第一節
カードゥ魔法学園の二学年以降に行われる演習は、その名の通り、実際のフィールドで、実際に社会に出て役立つような指令をこなす。
それは例えば調査だったり、潜入だったりすることも多いが、やはり敵を倒して来い、というものが一番多い。
学生の時代からそのような体験をさせることは、非常に有効ではある。
だが、昨日まで机上や教室や専用の施設で魔法を勉強・練習してきただけの学生を、いきなり実践に放り込むことは、リスクも非常に高い。
学生達は攻撃の仕方も有効な攻撃法も頭では知っているが、戦いを全く知らないのだ。
そのような学生にいきなり戦わせては、死傷してしまうことも往々にしてある。
昔の学園では演習で人が死ぬことも珍しくはなかった。
そのため、今では本当の実践の前に数回ほど仮想演習を行うことになっている。
これは研究所の魔法使い達が作った仮想フィールドに敵やトラップを配置し、実演をさせる演習で、このフィールド内で怪我をしたり、場合によっては死んだりしても、実際には傷一つ付かない、というものなのだ。
もちろん、フィールド内にいる時は実際と同じように痛みを感じるし、感覚もおおよそ変わりがない。
そのため、死の恐怖はそのまま体感できるのだ。
ここでの数回の演習で、一度も誰一人死んだり、大怪我を負わなければ、晴れて実際の演習に行くことが出来る。
ちなみにフィールド内は完全に安全である、という前提の下、教官は誰も監視はしない。
もちろんやろうと思えば、フィールド外から監視も出来る。
だが、フィールド内では場合によっては夜を明かしたりするほど長時間になることもあるのだ。
逐一監視するということは、生徒同士の会話だけでなく、トイレや水浴びを覗くということでもある。
そこまで生徒を管理して、何が得られるわけでもないし、教師もそんなに時間を持て余しているわけでもない。
何しろ安全なのだ。
とにかく、誰も死傷せずに、指令をこなすという結果さえ出せばいい。
そんな仮想フィールドの中、林間の細い道を歩く五人。
「何か変な感じだねー。仮想フィールドなんて思えないね」
初演習とは思えないほど暢気なシェリンの言葉。
「よし、じゃあ、とりあえず夜営だ。シェリン、料理の準備!」
「うん! 頑張るよ!」
元気に答えるシェリン。
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ演習が始まったばかりで朝方ですわよ」
「分かってるさ」
「……でしたら、何故ですの?」
「なんとなくだ」
「……まあ、分かってはいましたが」
エメリィのため息。
「ねえ、火を起したいんだけど!」
「あなたもお料理の準備はおやめくださいまし。それに火を起したいなら、あなた以外に最適な方はおられませんわ」
早速薪を集めていたシェリンにあきれるエメリィ。
「ええっ、野営じゃないの?」
「夜営にしては朝早すぎるね」
「そうだぞシェリン。初演習だからって浮かれすぎだぞ」
「え? あ、うん、ごめん……あれ?」
シェリンが首を傾げる。
「あんたこそ浮かれないでよ。ほらシェリン、こんな奴の言うことは聞いちゃ駄目よ」
アールが呆然としていたシェリンを起す。
「あっ、そうだ! ナスカに騙されたんだ! ひどい!」
「確かにひどいな。ほら、エメリィからも謝って」
「誠に申し訳ございま……って、どうして私が?」
「だって俺の保護者なんじゃないのか?」
「保護者ではありませんわよ! ナスカ様の身を常に案じて、お守りする役目ですわ」
「ならば今こそその役目を果たす時だ。ほら、あの黒髪ツインテールがこっち睨んでる! 怖いよう、エメリィ!」
ナスカは怯えたふりをしながら、エメリィにしがみつく。
「ちょ……ナ、ナスカ様……抱きつかないでくださいまし……あ、あの、アール様、ナスカ様が怖がるのであまり怖い目で見ないでくださいまし」
エメリィは混乱気味にそう言った。
もちろんナスカが本気ではないことも、アールが別に睨んでいないことも分かっているのだが、ナスカの突然の行動に思考が働かなくなったのだ。
「……この目つきは生まれつきよ、悪かったわね。もし私の目が睨んでるように見えるなら、くだらないコントを見せられてるせいかもね」
「何ですって?」
「何よ、事実でしょ」
「うん、まあ事実だな」
「ナスカ様はもう少ししがみついていてくださいま……いえ、黙っててくださいまし!」
「……もう、いいわよ」
アールはため息とともに歩き出す。
「どうしたんだアールは、機嫌が悪そうだな」
「始まったのかな?」
「何がだよ?」
「私は今、最中だよ」
「だから何のだよ?」
「うーん、ボクには君たちにどう対応していいか分からないだけのように思えるけどね」
「そうか、それならいいんだが」
「うん、アールは悪い子じゃないよ。この前夜怖くて眠れなかった時、一緒に寝てくれたよ」
シェリンが元気に言う。
「そうだったな。問題があるのはアールじゃなくお前だったな。いい歳して何やってんだお前。もしかしてまだおねしょとかしてんのか?」
「してないよ! 治ったもん! 去年」
「……そうか、よかったな」
ナスカはあまり突っ込まないようにした。
「さあ、じゃあ真剣に行くか! えっと、確か指令はフェンリル退治だったっけ?」
「はい、フェンリルは元々神狼でしたが、徐々に凶暴性を増して人を襲うようになったと言います。肉食獣ですが、強さはオオカミの比ではありません。大抵の魔法は通用しますが、とても打たれ強いそうですね」
「うーん、オオカミの類なら夜行性かな。まあ、昼のうちに見つければ簡単に倒せるかなな」
「そうだね、特に夜行性ではないようだけど、暗いところが好きだし、魔力を持ったオオカミだから、夜になると打たれ強さが増すみたいだね」
「そうか、じゃあ、昼の間に見つけよう」
「仕切らないでよ」
「何を! 俺の作戦能力は人一倍凄いんだぞ」
「それは前に聞いたわ」
「よし、じゃあ、トイネ、お前は風を感じるんだ」
「感じてどうするの?」
「いや、フェンリルの気配とか何とか、そういうものを感じたりとかだな」
「そんな事は出来ないよ」
「ええい、じゃあ、アールは雷を、エメリィは光を感じるんだ!」
「…………」
ナスカの指示はアールどころかエメリィからもスルーされた。
「ねえ、私は?」
「ん? シェリンはそこで反復横とび」
「うん!」
シェリンは嬉しそうに反復横とびを始める。
「ほら、シェリンはきちんとやってるのに、お前らときたら!」
「そんなこと言われましても困りますわ」
「あー……。このフィールドって、攻撃しても怪我しないんだっけ。雷の一発くらいいいわよね?」
「……私には、それを止める術はありませんわ……」
「あるよ! 止められるよ!? 落ち着け、落ち着けってアール」
ナスカが後ずさる。
「あんたに魔法撃てば、すっきり出来るのよね。イライラするから思いっきり撃たせて」
「エメリィ! 何とかしてくれ。今こそ守る時なんじゃないか?」
「申し訳ございません、ナスカ様。ナスカ様を思えばこそ、ここは一度痛い目にあった方がよろしいのかと……」
「ト、トイネ!」
「うん、早く終わらせてね」
「ノオオォォォ! シェリン! 助けてくれ、あの怖いツインテールが!」
ナスカは最後の手段であるシェリンに泣きついてみる。
「え? な、な、な、わっ、きゃっ!」
反復横とびをしていたシェリンは、突然の呼びかけにバランスを崩して転倒する。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「シェリン!」
道の脇は急斜面、というよりもほぼ崖になっており、シェリンはそれを滑り落ちていった。
「シェリーンッ!」
アールが叫ぶ。
その位置からは木が生い茂っていて下は見えない。
呼びかけても返事もない。
「……まずいな」
「どうするのよ! シェリンが! シェリンが!」
興奮気味にナスカを責めるアール。
「落ち着け、最悪の事態でも、ここは仮想フィールドだ。シェリンは大丈夫だ」
「……分かってるわよ」
そう言いつつも、その言葉にかなり落ち着きを取り戻すアール。
「ただ、この件は俺が悪かった。俺が責任を取る」
「責任ってどうするのよ」
「俺が助けてくる。ここを動かないでくれ」
「ちょ……! 待ちなさいよ!」
ナスカは、アールの言葉を無視して一人で走り出した。
「なるべく坂のなだらかなところを探すしかないな」
ナスカはあたりの地形を見回し、大体の見当をつけて、坂のなだらかそうな部分を探した。
元の位置からしばらく行ったところに、小さな下りの道があった。
「ここなら何とかなるか」
ナスカはその道を下りる。
道と言ってもかなり急なため、急いで下りることは出来ない。
更に下に行くにつれ、木の生い茂りが増え、昼間なのに若干暗くなっている。
「おーい、シェリン、いるか?」
谷底近くまで下り、薄暗い中でナスカはシェリンを探す。
遠くまでは見えない。
そんな中、焦らずに先ほどシェリンが滑り落ちた場所の下と思われる方向に向かう。
「シェリン、いたら返事するな!」
「あ、ナスカ……え? 返事しちゃ駄目なの? じゃ、じゃあ……しーん」
少し前の方からそんな声が聞こえる。
「あそこか」
ナスカが声のする方へと行くと、そこにシェリンが座り込んでいた。
「シェリン、無事か?」
「う、うん、ちょっと足打ったから立てないけど」
シェリンが足首を押さえながら言う。
「ちょっと触るぞ」
ナスカは、シェリンの足首を押さえる。
「痛たた……」
シェリンの顔がゆがむ。
「うん、骨は折れてないな。捻挫だと思う。自分で治せるか?」
「へ? あ、私、水魔法使えるんだった! ……あ、でも、皮膚の怪我とか毒は出来るけど、骨とかはまだ出来ない……」
「そうか。まあ、とりあえずみんなのところに帰るか」
「う、うん。でも、立てるけど、坂を登るのはちょっとつらいかな」
「しょうがないな、ほら」
ナスカはシェリンに背を向けてしゃがむ。
「うん……」
「って、なんで足の裏っていうか靴の底を背中に乗せてるんだよ」
「え? 踏んで欲しいんじゃないの?」
「何故そういう結論に至ったか聞くのも面倒だから無視するが、とりあえず背負って上まで登ってやるから乗れ」
「うん、分かった。ごめんね」
シェリンがナスカの背に体重を預ける。
「じゃ、行くぞ」
ナスカは立ち上がり、先程下りてきた坂を上る。
坂はかなり急で、上るのはかなりきつかった。
「大丈夫? 重くない?」
「羽のように軽いな」
「え?」
「いや、エメリィが女の子を抱えて、重くないか聞かれたときにはそう答えろって言ってたからな」
ナスカは坂を上りながら答える。
「ま、でも全然重くないぞ」
「でも今日重い日だし……」
「そんな報告はいらん」
ナスカはそれでも坂の急さに息が上がってきた。
ナスカは騎士でも兵士でもなく、魔法使いなのだ。
「ね、ねえ、大丈夫? 降りようか?」
「大丈夫だ、多分」
「多分は大丈夫じゃないよ?」
「シェリンの癖にまともなこと言うな」
「ひどい! じゃ、じゃあ、休憩しましょ、休憩! わ、私がしたいの!」
「分かった……じゃあ、休憩しよう」
上では残った三人が心配しているだろうが、多少待たせてしまうのは仕方がない。
ナスカは静かにシェリンを下ろす。
シェリンはひねった足のほうを気遣いながら、ゆっくりとナスカの隣に座る。
本来は聞こえるはずの木々の梢は、ナスカの荒い息遣いに消える。
「ごめんね、私のせいで」
シェリンが申し訳なさそうに言う。
「いや、シェリンのドジに迷惑をかけられたことがないと言ったら嘘になるが、今回は俺のせいだ」
「え? う、うん……あれ? ナスカはいつも一言多くて、素直に受け取れないよ」
「──まあ、すまないと思っているのは事実だ。仮想フィールドだから、終わったら何ともないだろうが、怪我をさせたし、打ち所が悪かったら死んだかもしれなかった。さすがに調子に乗りすぎた」
ナスカはいつになく、真面目な口調で言う。
「自分のせいで女の子に怪我させるなんて、帰ったらエメリィに説教されるな」
「……仲いいんだね、エメリィさんと」
「まあな。俺の保護者面するのはうっとおしいと思うけど、俺を色々な部分で守ってくれているのもあいつだからな」
ナスカはかなり息が落ち着いて来るにつれ、木々のざわめきが耳に蘇る。
「あのさ、ナスカはエメリィさんのこと……」
「しっ! 何かいる!」
ナスカがシェリンを制し、辺りをうかがう。
それほど遠くない位置から、咆哮が聞こえてくる。
「──まずいな」
「なに? どうしたの?」
シェリンが小声で聞く。
「分からないが、獣のうなり声が聞こえる。状況から考えると、多分フェンリルだ」
グルルルルルルルル……
明らかにこちらを認識しているであろう獣の警戒の唸り。
「ど、どうしよう、大声上げればみんな来るかな?」
「そんなに離れてないから、叫べば聞こえると思うが、そうすると襲ってきそうだ」
薄暗い闇の中からこちらを警戒しながら近づいて来る獣。
それは紛れもなくフェンリルだった。
助けは呼べない、動けないシェリンを背負って逃げることは難しい。
そうなるともう、ナスカの炎魔法で何とかするしかない。
だが、使ってしまえば、火は全てを焦がすので、炎魔法を使った形跡は残ってしまう。
それを上の連中にどういいわけすればいいだろうか。
ウオオオオォォォォン!
「きゃあ!」
シェリンがしがみつく。
恐怖で震えるシェリンを背にしながら、ナスカは立ち上がり、フェンリルと対峙する。
「ああああ、もうどうにでもなれ!」
ナスカは炎魔法を発動する。
シェリンの教科書を見て理論だけは知っている魔法だ。
自分の部屋で軽くなら使ったことがある。
火に方向性を持たせて、勢いで相手にぶつける魔法。
火は一箇所に止まると、酸素供給が追いつかず、ある程度の炎で安定するが、勢いをつけることで移動先の酸素を供給させ、勢いを増す、と教科書には書いてあった。
だが、部屋で試したところ、速くすればするほど、炎が空気で冷やされ、火は小さくなっていった。
「だが、最大の炎なら大丈夫だ! 多分」
「た、多分は大丈夫じゃないよ!?」
「それでも、大丈夫だ!」
ナスカは大きな火の塊を集結して小さくさせる。
中心はかなりの高温になるだろうが、酸素不足の状態になるので長くは持たないだろう。
「行くぞフェンリル!」
それに勢いをつけて、フェンリルに飛ばす。
その塊は高速でフェンリルに向かい、そしてどんどん大きくなった。
ドゴオオオオォォォォォ────
炎の塊は、爆発的な勢いでフェンリルにぶつかる。
その勢いはナスカの想像以上だった。
「きゃあ!」
ナスカの足元に座っているシェリンがナスカの足にしがみつく。
光で何も見えない状態が一秒。
晴れていく視界に映るのは、紅く焼けた山肌。
そして、焼け焦げたフェンリル。
フェンリルは身動きをしない。
「やったのかな……」
ナスカはようやくほっとして座り込む。
シェリンが呆然と焼け焦げたフェンリルを見つめている。
思った以上の効果。
ナスカはこれに嬉しさよりも戸惑いのほうが今は大きかった。
「これ……俺がやったのか……」
フェンリルの周囲だけでなく、大きくなった炎の塊が、途中から山肌を焦がしていた。
今になってやっと、紅い残り火は消えたものの、焦げ臭い空気が辺りに充満していた。
「大丈夫ですか、ナスカ様!」
「シェリン、大丈夫?」
程なくして、上で音を聞いていたであろう三人が、慌てて駆けつけてくる。
「! これは……」
アールがこの惨状を見て呆然とする。
彼女だけではない、エメリィも、トイネですら、目を見張って焼け焦げた山肌とフェンリルを見つめている。
「あー……」
もはや誤魔化しはきかない。
この状況で自分達がやってない、と言い逃れることは不可能だろう。
三人の目も、一体何が起きたのか、という説明を待っていた。
「……凄いぞシェリン」
「へ?」
「こんな技が使えたんだなシェリン! 使えないとか言って悪かった! お前は凄い火の魔法使いだ!」
「え? え? えええぇぇぇ!?」
戸惑うシェリン。
「いやあ、凄かったぞ、シェリンは。咄嗟になるとあんなことが出来るんだな!」
「……シェリンがやったの?」
「え? あ、う、うん、そうみたい……」
シェリンは戸惑いながらも、そう答えた。
「凄いじゃない、シェリン、一人でフェンリル倒すなんて!」
「う、うん、強かったよ? 多分は大丈夫だったよ」
喜ぶアールと、戸惑いながらそれに合わせるシェリン。
それを見ながらほっとするナスカと彼を気遣うエメリィ。
これで何とか課題終了というところだ。
「ねえ、ナスカくん」
トイネが小さな声で、ナスカに話しかける。
「ん? 何だ? 俺だけが役立たずだと言いたいのか?」
「そんなことどうでもいいよ」
「否定はしないのか」
「それよりさ──」
トイネは、更に声を落として、座っているナスカの耳元に囁くように言う。
「本当は、誰が倒したの?」
「!」
ナスカはトイネを振り返る。
顔が近くて危うくキスしそうになる。
トイネはいつもの飄々とした笑みを浮かべていた。
「何が言いたい?」
「別に。ただ、本当のことが知りだかっただけだよ」
トイネがどこまで何を知っているかは分からない。
だが、元々頭のいい生徒であるのは事実だ。
何かを感づいているのかもしれない。
「別に何もないさ」
ナスカは立ち上がる。
「シェリンの、俺を助けたいっていう愛の力が、奇跡を起したんだ。な、シェリン?」
「え? ええええぇぇぇぇぇ!?」
「ナスカ様、何をおっしゃっているんですの!」
シェリンやエメリィの声を背に、ナスカは坂を駆け上がって行った。