美少女、佐倉家の男達と対面する
第三話 美少女、佐倉家の男達と対面する
風呂から上がった僕は途方に暮れていた。
母さんは一言「先に上がるわ」と言い、僕を風呂場に残して一足先に朝食の準備をしに行った。
風呂から出た僕を待っていたのは、スポーツブラと、見た目小さすぎて履けるのかすらわからないパンツ、そしてデニムのスカートと薄いピンク色のキャミソール、淡い水色のパーカー、そしてやたら長い白い靴下だった。
僕の家の家族構成は、父、母、僕、弟の四人だ。よって、目の前に鎮座している女の子向けの服は、この家では装備対象がいない防具だ。まさか母さんが装備するものではあるまい。
「母さん! 母さん、僕の服は!?」
僕はバスタオルを巻いたまま、リビングルームを通り台所へ向かう。
「まあ、歩君! そんなに色っぽい恰好しちゃって、誘ってるの? でもだめよ? 朝ごはんを食べてからね」
「そういうことじゃなくて、僕の服は何処に行ったの!」
「今日の朝の収集車が持って行ったわ」
「えっ! 古着はゴミに出しちゃダメでしょ! 何やってんの!」
「あ、いけなーい! 母さん失敗」
ペロッと舌を出す母さん。とても二児の母とは思えないお茶目さだ。って、違うし! 話ずれてるし。
「じゃなくて、なんでゴミに出しちゃってるのさ! 僕の服どうすんの」
「あらやだ、服なら洗面所に出しておいたでしょ?」
「だってあれ女の子のじゃん」
「だって歩君女の子だし?」
なるほど。確かに、一説によれば、そのような事柄も見受けられる。
って、納得しちゃってどうすんの!
「おおおお、女の子の下着なんてつけたくないよ!」
「歩君! 母さん以外に生乳さらすなんて、母さん許しませんからね!」
その言い方はどうなんだよ。母さんにもさらす気はないっての。
「あのね、歩君。貴女は、どっからどう見ても女の子なの。しかも飛び切り可愛くて可愛くて、ああもういじりまわしたくなるくらいふひぃ」
真面目な顔で話していたが、母さんは徐々に壊れ始めていた。
「コホン。そんな女の子が、ノーブラで歩いてたら、もう痴女よ! 貴女それでいいの? ウェルカム痴漢よ」
「あ、ええと。ヨクアリマセン?」
「女の子がトランクス履いてたら、パンチラ見た男の子のロマンが崩壊するのよ! 貴女それでいいの?」
「えっと、それはわりとどうでもいいかな」
「否! チラリズムは正義よ。普段全く見えない鉄壁の防御を誇るスカートから、ちらりと見える秘境。この喜びに対して、見えた成果物がトランクスというのは美への冒涜よ。きっと少年には深い心の傷ができるわ! ああ可哀想に! 少年はこれからパンチラエロ画像を見るたびに、トランクスの悲劇を思い出すのね! 歩君はその責任を背負えるのかしら!?」
「え、なんでそんな壮大な話になってんの? そもそも僕スカート履く気なんて――」
「スカート履いてくれたら、パソコン買ってあげるわ」
「是非とも履かせていただきます。マダム」
乗せられた……。簡単に物で釣られるなんて、なんてちょろいんだと自分でも思う。
だけど! 分かっていても乗るべきポイントなんだ。
パソコンは大学行くまでは買ってあげないと言われていた代物。ここで買ってもらえるなら多少の我慢も厭わない。いい男ってのはチャンスはしっかりと掴み取って逃さない。
余談だけど、僕は携帯も持っていない。
え? なくても問題なかったですよ? ええ…本当に。
さて、自らスカート履くと言ってしまった手前、仕方がないので洗面所に戻ることにする。
そこでふと気になったことを聞いてみた。
「ところで、うちには女の子いないけど、どこからあの服と下着出てきたの?」
「あらやだ、そんなの歩君が小学生くらいの時に着せ、ゲフンゲフン、いや気にしなくていいわ。あれは母さんが錬金術で作ったものよ」
「そんなわけないだろ! 気になるよ! ちょっと待ってよ。僕、昨日までは、男だったんだけど!?」
しかし、それ以降母さんに話しかけても「防具は装備しないと意味はないのよ」などと意味不明なことをしゃべるだけで、返答はなかった。
諦めて洗面所に戻ると、そこにはまだ服と、下着があった。
これを着るのか…。外見的には百パーセント問題ないんだろうけど、内面的には百パーセント問題がある。
「くしゅん…!」
湯冷めして寒くなってきた。暖かくなったとはいえ、バスタオル一枚きりの上に、うっすら濡れた状態だと、廊下や洗面所はかなり寒い。
あーくそ! もう知らん。これしかないんだから、履くしかないだろ。
流石の僕でもノーパンでうろつくのはありえないことだってわかってるさ。これは男女関係ない。
僕は、パンツを手に取って広げる。トランクスのごわごわの素材と違って、ふんわり柔らかい。どことなくいい香りもする。って、何匂い嗅いでるんだ。これじゃ変態じゃないか。
僕は、無心を心掛けてそれを履いた。おお、何だかいい感じにフィットする。トランクスを履いていた時の所在なさげな感覚からすると、大分ましな気がする。
次に僕はスポーツブラを手に取る。
これってつける意味あるのかな。というかつけ方がわからない。これは何? 頭からかぶるようにつければいいのかな?
僕はとりあえず頭からかぶり、腕を通した。普通のシャツと変わんないかと思ったが、何か違和感がある。胸の位置がずれてるからか、いまいちしっくりこない。
……何が正しいのかよくわからないまま、なんとか形を整え、着用は完了した。
自分がブラジャーの着用で四苦八苦することになるとは、なんだか凄いところに来ちゃったなあ……と人知れず遠い目をしてしまった。もう人として何かが終わった気がする。
ブラジャーのサイズぴったりなのには、驚きというか、むしろ恐怖したよ。
洗面所の鏡に映る少女は、下着一枚という姿になっていた。妖艶なエロスを感じないのは、童顔な上に身長も低く、スタイルも子供っぽい感じだからか。
はぁ。なんで女物の下着なんかつけなきゃならないんだよ。これでもし、女の下着つけてる時に何かの拍子でうっかり男に戻れちゃったら、その時は誰か殺してくれないかな……。いや、戻れるなら戻りたいんだけどさ……。
キャミソールとパーカーを着て、スカートを履く。
なんだよスカートって、これ全然履いた心地がしないぞ! 凄いすーすーする。っていうか見えてないか凄い気になる。
どうして女の子はこんなファッションができるのだろうか。痴女なの?
全然動いてないけど、なぜか前や後ろを抑えたくなる衝動に駆られる。デニムの堅い生地だから、簡単にはめくれないと思うけど全然安心感がない。
とは言え、パン一よりはマシだ。
そう、パン一よりマシ。パン一よりマシ。
自分を騙すおまじないの後に、僕はやたら長い靴下を履いた。ひざ上まであるな。
これが噂のオーバーニーソックスっていうやつか!
すべて着用完了したところで、鏡を見る。
そこにはどこからどう見ても百パーセント女の子してる僕の姿があった。
女の子になってしまって、まだ二時間くらいだというのに、何故か後戻りできない領域まで来てしまった感がある。
はぁ……とため息をついていると、突如洗面所の入り口の扉があいた。
「うわっ! えっ誰!?」
そこにいたのは、弟の要だった。
「あ、要。ごめん、洗面所もうあけるから」
「え? なんで知ってるの? 誰?」
謝る僕に、要はハテナマークを浮かべている。
女になったからって、全く気付かないなんて、お兄ちゃんはちょっと寂しい。
じと目で要を見ていると、要は顔を赤らめて気まずそうに目をそらした。
「何、見つめられて照れてんだ。兄ちゃんの顔忘れたのか?」
「いや、そんな可愛い顔で見つめられたら、俺みたいなシャイボーイじゃ太刀打ちできないって! って、『兄ちゃん』?」
「そう。なんでかこんな恰好になっちゃったけど、要のお兄ちゃんだよ」
「マジで!? よく見ると確かに似てるけど、本当にあゆにーちゃんなの?」
要は僕のことを『あゆにーちゃん』と呼ぶ。人見知りで友達の少なかった僕は、要と遊ぶことが多かった。
要は僕と違って友達も多く、社交的な子だったけど、家では僕とよく遊んでた。
ちなみに要は十一歳。来年度から小六になる。
「うわー、すごい。あゆにーちゃんが、あゆねーちゃんになっちゃった。しかもすっごい綺麗だよ、あゆねーちゃん」
「ちょっと待って、ちょっと待って。なんでもう『あゆねーちゃん』で順応しようとしてるの! そこは『あゆにーちゃん』でいいから!」
わが弟とはいえ、あの母親の子どもである。異常なまでの順応性を持っている。
……はっ! 言われるがままに女物の下着を着て、スカート履いて平然と出歩く僕も順応性が高い!?
僕の訴えを聞いた要は、不思議そうな顔をしている。
「でもさー……。そんな可愛い女の子になっちゃったあゆにーちゃんに対して『兄ちゃん』って呼ぶのは違和感あるんだよね」
「違和感あっても、僕は男だから」
そう、男なんだ。外側は百パーセント女の子だけど、内側は百パーセント男の子なんです。
だから姉ちゃん呼ばわりはダメだ! 生まれた性別を否定するような感じがする。
「うーん。まあ、あゆにーちゃんがそれでいいならいいけど。俺の友達が家に遊びに来たときも、あゆにーちゃんって呼ぶの? なんかすごい変な目で見られそうだなあ」
「えっと、ほかに人がいるときだけ呼び方かえるのは?」
「それだと絶対失敗すると思う。そんな器用じゃないし」
ぐぬぬ。
確かに女の子に対して兄ちゃんと呼ぶのは、第三者が見れば変な光景だ。
これで女装した変態な兄がいるだとか噂が広まったら、要が可哀想だし、何より僕のライフポイントがもたない。
あぁ……もう女物の服着てる時点で、心境的には女装だよ。しかも下着まで女物って、相当危ない領域だよ。しにたい。
「わかった。呼び方は、要の好きな方でいいよ……」
「おっけー。あゆねーちゃんで!」
あ、はい。そうすか。
「あゆねーちゃんって、兄ちゃんだった頃から可愛い感じで、一瞬女の子かって間違う人もいたって話だけど、女の子になったらホント可愛いね!」
「あ、うん。ありがと?」
可愛いと言われるのは、微妙な心境ではあったけど、素直に褒めてる様子なので悪い気はしなかった。
「要は、兄ちゃんが突然姉ちゃんになって気持ち悪くないの?」
「え? 気持ち悪いって何が? むしろ可愛すぎるくらいなんだけど」
ずれた返答だったけど、とりあえず拒絶はされていないみたいだ。
僕は、ほっと一安心して要の頭を撫でる。
男だったときは、それはもうわっしゃわっしゃと撫でてた。
だけど今は要より背が低い。つま先で立つだけで一生懸命なので、力が全然入ってない。
「うわ、なんかこれ凄いいいな! いい匂いもするし! 俺あゆねーちゃんと結婚することに決めた!」
要はうれしそうだった。
でも間違った方向に進んでいるような気がする。
***
時計は午前九時を指している。
今、僕はリビングルームにいます。テーブルの上には、こんがりきつね色のトーストや、ベーコンエッグ、ソーセージ等美味しそうな朝ごはんが並んでいる。
弟の要や母さんから、ものすごい視線を感じる。なるほど、見られるってのは結構わかるもんなんだね。
特に母さんからは、荒い鼻息も聞こえてくるので、身の危険を感じる。
だけど、それとは別に僕は緊張していた。
もうすぐ父さんがリビングに襲来する。
襲来って、別に父さん何もしないんだけど。普通に起きてくるだけだけど。
今日は、日曜日なのだ。
これが平日であれば、この時間だと父さんは既に家を出ており、夜までは顔を合わすことはなかった。
だけど今日は休みなので、朝の遭遇は避けられない。
まあ、朝会わなかったからって、いつまでも逃げ切れるわけじゃないんだけど。でもだからといって今会いたくはない。
そんな風にそわそわしている僕に、母さんから容赦ない一言が飛んでくる。
「歩君、お父さん遅いから起こしてきて」
「はい? なんで僕が! この格好で行ったら、只じゃ済まないでしょ!?」
なんといっても僕は今女の子の恰好だ。スカートは履いてるわ、ブラはしてるわ、っていうか恰好だけじゃなくて中身も純性百パーセントの女の子だ。
父さんは、こんな女の子が僕だって気づかないかもしれない。弟の要すら初めは気づいてなかったんだ、父さんだってありうる。
男だった時に寝てる父さんを起こしに行ったら、寝ぼけた父さんに不審者に間違われ、父さんにふれた瞬間に腕をキメられて折られそうになったからな……。
あれは本当にひどかった。
今や、男の時よりさらに細い腕だ。あれをやられたら確実に折れる!
「大丈夫よ、お父さんはジェントルマンだから」
「ジェントルマンっていうか、人一人くらい殺してそうなんだけど」
そう、我が佐倉家の父、佐倉重は齢四十二にして、日々ストリートファイトを繰り広げ、裏路地に生きるストリートファイターなのだ。
嘘です。
実際は都市銀行に勤めている。個人向けの投資がどうとか言っていたが、銀行の仕事なんて僕は知らない。
本人は「体を鍛えることが重要な仕事だ」と言っていたが、それが間違ってることくらいはわかる。
鍛えたおかげで、その体は見事に引き締まっているし、百八十を超えている身長のおかげで威圧感もある。
「母さんは、僕が前腕折られそうになったの知ってるでしょ。今あれやられたら、折れるどころか粉砕されるよ!」
「お父さん的にはスキンシップって言ってたわよ」
「あれがスキンシップだったら、暴力でもなんでもスキンシップにされちゃうよ!」
「まあ安心しなさいって。お父さんが、もし今の歩君の美しい腕を折るようなことをしたら――ふふふっ、凄いことになるわよ。まあそんなことはないと思うけどね」
僕は空気が冷たくなるのを感じた。
上には上がいる。それを知ったのだった。この母は格が違う!
僕は救いを求めて、要の方を見やる。
「そ、そんな顔で見ないでよ。あゆねーちゃん。俺、どうかなっちゃうよ!」
いつから要はこんなダメな子になってしまったのか。
「でもでも、もっとその困った顔で見つめてほしい!」
「要君、わかってるわねぇ! 今の歩君を写真に撮って額縁に入れたいわ!」
いつからこの家はダメな人間だらけになってしまったのか。
僕は諦めてリビングを後にする。
いっそ、このまま父さんに殺られてしまったほうが、いろいろとすっきりするんじゃないかとすら思えてくるくらいの諦め具合だ。
父さんの部屋の扉を開けようとドアノブを握った時、偶然にも父さんが出ようとしたのか、扉が部屋の中から押された。
不意を突かれた僕は、その勢いで思わず後ろに尻もちをついた。
「いてて……」
「ああ、すまん。んん!?」
父さんは謝ったところで、尻もちをついている僕を認識した。その瞳には、見知らぬ少女が映っているはずだ。
「歩か?」
「う、うん」
鋭い眼光で射抜かれ、僕は蛇ににらまれた蛙みたいになってしまう。
「そうか。ずいぶんと可愛くなったな」
父さんはそう言うと、僕の手を引いて立たせてくれた。
何という自然さ。なんという紳士! この姿にも全く動揺していない!
どうでしょうか、これが僕の自慢の父さんです。
「父さんは、僕が変だと思わないの?」
「息子を育てたつもりが、いつの間にか娘になっていたというのは、色々考えるところはあるが、一つ重要なポイントを挙げるとすると……」
「挙げるとすると…?」
「父さんな、娘が欲しかったんだ」
「はい?」
「パパ、と呼んでくれないか?」
「へ? パパ?」
するとどうでしょう。父さんは、ふるふると震えた後に、猛然とした勢いでリビングに走りこんでいった。
そして一言、
「母さん、今日は赤飯だ!」
どうでしょうか、こんなのが僕の残念な父さんです。
いつからこの家はダメな人間だけになってしまったのか……。
って言うか、誰か一人くらい残念がれよっ! そりゃ泣かれても困るけどさっ。
今回は、今までの2話と比べて多少長くなっております。
当初は弟登場回と父登場回を分ける予定でしたが、家族の紹介で長く引っ張っても間延びしてしまいそうだったので、1話にまとめました。
父登場回だけだと分量的にも厳しそうだった…というのもあります。
書きだめはしていないので、更新は不定期になります。土日にいっぱい書けるといいなあ…。