美少女、アルバイトを始める②
第四十八話 美少女、アルバイトを始める②
「そう、お客さんが来たらにっこりスマイル。その後に何名かを聞いて、席へ案内するのよっ」
「はっはひっ!」
「噛んじゃって可愛いわねー。緊張しなくていいよー。多分佐倉ちゃんなら、失敗しても大丈夫っ。初めのスマイルで相手は魅了されてるだろーし」
そんな都合のいいお客さんばかりじゃないでしょうに……。僕みたいなちんちくりんが失敗したら「ガキのままごとじゃないんだぞ」って怒るおじさんがいるに違いない。
うう、僕どんくさいからなぁ……。面接に来ておいてなんだけど、かなり不安だ。スマイルと言っても緊張してひきつってしまいそうだ。
「まー、緊張しなくても大丈夫じゃない? あたしだって初めは運んだオムライスをリーマンの顔にぶちまけたりしたし。でも謝ったら怒られなかったよっ」
それは謝ったら怒られなかったというより、怒る気力すらなかっただけだと思う……。
ま、まあ誰にでも失敗はあるよねっ。
バイトの先輩の矢崎さんは常にニコニコしてるし、あまり細かいことを気にしない性格のようだ。尤も細かくないこともあまり気にしていないようだけど。
高校二年で僕の一個上の彼女だが、通っている高校は異なっている。
「さーて、そいじゃあ次にお客さんが来たら、案内してみてねー。あっ、オーダーはとらなくていいからね。注文されそうになったら、あたしを呼んでね」
「はっ、はい!」
次のお客さんが記念すべき僕の接客第一号だ。時間的にはお昼をとうに過ぎてしまっているため、いつお客さんが来るのか想像がつかない。
ちなみに僕が面接する前に残っていた主婦のグループは、僕がホールに戻ってきたときには既に帰っていた。
店内はお客さんゼロの状態。矢崎さんは調味料の補充などを始めている。
僕はというと、何をしたらいいのやらわからないので、完全に給料泥棒状態だ。
「矢崎さん! 僕に何かできることないですか?」
「うーん。そうねー。お店の外を掃除してきてほしいけど、それしちゃうと接客の練習ができないのよねー」
矢崎さんは手を顎に当ててうんうん考えている。
「おっ。あたしが考え付くより早くお客さんきたみたい。いけー佐倉ちゃん!」
ぽんと背中を押されて僕は入口の前に立つ。どんなお客さんなのかドキドキする。
ゆっくりと扉の後ろの人影が大きくなっていく。そして扉の前で止まり、やがて扉が開かれる。よし、笑顔、笑顔。本気で笑顔するぞー! 本気で笑顔ってなんだっ。
「いらっしゃいませー」
やったっ! 噛まなかったし、笑顔も上手くできたっ。今の僕、百点満点っ!
よし、次は……何人なのかを聞かないとねっ。
僕はそこでようやくお客さんの顔を見る。
「あ、歩!?」
そこには見慣れた顔が立っていた。
良治が何故ここに……そりゃ僕の家から近いんだから良治の家からだって近いんだけどさっ。どうしてこういうタイミングで来るかなっ。
「お客様、おひとり様で良いでしょうか? オセキニアンナイシマス」
僕は最後殆ど棒読みになりながら、先導して歩く。
「ちょっ、スルーなの!? 歩さーん」
「こちらのカウンター席へどうぞー」
良治を無理やり座らせて、僕は奥に引っ込む。
よ、よし。ミッションコンプリートだっ。
「佐倉ちゃん、りょーじと知り合いなの?」
奥に戻った僕を迎えてくれた矢崎さん。ん、「りょーじ?」っていうことは……
「矢崎さん、良治を知ってるの?」
「あたし? 知ってる知ってる。あいつうちの近所に住んでるからさー、結構遊んでたんだよねー、昔は。まー中学校くらいからあんまり遊ばなくなってさ、で、ここでバイトしてたら偶然また再会してねー。あたしがバイト始める前からよくここに来てたらしいよ」
僕はふんふん頷きながら矢崎さんの話を聞いていた。
前々からここに来てたというのか……全然知らなかった上に、うっかりと良治のテリトリーに入ってしまったというわけか。
「それで、佐倉ちゃんは知ってるの?」
「はい。中学生になってからの友達です」
矢崎さんは「ふーん」と頷いたけど、やがて何かに合点が言ったようにぽんと手を叩く。
「あーっ! りょーじが最近凄い可愛い子がいるとか話してたのって、佐倉ちゃんのことかーっ。なるほどー!」
僕のいないところで僕の話をしているのか。なんだか聞きたいようであまり聞きたくないかなあ。でもやっぱり気になる。
矢崎さんは良治の座っている席にづかづかと詰めよる。
「りょーじ! あんたの言ってた可愛い子、「アユム」とか言ってたけど、名前「アユミ」ちゃんじゃん。可愛い子っていうんだったら名前くらい覚えとけっての」
良治は僕の方をちらっと見る。
「いや、これは深い理由があってだね……」
「名前間違って覚えるのは失礼なんだかんねっ!」
「だから、理由があってだな。名前が違ってるのはちゃんとわかってるから!」
「知ってて敢えて間違えるってもっと酷いじゃん! 可哀想でしょっ!」
良治が何か口答えをしても、そのすべてを撃破していく矢崎さん。凄い押しの強さだ。良治の名前間違いは、実は間違ってなかったりするわけなんだけど、それを言ったところで彼女が納得するとは思えない。
最早何も言い返せぬ、と良治が真っ白になったところで、矢崎さんは戻ってきた。
「ごめんねー。なんか頑なに呼び方変えようとしなくって。あいつ昔っから変なところで頑固な上にバカでエロいからさー」
後半は今までの流れと全く関係ない気がしたんだけど、全て正しい気がしたので何も言えなかった。
だから適当に相槌を打つことにした。
「そうですねー。本当にエッチなのは勘弁してほしいですねー」
「なぬっ。佐倉ちゃんに、何かそういうことしたの!?」
思わぬところで火の粉が飛んでしまった。今までのことを根掘り葉掘り聞かれた挙句、矢崎さんは「あとでシメる」とだけ言っていた。ごめん、良治。第二ラウンドはさらに過激になりそうです。
まあでも自業自得でもあるからっ……!
……やっぱりごめん。矢崎さんが手をポキポキ鳴らしているのを見て、恐ろしいことが起きそうな予感がしてならないよ。
「んで、ど変態のりょーじはなに食べんの? 生卵?」
「それ料理じゃないだろ!」
二人であーだこーだとごちゃごちゃ揉めている。
僕は二人とも仲がいいんだなーと思って、それを遠巻きに眺めていた。友達と、友達の友達の会話って混じれないよなあ……。少なくとも、受け身姿勢の僕には難易度が高い。
ただ、僕が殆ど知らない人と仲良くしてる様子を見てると、ちょっと置いて行かれているみたいで少しもやっとする。
別に寂しくなんかないよっ。ふんだ、バイト中は私語厳禁だぞっ。お客さんいないし、あらかた夕方以降の準備も終わっちゃってるけどっ。
「歩、このねーちゃん、俺に生卵しか出す気ないみたいなんで、代わりにオーダー伝えてきてくれないか」
不意に僕に話を振ってくる良治。
そのまま仲良く話してればいいのに。
「僕まだオーダーとれないからっ」
そっぽを向く僕。
「お、おう……なんか怒ってる?」
「お、怒ってないよっ」
仲間はずれな感じがして、イライラしてしまった。これじゃあまるでおもちゃを取られた子供みたいだよ。
結局良治は何とか矢崎さんにお願いして注文をしたようだ。
店長が厨房で料理を作っている間、僕はグラスを拭いたりしていた。時刻はもうすぐ四時というところだ。
「佐倉さん、これを運んだら今日は上がってくれ。元々少し試してどんな感じが掴んで貰おうとおもっただけだしな」
調理が終わったようで、店長が店の奥から僕に声をかける。
カウンターの上に置かれたオムレツ。ふんわりしていて、とてもきれいだ。見ているだけで涎が出てしまいそうなくらい、いい匂いもしている。僕も料理を作ったりするけど、このレベルのオムレツは到底作れない。多分うちのママだって作れない。これがプロなのか……。
こんな料理を結構頻繁に食べに来ているというのなら、良治の舌はさぞ肥えているのだろう。お弁当をつまみ食いしたり、料理同好会で僕の作った料理を食べておいしいって言っていたけど……負けてるのがなあ。精進したい、修行したい。……あれ僕、ホールよりキッチンのスタッフの方がやりたいんじゃ……。まあそもそもキッチンは募集すらされてないから無理なんだけど。
僕は料理を良治のカウンター席に出す。横には矢崎さんがついている。知り合いとは言えトレーニングなので、ちゃんとできるかどうかは見ておくとのことだ。
「ご注文の品はお揃いですか?」
「あ、ああ。歩にそう言われると、なんか違和感があるな」
僕は伝票だけ良治の傍に置く。
矢崎さんは僕の横でその様子を見てオッケーのサインを出した。
「じゃー、佐倉ちゃんは今日はここまでかなっ。今日は本当は面接だけだったはずなのに、店長の気まぐれで付き合わせてごめんねー」
「いえいえ、ちょっとだけ感じも掴めたのでよかったです。それじゃあお先に失礼しますっ」
僕は矢崎さんに向かってぺこりと頭を下げる。
彼女はそんな僕の様子をじっと見つめて、そして頭を撫でてきた。
「あ、ごめん。なんかすっごい頭撫でたくなるね。どうしてだろ」
本当にどうしてなんですかね。僕の知り合いは僕の頭を撫でる回数がとても多いです。
「あれ、歩はもう上がるの? じゃあ隣の席に来ないか?」
「えー……隣に座って良治が美味しそうに食べてる様子だけ見てるの?」
「……僭越ながら、奢らせていただきます」
「えっ!? いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだけど」
ただ食べてるのを見てるだけじゃつまらないし、横で食べるのを見られてたらゆっくり食べられないだろうし、先に帰ろうかなと思ってたんだけど……。
ま、まあ奢ってくれるなら奢ってもらおうかなっ。
「じゃあ佐倉ちゃんには、当店自慢の卵プリンを出してあげよう!」
矢崎さんが僕らを見てニコニコしている。
「げっ、りえ姉ちゃんそれ高いだろ……」
僕はカウンター席のメニューを広げてみる。おお……良治のオムレツが七百円なのに、プリンが四百五十円もするぞっ。
僕のお小遣い水準で行くと、結構高い。良治もバイトしていると聞いてはいないので、お金の価値観は近いと思う。まあ良治の場合はクレープ屋の手伝いとかもしてそうだけど。
でも一緒に帰るだけのために、払わせるのも悪いかな。
「良治、奢らなくてもいいよ。僕が出すから」
「本当か? そうしてくれるとあり――」
僕の提案に少しほっとしたような良治はお礼を言おうとする。しかし矢崎さんがにやにやしながらそれを遮る。
「おやおやー。りょーじは可愛い可愛い女の子の友達を待たせるくせに、お金も払わせるんですかねー」
人の悪い笑顔だっ。彼女は良治の目を見たままニヤニヤしている。
良治は矢崎さんの言葉に歯ぎしりする。プリンの奢る奢らないくらい気にしないでもいいと思うんだけどな。
「ちゃんと歩に奢るから、そのにやにやしてる顔をやめてくれ」
「それじゃー、佐倉ちゃん着替えておいで。店長にはプリン二個って言っておくから」
「えっ! 二個って俺のオムレツより高いんだけどっ」
「誰も一個って言ってないでしょ。うちのプリン美味しいんだから、二個くらい食べさせてあげなさいよ」
完全に矢崎さんに弄ばれている良治。
いつも僕がからかわれたりしているので、良治がからかわれている様子を見るのはなかなかに新鮮だ。
僕が店の奥へと向かう。
矢崎さんはまだ良治に何か言っているようだ。バックヤードに向かう足をとめて、ちょっと聞き耳を立ててみる。
「あと、佐倉ちゃんの体触ったりしてるんだって? あとで川に簀巻きにして流してあげるから、家に帰ったら待っててねっ」
良治……なんかごめん。今日はいろいろ大変そうだね。
僕は心の中で謝りながら、更衣室に向かった。
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着替えを終えてホールに戻ってくると、もうすでにプリンがカウンター席に置かれていた。
本当に二個置かれている。
「良治、本当にいいの? 僕お金だすけど」
しかし、良治は放心している。
「良治?」
「え、ああ……。それは別にいいんだけどな……。ちょっと帰ってからのことを考えてた」
まさか本当に簀巻きにして流すことはないと思うんだけど、深刻な顔をしている良治を見ると、結構近いことはするのかもしれない。
僕はそんな良治を少し心配しつつも、意識はプリンに向いていた。
カラメルソースのかかった黄色いそれは、甘い匂いを漂わせており、食べるだけで幸せになれそうだ。
スプーンで一さじ取ってみると、とろっとしている。そしてそれをそのまま口に運ぶと、卵の香りとコクのある甘味が口いっぱいに広がる。
こんなにおいしいプリンがあるなんてっ。僕は思わず頬を手で押さえて微笑んでしまう。美味しいものを食べると自然に笑顔になってしまうよねっ。
「こんな可愛い子が同じクラスにいるんでしょー? 羨ましいなあ。私も美川高校にしとけばよかったわー」
「いいだろう? まありえ姉ちゃんは、頭悪くて入れなかっただろうけど」
「りょーじ! あんただって補習受けてたんでしょ? ばかじゃん」
「うるせー」
僕がプリンを食べ終わる頃には、良治もオムレツを完食していた。
良治は僕が遠慮しているのにもかかわらず、本当に奢ってくれた。
店を出ると、日が傾いてきているのにもかかわらず、まだとても蒸し暑い。
「歩が本当にバイトするとはなあ。さらに俺の御用達の店でなんて驚いたわ」
僕と良治は並んで歩く。
本当は良治の家は違う方向なのだけど、送ってくれるらしい。
「僕の方が驚いたよ。たまたまバイトに入ったらいきなり良治が来るんだもの。それに店の人とも仲好さそうだったし」
「仲がいいって言っても、単に昔から知ってるだけだぞ。中学以降は殆ど会ってすらいなかったんだし」
「ふーん。どうだかねー」
「何だその反応。可愛いじゃないか!」
僕と良治は大きな通りを並んで歩く。
そう言えば夏休みに入るところから会ってなかったし、良治と合うのも久しぶりだったなあ。
「歩は、あの店でバイト続けるのか?」
「うん、そのつもり」
良治は僕の答えに嬉しそうだ。
「そうかあ。ますますあの店に行く楽しみができたな。シフト教えてくれよ」
「えー。知り合いがバイト先にお客さんで来るって結構嫌なんだけど……」
「まあまあ、そう言わずに」
「えー……。あっ、店長にもうすぐキャンプで二日間いないこと言うの忘れてた。あとで電話しないと……!」
僕らはそんな会話をしながら歩いていく。
家の前で良治と別れ、玄関を通って居間に行く。ママに今日の出来事を話すと、楽しそうに聞いてくれた。
部屋に戻り今日の体験を振り返る。
新しい経験は楽しいし、新しい人との出会いも楽しいものだ。
あのお店でアルバイトをするのは楽しそうだ。嫌だとは言っちゃったけど、良治が来るのもそれはそれで楽しみではある。
夏休みはアルバイトも頑張ろう! 僕はそう心に決めて、部屋の中で一人気合を入れた。