第一節
「おそーい!」
少し遠くからの声はシェリン。
「悪いな……って、なんでこんな事になってるんだ?」
街の喧騒の中、少し当惑しながら、ナスカがシェリンの元へと向かう。
元々可愛いシェリンの私服を初めて見るが、いつもとは違う魅力はあった。
先日の演習中に、シェリンのファーストキスをナスカが奪ったとか奪ってないとかで、責任を取れと言われたナスカが安易に返事した事で、このようになったのだ。
ナスカとしてはホットケーキの数枚でもおごるつもりでいたのだが、何故か休日の朝に呼び出されたのだ。
「おはよう!」
「ああ、おはよう。で、どこに行くんだ?」
「もう! その前に! 何か言う事ないの?」
「なんだよ?」
シェリンはもどかしい感じでくるり、と一回転した。
ミニのスカートがふわりと上がる。
「ああ、そう言えばエメリィが女の私服を見たらまずは褒めろと言ってたな。いいんじゃないの?」
「エメリィさんとか関係なく! 率直な感想を言って!」
「いやまあ、似合ってるぞ? シェリンは可愛いからそういうのが合ってるしな」
「そ、そうかな……」
シェリンが照れたようにうつむく。
「ああ、で、どこに行くんだ? この前のカフェか?」
「そんなのはあとあと! まずはこっち!」
「なんだ? そんな何軒も行くのか?」
ナスカの言葉は、街の喧騒に消えた。
「疲れた……」
ナスカは一言目にそう口にした。
オープンテラスのレストランは、昼時である事もあり、大いに賑わっていた。
やっと落ち着けたナスカにしてみれば、安堵の声だったのだ。
「でも楽しかったよ?」
「だろうな」
朝から服を選びに行ったり、花屋に行ったり、雑貨屋に行ったり、シェリンにあちこち引っ張り回されていたナスカは、体力的にも精神的にも疲れていた。
別にシェリンの服選びに付き合わされても何も言えないし、絶対にあり得ない服を選んで怒られただけだったのだが、それでもシェリンがとても嬉しそうだったのでここまで付き合ったのだ。
「女は何で買い物するだけでそんなに楽しそうなんだろうなあ」
「楽しいから!」
「うん、まあ、お前に論理的な答えなんて期待してないんだけどな」
「そんな事ないよ! えっと、んー、あのね、お買い物をすることが楽しいっていうよりも、お買い物をしながら楽しく話をするのが楽しいの!」
シェリンが、本当に楽しそうに言う。
「俺なんかといるより、アールやトイネなんかといた方がよよほど楽しいんじゃないのか?」
「え? うーん、もちろんアールとか、クラスの子達と一緒に行くのは楽しいよ。でも、ナスカと行くのも楽しいよ?」
「まあ、分かったような気がしないでもない」
ナスカとしても全く楽しくなかったわけではない。
女物の服や花や雑貨には何の興味もないが、シェリンとそれを見て話している分には楽しかった。
「それでね! 午後からは、丘の方に行こうよ!」
「うん、まあいいけど、おごる話はここでいいのか?」
「? 何のこと?」
「いや、だから、アンデッドと戦った時にお前におごる約束しただろ? 責任か何かとかで」
「え?」
「ん? 何か違ってたのか? ホットケーキおごる話だと思って……」
「…………」
「やっぱりホットケーキじゃなきゃダメか?」
「もういいよ、ナスカの馬鹿!」
突然怒り出したシェリン。
「何なんだ。どうした?」
「ここはナスカのおごり! でももっと食べる! 死ぬほど食べて、後で体重増えて後悔するまで食べ続けるっ!」
「なんだか知らないがやめとけ、怒らせたなら謝るから理由を説明しろ」
「すみませーん、このディナー用メニュー今頼めますか?」
「だから! 落ち着いて事情を話せ、お前が太ったら俺も悲しいぞ」
手を上げるシェリンをナスカが止める。
「……本当?」
「まあ、食べ過ぎの女性を注意するときにはこう言えとエメリィが……」
「またエメリィさん! 二言目にはエメリィさんのことばっかり! そんなに好きなら結婚すればいいのに!」
「何怒ってるんだよ。……まあ、実際あいつとは結婚するかも知れないんだけどな」
「……え?」
シェリンが動きを止める。
「いやまあ、あいつの家って名家だけど、跡を継ぐ男がいないんだよ。で、うちの親とあいつの親が仲良しで、結婚させようか、みたいな話はなくはない」
「……そ、そうなんだ……」
「でも、エメリィみたいな非の打ち所もない奴が、俺みたいな奴と結婚させられるのは可哀想だからさ、なるべく結婚しない方向に持って行きたいとは思ってる」
「でも、エメリィさんは多分……」
「あいつも普段俺の世話ばっかりさせられて、大変そうだしな。俺から早いところ開放してやりたいところだな」
「…………」
シェリンがため息をつく。
「何だよ?」
「なんで私、こんな死ぬほど鈍感な人に普段あんなに馬鹿にされてるんだろう……」
「何の話だ?」
「言わないよ。エメリィさんは嫌いじゃないけど、でも言わないっ」
シェリンがぷい、と横を向く。
「お前の話はよく分からないが……ああ、女性と二人きりでいる時に他の女性の話はするなって……」
エメリィが言ってた、という言葉はあえて飲み込んだ。
「でも、ナスカは鈍感だけど、凄いのは分かったからいい」
「まあ、否定をしておきたいな、それには」
「でもさ、エメリィさんみたいな綺麗で上品で頭もいい人と結婚できて、その上、上流貴族のの位もらえるんだよ? 男の人にとって最高の夢じゃないの、そういうの?」
「あー、そういうのはあんまり興味ないな。それなら俺は他の奴らみたいに騎士の方行ってたしな」
「え? あー、うん、そうだね」
シェリンが少し考えてから、うなずく。
この国は王国であり、当然に最上位には王が存在する。
王家は女系なのだが、歴代の王自身は王家の血を受け継いではいない。
王女、つまり王の娘と結婚した者が次の王となるのだ。
そして、王女と結婚できるのは、その時代で最も強く指導力のある者であり、通常騎士団から選ばれる。
ちょうど今の王女が年頃であるため、ナスカの年代の男はこぞって騎士団に入隊した。
ナスカはあまりそういうものには興味がなかった。
だからこそ、魔法学園を選んだのだ。
「でも、例えば……例えばの話だけど、エメリィさんがナスカのことを愛していて、どうしても結婚したい、と言って来たらどうするの?」
「そりゃあ、断る理由がないな」
「そうなんだ……じゃ、じゃあさ、普通の女の子が、好きって言って来たら、付き合うの?」
シェリンが言うと、ナスカが考え込む。
「そりゃあ、人によるだろ」
「じゃ、じゃ、じゃあさ、わわわわわたっ、わたたたっ、ああああのさっ、アールだったら?」
「あいつが? まあ、ありえない例えだろうけど、悪い奴じゃないし、親睦のためにも付き合ってみるところから始めることもあるかもな」
「じゃ、じゃあさっ、あのさ、わたっ、わたしっ、わたしのっ……!」
「あ、あれアールか?」
「え?」
シェリンが振り返る。
シェリンの後方にあるレストランの入り口。
そこに二人の少女が立っていた。
「ここが私のお気に入りの店よ。あんたの舌に合うかは知らないけどね」
「構いませんわ。高級なものが必ずしも美味とは限らないと、ナスカ様もおっしゃってますし」
「あんたは二言目にはあいつの話なのねえ」
入り口で席を案内されているのは、見間違いようもなく、アールとエメリィだった。
ナスカとシェリンはそのあまりにも意外な組み合わせに、呆然として、何も言えなかった。
「あれは、どういうことだ?」
「知らないよ、いつの間にあんなに仲良くなったんだろ」
「まあ、せっかくだから、こっちに呼ぶか。おー……んぐっ。何するんだよ」
二人を席に呼ぼうとしたナスカは、シェリンに口を塞がれた。
「やめてよ、呼ばないで。私、殺される!」
「ん? アールにか? でも白魔法科の奴といるのはあいつらも同じだから……」
「違うよっ! もうっ! ナスカには言っても無駄!」
「何だよそれ」
「シェリンは、ナスカくんといるところをエメリィさんにばれるのが怖いんだよね」
「そうなのか……って、トイネ? いつの間に」
四人座れるテーブルに二人で向かい合って座っていたナスカとシェリン。
その空いている席に、いつの間にかトイネが座っていた。
「ずっと後ろにいたよ。ここはボク達みんなのお気に入りだからね。聞かれてるのが分かったら、シェリンが恥ずかしさで自殺しかねないと思ったからおとなしくしてたけど」
「……うん、しにたい」
シェリンが、今まで喋っていた内容を思い出して、死にたくなっていた。
「大丈夫だよ。言わないよ、アールやエメリィさんにも、もちろんナスカくんにもね」
「俺と喋ってた内容を俺に言っても仕方がないだろう」
「ふふふ、そうだね、ね、シェリン」
「ト、トイネ、何か食べる? ナスカがおごるよっ」
「俺かよ! いや、別にいいんだが、それよりもあっちだ」
ナスカが奥を指差す。
アールとエメリィは、少し遠いところに座っているのが見える。
「この前あいつらの仲をどうにかしたいとか言ってたばかりだったよな?」
「うん、これに関しては、ボクも今驚いたばかりだよ。ただ、さっきの会話を聞いた感じじゃ、まだまだ友達として打ち解けあってるって感じじゃないよね」
「うーん、親睦を深めてみよう、って感じなのか? そうしてくれることは願ってもないが、心配だな。喧嘩とかしないか?」
「大丈夫じゃないかな、心配だったら近くに行ってみる?」
「よし、シェリン、行って来い」
「ええっ? わ、私?」
「ばれてもお気に入りの店だからいても怪しくないだろ?」
「う、うん、そうだね……」
シェリンはこそこそと怪しい感じで二人に近づいていった。
トイネは自分が行った方が状況をうまく伝えられるのになあ、と思っていたが、面白そうだから黙っていた。
しばらくして、シェリンが戻ってきた。
「どうだった?」
「うん、あのね、ナスカは本当に駄目で許せないって」
「何の話をしてるんだあいつら、よし、行くぞ、来い」
「う、うん」
ナスカとシェリンは二人で近づいていった。
トイネは二人で行って見つかったら致命的だよね、と思ったが、面白そうだから黙っていた。
「──そういう、微妙な気持ちがあるんですの」
「んー、まあ分からなくはないわね。あいつの文句は言うけど、他の人間が文句を言ってたら許さないって感情」
「(全然違うじゃないか)」
「(に、似たようなものだよ)」
影の二人が言い合う。
「あんたは本当にあいつの事ばかりなのね。でも、あいつは頭は結構いいのは分かったんだけど、こういう面でかなり鈍感っていうか、特定の女の子に興味示さないわよね」
「ですのよ! その癖、どの女性の方にもお優しいから、勘違いする方は何人もいらっしゃると思いますわ!」
「(……エメリィが女性には優しくしろって言うから優しくしてんじゃないか)」
「(ナスカは好きな女の子とかいないの?)」
「(そう言われるとなあ、特定の誰かってのはいないな。だからと言って、嫌いな奴もいないけどな)」
「あいつ、女に興味ないんじゃないの」
「まさか……男色?」
「(……そうだったんだ)」
「(いや、違うって)」
「(ううん、隠さなくてもいいよ、そういうのもあると思うし)」
「(いや、本当に違うから)」
「(今度、クラスの男子紹介するね)」
「だから! 違うって言ってんだろ!」
ナスカは思わず大声で怒鳴ってしまった。
振り返るアールとエメリィ。
驚いて動きを止めるシェリンと、彼女にぴったりとくっつくナスカ。
「ナスカ様と……シェリン様……?」
エメリィの表情が、シェリンには悪魔に見えた。
「あ! 俺、用事を思い出した! ちょっと行って来る!」
ナスカは空気を察してダッシュで逃げた。
「……え? えぇぇぇっ!」
ナスカに二秒遅れて我に返ったシェリンは、もはや逃げ出せない状況であることを理解した。
「──シェリン様? ちょっとここにお座りになって? 拒否は一切許しませんわ」
エメリィが冷たい口調で言うので、シェリンは立っていられないほど足が震えた。
遠くでトイネがやれやれ、と腰を上げた。
丘の斜面で寝転がるナスカ。
穏やかな風と、午後の優しい日差しが心地いい。
暗くなるまでのんびりしていたいところだが、そうも行かないだろう。
彼の昼寝を邪魔する者がこちらに向かってゆっくりと歩いて来ているからだ。
「ナスカは……ひどい……」
「まあ、否定はしない」
シェリンが寝転がるナスカに馬乗りになる。
「怖かった! 怖かったっ! 怖かったぁぁぁぁぁっ!」
ぺしぺしと額を叩かれる。
「痛っ! そこまで怖がるなよ、いくらなんでも覗き見してただけでそこまで怒らないだろ」
「違うよっ! もうっ! ナスカの鈍感! 本当に怖かったんだよ!」
ぺしぺしぺしぺし
半泣きでぺしぺし額を叩かれるのは、あまりいい気分ではないが、シェリンの気が済むまでさせてやった。
しばらくして疲れたシェリンが叩くのをやめ、ナスカの横に座った。
「本当にナスカはひどいよね。アールとトイネが仲裁してくれてなかったら、どんなことになってたか分からないよ。それに、結局おごってくれなかったし」
「あー、そう言えばそうだったな。いや、それはおごるぞ、いくらだったんだ?」
「……エメリィさんがおごってくれたよ」
「そうか。まあ、悪かったよ。また今度おごるぞ」
「うん、なんかもうそれでいいよ」
心底疲れたように、シェリンがつぶやく。
「でも、あの二人が仲良くなってよかったよな」
「うん……その代わりに私とエメリィさんが……まあ、それはいいよ」
「エメリィと何かあったのか? まあ、さっきの事なら俺からも何か言っておこう」
「多分、逆効果だと思うよ……うん、まあ、こっちで何とかするから」
シェリンは疲れたように寝転がる。
「今日は疲れたし、色々失ったものが多いけど、それを引き換えにしても、楽しかったよ」
「そうか。よかったな。お前が楽しかったなら、俺も嬉しいぞ」
「……それも、エメリィさんに言われたの?」
「いや、純粋にお前の楽しそうなのを見てたら、俺も楽しくなっただけだ」
「そっか……うん」
シェリンは少しだけ嬉しそうな顔をした。
丘の斜面に寝転ぶ二人。
「次から、実演習だな」
「うん……ちょっと怖いね」
「まあ、確かに俺も怖いな。本当のところ、死ぬ可能性だってあるし、怪我なんて当たり前にあるだろうからな」
「うん……怪我はなるべくしたくないね」
「大丈夫だろう、仮想演習でも怪我はあったけど何とかなってるし、お前もいることだし」
「私? 私がどうかしたの?」
「お前の魔法があれば、精神的に心強いんだよ。怪我は怖いけど、ちょっとした怪我なら治せるだろ? それだけで結構精神的に違うからな」
「うん……でも、治す機会がなかったら、やっぱり役立たずだね……」
「そうじゃない、お前はそこにいる事が俺らの最大の強みなんだよ。活躍する必要はないし、しない方がいい。けど、そこにいるかどうかで精神的に全然違うんだよ」
「何となく分かったような、分からないような」
「それでいいぞ。馬鹿な頭で考えなくても、お前を必要としている人がいるという事だけ覚えておけばいいんだ」
「馬鹿って言わなくてもいいよ! 分かってるもん。でも、うん、私は私の出来ることで頑張るよ」
シェリンが起き上がる。
「じゃ、今日はありがとう、本当に楽しかったよ!」
にっこり笑って彼女はそう言うと、駆けて行った。
ナスカはもう少しだけ、そのまま寝転がっていた。