貧乏生活
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その日も冷え込む外で肉体労働をした後、自宅アパートに帰ってきて、買っていた食材で料理を一品作った。そして安売りの時にまとめ買いしていたアルコールフリーのビールを冷蔵庫から一缶取り出し、飲みながら食べる。夜は冷えるのだし、1Kのこの部屋はボロだ。朝から夕方までドカタをし、帰宅して食事と入浴を済ませたらパソコンを開き、キーを叩いて小説の原稿を打ち出す。
昔から作家志望だった。高校卒業後、定職には一切就かずに短期のバイトなどを繰り返しながら、ずっと原稿を書き続けていたのである。三十代に入り、少し日々に疲れ気味だったのだが、そういったことは承知の上でやっていた。文芸賞を一つ二つ獲り、本職の作家になったら、労苦が実るものと。
パソコンとプリンターは十年ぐらい同じものを使い続けている。新品を買う金がないのだ。まあ、仕方ないとは思っていたのだが……。今書き綴っている原稿はまた公募新人賞に出す予定だが、さすがに書くスピードは上がっているにしても、夜中の午前三時ぐらいまで書けば眠りに就く。こんな生活がいつまで続くのかは分からないにしても……。
冬の真夜中は寒い。コタツを出して寒さを凌ぎながら、テーブルに置いていたパソコンを使い、原稿を打ち続けていた。別に寒気があって死ぬわけじゃなかったのだが、暖房はなるだけ温度を下げて、利き過ぎないようにしている。節約術は心がけていた。いい加減なモノを書いて送るとまずいので、作品は一作一作しっかりと推敲し送付する。
この木造のボロアパートで暮らしながら、昼間は肉体労働、夜間は原稿を書くのに時間を使っていた。ここ数年間、別に変化はない。慣れてしまっていたのだ。貧乏には。実際ドカタは日払いなのだし、会社などに勤めるより楽だった。昔から作家など貧乏すると言われている。その通りだった。俺も楽して生活しようとは思ってない。返って貧乏しながらの方が、作品もいいものが出来ると思っているほどだ。
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今月末が今回の公募の締め切りで、原稿はしっかりと書き進めていた。余裕がある。遅い時間帯まで書き物をしたら、後は眠って翌朝から普通に仕事だった。食っていくための仕事をしないといけない。そう割り切ってやっていた。俺のような人間は山ほどいると思う。珍しいわけじゃない。それに本職になったらなったできついだろう。作家は文芸雑誌や月刊誌、週刊誌などに複数連載を持ち、初めて生計が成り立つからだ。
よく誤解されがちなのは、作家が印税収入などで食べていけるなどと思われていることである。確かに執筆した分だけ原稿料が入ってくるのは事実だ。それに印税などで暮らしていけているのはほんの一握りの作家のみである。ほとんどの物書きが出版社から原稿料をもらったり、講演などをやれば講演料をもらい、持ち合わせた能力を活かしてカルチャースクールなどに講師として行ったりすることで得る金を使って生活している。
その日も朝、炊飯ジャーにあったご飯を茶碗に一杯よそい、味噌汁を一杯、それに買って冷凍していた豚肉があったので、それを焼いて食べた。食べ終わってからコーヒーを一杯淹れて飲み、目を覚まして洗顔と歯磨きを済ませる。そして髭を剃ってしまってから、鍵と財布を持ち、施錠して外へと歩き出す。
現場まで歩いてものの十五分ほどだ。田舎町の工事現場などは大抵気が荒い人間が多い。俺も「やれ」と言われた分に関しては黙々とやっていた。別に気にはしてない。何もかもを含めて仕事だと思っていたのだし、昼になると、弁当やお茶などが配られた。肉体労働は確かにしんどい。だがそれが俺のような人間の生活基盤だ。弁当を食べながらお茶を飲み、昼の休憩時間はゆっくりしていた。ドカタはずっとしてきている。高校を出てから、職が見つからなかったので……。
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「山嵜」
「はい」
「お前、何かいろいろ書いてるんだってな」
「ええ。……それが何か?」
現場の責任者の宇田川は結構恐持ての壮年男性だ。元々育ちが悪いのか、幾分乱暴な感じで言ってくる。俺も警戒していた。宇田川が昼間の休憩中コーヒーを飲みながら言う。
「元々そういったのが好きなんだろ?」
「はい」
「俺もお前が一人前の物書きになれるのを応援するよ。難しいかもしれないけどな」
「ありがとうございます」
一礼し、しばらくの間、体を休める。昼休みは鈍っていた体の具合を修復させるのが一番だ。俺もなるだけ休んでいるのだった。午後からの仕事に備えて。確かに宇田川のように事情を知らない人間は大勢いるのだが、俺も仕事中いろいろと気にしている。月末が公募の締め切りなので、それまでに書き終わらないといけない。焦ってはいないのだが、原稿を仕上げるのに時間は掛かる。だから外での仕事が終わってしまったら、日払いの金を受け取って即帰宅し、後は原稿を書くのに時間を使う。
俺も夜は寝る間も惜しんで作品を作り続ける。ものになるかならないかは別として。もちろん睡眠時間は大事なのだが、ほとんど眠る間もなく作業し、明け方になる。三時間ぐらい仮眠を取って起き出し、また職場に出かけるのだ。その繰り返しだった。パソコンのキーを叩き続けながら一つずつこなしていく。焦ることはない。これが生みの苦しみだと思えば。確かに時間はなかった。だが俺も書き綴った作品が下読みだけではなく、選考委員の目にも留まってくれるといいと思っていたのである。
ペンネームは特に作ってなくて、本名の山嵜幸治で書いていた。ずっとそれで来たのである。もう十年ほど。確かに筆歴十年というのはまだ浅い。本来なら、最低でも筆歴二十年ほどでメジャーデビューするのがいいとは思っていた。だが、そうも行かない。今のご時世、作家など巷に溢れている。俺もタイミングよく、ここらで一発当てるつもりでいた。貧乏生活から脱出することを目標にしていて。
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夜中の一時など、まだ頭が活発に働いているときだ。俺もこの時間帯はまだ参るわけにはいかない。午前三時ぐらいまでずっと書き続けた。確かに眠たいのだが、真夜中にコーヒーを飲むこともある。それぐらいしっかりやっていた。キーを叩きながら、いろいろとストーリーを作っていく。プロットなどはあまり作らないのだし、おまけに応募する賞の傾向と対策などは練ってない。
キーを叩き続ける音が、部屋で掛けている静かなムードミュージックとダブって聞こえてきた。書き物は順調に進んでいる。ずっと執筆しながら、また仮眠を取った後、仕事に出かけるときの憂さを感じ取っていた。だが仕方ないのだ。当分は二足の草鞋を履くことになるだろう。仮眠を取ってから起き出し、支度をして、出かけるのは午前七時半過ぎである。こういった生活には慣れていた。別に気にならないのである。日雇いをしながら、作家を目指すのもいいと思っていて……。
その日の朝も仮眠から目覚め、時計を見ると、ちょうど午前七時だった。朝一のコーヒーを一杯だけ淹れて飲み、洗面してから出かける準備をする。さすがに夜中ずっとキーを叩き続けていると、朝は辛いのだが、仕方ない。だが作業場には絶対に遅刻できないので、しっかりと目を覚まし、歩き出す。
午前八時前に現場に着くと、宇田川に一礼し、朝の挨拶をした。
「おはようございます」
「おう、山嵜。おはよう。今日も頑張ってくれよ。いつも通りな」
「分かりました」
そう返すしかない。作業着は着用していたので、すぐに仕事に取り掛かる。前日の疲れはあったのだし、幾分寝不足なのだが、大丈夫だった。俺ぐらいの年齢なら徹夜を三日したとしても、十分仕事が出来る。別に気に留めることはなかった。現場を歩き回りながら、作業する。本職になるまで大変なのは覚悟していた。一度メジャーデビューしてしまえば、それから先はよほどのヘマをしない限り、上手く行くのだが……。
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日々単調だ。だが慣れてしまっている。ずっと仕事場と自宅を往復しながらでも。ちなみに執筆しているメインジャンルは純文学である。俺もその畑で頑張り続けていた。実際、今の世の中、純文学の作品はなかなか売れていかない。基本的に出版社もまとまった部数出さないのである。ずっと純文学系の賞に公募し続けていて、一作当たり原稿用紙百枚とか百五十枚など枚数は少ない。
淡々と日々が過ぎ去っていく。俺も時の流れに身を任せるようにして生活し続けていた。何か賞を獲れば、とりあえず今の生活から脱却できると思っていたのである。そのためなら、何度でも公募するつもりでいた。めげることなく。大手出版社が主催の賞だと、大賞じゃなくて、佳作入選でも十分大丈夫なのだ。
何も考えずに人間は生きていけない。そういったことは身に沁みるぐらい分かっていたのだし、実際のところ、気に掛かることなど山ほどある。それを作品を通じて読者に伝えるのが、作家という人種なのだ。俺もそう思って生きているのだった。とにかく書く題材はいくらでもある。大概プロ作家というのは一々書くための題材を探すようじゃダメなのだ。もう書く前に頭の中で基本線が出来上がっているぐらいじゃないといけない。
食べるための金を稼ぐ仕事場ではしっかりやっていた。何せ、いつものになるか分からない作品を書き続けるのだから大変だ。とても過酷なことだが、仕方なかった。続けるしかない。いつの世の中でも、勝算のない戦いをする人間がいるのも事実である。俺も例外なしにその一人かもしれなかった。そう思い続けている。確かに打たれ弱いところもあったのだが、大抵そういったことも仕事場で休憩時間中に話をすれば紛れてしまう。
ゆっくりと歩いていくつもりでいた。何せまだ三十代なので弾けるような若さがある。それに筆歴十年ならまだひよっこだ。俺もこれから先、まだまだやれると思っていた。本職になれば今の生活から抜け出せるのだし、プロになるまでにはいろいろとあるのだが、それを今気にしても仕方ない。単に書き続けるだけだった。ずっと。
月末締め切りの原稿を印字し、送ったのはそれから一週間後の事だった。一息つけば、また別の賞に公募する原稿を書き始める。文芸賞にコネが付くのは今も昔も変わらなかったのだが……。もちろん選考委員のご機嫌を取るような作風はまずいとも思っていたのだし……。時間が許す限り、パソコンに向かい続けていた。いつかは文芸の世界に仲間入りしたいと思いながら……。
(了)