゃんに任せると、どこまで脱がされるのかわかったものじゃないっ。僕は着ているスクールベストに手をかけると、ゆっくりとそれを脱ぐ。
「おお……」と漏れる嘆息。
いやいやいや! 普段の体育とかでも普通に見てるでしょっ!
「それじゃあ測るねっ。アユミちゃん、腕上げてねー」
萌香ちゃんがさっと僕の胸囲を測る。
あれ、何だか普通じゃん。なんだ、みんなの目が怖いから、てっきり変なことをしてくるのかと思っちゃったよ。早とちりでクラスメイトを疑っちゃって申し訳ないな。
萌香ちゃんは実に手際よく測り、その数字を桜子ちゃんがメモしていく。
他の出演者の女の子の採寸もちゃっちゃと終っていく。あっという間に採寸は終わる。
これでクラスに戻れるよ。変に穿った考え方をしてしまって、無駄に心労だけたまったなぁ。
「じゃあ、次は私が佐倉さんの採寸をするね」
「へ? 採寸はもう終わったんだけど……」
「何言ってるのっ! まだまだ私たちの採寸は始まったばかりよっ!」
言っている意味がよくわからないので、周りを見てみる。その瞬間僕は理解した。
みんな手にメジャーをもってスタンバイ状態だ。何故か出演者の女の子までっ。これはつまり、全員が僕を測りにくるということ!?
いやいやいや、ありえないでしょっ。もういいからっ! そんなに何度はかっても数字かわらないからっ。
しかしクラスメイトはやる気満々。この上がりに上がっているテンションの中、「もういい」とはとても言えなかった。
大人しく二度目、三度目と採寸されていく僕。
一回目の採寸の時点で、既に数字はクラスの女の子達の公然の秘密みたいな状態になっているのに、こう何度も数字を晒されると余計に恥ずかしい。
「はい、測り終わったよ」
四人目の女の子の採寸が終わる。僕はもうこの時点で疲れてきていた。
クラスの子は僕の頭を嬉しそうにゆっくり撫でる。
「あの……なんで撫でるの?」
「ご、ごめん! あんまり可愛くてっ」
さっきからこうである。
クラスの子達は採寸が終わると、頭を撫でたり、ほっぺたをつついてきたりしてくる。
別に嫌じゃないんだけどさっ、何かペットみたいじゃん。
五人目の子が僕の前に出る。一体あと何回僕はこれを繰り返すのだろうか。
「うーん、やっぱり服の上からより、もっと正確に測ったほうが良くない?」
女の子の輪の中から、突如聞こえる無情の声。
だ、誰だっ、そんなことを言うのはー!
「そうだね」「そうね」「私もそう思ってたわ」
そしてそれに賛同する他の子達。
「ま、待って! そんなにしっかり測らなくていいから!」
「でもほら、身体測定の時はブラウスまでは脱いだでしょ?」
「そ、そりゃそうだけどさっ! それとこれとは……」
桜子ちゃんが僕の前に立つ。そして優しくブラウスのボタンに手をかける。
じ、自分で脱げるって! って違う、脱がないって!
しかし注目を浴びてしまって、体がこわばっている僕は、なかなか抵抗ができない。
「いつも着替えの時は、佐倉さんすぐ着替えちゃうからねー」
「やっと見られるわっ」
後ろでそんな声が聞こえてくる。
待って待って! そりゃ確かに僕は着替えの時は一気に着替えちゃうけど、それは恥ずかしいからで……。つまるところ、今こうなっている状況は考えられる最悪のパターンだよっ。
第一ボタン、第二ボタンとはずされていく。
やばいっ。このままだとまずいっ。相手が同性だからと言えども、下着姿を晒すのは恥ずかしいっ。
そして何より、この空気だと下着姿を晒すだけで済まないかもしれない。行き過ぎてしまいそうな予感しかしない。
ここは何とかして逃げないとっ。
保健室の扉の前には幸いにして誰もいない。とは言え、ここで桜子ちゃんの手を振り切って駆けだしたところで、途中で通せんぼされてしまえばジ・エンドだ。
桜子ちゃん本人の運動神経もいい。虚を突いて僕が逃げ出したとしても捕えられるだろう。
ならっ……!
「えいっ」
僕はちっちゃく掛け声を出すと、桜子ちゃんに抱き着いた。そのまま優しく抱きしめる。
「えっ!?」
桜子ちゃんは本当にびっくりしたみたいで硬直する。
クラスの子達も突然の行動に驚いている。
「あ、あ、アユミちゃん!?」
ちらりと彼女の顔を見ると、耳たぶまで真っ赤になるほど赤面している。こんなに取り乱した彼女を見たのは初めてかもしれない。 ゆっくりと抱きしめている手を緩めると、桜子ちゃんはそのまま地べたにぺたりと座り込んでしまった。
「ず、ずるいよっ桜子ちゃん!」
「相川さん羨ましいわ!」「そうよ! ずるいわ!」
固まっていたクラスの子も動き出し、そして騒ぎ出す。
今だっ! この混乱を利用しない手はないっ。僕は一目散に保健室内を駆け出す。
短時間で二度も虚を突かれたみんなは対応できない。
一気に保健室から飛び出すと、僕は人気のない方向へ走しりだす。
******
まあ、そんなわけで、こんな階段の下にいるわけなの。
このまま教室に帰っちゃいたいところでもあるんだけど、教室に衣装チームの女の子がいたら、ややこしいことになりそうな気もして、どうしたものかと途方に暮れてしまう。
そのまま何事もなかったかのように、劇の練習に入れればいいんだけど……。
それに保健室にスクールベストを置いてきてしまったし。クラスの女の子に見つかったら、どうなるんだろう。どうもならないような気もするんだけど、保健室でのみんなは殺気立っていたからなあ……。
今後のことをどうしようか考えていると、背後で何か物音がした。
見つかった!? そう思って僕は振り返る。