美少女、アルバイトを始める①
第四十七話 美少女、アルバイトを始める①
「佐倉歩さんね。高一と……ということはアルバイトは初めて?」
「はっ、はひっ!」
アルバイトの面接中、思い切り舌をかむ僕。恥ずかしさで耳たぶまで一気に熱くなる。
そんな様子を「はっはっは」と豪快に笑っている、髭を生やした厳つい顔のおじさんは、このお店の店長とのこと。その厳めしい印象は、顔へのしわの入り方と、鷲のような鼻、鋭い目つきが原因なんじゃないかな。ガタイもいいけど、お腹がちょっぴり出ているのは年のせいか。
僕は今、洋食屋「たまご銀座」にいます。何だかよくわからない名前をしているけど、卵料理がとても美味しいと評判のお店だ。ちなみに女の子の制服も可愛いと一部には大人気のようだ。
では何故僕がここに来るようになったのか。話は昨日の夜に遡る。
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海水浴のプチ旅行から帰ってきた翌日の日曜日、僕はベッドの上でうつぶせになりながら求人誌を見ていた。
スマートフォンで探せばいいかと思っていたけど、たまたま海水浴帰りの駅で無料の求人誌が置いてあったので取ってきたのだ。
僕ができるのって、なんだろうなあ。コンビニとかかな? でもコンビニって最近やること多そうだよね……。覚えられるかなあ。
そんなことを思いながら、僕は紙面をぱらぱらめくる。案外高校生でできるバイトって少ないんだなあ。この求人誌上じゃ、コンビニがダメだったらファミレスとか喫茶店くらいしかない。うーん、喫茶店か。オシャレな感じがしてなかなかいいかも。
結構よさそうな求人情報を見つけて、僕はベッドの上で足をパタパタする。ここにしてみようかなぁ、でも難しそうだなあ。
おっと、その前に、アルバイトやっていいのかママに聞いてみないとダメだった。
僕はベッドから飛び起きると、自分の部屋を出て居間に向かう。
「ママっ!」
ソファに座って、携帯ゲーム機で算数のパズルをしていたママは、びくっとして僕を振り返る。
同じくソファに座って週刊マンガを読んでいた要も僕を見上げる。
「アユミちゃん、どうしたの?」
「アルバイトしたいっ。いいでしょ?」
ママは少し考える恰好をしている。
「どこでアルバイトするの? お小遣い足りない?」
「えー、アユ姉ちゃんバイトしたら、ますます遊んでくれないじゃん」
理由を聞いてくるママと、不満を言う要。
「要は友達と遊んでればいいでしょっ」
要にかまっていると、今回ばかりは話が進まないので一蹴する僕。要はどこか不満そうだったけど、「ちぇー」と言って漫画雑誌に視線を落とす。
「ママ。僕は自転車が欲しいの」
「自転車くらいなら買ってあげてもいいけど……。欲しいものはそれだけなの?」
えっ、買ってくれるの? やったあ! と一瞬思ったけど、やっぱりそれはだめだ。
今着ている服だって全部ママが買ってきたか、もしくは僕も連れていかれて買ってもらったものだ。僕の懐が痛んだことはない。
やっぱり高校生になったら自分のお小遣いくらいは自分で稼がないとダメな気がする。というか、お小遣いの五千円じゃ全然足りないのだ。足りなくなった度にお金をせびるのは良くない。男の時は漫画くらいか、もしくは良治とゲーセンでちょっと消費するくらいだったけど、最近よく遊ぶようになってお金が全然足りないのだ……。
「ううん、やっぱりアルバイトする」
「あらあら、自立してくれるみたいでママ嬉しいわあ♪ それで、どこにバイトに行くのか決めてる?」
僕はまだ決まっていない旨を告げる。
「じゃあ一緒に探しましょうか♪」
ママの横に座る僕。今日のママは機嫌がいい。多分パズルが思いのほか上手く解けてテンションが高いに違いない。
ママが求人誌を開いたところで、父さんが慌てた様子で居間に入ってきた。
「アルバイトなんて、パパゆるさんぞお!」
そして突然下されるアルバイトNGの宣告。
あっけにとられる僕と、やれやれという顔をするママ。
「な、なんでだめなのっ!」
「……すまん、少し言ってみたかった言葉だ」
僕はガックリと頭を垂れる。じゃあ黙っててよっ。
どことなく満足気な顔をしている父さん。そんなやりきったような顔をされてもなぁ。
「いや、アユミ。よく聞きなさい。可愛い娘に危ない真似はさせたくないのが親心。欲しいものがあれば買ってあげるから、アルバイトはまた今度にしなさい」
僕が心底呆れた顔をしたので、急に真面目な顔で言い繕う父さん。
女の子になってから、父さんはどこか過保護だ。いや、男の時はそもそも僕が殆ど外出しないので、過保護だったけど実はわからなかっただけなのかもしれない。欲しいもの何でも買ってもらってたら、人間ダメになっちゃうよ。
特に父さんは本当に際限なく買ってくれてしまいそうで怖いんだよ……。それこそ本当に、諭吉さんでいっぱいの封筒を渡してくるとかありえそうで……。
「じゃあ、父さん! 俺新しいゲーム機が欲しいっ!」
要が今が物を買ってもらうチャンスとばかりに主張する。
「お前は外で鬼ごっこでもしてなさい」
……主張するもあえなく撃沈してしまった。父さんは男の子には厳しい。いや、要に厳しい気がする。
でも鬼ごっこは楽しいと思う。
「なんで僕がアルバイトしちゃだめなの?」
「アルバイトをしていたら、帰りが遅くなることもあるだろう? 学校の時は良治君と一緒に帰ってこられるからまだいいが、アルバイトは一人で帰るんだ。女の子の独り歩きは危ないからやめなさい」
ぐぐぐ……正論を言ってくるなんて……。でも世の中の女の子は普通にアルバイトしてるじゃん。僕だけ出来ないという道理は通らないぞっ。
「ならあなたが迎えに行けばいいんじゃない?」
僕が返答に困っていると、ママが父さんに対して提案をする。
なんか僕に向けてウィンクしてる。あっ、これ助けてあげたわよって言いたいんだ。
そもそも父さんは仕事の帰りがめちゃめちゃに遅いじゃん。どうやって会社から迎えに来るのさ。
「やはりそれしかないか……」
それでも迎えに来る気満々なのが凄い。職場の人に迷惑かけてそうだな、父さん……。
そもそもあんまり家族に送り迎えしてもらいたくないんだけど。だって恥ずかしいし……。
「アユミちゃん、パパが心配してるから、ちょっとだけ妥協してね。遅くなったら携帯でママを呼びなさい。車で迎えに行くからね」
真剣に悩んでいる父さんと、嫌だなあ恥ずかしいなあと思っている僕、その両方を見比べてママが提案をする。
まあ確かにママなら家にいるから迎えるのは容易い話か……。
「むー……」
僕は不満の表情を浮かべる。折角自立してお金を稼ぐつもりだったのに、また家族に頼ってしまうのが何となく残念だった。
とは言え、夜十時とかにアルバイトが終わって、そこから一人で歩いて帰るのはちょっと怖いかも。この辺りの治安が悪いとは聞かないけど、夜中に歩くのはやっぱり怖い。夜のニュースとかで、女子中学生や女子高生が殺される事件だって時々耳にする。そういう怖いことには巻き込まれたくないし、そう考えると、この案も仕方ない……と自分を納得させた。
僕はママの妥協案で了承する。父さんは少し残念そうな顔をした。僕に至ってはふくれっ面である。
「アユミちゃん、本当に可愛いわね♪」
なんて言いながら、僕を抱きしめるママ。こんなふくれっ面してるのに可愛いも何もない気はする。
女の子になりたての頃は割と嫌がってた僕だったけど、最近は慣れてしまってなすがままにされています。
「俺もアユ姉ちゃんに抱き着きたいっ!」
と言って要が寄ってくるが、僕はするりとママの腕から抜けて要の突撃をかわす。
要はそのまま、佐倉家の愛しのダディの胸の中に突っ込んでいった。ちなみにその胸は、全く柔らかくないどころか鉄板のように強固だ。
「要、お前にはいろいろと教育が必要だな……。父さんはな、同性愛も認めないが、近親愛も認めていない」
父さんは要の体を捕まえて、にやりと笑う。
これは獰猛な獣の顔だよ。完全に捕食者の顔だ。要は僕に悲しい瞳を向けるも、僕はもう祈るしかできない。父さんがいるときに何時もの調子でやらかそうとするからだよ。
まあこれで少しは懲りるんじゃないかなあと思いつつ、わが弟の諦めの悪さから察するに大してダメージはないんだろうなとも思う。一方ママはというと、既にソファに座り直して求人誌をぱらぱらめくっている。全くもって無関心なのが凄い。
要と父さんが居間から出ていくのを確認すると、僕は再びママの横に座る。
「アユミちゃん、ここなんてどうかしら。制服も可愛いし、うちから歩いても行けるし、時給も結構よさそうよ?」
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そんなこんなで、ママが指差した場所がここ「たまご銀座」なのだ。
住宅街ばかりで余り平均時給の高くない美川市の割には、時給も結構いいし、何より店の写真の雰囲気が良い。ここで働けたらオシャレだなあなんて思った僕は、とりあえずアルバイトの応募をしてみることにする。
お店に電話して面接の約束を取り付けた結果、今日の十四時から面接を行うことになった。
まさか同日中に面接することになるとは思わなかった。履歴書とかも全部準備してから電話を掛けたとはいえ、ちょっと心の準備が間に合ってませんっ。
履歴書に書く内容には迷った。働く動機とかって何を書けばいいのか。それこそ「遊ぶ金欲しさ」なんだけど、まさかそんなこと書けないし……。ま、まあアルバイトなんだし、たいして内容は見ないんじゃないかなっ。変な内容は書かなかったよ、多分。
身だしなみを整えた後、家を出る。外は相変わらず蒸し暑く、じっとしていても汗が噴き出してくる。
お店までは家から徒歩十五分程度の距離だ。かなり近いのに全然お店を見たことがないのは、単純に僕が余り外に出たりしてなかったためか……。
お店は、大きな通りからちょっと奥に入ったところにあった。少し見つけにくいところにあるので、普通に歩いていたら見つからない気がする。ママ曰く、卵料理が美味しくてママの友達の間では結構評判がいいらしい。見つけにくいお店にもかかわらず、評判になるってことは味は本当にいいのだろう。
僕は店の扉に手をかけ、ゆっくりと中に入る。
「いらっしゃいませ。お客様はおひとり様でしょうか?」
店員の女の子が僕をにこやかに迎えてくれる。白いブラウスに黒いミニスカートを組み合わせ、さらにブラウスの上からスカートまでの丈のクリーム色のエプロンをつけている。首元には赤いリボンが結んであり、ワンポイントのアクセントとなっている。
「一人です。……じゃなくて、アルバイトの面接にきましたっ。佐倉です」
うっかりお客さんみたいに答えてしまった僕は、慌てて用件を伝え直す。
「ああ、店長から聞いてます。佐倉さん、ちょっと店長呼んできますので、そこのカウンター席で座って待っててくださいね」
僕は店員の子に案内されて、カウンター席に座る。
店にはカウンター席が五席程度と、四人席が合計で十程度ある。今は十四時とお昼も終わる頃合いなので、お客さんも二つのテーブルに主婦とみられるグループがいるくらいで、店内は空いていた。
「佐倉さん。バックヤードまで来てくださいね」
店員の子が僕を呼ぶので、店の奥へ向かう。
店の奥には小さな部屋があり、狭い室内には机と椅子が置いてあった。丁度僕らの部室のような感じの部屋だ。スタッフの休憩室か何かなのだろう。ちなみに店長用の机も一緒に置いてあり、その上は色々な書類やらパソコンやら何やらで溢れていた。部屋のさらに奥には更衣室への入口がある。
店長はその部屋の店長用の机の前に座っていた。店長の体の大きさと休憩室の狭さが相まって、凄い存在感を出している。
「店長、つれてきました」
「ああ、ご苦労様。ホールに戻っておいてくれ」
店員の子は、「はーい」と返事をすると、僕にウィンクだけしてホールに戻っていく。
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こんな感じでこのお店に面接に来たわけだ。
面接中に店長の話を聞いていると、もう採用した後の話をしている。どうも本当に人で足りなくなってきているらしくて困っていたようだ。
いつ入れるのかと聞かれたので、「今すぐでも大丈夫です」と答えたら何故か笑われた。
店長は髭をいじりながら少し考えると、やがて頷いた。
「じゃあ早速ちょっと入ってもらうかあ」
それを聞いた僕は、「え? 本当にすぐ入るんだ……」って思った。答えておいてなんだけど、意気込みの話だと思ってた。
今日は面接だけのつもりで来ていたので、いきなりバイトに入るとなると緊張してしまう。店長はすでに僕にあいそうなサイズの制服を探しにかかっているので、最早「やっぱり今日は無理です」なんて言える雰囲気じゃない。
ま、まあ元々暇だから時間的には大丈夫なんだけどさっ。
店長からお店の制服を借りると、奥の更衣室で着替える。着替え終わって休憩室に戻ると、店長の代わりにさっきの店員の子が待っていた。
「佐倉さん、あたしは矢崎理恵子。よろしくねっ! 今日は先輩として、色々教えることになりましたっ」
「よっよろしくおねがいしますっ」
「うひゃー。佐倉さんめっちゃ可愛いねー。こりゃこのお店のお客さんも増えるかもっ!」
お店の制服を着た僕を見て、感嘆の声を挙げる矢崎さん。
お店のホールでのイメージと大分違ったけど、こっちの方が話しやすそうで気が楽だ。
矢崎さんは高校二年生らしい。もともとお店の規模が小さいのでアルバイト自体少ないのだけど、夏休みに入って受験生が辞めてしまったようで、さらに人が少なくなって回らなくなってきていたそうだ。矢崎さんも夏休みに入ってから、殆どぶっ続けで昼間のシフトに入っているとか何とかで、新しく入る子は大歓迎とのことだ。
「そいじゃ早速、お客さんが来た時の対応から教えるからホールまで来てねっ」
僕の手を掴んでぐいぐい先導する彼女。
こうして僕のアルバイト初日は唐突に始まってしまった。
//2013/10/04 あちこちに誤字があったのであわてて修正