第二節
「という夢を見ましたの」
「エメリィさんまで現実逃避しないで! ちゃんと事実を認めようよ!」
夜になり、モールガット別荘のダイニングには、四人が集まっていた。
目の前には豪華な食事が並んでいるのだが、ここにいるのはエメリィとシェリン、アールとトイネだけだ。
ナスカは昼に温泉から戻って以来、ずっと部屋に籠っている。
余程昼にあったことがショックだったんだろう。
状況を知らないトイネはさっぱりその理由は分からないし、状況のど真ん中にいたシェリンもさっぱりだろう。
ショック受けて引き籠るのはむしろ自分の方だとも思っている。
男の子の気持ちはよく分からないが、ナスカからすればとてもうれしい思いをしたのではないかと思うのだ。
エメリィにしても気分は複雑だが、エメリィという女性の肌に触れていたナスカはとてもいい気分だったのではないかと考えていた。
ただ、付き合いの長いエメリィは、その上で同年の女の子の裸に触れたことに照れくさくて、会いたくないのだろう、と思っているのだと考えている。
ナスカから直接事情を聞いて、どうして引き籠ったのかを知っているのはアールだけだ。
「ねえ、どうしてナスカは部屋に引きこもっているんだい? 話は大体聞いたけど、ナスカの性格からそれ位でショックを受けるとは思えないんだけどな」
小柄な聡明、トイネが誰ともなしに聞く。
「だよね? ナスカって結構無神経だから、私が裸見られてショック受けてても『見られてショックを受ける程の裸でもないだろ』とかで済ませそう! なのになんであっちが引き籠ってるの?」
「ナスカ様は女性にはお優しいですからそのような事はおっしゃらないとは思いますが……単にシェリン様に会わせる顔がないだけかと思いますが」
「え? 私? どうして?」
シェリンが不思議そうに聞く。
「……よく見知っている女性の肌に触れるという事は、思春期の男性にとっては特別な事だと聞いています」
「へえ、そうなんだ。そう言われると、ちょっと恥ずかしい、かな……」
シェリンが少し照れてうつむくのを、アールは冷めた目で見ていた。
「エメリィ、あんた、忘れてるのね?」
「? 何をですか?」
「はあ……加害者って本当に忘れやすいんだから」
アールは呆れて溜息を吐く。
そして、ナスカから聞いたことを話す。
「……確かに言いました。昔、ナスカ様は女性にだらしないと言いますか、誰にでもお優しく、すぐに仲良くなられたので」
優しくて仲良くなることに何の問題があるのか、とアールは言いたかったが、ただ単にエメリィの嫉妬と不安であることは分かっていたので黙っていた。
「あいつはそれをずっと守ってるから、昼みたいなことがあると心の底から罪悪感に苛まれるんじゃないの? 前の雪山の時も似たような感じだったし」
「あ、そう言えば!」
シェリンは思い出したように手を叩いた。
「まさかのナスカくんの弱点だね」
「弱点!」
シェリンはナスカの弱点を初めて知り、それを心に留めておく。
今度いじめられたら弱点で対抗してやろうと思っていた。
それが自分の身を削ることになるまでは思い至らずに。
「まさか、ナスカ様がそこまで思いつめるまでになっていたなんて……」
「ま、それだけあいつがエメリィの事を信じてるって事だと思うわ。あたしは今すぐにでも誤解を解いて来るべきだと思うけど、その結果どうなるかまでは責任を負えないわ」
「…………」
エメリィは考える。
アールの言っている意味は理解できる。
自分の言葉で結果的にナスカを騙すことになったのは心苦しいし、申し訳ないと思っている。
だが、現にうまく騙されていて、それで何もかもうまく行っている。
これをあえて崩す必要はあるのだろうか?
誤解を解くとは、言ってしまえばナスカが女に対して欲情することを止めないという事だ。
ナスカに限って誰もかれもに欲情することはないが、ここにはいつナスカを天然で欲情させるか分からない少女がいる。
現に今、ナスカが引き籠っている原因を作ったのは彼女だ。
異性への浴場は、簡単に好意へと変わる。
それは、困る。
かと言ってこのまま自分の自己中心的な考えでナスカを苦しめるのも耐え難い。
「……分かりました。行ってきますわ」
エメリィは静かに立ち上がる。
そして、部屋を出て行った。
ナスカは、一人部屋で苦しんでいた。
目を閉じると彼女たちの裸が浮かんでくる。
黙っていると首筋に柔らかく暖かいあの感触を思い出す。
それを考えると、どうしても身体がムラムラしてしまう。
これでは紳士失格だ。
もっとも最低の事をしているんだ。
だから今、彼女たちには会えない。
会ったらまた彼女たちの裸を考えてしまうからだ。
必死に無心になり、忘れようとした。
だが、無心にもなれず、かといって何かを考えていてもふと、隙があると裸や感触を考えてしまう。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
叫んでみた。
それで何かが忘れられるほど甘くもないが、それでもその瞬間だけは無心でいられた。
そんなことを繰り返していたら、部屋も暗くなっていていた。
「ナスカ様……」
「!」
エメリィの声が、しんとした部屋に響く。
そうだ、エメリィが塞ぎこんだ時、自分がエメリィの部屋に行ったのと同じく、エメリィもこちらに来れるのだ。
ナスカは布団にもぐりこみ、エメリィから身を隠そうとする。
「ナスカ様、私の話を聞いてくださいまし」
エメリィは布団の外からナスカを揺する。
ナスカはずっと耐えていたが、エメリィが帰りそうにないので、しぶしぶ布団から顔を出した。
「…………」
暗い室内にうっすらと見える、エメリィの悲しげな表情。
ああ、自分はこの子にこんな顔をさせているんだ、と思うとまた罪悪感に苛まれた。
「申し訳ありません、ナスカ様……」
だが、謝ったのはエメリィの方だった。
「何でエメリィが謝るんだ?」
「……ナスカ様が私の言った事をずっと守っているとは思わず、とても申し訳ない事をしておりました」
エメリィが反省を述べるが、要領を得ない。
「どういうことだよ?」
ナスカが急かすと、エメリィはそれまで以上に申し訳なさそうな表情でナスカを見ていた。
「……私が昔、『女性を見たり触れたりして性欲に駆られる事は、もっとも忌まわしきことです』と言った事がありますが、あれは嘘です……あの時、ナスカ様がクラスの方と楽しそうにしていたのを見て、腹が立ったので怒りに任せて言った言葉ですわ」
「え?」
「まさか今でもナスカ様が信じていらっしゃるとは思わず、雪山で困るナスカ様をからかったりして申し訳ありませんでした」
エメリィが深く頭を下げる。
「いや、それはいいんだけど……本当にそうなのか?」
ナスカはまだ半信半疑だった。
性欲に駆られるという行為は確かに忌むべきだと納得していたし、では逆に性欲に駆られても問題がない、と言われる方が不思議な気がしている。
「はい……もちろん、紳士の方も性欲は持っていらっしゃいます」
「そうなのか……」
ナスカにとってみれば、紳士道の師でもあり、これまでも紳士らしさを教えてくれたエメリィの言葉だ、当然信じはするのだがそれにしても信じられない話だった。
「もちろん、性欲を匂わせないのが紳士です。ですから、ナスカ様も性欲を感じても構いませんが、それは心の奥に隠して置いてください」
「ああ、そうか。分かった、これを感じながら涼しい顔をするのが紳士って事か」
「そうですわね。ですが……ですが、ナスカ様は私にだけはそれを解放しても……」
「ん?」
薄暗い部屋の中。
すっきりとした表情のナスカに、エメリィが言葉を止める。
「何だ? エメリィにだけ?」
ナスカは続きを促す。
エメリィはその暗い中でも分かるほど顔を赤く染めている。
ナスカはどうしてそんな顔になるのか分からない。
ああ、なるほど、性欲を表に出すと、女性が困る、だから紳士としては出すべきではない、という事を体現してくれているのだろうか、などと見当違いの事を考えていた。
「何でもありませんわ! 皆さまお待ちです、食堂へ参りましょう」
焦った声でそう言って一人出て行くエメリィ。
ナスカは不思議そうにその後ろ姿をじっと見ていた。
最後の最後で覚悟を決められなかったエメリィ。
彼女はその後、それをひどく後悔することになるだろう。




