美少女、悩んだ末に
第五十二話 美少女、悩んだ末に
「それじゃあ、まったねー」「またね」
電車の中で一人ずつ別れていく。
行きの電車は、皆乗る駅が違うからっていう理由で乗換駅での合流になったけど、帰りはそれぞれの駅で降りればいい。一人また一人とみんなと別れ、ついに僕と良治だけになる。
僕は丁度空いた座席に腰かける。嬉しいことに端っこがあいたので僕はそのまま手すりに寄りかかる。
正直なところ、かなり体がしんどかった。昨日の夜までは結構元気だったんだけど、朝起きたら大変だった。体が悲鳴を上げているのがはっきりわかるだるさ。
夏バテなんかじゃなかった。夏風邪だった。引き始めのところで川でびしょびしょになったのもいけなかったんだろうな……。
とは言え、今日は帰るだけで何かするわけでもないから、何とか耐えられるとふんだ僕は、皆に心配かけるのもよくないので、そのまま隠して今まで来たわけだ。
皆と無事別れたので、後は家に帰るだけだ。
「なあ、歩」
「どうしたの?」
僕の座っている座席の前に立つ良治。
そして一言。
「風邪ひいただろ」
「そっ、そんなことないよっ」
慌てて否定する僕。
「昨日から時々フラフラしたりしてておかしいと思ったんだわ」
違うって言ってるのに、良治は一向に認めない。
良治が僕のおでこに手を当てる。
「わ……」
僕はちょっと驚いたけど、されるがままにしていた。
「うーん。よくわかんないな。熱いような気もするんだけどな。少し顔も赤いし、熱ありそうか」
「多分大丈夫だと思うけど……」
これは嘘だ。昨日の僕だったら多分熱はなかったと思う。
でも今朝からの僕は、恐らく熱がある。本当に具合悪くて熱っぽいと、感覚ですぐわかってしまう。それでも起きた時はまだ熱は低かったと思う。まだまだ動けていたし、微熱程度だったんじゃないかな。だから多分、みんなにも具合が悪いことが気づかれなかったんだと思う。
それが時間が経つにつれてどんどん悪化していった。今ではこうして席に座ってぐったりしているのでも結構つらい。皆に移してしまっていなければいいんだけど……。
「家まで頑張れそうか?」
「うん。それは平気っ」
僕はにへらと良治に笑って見せる。
正直な話、バス停で立ってバスを待つのかと思うと気が遠くなりそうだった。
「そうか。頑張れそうならいいけど、とりあえずタクシー使おうな」
良治はにやりと笑う。
あーあ。全然平気じゃないのがばれてるよね、これ。
「歩は嘘がヘタクソだからな。すぐ顔に出るし。もう具合悪いのばれてるんだから、あんま強がんなよ」
僕はこくりと頷くと、手すりに寄りかかったまま目を閉じた。
タクシーで帰宅すると、ママが玄関で迎えてくれた。
良治が僕の体調の事を話すと、僕はすぐに僕の部屋まで連れて行かれることになった。
僕はベッドに座らせられる。ママは箪笥からパジャマを取り出して僕に手渡す。
「とりあえずこれに着替えておきなさい」
僕は言われたとおりに着替えはじめる。
「最近時々元気ないから、ちょっと心配だったのよ。お友達にも心配かけちゃだめよ?」
僕の脱いだ服を集めてしわにならないように畳むママ。
「うん……」
返事をしながら少し俯く。良治にも結構心配かけちゃったな。
ああ、タクシー代も払ってもらっちゃったし、あとで返さないと……。
「アユミちゃん、最近何か悩んでるでしょ」
僕はびくっとして顔をあげる。
「どうしてわかったのって言いたい? そりゃわかるわよ! ママですから!」
ママはえへんと胸を張る。
なんだかよくわからないけど、それで納得できてしまう。
「あーもう、きょとんとしてるアユミちゃんも可愛いわねー。風邪ひいてなければ抱きしめちゃうのに」
ニコニコ笑っているママは「でもね」と付け加え、急に真面目な表情になって言葉を続ける。
「悩んでいるなら、大いに悩みなさい。なかなか答えが出ないなら、誰かに相談してもいいのよ?」
僕は黙ったまま頷く。
相談って言われてもね。僕の悩みを相談できる人なんて多分いないんじゃないだろうか。そもそも僕が男だったことを知っている人だってわずかしかいない。
それにこれは僕の問題なんだ。僕が解決しないと……。
「こらこら、具合悪いんだからあんまり悩まないこと。疲れちゃうわよ。あと、自分一人で解決するのが何でもかんでもいいわけじゃないからね。頼るときはしっかり頼りなさい」
そう言ってママは僕の部屋から出ていき、扉を閉めた。
行っちゃった……と少しさびしく思っていると、急に扉が開いてママが顔を出す。
「何かあったら携帯で呼ぶか何かしてね♪ 弱ったアユミちゃんのためなら、火の中水の中だからね。あと体温計置いておいたから、熱も測っておいてね」
「あ、ありがとう」
そう言うと、ママは今度こそ部屋から出て行った。
僕は部屋に一人になる。もぞもぞと布団にくるまり、ベッドの脇に置かれていた体温計を腋に挟んだ。
やがて布団の中で電子音が鳴る。
体温計が体温を測り終えたみたいだ。僕はもそもそと布団の中で手を動かして、腋の下に挟んでいた体温計を取り出す。
三十八度二分。だるいわけだ……。
もともと平熱が低い僕にとって、三十八度超の熱は結構な高熱だ。僕は暫く体温計のデジタル表示を眺めていた。枕元に体温計を置くと、僕は天井を見上げる。
僕は一体どうすればいいんだろう。誰もいない部屋で、自分に問う。
男の子として生きるべきなのか、女の子として生きるべきなのか、幾度となく心の中で決めようとした。今まではなあなあで済ませてしまっていた。深く考えなくても、学校で部活して、みんなでお喋りをしている分には全く影響がなかったから。
ただ蒼井君との出会いで、自分に好意を持ってくれる人に対してどう付き合っていけばいいのかがわからなくなった。それも相手は男の子だった。
今まで通りその場しのぎで済ますのは余りに誠意が欠けていると思うし、そもそもなあなあで済ませられない状態に、きっとなりそうな予感もした、
じゃあどうする。
男の子として生きる? でもそうなれば今の友人関係は殆ど終わってしまうだろう。折角みんなと仲良くなったのに、そんなのはできない。
じゃあ女の子として生きる? そうしたら、今まで男の子として生きてきた僕は消えてしまうの?
いや、本当は女の子として生きるのがいいんだってわかってるんだ。もうどうせ男には戻れない。
女の子として生きて、男の子を好きになるのだろうか。好きになれるのだろうおか。多分女の子になったばかりのころは無理だった。でも今はどうなんだろう。女の子のことは同性、友達として見ていると思う。そして男の子を異性として見始めている。
でも、そうして女の子として生きていくことにしたら、男の子だった僕はどこに行ってしまうのだろうか。本人が殺してしまっていいのだろうか。今までの十五年は無駄になってしまうのだろうか……。
「おーい、入るぞー」
部屋の扉が開いて、良治が入ってきた。どうやらノックしていたらしいけど、全然気づかなかった。
手には飲み物を持っている。
「ほら、水分取っておけよ」
「うん……」
僕が体を起こすと、良治はそっとジュースの入ったグラスを渡してくれた。
僕は渡されたジュースを一口飲む。
彼はベッドの縁に腰かけて、そんな僕の様子を見る。
「歩、どうしたんだ? 泣きそうな顔しているけど」
また僕はそんなひどい顔をしていたのか。
「な、なんでもない」
そう答える僕を、良治は怪訝な目で見る。
「本当にそうか? まあ、俺はそろそろ帰るから、体がだるかったら、おばさん呼べよ?」
そう言って良治は立ち上がる。
何だろう、このもやもやした感じは。
「ん、どうしたんだ?」
気が付けば僕は良治のシャツの裾を掴んでいた。
何でこんなことをしたんだろうか。完全に無意識のうちに掴んでいた。
「あ、えーと。その……」
僕は口ごもってしまう。
やっぱり何でもないっていうのは簡単だ。でも、やっぱり何でもなくはないんだ。
自分の生き方くらい一人で決めるべき。それはわかってるけど……、でもやっぱり誰かに話したかった。一人で悩むのは怖いし、疲弊してしまう。
「その、良治はさ、僕が女の子になってどう思った?」
良治はその質問に目を丸くする。
「どうって、そりゃ驚いたけどさ」
「そっ、そうだね。そりゃ驚くよねっ」
僕ら二人は顔を見合わせる。そして二人とも沈黙する。
「じゃあ、僕が女の子として生活しているのは、どう思った?」
「ははは、なんか質問ばっかりだな。どうしたんだよ急に」
少し困ったように笑う良治。でも僕の目を見て、真面目な顔に戻る。
「実は初めは結構羨ましいと思ったりもした。女子更衣室とか入れるしなっ」
「なんだよそれ……こっちは大変だったのに」
良治の言葉に僕はガックリと頭を下げる。
「まあそれもわかってた。慣れてないのはわかりきってるし、四苦八苦してる様子もわかったからな。何とかして適応しようとしてて凄いなとも思ってたぞ?」
「気持ち悪いとか、思わなかったの?」
「なんでだ?」
良治は不思議そうに答える。
何でって言われても、逆に答えにくいんだよね。普通男がいきなり女になって、女の恰好してれば違和感を感じたり、場合によっては気持ち悪いって感じてもおかしくない。
「ああ、女の子になったのがか? でもそれ歩のせいじゃないんだろ?」
「それはそうだけど……」
「気持ち悪いより、むしろ超可愛いとしか思ってなかったけど」
そう真顔で言われると少し照れてしまう。
って違う違う。褒められて嬉しいのはわかるけど、今はそんな話をしてるんじゃない。
「じゃあもし将来的に、僕が男の子を好きになったら、気持ち悪いかな……」
良治は少し驚いたようだ。表情こそ変えていないけど、グラスを持つ手が少しだけ震えたのが見えた。
「いや、気持ち悪くなんかない。歩が、そうしたい、そう生きたいって思ったんだろ?」
「うん……」
またしても沈黙が訪れる。
今度もまた僕からその沈黙を破る。
「ねえ、良治。僕っておかしいのかな。女の子になってまだ長くないのに、こんな風に思って。僕は女の子になりかけてる、それは最近本当に感じられてしまう。でもそれでいいのか全然わかんなくてっ。そのまま行ってしまえば、男だった時の僕なんて消えてしまうんじゃないかって――」
胸の内に湧き上がってくる感情がどんどん言葉になって出ていく。
良治はそれを静かに聞いている。
が、やがてゆっくりと右手を動かし、そして僕のおでこにデコピンをした。
「いたっ! なにするのっ」
「いや、なんか的外れなこと言って暴走してたからつい」
「まっ的外れってっ」
「そもそも女の子として生きようが、男として生きようが、どう選択しようが昔の歩を消すことになんてならないだろ」
「なんで……?」
良治はやれやれというジェスチャーをする。
「歩自身や、俺が忘れないからだ」
「あぅ……」
あまりにもハッキリと答えた良治に対して、僕は返答を持ち合わせていない。
「それに、何で男だった時と女になってからで分けて考えるのかよくわからん。どっちも歩なんだから、分けなくてもいいだろ。今までの歩がとあるポイントで女になっただけだ。
初めは変わったのは性別だけだったはずだし、その時から心も女になってたわけじゃないだろ。大体一人の人間の話なのに、男の自分と女の自分で分けて考えるのがおかしい。
元々人を好いた好かれたなんて話も、自分の考え方も変わっていくもんなんだし、女の子になったなら男を好きになるのも別に普通だろ?」
僕は良治の言葉をただただ聞くだけだった。
難しく考えていたのか。決めなきゃいけないと強く思いすぎていたのか。
僕は女として生きることが、今までの男の自分を否定し消し去ってしまうと思っていた。でも良治の意見は違っていた。
元々同じ人物なんだから、過去の話は過去の話として僕自身の事として記憶に残り、そして今は今で女の子としてあるがままに生きればいい。人は元々変わっていくものなのだから、変化を拒絶する必要なんてない。
何か胸のつかえが取れた気がした。
「ありがとう、良治。おかげでなんかすっとしたかも」
良治に話して、本当に良かった。僕は心からそう思う。
「そうか。そりゃよかった」
良治はにやりと笑う。
「これだけは言っておくが、俺は歩がどんな風になっても友達でいるからな」
「う、うん。ありがと……」
そんなセリフを真正面から言われると、嬉しいんだけど気恥ずかしい。僕は思わず良治から眼を逸らしてしまう。
「うーん、歩が女の子になって、好きになる男性第一号になれたかなっ!」
「あのねぇ……」
呆れた声を出す僕。
まあでも、ちょっとかっこいいとは思ったよ。
「あとな、歩。俺に相談してくれたのは嬉しいけど、十五年間一緒にいた人が他にいるだろ? そういう人にもちゃんと相談するんだぞ」
「う、うん」
良治はもう一度にやりと笑い、ベッドから離れる。
もう僕の手はシャツの裾を掴んでいない。
彼はドアノブに手をかけると、僕の方を振り返る。
「じゃあ俺帰るから、ちゃんと安静にしてろよ」
「うん。またね」
良治は軽く手を振って部屋を出て行った。
部屋に一人になった僕。熱があるのに長い間体を起こしていたせいで、少し疲れた。
布団にもぐりこむと、段々と眠気が増していく。今日は久しぶりにいい夢が見られそう……。
体調も良くなったような気がしたので書きました。
主人公の内面も整理出来そうな感じです。もともと女の子として生きるのが一番自然だと本人もどこかわかってた感じですが、あと一歩踏み切れずに悩んでた感じです。
ただ、内面的な問題もほぼほぼクリアしてしまうとTSから外れてきそうですが……。
話自体はまだまだしばらく続きます。