美少女、花火大会にて①
第五十四話 美少女、花火大会にて①
「アユミちゃん、降りてきなさーいっ♪」
階下で僕を呼ぶママの声が聞こえる。
何か妙に機嫌がいいのが気になるところだ。ぶっちゃけた話嫌な予感しかしない。
僕がママに女の子になると宣言をしてから早三日が経過している。
勿論その間に父さんや要にも同じように話はしたんだけど、二人は僕がすっかり女の子になってると思ってたようで、「何をいまさら」という顔をされた。一世一代の大決心で話したのにきょとんとされた時の僕の心境を察してほしいよっ。
でも今日父さんの部屋を掃除しに入ったら、写真立てに僕の男の子の時の写真と女の子になってからの写真がどっちも飾られてて、何だか少し嬉しかった。
その父さんの部屋に入ったのも関係するのだが、僕が女の子になると言ったあの日から僕が佐倉家の中で行う家事が増えた。今までは自分の部屋と居間の掃除とかだけだったのに、玄関やら庭やらの掃除、トイレ掃除、父さんの部屋や要の部屋の掃除などなどをママと交代でやることになった。後半の父さんや要の部屋は、自分の部屋くらい自分で掃除してよっと思ったんだけどね……。
何故これが特訓になるのかはわからないけど、ママ曰く「毎日やることは毎日できるようにしておくクセを付けること」が大事だそうだ。でないと将来一人暮らしした時や、結婚した時にサボってしまって大変になる、とのこと。もっともらしいことに聞こえはするんだけど、ママ自身が楽したいだけなんじゃないかと僕はちょっと思っている。
家にいてもやることないし、バイトや遊びに行くときは免除してくれたりと、割と融通が利くので特に文句は言ってないんだけど……。
そうやって担当する家事が増えたりするときは決まってママが楽しそうな声で僕を呼ぶのだ。
さて、嫌な予感はするものの無視もできないので僕は返事をして階下へ向かう。
するとママはにこやかな顔で僕を出迎え、そして何かを広げて見せた。
「浴衣……?」
「そうよー。今日は友達と花火大会に行くんでしょ? やっぱりこれよねー」
確かに花火やお祭りと言えば浴衣かもしれないけど、普通の服の人の方が多いし、着るのはちょっと恥ずかしい。
しかしあんな期待の眼差しで見られてしまうと、NOともいえないんだよね。体育祭のチア服とか、メイド服を着るよりはマシか……。
ママが手にしている浴衣は、薄いピンク色の生地にピンクや紫色の朝顔が描かれていて、とても可愛らしい。着るのはちょっと恥ずかしいけど、でもこういうの着られるのって一年に一回か二回だし……。折角買ってきてくれたのに着ないのももったいない。
それに可愛いし。別に誰に見せたいわけでもないんだけどね。
「わかった着るよ。でもママ、着付けとかできるの?」
「あら素直ね♪ ママを誰だと思ってるの? 泣く子も脱がす女よ。着付けくらい当然嗜んでいるから安心なさい」
要が僕に対してセクハラし始めたのって、ママのせいなんじゃ……と少し思った。
反抗期とママは言ってたけど、しっかり貴女の思いは届いてますよ……。より屈折した感じに。
玄関のインターホンが鳴る。
良治が来たかな。玄関までとことこと歩く僕。何故この効果音なのか。浴衣でガチガチになっちゃってロボットみたい……というのは大げさだけど結構歩きにくいのだ。帯の違いからか、旅館の浴衣よりもさらに歩きにくい。
良治はもう一回インターホンを鳴らす。
「待って待って! 今行くからっ」
下駄を履いて、巾着を持って、玄関のドアを開ける。
「お待たせっ」
良治は僕を見て固まる。
ママが着付けしてくれたから間違いはないと思うんだけど、なんか変だったかな。
僕を見たまま一向に動かない良治の頬をぺちぺちと叩いてみる。
「あのさ、よくわからないネタは仕込まなくていいから早くいこうよ」
「ああ……いや。よく似合ってんな。本当に驚いたわ」
「そ、そう」
良治がまともに喋ってると何か調子狂うなあ。
「いやー、そのうなじのラインがまた格別だよなっ。なんでもない風なのにエロいしなっ! 髪も普段と違ってて可愛いぞ」
今日の僕は髪を頭の上でまとめてお団子みたいにしている。結構この髪をまとめるのは苦労したんだよ。ママに手伝ってもらったとは言え、髪の量も多いし、まとめようとしても乱れるしで、結構難易度が高かったんだよ。やっとできた時は正直嬉しかった。
「えへへ。ありがとね」
褒め方としてどうなんだとも思ったけど、とりあえず褒めてもらえたのも嬉しい。
重ねて言うけど褒め方としては下の中くらいだと思う。それでも自然に笑ってしまう。
「アユミ、どうしたんだ? 今日はいつにもまして女の子だぞ」
「へ? そう? っていうか良治がアユミって呼ぶなんて何か新鮮だね」
今までは「アユム」だったのだ。それが突然「アユミ」になったもんだから、ちょっと驚いてしまった。
「嫌か?」
良治は僕の顔色を伺っているようだ。
「嫌なんかじゃないけど。そもそもどっちも僕の名前だしね」
僕はふるふると顔を横に振る。
学校では勿論「アユミ」の方だし、桜子ちゃんや萌香ちゃん、東吾だって「アユミ」、家でも「アユミ」だったから、嫌っていうのはあり得ない話だ。
「ただ……ちょっとびっくりしただけだよ」
「そうか。まあ、アユミも女の子になったんだし、いつまでも「アユム」って呼ぶのも失礼かなって思ってな」
ひょっとすると、僕が女の子として生きたいと言ったから、変に男の時を意識しちゃわないように変えてくれたのだろうか。
だとするなら気を遣わせちゃったかな。
「あら、良治君。それにアユミちゃんもまだいたの? 遅れちゃうんじゃない?」
玄関先からいつまでたっても出発しない僕らを見つけ、ママが声をかけてくる。
良治がスマートフォンで時間を確認する。
「やべっ。アユミ、急がないとダメかもしれん」
良治はそそくさと道路に出て僕を手招きする。
「えー、ちょっと! 急ぐって、僕この格好じゃ急げないんだけどっ」
僕もカラコロと下駄を響かせ走って追いかけるけど、下駄だし浴衣だしで全然早く動けない。
良治はそんな僕の様子を見て苦笑すると、ゆっくりと歩調を合わせてくれた。それにホッとする僕。このままあわてて言ったら百パーセント転ぶ。自分のことだしはっきりわかるんだねっ。 だから助かったよ。
「まー、遅れたら遅れたでいいか。相川や東吾達にはメッセージでも送っとこう」
案の定僕らはバスに乗り遅れた。
美川市は比較的大きな都市で人口もそれなりに多いけど、昼間の時間帯にばしばしとバスを走らせているわけではない。これで殆ど遅刻確定だ。
「ごめんね。なんか良治まで遅刻させて」
良治一人なら明らかに間に合ってたと思う。僕がどんくさいばっかりに道連れにしてしまったみたいで少しきまりが悪い。
「気にすんなって。アユミが遅いから置いてきたとか言ったら、相川とかにぶっ飛ばされそうだしな」
それは……うん、なんかありそう。なんか容易に想像できちゃったよ。
良治の言葉に苦笑する僕。
バスを待っている間、なんだか結構いろんな人からの視線を感じる。女の子として、人に見られるのは慣れてきたとはいえ、やはりちょっと気恥ずかしい。今日みたいに特別な恰好をしている今は特に気になってしまう。
もしかして何か間違ってるんじゃないか、どこか変なんじゃないか。ママが着付けしたから間違ってはいないと思うんだけど……。
「どうしたんだ? 下向いて」
良治は僕の顔を覗き込んでくる。
「えと、ちょっと視線が気になって」
「そりゃ仕方ないだろ。アユミは目を引くからな。今日なんて黒い髪と相まって、本当に和風の人形みたいだし。姫君っていうあだ名も言い得て妙だわ。和のテイストの衣装だと本当に可憐だぞ」
「うう……。その姫君ってあだ名まだあるの?」
それに可憐だなんて……少し照れてしまう。
良治は僕の言葉ににやっとする。
「まだあるっていうか、学祭が近づいてくるにつれてミスコン出場に期待がかかってて、寧ろどんどん活気づいてるぞ」
「えーっ。ミスコンなんて出ないよっ!」
勝手に期待してればいいよ。どうせ自推しない限り参加しないんだろうし、僕が参加表明しなければそれで終わる話だ。
ああいうのは生徒会長に任せておけばいいと思う。綺麗だし、姿だけなら全く持って問題ない。
「まあそう言うなって。期待されてるってだけなんだから」
「う、うん」
そんな話をしていると、やがてバスがやってきた。
僕らはバスに乗り込む。バスの座席に二人で座る。僕が小柄とは言えちょっと狭い。席に座ると僕は息を吐く。全然歩いたわけでもないんだけど、なんだか疲れてしまった。普段着なれない浴衣を着ているからなのか、下駄が原因なのかはわからない。
「どうした? また具合悪いのか?」
良治がそんな僕の様子を見て勘違いしてしまったようだ。
「具合は大丈夫。ちょっと疲れちゃって」
「おいおい、まだ会場についてすらいないのにか? 着いたら人がすごいぞ」
うっ。僕は低く呻く。人ごみは嫌いなんだよねっ。
僕が小さいからっていうが大きな要因だ。大人の男の人に囲まれれば全く周りが見えなくなっちゃうし。潰されちゃいそうで怖い。テレビの花火大会とか、確かに人が多いしなあ。勿論有名な花火大会と比べれば大した人数じゃないかもしれないけど、それでも多くの人が来ることは予想できる。
「か、帰ろうかなっ」
「待て待て! 花火見に行くんだろ? 後で水あめ買ってやるから、見に行こうぜ」
「……まあ水あめくれるなら行こうかなっ」
基本的に甘いものは好きなのだ。
水羊羹がベストなのだけど、水あめもなかなか捨てがたい。あの甘ったるさは病み付きになるよっ。謎の着色で体によくなさそうなのイメージはあるけどね。
……これじゃまるで食べ物につられたお子様だよっ! 物で釣られるなんて安い女だよっ。
いや、水あめだけじゃないですよ? 花火だって見たいんだよ? ほんとだよ。……などと脳内のアユミちゃん同士が格闘する。
花火が楽しみなのは嘘じゃない。いつも二階のベランダから眺めたりしてただけだったから、間近で見られるのは楽しみだし、わくわくしている。
暫くバスを乗り、電車で花火大会の最寄駅に向かう。
電車の中にはぽつぽつと浴衣を着た女の子がいたので安心した。着てきてる人がいてよかったあ。
駅を進むごとに段々と人が増えていく。
そして花火大会の最寄駅でみんな降りた。
「これはすげえな」
ホームの上は人、人、人だ。
もともと一日当たりで大した利用量のある駅でもないので、ホーム幅も狭い関係もあってか、ホームの上に人がごった返している。
駅でこれじゃ会場付近はどうなんだこれ……。家で線香花火でもやってればよかったよー。
辺りを見回すと良治が少し離れた位置に押されてしまっていた。僕も慌てて良治の下へ進む。
「あぶなかったー! 良治とはぐれたら僕潰されちゃうよ」
そう言って僕は良治の腕の袖を掴む。
「ははは。はぐれないように気をつけろよ。なんかあったら電話するんだぞ」
「う、うん。気を付ける」
徐々にホームの中から人が動き始める。この流れに乗って僕らも改札から外に出られた。
改札出るまでに十分だもんなあ。やれやれ、先が思いやられるよ。僕はこれから花火を楽しむというわくわくと、こんな人ごみの中会場まで向かう上に、帰りはこれがみんな一緒に帰るのかと思うと嬉しさ半分辛さ半分といった顔をした。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
10/12(土)の投稿はおそらくないです;x;
今回はひょっとしたら投稿するかもっていうのもなさそうですorz