第三節
「えー、今日の演習はマカロフェロを倒すんだっけ?」
二度目の演習はすぐに行われた。
仮想フィールドを歩く五人。
今回は森林ではなく、今回は平原の一本道だ。
「そうですわ、今回は場所も最初から分かってますからはぐれる心配はありませんわね」
エメリィが言う。
今回は探すという必要がなく、一本道の先の山に棲んでいる、ということは分かっている。
「とりあえず野営だ、シェリン、準備!」
「もうそれはいいわよ!」
シェリンが反応する前に、アールに止められる。
「マカロフェロは強敵だから油断しないでよね」
「そうだね。本当の世界では結構マカロフェロに殺されてる人多いみたいだし」
「そ……そうなの?」
シェリンが身を竦める。
「ま、対処法さえ間違わなければ何とかなると思うけど、チームワークが必要だな」
ナスカが軽く言う。
「シェリンはマカロフェロについて勉強してきたのか?」
「う、うん、一応見ては来たけど、よく分からなかったの」
「駄目だなあ、シェリンは」
「駄目じゃないよ! 何とかするよ!」
「どうやって?」
「えっと、んー……ハチミツをかける?」
「せめて魔法を使えよ。っていうか、持って来てるなよ、ハチミツ」
「まあまあ、ボクが簡単に説明するよ」
トイネが説明を買って出る。
「ん、まあ、じゃあ頼むかな」
ナスカは、様々な言動から、トイネに注意深くなっていた。
だが、だからと言ってチームワークを乱すわけにも行かない。
彼女の好意は受け入れたいと思っている。
トイネの説明は概要するとこうだ。
マカロフェロは、基本的に二足歩行のモンスターである。
全身が硬い皮膚で覆われており、ほとんどの物理攻撃は通用しない。
通常の生物は、固い部分があったとしても、裏は弱点であったりするものだが、マカロフェロは全身なのだ。
皮膚は電気を通さないため、電撃でも駄目だ。
このモンスターは食べるということに大きな執着があり、生きているものならほぼ何でも食べてしまう。
その口が、マカロフェロは二つあるのだ。
第一の口は、普通の口がある位置。
大抵のものはここから食べる。
更に、胸の位置、胃に直結している大きな第二の口がある。
こちらはオオカミ程度の獣ならひと飲みにしてしまうくらいの大きさだ。
飲まれたらそのまま胃液で溶かされてしまう。
だが、こちらの口はほとんど開くことがない。
この口こそ、マカロフェロの弱点だからだ。
全身硬い皮膚で覆われ、第一の口から食道にいたるところまでも、どんな食べ物でも受け入れるように硬くなっている。
だが、胃と直結している第二の口の内部だけは内臓の中であるため、弱い。
「だからこの、下の口を攻撃すればいいんだけど、ガードが堅いんだよね」
「へえ、下の口はいつも固く閉じてるんだね」
「下のお口を開くには、上のお口を執拗に攻めるとよろしいんですわ。そうすると下のお口がお留守になるんですわよね」
「そうね、執拗な攻撃で下の口からよだれが垂れて濡れ始めたら、無理やりこじ開けて、熱いのを一発撃てばいいのよね」
「……お前らお願いだから第一の口、第二の口と言ってくれませんかねえ!」
「? どうかしたの?」
シェリンの、いや、四人の、心からの不思議そうな目を向けられるナスカ。
「いや、もういい」
何だか色々なものがどうでもよくなった。
「場所はここから大して離れてないところだよな」
「そうだね、もう着くよ」
「じゃ、早めに行くか」
ナスカは歩を早めた。
「これが、マカロフェロ……か……」
ナスカが、誰ともなしに言う。
グォォォォン!
マカロフェロの咆哮。
木々をなぎ倒す巨体。
歩を進めるたびに、どしん、どしん、と地響きがする。
「こ、こんなに大きいの?」
震える声のシェリン。
マカロフェロは、五人が想像しているより、遥かに大きかった。
想定外の事態に足がすくむ。
途方にくれ、逃げ出しかねない四人を見て、どうも自分が何とかしなければならないな、と感じるナスカ。
彼は周囲とマカロフェロと、四人の位置をそれぞれ確認した。
「あー、トイネは正面からあいつをなるべく近づけないように風で拘束してくれ、アールは右から顔を攻撃、エメリィは左から目に光を当てろ、各個攻撃されないようにばらけるんだ!」
「え? わ、分かったわ!」
「分かりましたわ」
「大丈夫、これ以上近づけないはずだよ」
「俺とシェリンは後衛で、シェリンは後ろから攻撃、俺は怪我した奴を治して行く」
「え? よ、よく分から……」
「いいから下がれ」
ナスカは問答無用でシェリンを抱えて後衛に回り、彼女の後ろから彼女の両手をつかむ。
シェリンの後ろからぴったりくっつく、練習と同じスタイル。
「シェリンも魔法!」
「え? あ、ええ?」
ナスカは戸惑うシェリンの手首をつかんで手を上げさせ、適当に魔法をぶつける。
どうせ前衛はマカロフェロしか見ていないので、多少ずれていても気付かないだろう。
「…………」
だが。
多少余裕のあるトイネが、ちらり、と振り返った。
「トイネ、前向いてバランスが崩れないように集中してくれ!」
「わかってる」
トイネはすぐに前を向いた。
ヴォォォォォォォォ!
より強い咆哮。
それとともに、第二の口が少し開き、涎がたらり、と垂れた。
「今だ!、アールとシェリンは第二の口を攻撃!」
機能していないシェリンを抱えながら、ナスカが魔法を撃つ。
ほぼ同時にアールの魔法がマカロフェロの第二の口を貫く。
ヴゥゥゥゥゥゥゥ……
唸り声とともに、力をなくして行くマカロフェロ。
やがて、大きな地響きとともに大地に倒れた。
「ふう、何とかなったかな」
「お疲れさま」
「お疲れ様でし……って、ナスカ様!?」
驚いた声を上げるエメリィ。
アールやトイネがナスカを振り返ると、そこにはどう見てもシェリンを後ろから抱きしめているとしか思えないナスカの姿があった。
「あんた、どさくさにまぎれて何やってんのよ!」
「いやいや、違うぞ、あのな、えっと……シェリンが倒れそうだったから支えてただけだ」
「本当なの、シェリン?」
「……え? あれ? 終わったの? なんか、頭がぼーっとしてたら終わってた……」
「だな! 慣れない魔法使って疲れたんだよな!」
「えっと、ナスカが後ろから手を押さえるからなんだかぼーっとして……」
「そうかそうか! じゃ、帰って休もう、な?」
ナスカは強引に押し切った。
「じゃ、これで終了! 帰ろうか」
「何であんたがリーダーみたいに仕切ってんのよ、さっきもそうだけど」
アールは少し怒り気味に言う。
さっきとは、戦闘中のことだろう。
ナスカが指示を出したことが気に入らないようだ。
「いや、リーダーじゃないけど、他にやることなかったしな。何か問題あったか?」
「少なくとも今回は的確に誰が何をするか言ってくれたおかげでうまく行ったところはあるよね」
トイネがナスカに助け舟を出す。
「そうですわ、ナスカ様の策士能力は抜群ですのよ」
「……今回それでうまく行ったのは分かってるわよ」
アールがさっきより小さな声で言う。
マカロフェロを前に、なすすべなく立ち尽くしていたアールは、ナスカが的確に何をすべきか導いてくれたからこそ、うまくいったことは理解している。
だからこそ悔しかったのだ。
「でも、だからと言って今後も仕切らないでよね、あんた結局何もしてないじゃないの」
「ああ、分かってるよ。でも、それは誰も怪我人が出なかったって事だからいいじゃないか。治癒の魔法なんて、使わないに越したことはないんだよ」
ナスカが言うと、「あんたその魔法が使えないんじゃない」などとぶつぶつ言っていたが、さっさと現実の世界へと帰ってしまった。
「私たちも帰りましょう、ナスカ様」
「ああ、悪い、ちょっと用事があるから先に行っててくれ」
「? 分かりました……」
エメリィは不審に思いながらも、帰っていく。
「シェリンもさっさと帰れ」
「……うん」
いつもなら何か言い返してきそうなシェリンが、元気なさげに帰っていった。
「何だあいつ?」
「さあね、今回全く役に立てなかったことを気にしてるんじゃないかな」
「……そうだな」
ナスカは、トイネの言葉を軽く流した。
アールやエメリィから見れば、今回シェリンが役に立っていないなんて思ってはいない。
だが、トイネは背後から火の魔法を撃っていたはずのシェリンを「役に立ってない」と言ったのだ。
「ねえ、ボクだけ残したからには何か用事があるんでしょ? 早く言ってよ。あ、ボクと付き合いたいって言うなら、まあ、ナスカくんなら考えてもいいよ?」
「ん、ああ、そういう事はもっと大人になってからな」
「ボクはナスカくんと同じ歳だよ。ボクって魅力ないの?」
「いや、そんな事ないぞ。世の中には色々な趣味の奴がいてな」
「その時点で魅力ないって言われてるよね。ま、ナスカくんの近くにはエメリィさんとかシェリンとか、魅力的な子が多いから仕方がないか」
「あいつらはあんまり関係ないんだが」
「そんな事ないよね、さっきもみんなが一生懸命戦ってたのに、ナスカくんはシェリンを抱いてたし」
「抱いてたとか言うな、支えてたんだよ」
「そうだね、そうじゃなきゃ駄目だったんだよね」
「……トイネは、知ってるんだな?」
ナスカはトイネに核心を訊く。
「知ってるって、何を?」
「だから、俺とシェリンが──」
「ナスカくん」
ナスカの言葉を、トイネが止める。
「もし、ボクが知らなかったら、これで知ることになるんだよ?」
トイネは、いつもの様に軽い微笑とともにそう言った。
彼女は頭のいい子だ。
何か知っている風を装って情報を話させることなど容易だろう。
「……構わないさ」
「どうして? 人に知られちゃまずいことなんでしょ?」
「トイネは他人に言うような奴じゃない。シェリンが他人に言ってしまいそうになっても守ってくれるはずだ」
ナスカは、自信を持ってそう言った。
トイネと出会ってからまだ間もない。
トイネを底が計り知れない奴だとも思っている。
だが、人を裏切るような奴ではない。
それだけは確信を持って言えた。
「それにな」
「うん?」
「知ってるか知ってないか中途半端な状態で、あれこれいちいちからかわれるのがうっとおしくて仕方がないから、もうばらした方がいい」
「ナスカくんらしい考えだね。ごめん、ボクもからかい過ぎたよ」
「ま、それがトイネだから仕方がない。そんなトイネは結構好きだぞ?」
「……もう、ボクはからかわれる事には慣れてないんだからね」
トイネは少し頬を染める。
「ん? からかった覚えはないぞ?」
「もういいよ。ボクはナスカくんとシェリンのこと、人には言わないし、シェリンを出来る限りサポートするよ」
「ああ、悪いな」
「いいよ、仲間だしね」
トイネはいつも以上ににっこりと笑った。
「じゃ、俺らも帰るか。あまり遅いとあいつらに怪しまれる」
「大丈夫だよ、その時はボクが泣きながら『ナスカくんが、無理やり……』って言えばみんな遅かったことを納得してくれるよ」
「納得されても困る!」
ナスカとトイネは、そんな軽口を叩きながら、元の世界へと戻っていった。
「ん? シェリン?」
元の世界に戻ると、シェリンが一人立っていた。
いつもとは感じが違い、暗い表情でうつむいている。
「トイレ行きたいのにもう動けないのか? 出てってやるからここでするか?」
「あのさ、ナスカ……」
いつもなら反応してくる言葉も無視して、真剣な表情のまま、シェリンが口を開く。
「私、今日は何も役に立てなかったよね? そのせいでナスカが責められて……」
「ストーップ! トイネがいるんだぞ、場所を選べ」
ナスカはシェリンを止める。
そして、トイネに耳打ちをする。
「あのさ、トイネが知ったことを教えると、こいつ絶対ボロ出そうだから黙ってることにしよう。あと、ちょっと話してくるから」
トイネは黙ってうなずいて出て行った。
ナスカは、シェリンをいつもの空いている教室へと連れて行った。
「で、何だって? お前が役に立たないからって誰もお前を責めないだろって事でいいのか?」
「そうだけど、私が役に立たないと、責められるのはナスカなんだよ? でも、ナスカが役に立った分、私が役に立ったことになって……ナスカには本当に悪いことしてるのかなって」
シェリンは泣きそうな声で言う。
「そんな事いちいち気にするなよ。お前が役に立つって事はどういうことだか分かってるのか?」
「え? えっと、水の魔法が役に立つ時は……」
「誰かが怪我したとき、毒に侵された時そんな感じだろ? まあ、泥水を綺麗にするとかもあるけどそれは別にして」
水魔法は極めれば攻撃にも使えるし、それこそ風魔法に近いくらいのポテンシャルはある。
だが、シェリンが使える範囲で言えば、傷を治す、毒を体外に出す、あと簡単な水操作くらいだ。
「うん……そのくらいかな」
「お前が役に立つ時ってのはな、誰かが怪我をしたり、毒に侵された時なんだよ。そんな時は来ないに越したことはないだろ?」
「うん、そうだね」
「まあ、これから誰も全く怪我をしないって事は、もちろんないと思うが、出来る限りそうならないようにしたい。でも、万が一が起こった時にはお前の出番なんだよ。お前がいるから、安心なんだよ俺達は」
「安心……?」
夕暮れの教室。
戸惑った顔のシェリン。
「お前はそういう存在でいればいいんだ」
「で、でも、ナスカが役立たずって思われるよ?」
「そんなもん気にしなくてもいいし、今言ったことと同じこと言えば済むことだろ?」
「……いいのかな?」
まだ少し躊躇があるシェリン。
ナスカはシェリンの頭に手を置いてやる。
「気にするな、あと、シェリンの癖に真剣に悩むな」
「ひどい!」
「生意気だぞ、シェリンなのに」
「私そのものが否定された! もう、今日のホットケーキはナスカのおごりに決定だよ!」
「ちょっと待て、どうしてナチュラルにカフェに行くことが確定してるんだよ」
「そんな事はどうでもいいの! 私は今日三段ホットケーキをナスカのおごりで食べる! それだけ」
「三段って食べ過ぎだろ、腹と同じだけ食べなくてもいいだろう」
「ひどい! 私三段腹じゃないよ、ほら!」
シェリンは制服のブラウスを上げ、腹を出す。
「こんなところでブラウス上げるな! 分かったって、おごるから」
「本当? やった、言ってみるもんだね!」
夕暮れの教室、飛び上がって喜ぶシェリンのブラウスが、またふわり、と上がった。