恋人たちの聖菓戦争(Nシリーズその2)
タイトルに偽りありw
◆タチバナナツメ様主催「ティル・ナ・ノーグの唄」(http://tirnanog.okoshi-yasu.net/)のバレンタイン企画参加中。
※2月8日改稿。
アーガトラム王国の城塞都市、ティル・ナ・ノーグの観光ガイドには、次のような記述がある。
『◆◇◆ライラ・ディ◆◇◆
女性が意中の男性にお菓子を贈る日。チョコレートを使ったお菓子が選ばれることが多く、近年では友人や知人同士で贈りあうこともある。なお、ライラ・ディのひと月後には、男性から女性へ返礼をする“リ・ライラ・ディ”がある』
その昔、空の妖精ニーヴの末娘・ライラが人間の男に恋をした。
自由気ままに空を渡っていたライラだったが、男のために地上に降りることを選び、男もまた自分のために飛ぶことをやめたライラを愛した。二人は幸せな生活を送っていたが、ライラを取り戻そうとする他の妖精に見つかり、引き離されてしまった。
しかし、男を心の底から愛していたライラは、一本の木に身をやつして男の側にいることを選んだ。他の妖精たちは、地上に根を張る樹木となったライラを無理に引き抜くことはできず、あきらめるしかなかったという。
それを知らない男は、ライラを失った悲しみから床につくようになった。ある日、生死の境をさまよう男の夢の中にライラが現れた。
庭にある木の実を煎じて飲みなさい――
夢の中のライラは、そう言ったという。
男は、ライラに言われた通りに庭に行き、幹に白い小さな花をつけている木を見つけた。それまで、そんなところに木があることにすら、男は気付いていなかった。それからというもの、男は毎日木の世話をした。しばらくすると、木は涙型の実をつけた。男は夢で言われた通りにその実を砕き、湯で煎じて飲んだところ、たちまち元気を取り戻したと言う。
男は、木の周りにライラが好きだった花を植えた。それは、ライラが夢の中にあらわれてから、ちょうどひと月後だったという。
男が飲んでいたライラの薬湯の話は、病に悩む人々の間で口伝えに広がった。愛情の木の雫と呼ばれたその薬湯は、そのままではたいへん苦かったため甘味料を加えるようになり、これがのちに“チョコレート”となった。ティル・ナ・ノーグでは、ライラが男の夢の中にあらわれた日を“ライラ・ディ”として、女性から男性に贈り物をする日となった。また男が回復して花を植えた日を、男性から女性へ贈り物をする日とした。
汗が飛び散る。
「……っ、……っ、……っ」
見事に割れた腹筋は、鉄板でも入っているのかという固さだ。
「九十九、百。はい、五セット目、終了です。
昨夜は遅いお帰りだったようで。分隊長が門限破りをしていては、部下に示しがつきませんよ」
宿舎の隣にある訓練場の片隅で筋トレをしていたクラウスに、勝手につきあっているエメリッヒが言う。門限といっても、分隊ごとに規則はまちまちで、消灯時刻が決まっているわけでなし、点呼をとるわけでなし、あってないようなものだった。
「二、三……何セットやるんですか? 六セット? 九、十……。
もうすぐライラ・ディですね。いいなぁ、彼女がいる人は。
しかも本業ですもんね。どんなお菓子をプレゼントしてくれるんでしょう。
俺たちにも少しわけてくれません?」
「な、んの、話を、している」
エメリッヒは、腹筋運動をするクラウスの足を押さえている。押さえてくれるのも、数えてくれるのもいいのだが、このおしゃべりははっきり言って邪魔だ。
「なんのって、クラウス分隊長とコレットさんの話ですよ。
付き合い始めてから初めてのライラ・ディ! 菓子よりも甘いひとときが待ってるんですね。
く~! うらやましい!」
いい歳をした男が悶えても、かわいくもなんともない。六セット目を終えたクラウスは、エメリッヒを蹴り倒して「ふぅ」と息を吐いた。エメリッヒはたいした衝撃でもなかったくせに、わざとらしくころりと転がって見せる。
「……ない」
「はい?」
「付き合って、ない。菓子ももらう予定はない」
「はぁ?」
ぽかんと口を開けたエメリッヒは、信じられないというようにまばたきをする。昼夜となく連日通い、あれだけ二人の世界を作っておいて、付き合ってない?
「何言ってんですか。
まさか手も握ってないとか言うんじゃないでしょうね」
「……」
背もたれのない長椅子に横たわったクラウスは、両端におもりのついた棒を持ち上げ、ベンチプレスを始める。大人二人分ほどのおもりがぐっぐっと上下するたびに、男の大胸筋と上腕三頭筋に筋がうかぶ。
「え? どういうことです? 成人した男女が深夜まで一緒にいて何もなし?
俺、もうてっきり、がっつりねっちょりいってるもんだと……ぶっ」
クラウスが手近にあった手巾を投げてきた。誰の物かわからない、おそらくしばらく放置されていただろうそれは、薄汚れていて汗臭い。
「彼女にだって、選ぶ権利はある」
「いや、だから……分隊長?」
なおも食い下がるエメリッヒを無視して、クラウスは筋トレを続ける。太りやすい体質を気にしているクラウスは、ここのところ特に熱心に体を鍛えていた。これもコレットと付き合いだして、菓子を食べる回数が増えているからだろうと、エメリッヒは思っていたのだが。
「付き合ってない、ねぇ。これは、我らが分隊長のために一肌脱がないといけないな……」
おもりを増やして上下運動を続けるクラウスに、エメリッヒのつぶやきが届くことはなかった。
「やっぱり? あたしもそうじゃないかと思ってたんだよね」
「そっちもですか」
その日の午後、女性客で賑わう菓子店内のカフェコーナーに、エメリッヒはいた。向かいには、すっかり顔なじみになった青果店のおかみが座っている。
「コレットちゃんったら、そういう話はあんまりしないからねぇ。でも絶対好きだと思うんだよね。これは間違いないよ」
「分隊長もですよ。でなけりゃ、あんなに通いませんって。
好きなものはとことん追いかける人なんですがねぇ。女性相手だとからきしだってことがわかりました」
「まどろっこしいね。あんなごつい男が情けない!」
「いやぁ、それがね、あの人があの人たる所以なんですけど。
たぶんどうでもいいことを気にしてるんだと思うんですよ」
例えば歳の差とか、自分の風貌とか。
ぼやきながら、エメリッヒは一口プレートに乗った菓子をつつく。今日の菓子は、フォンダン・オ・ショコラとスノーボールで、横には真っ赤なラズベリーソースでハート型が描かれており、生のラズベリーも添えてあった。
「髭は剃らせたんですけどね」
この店が嫌がらせを受けたのを助けた次の日、クラウスはコレットに事後報告に行くと言ってでかけていった。帰ってきたクラウスは、もう大丈夫だとは思うが心配なので、時々見回りをしてくれないかとエメリッヒに頼んできた。自分が頻繁に顔を出しては、それこそ営業妨害になってしまうから、と。
そのときも、分隊長は何を言っているのかと呆れたものだ。むさい風体が気になるなら、改めればいいではないか。エメリッヒは、嫌がるクラウスを捕まえて、半ば強制的に身なりを整えさせた。無精ひげを生やしてようが、流行に頓着しない適当な服を着ていようが、クラウスはクラウスだ。しかし、髭を剃って隊服をびしっと着ればそれなりに見栄えがするのをエメリッヒは知っていた。隊員一同愛してやまない分隊長であるから、どうせなら街のみなさんには好意的に見られて欲しい。長剣を穿き長衣を風になびかせて颯爽と歩けば、泣く子も黙る凶悪な面構えすら頼もしく見える。菓子店の娘も惚れ直すだろう。果たしてそれは成功したようだが、どうもクラウス本人は自分が世間一般的に“格好いい”部類に入るとは思っていないらしい。
「あぁ、あれは驚いたね。本当は何歳なんだい」
メリルもエメリッヒにならってプレートに手を付ける。
焼きたてのフォンダン・オ・ショコラは、匙を入れると中からとろりとしたショコラが流れ出てきた。円錐形のチョコレートスポンジはしっとりと甘く、中のショコラはほんのりビターでくどさを感じない。またアーモンドのパウダーで作ったというスノーボールは、粉砂糖がまぶしてあって外側は甘く、噛めば口のなかでほろほろとくずれてバターの香りが広がった。途中、ラズベリーの酸味が丁度いい口直しになって、どちらの美味しさも引き立てた。
「美味しいねぇ。コレットちゃんの作るお菓子は最高だよ」
「ですね。分隊長は俺の二つ上だから、確か三十二ですよ」
「コレットちゃんは二十一になるはずだよ。別にたいした差じゃないよねぇ」
「ですよね。彼女、今まで付き合ってた人とかいないんですか」
「こっちに来てからは聞かないね。来る前は知らないけど」
「あー……一年前に越してきたんでしたっけ。故郷にいい人がいるなんてことはないですよね」
「どうだか。さりげなく探りをいれてみるよ」
「お願いします。それでもし何もなければ……」
「ちょうど“ライラ・ディ”だしね」
「えぇ」
エメリッヒとメリルは顔を見合わせる。
「これは……おもしろくなってきたね」
カラランとドアベルが鳴った。コレットは、何やらごにょごにょと相談を始めた友人たちに気付くことなく、「いらっしゃいませ!」と元気に客を迎えていた。
“コレットの菓子工房”と書かれた看板が、風に揺れている。
大通りの見回りをしながら菓子店の前まで来たクラウスは、閉店し明かりの落とされた店の裏口に立つ。
一年を通じて温暖な気候であるティル・ナ・ノーグは、夜であっても寒いということはない。ただ、今日は風が強く、そこかしこでガタガタ、ザワザワという音がして、なんとなく落ち着かなかった。
裏口用の呼び鈴を鳴らす。奥の方から返事が聞こえて、すぐにコレットが出迎えた。
「クラウス様! 来てくださってありがとうございます。さぁ、どうぞ」
店を閉め、前掛けをはずした彼女は、髪を下ろしていた。肩下くらいの長さの赤い巻き毛が、小さな顔の周りを飾っている。
いつもと違う雰囲気に、クラウスは腹のあたりがざわつく感じを覚えた。
(なんだ、これは……。ったく、エメリッヒが余計なことを言うからだ)
裏口から厨房へと続く廊下を歩きながら、クラウスは心の中で舌打ちをする。昼間、コレットと付き合っているのではないかとかライラ・ディがどうのとか言われたせいで、妙に彼女を意識してしまう。
コレットは、“自分を怖がらない数少ない貴重な女性の友人”。
クラウスはそう思っている。友人だから、困っていれば助けるし、頼まれれば相談にも乗る。いや、頼まれなくても、力になりたいと思っている。なぜなら、友人であるだけでなく、クラウスはコレットの作る菓子の第一の支持者を自負しているからだ。
(そうだ。彼女の作る菓子はうまい)
前を行くコレットの背丈はクラウスの胸ほどしかなく、つむじを見下ろす形となる。背中に垂らされた巻き毛が揺れ、小さな肩や細い腰に目が行く。白い手は自分と同じように動くのが不思議なほど華奢で、けれどあの手から様々な菓子が生み出されていると思うと深く感心する。
ティル・ナ・ノーグのあるフィアナ大陸とは違う大陸から来たらしい彼女は、食材の使い方や組み合わせがクラウスの予想を上回るものばかりだ。しかし、それが意外に合うのだ。無類の甘味好きであるクラウスは、大好きな菓子を試作の段階から食べられるのが嬉しくて仕方ない。また、クラウスの提案を受けてコレットが工夫を凝らした菓子が店頭に並び、客が手に取って行くのを見るのも楽しい。
(だから、手伝っているだけで、付き合うとかどうとかいうものではない。彼女だってそんなことは一切考えていないはずだ。だいたい、俺など彼女の相手の範囲内に入るはずがない。彼女には、もっと似合いのふさわしい相手がいるはずで……)
そこまで考えて、クラウスの腹がまたざわついた。どうも今日はおかしい。
さして長くない廊下を進み、左に曲がれば厨房、というところでコレットが立ち止まった。顎に手を当てて、迷うようにうつむく。何か、そんなに悩んでいるのだろうか。今日は、昨日途中まで話が進んでいたライラ・ディ用のチョコレートを使った菓子の相談だったはずだ。エメリッヒなら、こんなときぺらぺらといくらでも言葉が出てくるのだろうが、クラウスにはできない。ただ黙ってコレットが話し出すのを待っていた。
「あの……」
意を決したように、コレットが顔を上げる。つぶらな濃褐色の瞳が、上目づかいにクラウスを見上げてくる。腹のざわつきを抑えながらコレットを見つめ返すと、彼女はその白い手で自分の頬をはさみ、再びうつむいてふるふると顔を振った。そのまま一気にしゃべりだす。
「わ、私、お夕飯作ったんです。お菓子の相談の前に、一緒にいかがですか? もう召し上がっていらっしゃいましたか?
今日メリルさんに言われて、初めて気が付いたんです。いつも遅くまでお付き合いいただいていたのに、お食事のこと、全然頭になくてすみませんでした。
クラウス様、お仕事帰りですよね? 私、夢中になるとごはんを抜いてしまうことが結構あって、お菓子の試食でおなかいっぱいになってしまうせいもありますけど、クラウス様はそれで足りるわけはありませんよね。
あ、でも宿舎のごはんってどうなってるんでしょう」
食事? 食事だと? しかもコレットの手作りの?
驚いたクラウスは、返事もできずに固まってしまう。
「特に決まったものがないのでしたら、お口に合うかどうかはわかりませんが一緒に……」
コレットは、スカートの裾を両手でつかんでクラウスを見上げる。断る理由などあるはずもなく、クラウスは固まった首を必死に動かして、ぎこちなくうなずいた。
厨房には入らずに、廊下の突き当たりにある階段を上がる。コレットの家は、一階が店舗、二階が住居部分となっていた。階段をあがってすぐに小さなリビングダイニングがあり、奥は寝室になっている。
コレットは、黙って後ろをついてきたクラウスに椅子を勧める。いつも自分一人で過ごしている部屋に、他人がいるというのは不思議な感じだ。
「あっ、上着。お預かりします」
クラウスが座る前に、コレットが声をかける。彼が隊服である長衣を脱ぐと、ぴったりとした黒のハイネックのインナーの下に、隆々とした筋肉が盛り上がっているのがわかった。それに気付いた途端、急にどきどきしはじめた心臓を鎮めながら、コレットは長衣をハンガーにかけようとする。けれどコレットの身長ほどはあろうかという長衣は重く、なかなかうまくかけられない。
背伸びをしながらがんばっていると、見かねたクラウスがコレットの後ろから手を伸ばして自分でハンガーにかけた。一時的にクラウスの腕の中に収まる形になったコレットは、男の熱を身近に感じてさらに頬を染める。
「あ、あああ、ありがとうございます」
「いや……」
どもりながら礼を言うコレットは、クラウスの手が不自然に空中で止まり、コレットがその腕の下を抜けて慌てて台所に向かうまで固まっていたことに気付かない。さらに、深い溜息をついて腹を押さえながら椅子に腰かけたことも、気付かなかった。
「えっと、お飲物は果実酒でいいですか?」
「あぁ」
クラウスの返事を受けて、コレットは果実酒のボトルとグラスを用意する。アルコール度数のさほど高くない果実酒は、食事の供として日常的に飲まれている。
二階の住居用ということでこじんまりとした台所ではあったが、一端クラウスから離れた場所に立ったことで、コレットの心臓は少し落ち着きを取り戻した。
そして、これは思ったより大変なことだったと、早くも後悔していた。
昼間――
忙しい中、毎日のように来てくれるメリルが、今日はやけに長居をしていると思ったら、客足が途絶えたところで話しかけてきた。
この地に来る前のことをいろいろ聞かれ、今夜の予定を聞かれ、クラウスが来るといったら夕飯はどうしているのだと言われた。特に何もしていないと言うと、それはいけない、体が資本の騎士様に不規則な生活をさせていると言われた。
それもそうだと思ったコレットは、食事を用意することにした。けれど、誘う段になってとても恥ずかしくなった。
菓子一筋だったコレットは、男性を家に招いて食事をふるまったことなどない。クラウスにだって、菓子はたくさん食べてもらっていたけれど、普通の料理は差し入れすらしたことがない。好みも全くわからなかった。
それでも、せっかく作ったのだからと思って、勇気を出して誘った。
クラウスが、自分の部屋にいる。
それだけで、何かがおかしいのだ。グラスを運ぶ手も、料理を皿に盛り付ける手も、奇妙に震える。
食事の準備をしながら盗み見たクラウスは、落ち着かない様子で部屋の中を眺めていた。
そういえば、初めてカフェコーナーに案内したときもこんな感じだったと思い出して、コレットは少し肩の力が抜けた。緊張しているのは、何も自分だけではないようだ。それに、これはあのときと同じ、ついでのお礼のようなものなのだからいいじゃないか。
ごはんを食べて、その後お菓子の相談に乗ってもらうんだから、深い意味なんてないのよ――そう自分を納得させたコレットは、にっこり微笑んでクラウスの前にグラスを置いた。向かい側にも一つ。コレットの分だ。
夕食のメニューは、悩んだ末にごく一般的なものにした。香草のサラダと、羊肉と根菜の煮込み、クラウスが来る直前に焼いたバゲットと、デザートにはフルーツ。
クラウスはどれも美味しいと言って食べてくれて、お菓子と同じようにきれいにたいらげた。菓子でなくても、作ったものを気持ちよく食べてくれるのはとても嬉しいことだ。
果実酒のおかげもあって、次第にリラックスしてきたコレットは、一人ではない食卓にうきうきした気分になってきた。思い切って誘ってよかったと、クラウスと目が合うたびに笑顔がこぼれた。
食事中の話題は、自然と菓子のことになった。食後のお茶を淹れるころには、ダイニングでそのまま創作ノートを広げて、二人でああでもないこうでもないと、ライラ・ディ用の菓子について額をつきあわせていた。
「じゃぁ、ケーキのほうは定番のガトーショコラとショコラロール、ナッツ入りブラウニーの三種類を出したいと思います。ライラフェア中は他のお菓子は少し減らします。
あとはそのままプレゼントすることを考えると、包装済みのものも用意しておいたほうがいいですよね。持ち運びもするから、あまり大きくないもので……こちらも三種類。色とりどりの一粒チョコレートの詰め合わせ、煉瓦風生チョコレート、トリュフ・オ・ショコラ。トリュフ・オ・ショコラは白と茶色を互い違いに六つ入れたらかわいいかも。四つでいいかなぁ」
「皆、あげるために買うものなのか」
「そうですね。だから、実際に食べるのは男性ということになります。
そうすると、甘いものが苦手な方はあんまり量があっても困るかしら。数を減らしてその分値段を抑えたほうが……。
んん、甘いものが苦手とわかっている方には、チョコレートのお菓子はあげないでしょうか。オーダーメイドなら多少甘さも加減できますけど、注文を取って一つ一つ作るのは私一人じゃ無理だし……」
考え込むコレットを前に、クラウスもこれまで食してきた菓子を思い出す。ライラ・ディの時期には分隊に差し入れがあることもあるし、隊員の家族に義理でもらうこともある。その中に果物をチョコレートでコーティングした菓子があって美味しかったこと、カフェコーナーでガトーショコラを出してくれたときに生クリームが添えられていたのがよかったことなどを話した。
「コーティング……。何かを添える……。
お客様自身が一手間加えられるようにすればいいのでしょうか。
あっ、そうだ! トリュフ! トリュフですよ!」
コレットが、ばん! とテーブルに手をついて立ち上がる。そしてリビングをうろうろと歩きながら、思いついたことを話し始めた。
「トリュフなら、中に入れるリキュールを変えれば、好みに応じて味を変えられます。また、まわりにまぶすココアパウダーをピュアココアにすれば、かなりビターな味わいになります。
リキュールとコーティングを変えたものを何種類か用意して、お客様に好きなものを選んで箱に詰めてもらうというのはどうでしょうか」
選べるのは四つまでで銅貨二枚。箱を用意しておいて、客が自由に選んで詰めるようにすれば、コレットの手間も省ける。いっそのこと、包装も自分でできるようにきれいな袋やリボンを置いておくのもいい。
「えぇと、リキュールは何があったっけ……。
ラムでしょ、ブランデーでしょ、オレンジキュラソーでしょ、ストロベリーにアプリコット……。
ミントは好みが分かれるところですね。クラウス様はミントチョコはお好きですか?」
「香草をチョコレートに?」
「はい。さわやかで、美味しいですよ。ティル・ナ・ノーグにはないのかしら。
明日試作をしますから、ぜひ味見をしてください」
いいアイディアが浮かんで嬉しくなったコレットは、クラウスの前でくるりと回った。スカートがひるがえって、白いふくらはぎがちらりと見えた。
「チョコレートの加工って、なかなか普通のご家庭ではできません。
でもこの方式なら好きな人の好みに合わせたものを、自分で選んであげられます。
何種類ものリキュール、味の違うコーティング、さらにその中から四つ選ぶとなれば、組み合わせは無数にあります。ほとんど、その方オリジナルのプレゼントができますねっ」
「大変だろう」
クラウスが心配そうに指摘したのは、それだけの数のトリュフを作るコレットの手間だ。材料を混ぜたあと、焼いたり冷やしたりして量産できる菓子と違い、トリュフは全て手作業。しかもチョコレートは温度管理が難しい。
「大丈夫です。ライラ・ディの前日までは、さっきまで言っていた三種類のケーキと三種類の包装済チョコレートを用意します。トリュフ・オ・ショコラも普通のもので。
で、当日は特製のトリュフだけにします。お店の飾り棚全部がトリュフなんです! 素敵でしょう?」
興奮したコレットは、頬を染めてクラウスの両手を握る。
「ティル・ナ・ノーグ中の恋する女の子のために、私、がんばりますっ
女の子たちは、ライラのように好きな人のことを一生懸命考えて、トリュフを選ぶはずです。そしてそのトリュフを持って、好きな人に告白するんです。
相手の方も、自分の好み通りのチョコレートがもらえたら嬉しいですよね? それだけその子が自分のことを想ってくれてたってことですもの。
明日から店の前に宣伝のちらしを貼ります。興味を持ってくれた人は、好きな人の好みをリサーチすると思います。あの人は何味が好きなのかしらって。
あぁ、楽しみ! クラウス様、すばらしいアイディアをありがとうございます!」
きゅっと両手に力を入れたところで、コレットははたと気づいた。
こ、この手はどうしたらいいのだろう。
お菓子の話に夢中になって、つい握ってしまったけれど、離すタイミングがわからない。彼の顔もやけに近い。
再び早鐘を打ちだした心臓と汗ばみ始めた手の平に焦っていると、クラウスの方から手をほどいて、コレットの頭にぽんと大きな手をのせた。
がんばれ。
そう言われた気がして、コレットは深い碧の瞳を見つめてふわりと微笑んだ。
ライラ・ディ当日、クラウス率いるティル・ナ・ノーグ天馬騎士団第六師団十八分隊は街はずれで起きた乱闘事件の鎮圧に駆り出され、隊員一同が隊舎に戻ったのは深夜になってからだった。
当然、恋人や家族と約束があった者は、すべてキャンセルせざるをえなかった。
「うぅ、俺、今日の夕飯は彼女とらぶらぶデートの予定だったのに」
「おまえはもう付き合ってんだからいいじゃねぇか!
俺なんかなぁ、ずっとアタックしてた彼女から“今日会えませんか?”って言われて、おお、とうとう! 俺はいつでもオッケーだぜ、カモンベイベーとか思ってたのに」
「そのノリじゃ結局振られたんじゃないか? 俺はかみさんにご馳走作って待ってるからって言われたんだよなぁ。 どうしよう、絶対怒ってる……」
「藤の湯でもいくか。パティちゃんの笑顔に癒されたい」
「馬ぁ鹿、こんな時間じゃもういねぇよ。そんな汚いナリで湯船に浸かるなって店主に怒鳴られて終わりだぜ」
「う、そうか」
分隊長からの、解散の指示を待つ隊員たちのぼやきは続く。
“藤の湯”は、ティル・ナ・ノーグの一画にある大衆向けの入浴施設である。隊員たちが仕事帰りによく立ち寄っている場所の一つだが、風呂そのものよりも、休憩所の売り子・パティが目当てである者も多い。
「どこかで一杯ひっかけて帰るかぁ。
分隊長たち、遅いなぁ。報告なんて明日でいいじゃないか」
「だよなぁ。ってゆーか、分隊長も約束あったんじゃねぇの」
「コレットさん? 彼女も今日は大忙しだろ。かえって会えないもんじゃないの」
「そっか。あぁ、せめてチョコのひとかけらでも口にしたい。せっかくのライラ・ディなのに」
「チョコならあるぞ」
「「「補佐官!」」」
だらけていた隊員たちが、ガタガタっと立ち上がる。隊舎の入口に立ったエメリッヒは、大きな包みを抱えていた。
「みんな、お疲れさん。
これ、事務方が預かってくれてたぞ。“コレットの菓子工房”からの差し入れだ。
ここで食っていってもいいし、持ち帰ってもいい。袋はこれ。
分隊長は他の隊との確認事項があるから、まだかかる。おまえらはもう帰っていいってさ」
いいながら、エメリッヒが実用一徹の机の上で包みを開ける。途端に、チョコレートの甘い香りが部屋中に広がった。
「うっわ、すげぇ。何だっけ、これ、トリュフ?」
「色違いで何種類かあるな。お、なんかこっち匂いが違う」
「カードが入ってるぞ。
“隊員の皆様、お疲れ様です。その節は大変お世話になりました。よろしかったらお召し上がりください。コレット”だってさ。
く~! 嬉しい!」
隊員たちは、コレットが添えた持ち帰り用の袋などには目もくれず、次々に手を伸ばしてトリュフを口に入れていく。先ほどまでのうろんな表情はどこへやら、無邪気な笑顔になった隊員たちに苦笑して、エメリッヒも手近なトリュフをつまんだ。
エメリッヒが取ったのは、茶色の粉末がまぶされたトリュフだった。口に含んでまず感じたのはほろ苦さ。噛めば、パリっとわずかな抵抗があって割れ、濃厚な甘さの、蕩ける食感の生チョコレートが出てきた。ラム酒の香りが鼻に抜ける。
「疲れた体に染みわたる……。うめぇ……」
「おまえ、食いすぎ。何個目だよ」
「だって、どれも味が違うんだ。どうせなら全種類食べたいじゃないか。
あ! そっちのちょっと寄越せ。まだ食ってない」
「なんだこれ。すーっとする。甘いけど甘くない」
「それ、俺も食った。妙にくせになる感じだよな。なんだろう」
「俺はこっちのほうが好きだな。この苦いやつ」
「えぇ? この白くて超甘いやつがうまいよ。あ! 最後の一個!」
「俺! 俺食う!」
「おまえ、さんざん食っただろ! 俺に寄越せ!」
「何言ってる、早い者勝ちだ! あっ、そっち転がった」
「イェ~イ、俺、もーらいっ」
揉みあう隊員の手をすりぬけて机の上を転がったトリュフが、別の隊員の前に来る。それを取り上げようとしたら、横から伸びてきた手に奪われた。
「あ! 何すんだよ」
「俺にも食わせろ」
「ぶっ、分隊長……!」
隊員の一人が、ヒッとのけぞる。皆が青ざめる中、最後の一粒がクラウスの口中に消えた。
「お、おい、誰か分隊長の分、取り分けたか?」
「俺、知らねぇ。補佐官が分けたんじゃないか」
「いや、持ってきた包み、全部開けてたぞ。もしかして、もうない?」
「えっ。俺、三個しか食ってないからな」
「俺、四個。おまえ、十個くらい食ってたろ」
「八個だよ。だからなんだっていうんだ。食ったのはみんなで食ったんだろ」
「おまえだ、おまえ。おまえが分隊長の分、食った」
「吐け。今すぐ吐け!」
「無茶なこと言うなよ!」
「じゃ、土下座だな。土下座して謝って、ついでに殴られて来い」
「えええ? マジで俺? おい、誰か一緒に来てくれ」
「嫌だよ。一人でいけ」
「えええええ?」
小声でやりとりをしながら、隊員たちはお互いの脇腹を肘でつつき合っている。
「くくっ、あいつがどうなるか知りたい気もするが……。
はい、分隊長のはこっち」
騒ぐ隊員を横目に愉快そうに笑ったエメリッヒは、どこからか別の包みをとりだした。トリュフが入っていた袋とは違い、しっかりした箱で、きれいなリボンもかかっている。
「あ、なんだ。別にあったんだ」
「さすが本命。包装からして違う」
「おまえ、命拾いしたな。今後は食い意地はってるのもほどほどにしろよ」
「あぁ、身に沁みたよ……」
ほっと胸を撫で下ろした隊員たちは、クラウスとエメリッヒにあいさつをして、三々五々帰って行った。
「お茶でも淹れますか?」
「いや、いい。おまえも疲れているだろう。帰れ」
「そうですか?
あ、気が利かなくてすみません。一人でじっくり味わいたいですよね。
くれぐれも、鍵をかけるのをお忘れなく」
にやりと笑うエメリッヒは、クラウスが一睨みすると、肩をすくめて出て行った。
隊舎の一室に一人残ったクラウスは、リボンにはさまっていたメッセージカードを手に取る。薄桃色の花柄が描かれたそれには、丸みを帯びたていねいな文字で、
“クラウス様へ
いつもありがとうございます。コレット”
と書かれていた。
なんのことはない。包みが別だっただけで、これも普段の礼の菓子だとすんなり結論付けたクラウスは、リボンをほどいて中身をとりだした。
あらわれたのは、見事な艶をもつザッハトルテ。
ライラ・ディ用の商品にはなかったものだ。自分のためだけに作ってくれたのかと思い、クラウスは少なからず感動した。
一人で食べることを想定してか、少し小ぶりのザッハトルテに、いそいそとナイフを入れる。しっとりとしたチョコレート色のバターケーキ部分は三層になっており、一層目の間にはアプリコットジャム、二層目にはガナッシュクリームがはさんであった。チョコレート入りの糖衣は、どこの店でも見たことのないほどの艶やかさで、濃厚だけれど甘すぎず、チョコレートそのものを食べているようでありつつも、アプリコットの酸味が効いていた。さっき食べたトリュフもそうだが、コレットの作る菓子は食べる者の期待をいい意味で裏切る。こうだろうな、と思った味の、さらにその上を行く。だから、次はどんな味がするのだろうとまた食べたくなる。
それは彼女自身にも言えることで、会うたびにコレットの新しい一面を知り、また会いたくなるのだ。
(そうだ、髪を下ろした姿も似合っていた)
先日、夕食を共にしたときのことを思い出す。
あの日は本当に楽しかった。コレットの料理は美味しかったし、菓子について頬を紅潮させて夢中になって話す彼女のことは、力の及ぶ限り応援したいと思った。そう、できればもっと側で……。
ザッハトルテの蕩ける口どけからコレットを連想していると、再びクラウスの腹がざわついた。疲れているのだろうか。そういえば、もう深夜だった。
クラウスは、残りのザッハトルテを明日の楽しみにとっておくことにして、隊舎を閉めて自室に戻った。
翌日、相変わらず女性客で賑わう菓子店内のカフェコーナーに、二人の男女がいた。
「アンタさぁ、何やってんだい。
ライラ・ディの夜は、クラウス様のほうから花束持ってコレットちゃんに“お疲れ”ってやってやる予定だったろう」
「仕方ないですよ。急に出動かかっちゃったんですから。
その代わり、お菓子はちゃんと当日のうちに渡しましたからね」
忙しいコレットの代わりに、隊舎に差し入れを届けたのはメリルだった。クラウスの分を分けろと言ったのもメリルだ。エメリッヒはそれをクラウスに渡して、すぐにお礼をしろとかなんとか言って、店に送り出す予定だった。
「それくらい当たり前だよ。はあぁ、せっかく一緒に夕食をとるまでいったのにねぇ」
「うひゃぁ、そうそう、それですよ。どんな感じだったんです? 分隊長に聞いても、黙り込んで教えてくれないんですよね」
顔に“わくわく”と書いたエメリッヒが、身を乗り出してメリルに問う。
「まぁ、普通に? 楽しく食べたみたいだよ。
ここのところ、コレットちゃんもかなり忙しかったから、あたしも詳しくは聞いてないんだ。
でもこの夕食作戦は絶対効果があるよ。男は胃袋からっていうだろう?
うちの旦那も元は船乗りだったんだけどさ、あたしの一目惚れで押しに押して婿に来てもらったんだ。そのときもあたしの得意料理を……」
メリルが人差し指を立てて滔々と語りだそうとしたところで、カラランとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ! ……あ」
朗らかに客を迎えたコレットが、口元に手を当てて言葉を詰まらせる。店に入ってきたずんぐりした体格の男は、他の女性客の注目を浴びながらずんずんと奥に歩を進めた。
「おい」
低い声で呼びかけて、メリルの肩に手を置く。
「あれ、アンタ。どうしたんだい」
振り返ったメリルは、驚いた顔で自分の夫を見つめた。
「まさかとは思ったが……。
こんな若造に熱をあげるとは、どういうことだ!」
「はぁ? 何の話だい」
「おまえがここで毎日のように若い男と密会してるってぇ、なじみの客に言われたんだよ!」
メリルの夫は、ちらりとエメリッヒに視線を向けると、どすの利いた声でうなるように言った。メリルはそう言われてもさっぱりわからないというような顔で、目をぱちくりさせている。一方、若い男とは自分のことだとすぐにわかったエメリッヒは、とんでもない誤解に頭を抱えた。
「いい歳して恥ずかしいったらありゃしねぇ! とっとと帰るぞ!」
「な、なんだい。おまえさんこそ訳の分からないことを言って、もう耄碌したのかい?
密会って、若い男って何のこと……」
「とぼけるんじゃねぇっ」
「とぼけてなんかないよっ」
青果店の夫婦は、店の真ん中で言い合いを始める。他の客たちは野次馬と化し、面白そうにひそひそ声で話し合っていた。カウンターの奥にいるコレットは、どうしたらいいのかわからずにわたわたしている。
「あの、ご主人、誤解です。俺は奥さんとはなんの関係も」
「あぁん!?」
民の安全を守る騎士団員として、己が原因でこのような騒ぎを起こしてはいけない。
くらくらする頭をなんとか立て直したエメリッヒは、場を収束させるべく口をはさんだ。メリルの夫は、そんなエメリッヒを、上から下まで舐めるように眺める。
「少し相談に乗っていただいていただけで、やましいことは何もないんです。密会だなんて、誤解なんですよ」
「相談んんん? お偉い騎士様が、うちのかみさんに何の相談をするってぇんだよ!
嘘をつくんじゃねぇっ
人の嫁に手ぇ出しといて、へらへらしてんじゃねぇぞ、このひよっこが!」
がぁっと怒鳴りたてられて、エメリッヒの肩がびくっと震える。
元船乗りだというメリルの夫は、毎日露店に立っているせいで肌は浅黒く、青果の入った重い木箱を上げ下げしているおかげで二の腕は丸太ほどに太い。足腰もがっしりしていて、体当たりでもされたら、ひとたまりもなさそうだ。
「エメリッヒさん……逃げな」
夫の怒りを目の前にしたメリルが、こそっと呟いた。
「えぇ? なんで俺が」
逃げたら間男だと認めたようなものではないか。そんなことは騎士の誇りが許さない。
「誇りよりも命の方が大事だろ。
こうなったらこの人は止まらないよ。悪いね、骨は拾ってやるから」
「それ、全然無事に済んでないんですけど」
「いいから、早く逃げなって」
「何をごそごそ言ってやがる! やっぱりおまえら……」
「だから、違いますって! あぁ、もう! うわっ、ちょっ、やめ……っ」
興奮した男が殴りかかってきたのを、エメリッヒは身をかわして避けた。いくら正当防衛であっても、騎士である自分が一般市民にそう簡単に手を上げるわけにはいかない。
「コ、コレットさん、お騒がせしました! とりあえず今日は帰ります。
このお詫びは近日中に!」
ばん! とドアを開けてエメリッヒが飛び出していく。
「待ちやがれ、この野郎!」
メリルの夫も、それを追って飛び出していった。ドアベルがガランガランとけたたましい音を立てる。メリルもまた、二人を追いかけて出て行った。
店の中に静寂が下りる。
呆然とするコレットを前に、店のドアに新たな人影が写った。コレットは一瞬身構えたが、入ってきたのはクラウスだった。
自分を見た途端、あきらかにほっとした表情をしたコレットに気付いたクラウスが、怪訝そうに尋ねる。
「どうした」
「いえ、何が何だか、私にもさっぱり……」
一部始終を見てはいたが、事情を知っているわけではない。いくらクラウス相手とはいえ、不確かなことを言いふらすのははばかられる。結果、コレットは困ったような微笑みを浮かべて、そう答えるしかなかった。
メリルたちが去った店内は落ち着きを取り戻し、会計を済ませた客は商品を手に店を出て行く。コレットも客に向き直って、にこやかな対応を再開した。
コレット自身に何かあったわけではなさそうだと判断したクラウスは、客が切れた頃合いを見計らって、本来の用件を口にした。
「差し入れ、うまかった」
ぼそりと言うと、コレットは一度まばたきをしてから、にっこりと微笑んだ。
「よかったです。次はリ・ライラ・ディの商品を考えようと思っています。男の方にはなかなか来ていただけないので、これを機に、もっとたくさんの方にご来店いただけたらなって。また今度お時間のあるときに、相談に乗っていただけたら嬉しいです」
コレットの言を受けて、クラウスはうなずきを返す。
リ・ライラ・ディと言えば、クッキーや飴細工、マシュマロなどが定番だが、コレットだったらどんなものを作るのだろう。彼女の手から生み出されるであろう菓子に心が躍るとともに、自分も差し入れのお返しをしなければと思い至った。
だから、何気なく訊いたのだ。
「君は、何が欲しい?」
と。
「え?」
コレットの目が見開かれる。そしてみるみるうちに耳まで真っ赤に染まった。それを見たクラウスは、また腹のあたりがざわりと蠢くのを感じた。
「何がって、あの、どうしてですか?」
頬を染めたコレットが、ちらちらと自分を伺ってくる。そんな彼女に、今度は動悸までしはじめた。喉が干上がって、うまく声がでない。
「どうしてって……」
コレットがクラウスを見つめる。
「隊に、差し入れを、もらったからだ、な……」
なんとか言葉を見つけ出すと、目に見えてコレットが慌てた。
「あ、そうです。そうですよね。あの日は大変だったそうですね。
ずいぶん遅くまでかかったとか。
お店のほうも、盛況だったんですよ。選べるトリュフが好評で、プレゼント以外にも自分用に全種類買って下さる方もいらして、あっという間に売り切れたんです」
「隊員たちも喜んでいた」
だから礼がしたいのだと、もう一度欲しいものはないのかと尋ねた。納得した様子のコレットは、顎に手を当てて考え込む。
「クラウス様がくださるなら何でも……。
あ、でもこんな言い方、困りますよね。えっと……」
コレットが小首をかしげると、赤い巻き毛がさらりと揺れた。
「あの、今度いらっしゃるときまでに考えておきます」
それは次の約束。
菓子の相談以外の、初めての――
クラウスが返事をしようとしたら、ドアベルが鳴って他の客がやってきた。「いらっしゃいませ!」と客に声をかけるコレットは、もういつもの表情に戻っていた。クラウスの動悸もなんとかおさまった。
用件をすませたクラウスは、接客中のコレットに目であいさつをして店を出る。
さて、見回りをしながら隊舎に戻るか、と歩き出すと「分隊長ー!」と遠くから呼ばれた。声のしたほうを見れば、エメリッヒが必死な顔で駆けてきた。
「た、助けてください!」
「……?」
「俺、俺は潔白ですから! 分隊長は信じてくださいね! あぁっ、もう来た!
わあぁぁぁ」
何やら叫びながら、エメリッヒがものすごい勢いで目の前を通り過ぎて行った。
「まて! この野郎!」
「ちょいと、アンタ! いい加減にしなさいよ!」
続いて駆けて行ったのは、真っ黒に日焼けした男と青果店のおかみ。おかみはなぜか手に林檎をもって、ずんぐりした男に当てようとしていた。
「なんだ、あれは」
クラウスの疑問に答えてくれる者はいない。
常若の国、ティル・ナ・ノーグに、温かな陽の光が降り注ぐ。
通りに佇むクラウスの後ろで、カランとドアベルが鳴り客が入って行く。
「いらっしゃいませ!」
コレットの明るい声が聞こえる。
色とりどりの菓子が並ぶ店の前には、今日も甘い香りが満ちていた。