第二節
「あれで行こう」
ナスカが言うと、シェリンがきょとん、とした顔をした。
放課後の教室。
いつものように、ナスカとシェリンが二人きりで教科書を交換していた時の話だ。
「うん、分かった」
シェリンも力強くうなずく。
「あれはいいやり方だと思うんだ、お互いにメリットあるしな」
「うんうん、ホットケーキはやっぱりハチミツだよね!」
二人の意見が思いっきり割れた。
「お前は何の話をしているんだ」
「え? これから何か食べに行く話じゃないの?」
「どうして今まで一度も一緒にどこか行ったことないのにそう思ったんだ」
「たまには行こうよ。学校のそばにおいしいカフェがあるんだよ!」
「うん、まあ行くのは一向に構わないが話をそらすな」
ナスカがホットケーキに傾きかけた話題を戻す。
「この前の演習でフェンリルを倒した時、俺が倒したんだがシェリンがやったことにしただろ? あれって有効な手段だと思うんだよ」
「? どういう事?」
シェリンが首を傾げる。
「だからさ、俺が魔法使いたいと思ったとき、俺が使うとあいつらに俺が火の魔法使うことがばれるし、お前もそうだろ?」
「うん、せっかく覚えた水の魔法、使うところがないね」
「だからさ、例えば俺が使うふりをしてお前が使うんだ。で、俺が水魔法を使ったことにしつつ、実はお前が使うんだよ」
「……分かりやすく言うと?」
「これ以上シンプルには言えん。まあいい、一度やってみようか」
ナスカが立ち上がる。
わけが分からないまま、シェリンも立ち上がる。
ナスカはシェリンの後ろに回り、後ろから右腕をつかむ。
「え? な、何……?」
「ちょっとさ、指を立てて『えい』とか適当な事言いながら右手振ってみてくれ」
「う、うん……えいっ!」
シェリンが右腕を振ると、その指先辺りから、炎が飛び出し、どこかに当たる前に消えていった。
「…………」
「やりたいこと、分かったか?」
「わ、私……」
シェリンが戸惑いながらナスカを振り返る。
「火の魔法使っちゃった……!」
「……お前はすげえなあ」
ナスカは時間をかけてシェリンに説明をした。
「じゃあ、行くよ、キュアー!」
「だから、お前はものを言うなって!」
「う、うん……」
結構な時間を費やし、何とか不自然ながらも、ましな程度に使えるようになってきた。
「じゃあ、もう時間だから最後な」
「分かった。……でも、これってこんなに密着しないと出来ないの?」
シェリンは少し恥しそうに言う。
本当に魔法を使う側は、魔法を使っていると見せかける側のぴったり後ろにくっつくか、真横にくっついている。
傍から見ていると、仲のいいカップルが、いちゃいちゃしながら魔法を使っているようにしか見えない。
「そりゃ仕方がないな。離れたところから魔法を使ったらすぐにばれるだろ」
「う、うん、そうなんだけど……エメリィさんとか、怒らないかな?」
「エメリィが? どうして?」
「……いいよ、分かったよ、頑張るよ」
「じゃあ行くぞ、それキュアー!」
ナスカの声が、誰もいない教室に響いた。
※
ナスカは久々に、学外のカフェにいた。
彼が学外に出ることはあまりない。
大抵のことは学校と寮で事足りるからだ。
だが、シェリンなど女学生は、寮に住んでいても頻繁に外に出る。
それは彼女らにとって普通でもあるし、一般的なのだろう。
ナスカは友達も多いほうだが、あまり遊びに行くことはない。
それは放課後にはエメリィを送るというワンステップがあるため、他の生徒は誘いにくく、更にエメリィが無言のガードをしているため、何となく割り込みにくいのだ。
更にナスカは外にあまり興味もないため、必然的に外出しなくなるのだ。
「で、ここのメニューのお勧めは何だ?」
「えっとね、ホットケーキのハチミツ増量生クリームのせと、オレンジジュースハチミツ入り」
「言い間違えたな。人間向けのお勧めは何だ」
「人間向けのお勧めだよ!?」
「シェリンとは多分違う種族なんだと思う」
「一緒だよ、多分!」
「まあいい、ホットミルクでも注文しようか……何だこれ、オプションつきって書いてあるぞ」
「え? 本当だ、そんなの注文したことがないけど……あ、この前他のお客さんが何か注文してて、『ママのおっぱいしゃぶってな』とか言われてた!」
「なにぃ! それは注文しなきゃならないな! マイドリームのために!」
「そんなドリーム捨てればいいと思うけど、好きにすればいいよ」
そんな会話をしていると、ウエイトレスが二人の席に来た。
「いらっしゃいませ、ご注文は?」
ちょっときつめの目をした女性で、大人の色気を漂わせている。
「えっと、私はホットケーキのハチミ……」
「俺、ホットミルク!」
わくわくが止まらないナスカは、子供のような期待に満ちた目で、注文をする。
「……ホットミルク?」
ウエイトレスは、少し馬鹿にしたようにそう言う。
期待のまなざしでウエイトレスを見るナスカ。
早く終わらないかな、という表情のシェリン。
ちらり、とシェリンを見るウエイトレス。
「──恋人のおっぱいでもしゃぶってな」
そう言うと、ウエイトレスは去って行った。
「恋人?」
「ええ? ええええ! 私!?」
一瞬で真っ赤になるシェリン。
「……まあ、そう見えても仕方がないな」
ナスカも少しだけ目をそらす。
「あ、あの、ごめん……! まだ出ないから……出るようになったらあげるからごめんね!」
胸を押さえながら半泣きのシェリン。
「いや、言葉通りに取るな、余計に恥ずかしい」
その後、もう一度注文を取りに来てもらった。
「そういえばトイネって普段からあんな感じなのか?」
ナスカがトイネの事を聞いてみる。
あの中で一番の要注意人物といえばトイネだろう。
この前も感づいたような素振りがあった。
「うん、大体落ち着いてて、ニコニコしてて、でも何でも分かってて、色々教えてくれるよ」
「ほう。トイネの魔法って、まだ見たことないけど、やっぱり凄いのか?」
「うん、結構大きな風を起せるよ! 風の流れを変える事も出来るみたい。でもね、体力がないからずっと魔法を使ってるとすぐ疲れちゃうみたい」
「体力ないのか。まあ、仕方がないな。あの背格好であの食生活だしな」
トイネは基本的に子供のように小さい。
太ってもいないし筋肉もないので、それこそ本当の意味で羽のように軽い少女だろう。
魔法はそれほど体力を使うわけではないが、それでもある程度のスタミナが必要であるし、集中力もいる。
人は集中すれば体力を消費するので、当然スタミナも消費する。
それが彼女にはないのだ。
「そこがあいつの欠点といえば欠点なのか……」
「そうなのかな? あと、この学校にお兄さんがいて、お兄さんにずっと魔法を習っていたから、あのレベルになったと言ってたかな」
「へえ、ってことは黒魔法科の風属性なのか?」
「違うとか言ってたよ。よくは知らないけど……」
「風魔法以外の人間が教えてどうにかなるものなのか?」
「知らないよ、トイネがそう言ってただけだから。でも今でも二人とも寮に入ってるけど、よく会って話をしてるらしいよ」
「俺は兄弟いないからよく知らないが、俺らの年代ってあまり兄弟で会ったりしないんじゃないのか? 特に男女となると」
「う、うん……私もお兄さんいるけど、会ったりしないね。でも嫌いじゃないよ、学校にいるから会えないだけで」
「まあ、シェリンやトイネが普通に当てはまるかというとそうでもないからな」
「私は普通だよ?」
「はっはっはっ、面白い冗談だ」
「ひどい!」
半泣きになったシェリンは、やけ食いのようにホットケーキを食べ始めた。
ナスカはゆっくりとホットミルクを飲み干した。
※
この学園に、寮は四つある。
元々仲の悪い白魔法使いと黒魔法使いが合同で作った施設ではあるが、それぞれの子弟のために、威信をかけてそれぞれが豪華な寮を建築したからだ。
これが白魔法科と黒魔法科の更なる分断の火種にはなっているのだが。
同じ男子生徒でも、科が違えば寮が違う。
つまるところ、仲がよくなる一つの機会を失っているのだ。
これが、両陣営の威信をかけているため、非常に豪華で広い。
白魔法科の男子などはそもそもの生徒数が少ない上、貴族が多く、寮に入らない生徒も多いが、黒魔法科に匹敵するような広さとなっている。
それを開けておくのももったいないので、白魔法科や黒魔法科以外の生徒は基本こちら側に入寮している。
基本的にこの学校は白魔法使いと黒魔法使いが合同で作った研究施設の一つであるが、その研究結果により、新しい魔法が生み出される事もある。
それらの魔法を学術にフィードバックし、生徒に教えるのがそういう少数学科なのだ。
だが、基本的にそのような学科は一クラスの人数も少ないのが現状で、だからこそ、それでも過剰な寮は十分人が収容できた。
ナスカはこの寮のロビーが好きだった。
無駄に広く豪華な上、ほとんど人がおらず、大きな空間でのんびり出きるからだ。
なんだか王侯にでもなったような気分になる。
「うむ、よきにはからえ」
誰ともなしにそう言うのがナスカの日課だった。
「ん? 呼んだかい?」
だが、その日はたまたま他にも人がいた。
細いがすらりと背が高い男子生徒。
知性漂う目でナスカを見ている。
「いえ、いつもの事なのでほっといてください」
「そうか……君は白魔法科の生徒かい?」
「え? まあ、ここにいるって事はそうですけど」
「そうか。ふむ……もしかして君はナスカ君かい?」
「へ? まあ、そうですけど」
「そうか──」
その男子生徒は立ち上がる。
「残念ながら、僕はここにいるが、白魔法科ではないんだ」
「ああ、そうですか、そういえば別の学科の人もいるんでしたっけ」
「僕はミトルネルヴィ。ミトネと呼ばれている。精霊魔法科の二年だ」
「そうですか……あれ、ミトルネルヴィ……ミトネ……?」
ナスカは、その名前に妙に聞き覚えがあった。
「どこかで聞いたことがありますが、覚えてません」
「多分、君はトーイネルヴィと聞いたんじゃないのかい?」
「ああ、そうだったかも……あれ、もしかして、トイネの?」
「そう、僕はあの子の兄だ」
知的な微笑み。
確かに同じ血を引いていそうだ。
「ま、妹をよろしく頼むよ。あの子はいつも余裕があるように見えて、実はそんなに精神が強い子じゃないからね」
「はあ」
ナスカはトイネを思い起こし、確かにそんな面がありそうだな、と思った。
ミトネはじっとナスカを見つめる。
「……何ですか?」
「ふむ、君はとても火の精霊に愛されているな」
「!」
ナスカは警戒する。
彼が火の属性を使うことを知られたら、まずい。
今の会話を誰かに聞かれていないか、周囲を見回す。
「まあまあ、誰にも言ったりしないよ。ただ、僕らには見えるってことだけは覚えておいた方がいいよ」
「……はい、でも、どうして見えるんですか?」
「それは僕が、精霊魔法科の生徒だからさ」
「すみません、俺、精霊魔法科のことあまり知らないので」
「そうだね、知らない人もまだまだ多いから仕方がないね。時間があるなら簡単に説明するけどどうする?」
「それじゃ、お願いします」
ナスカは辺りに人がいないことを再度確認してそう言った。
精霊魔法、というといかにも特殊な魔法のように思えるが実はそうでもない。
古来からある白魔法や黒魔法、これらは全てそもそも精霊魔法なのだ。
全く別に進化を遂げてきており、彼らはそれぞれ自分の属性の元素を操ることで魔法を使っている、と思っていた。
だが、それは誤りで、実際は自分の属性の精霊を操っていたのだ。
魔法使いの言う属性とは、その魔法使いが、その精霊に好かれているかなのだ。
それが最近の研究で分かってきたことだ。
ただ、分かったところでそもそも精霊は見えないので、何も変わらないように思える。
だが、そうでもないのだ。
逆に考えてみよう、では何故見えないはずの精霊が発見されたのか。
見える人間が存在するからだ。
魔法使いの中で、非常に少数の人間に限定されるが、精霊を見えたり感じたりする人間がいる。
今のところどう修行すればそうなるのかは分からず、大抵は先天的に見えていた者のみが見えるだけだ。
精霊魔法科はそのような先天的に見える者たちの集まりである。
精霊が見えるということが何のプラスのなるのか。
これは実はかなりの利点になる。
普通の魔法使いは、見えない精霊を何とかして動かしている。
新しい魔法を研究するのも、どうすればどうなるかという研究を繰り返してやっと見つけられるのだ。
まさに群盲が象を撫でる状態だったのだ。
だが、彼らはそれを一瞬で象であると判断し、また、見えるので、何をすれば全体としてどう動くかが理解できる。
つまり、一般の魔法使い達が百年かかる研究を、彼らなら数日で出来てしまうのだ。
そしてそれは、研究だけでなく、通常の魔法に対しても有効である。
精霊が見えるということは、どうすればより効率的に魔法を使うのかを理解できるし、他人をも指導できる。
「つまり、トイネはミトネさんが指導したんですね?」
「そうだね、あの子は勉強はかなりできる子だったけど、魔法はからっきし出来なかったんだけど、僕が精霊を見ながら指導したら、あそこまで出来るようになった。ただ、その成果ちょっとアンバランスになってしまったかな」
「あいつはアンバランスなんですか」
「そうだね、総合的な風魔法使いとは言えないところはあるね。元々それほど風の精霊に好かれていないところを無理やり使ってるから」
「はあ、よく分かりませんが、そうなんですか」
ナスカはそもそもトイネの魔法を見たことがないので、それ以上は何も言えないが、彼女は優等生で通っているので言うほどのアンバランスでもないんだろう、とも思った。
「──君は、とても火の精霊に愛されている。これは血筋かな? 親御さんは高名な火の魔法使いなのではないかな?」
「いえ、俺の親父はガチガチの白魔法使い、水魔法の高名な使い手ですよ」
「ふむ、お母様は?」
「あー。俺、母親いないんですよ。親父に聞いても何も言わないから、死んだのか別れたのか分かりませんが」
「そうか、それは悪いことを聞いたね」
「いえ、最初からいないから悲しいとか寂しいとかそういうことはないんですよね。エメリィ──俺の友達もよく気を遣うんですが」
「そうか。ただ、精霊というのはなぜか血縁というものが大好きだ。君の血縁に火の魔法にとても愛された人がいると思う。君が更に火に愛されたいなら、その人に会うのも一つの手だと思う」
「はあ、俺の知る限りは火の使い手はいませんが、探してみます」
「うん、じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
ミトネは片手を上げながら、ナスカに背を向けた。
ナスカは彼がいなくなるまで見つめていた。
「うーん、あの人が人に言うとは思えないが、トイネにくらいは言うかな。いや、逆にあの人が来たのはトイネの差し金かも知れないな……」
ナスカは腕を組む。
「ま、トイネが悪い奴かと言えば、そんなことは全くないんだがな。いっそ打ち明けて味方にするか、知らないを通して誤魔化すか……だが、こっちにはシェリンという死ぬほどあっさりばらしそうな奴もいるし、さっさと仲間にしておいた方がいいかもな。ま、いいや、今日は寝よう。何とでもなるだろ」
そう言うと、ナスカは一つ伸びをして、自分の部屋に戻った。