第一節
「ふう……」
ナスカは浴槽につかり、一息ついた。
先ほどの魔法披露で、シェリムに水を食らってびしょ濡れになり、更に魔法を使い疲れていたので、来る予定もなかったが温泉に来ることにした。
もちろん他の女性陣も来るのだが、時間がかかるだろうから置いて先に来たのだ。
ここはマーグ地方に多いと言われる温泉の中でも、モールガット家専用の温泉となっている施設だ。
磨かれた大理石の床に、二方を壁に囲まれており、もう二方は、温泉の湯気を逃すため、壁がなく、向こうに森が見える半露天となっていた。
この一帯はモールガット家の領地であり、この温泉に入るのはモールガット家の人間のみであるため、別に隠す必要などないのだろう。
とはいえ、同年代の女の子たちと来ているナスカとしては、多少気が気ではなかった。
もちろん、屋敷の方向は壁があり、今のナスカを見ようと思うなら、かなり大回りして向こうの森に出なければならないため、彼女らがそこまでして自分の裸を覗こうとするか、と考えたらありえない事ではあるが。
ナスカとしては温泉施設がどうこうよりも、先ほどエメリィに言われた言葉の方が気になっていた。
「……あの魔法は、一体いつ使うための魔法なのですか……?」
ナスカは考えていなかった。
自分の魔法の実力が高まっていって、新しい技を開発して試してみて、実力が昔より向上しているのを確かめて喜んでいただけだ。
それが、悔しかった。
ナスカは自分の母であるローグが研究のみに夢中になって、それが兵器にしかならないことを突き付けて諌めたこともある。
それと全く同じことを、自分がしていたのだ。
しかも母のその研究を受け継ぐ形で。
エメリィから指摘されるまでは何も思わなかったが、あの魔法が使われるのは、戦争か、もしくは大規模な殺戮や破壊の場でしかないだろう。
もちろんナスカは戦争に参加する気はないし、誰か兵士にそれを教えることもしない。
だが、兵士もしくは軍の関係者があの技を見て盗み、実用化することも考えられる。
この場合、少なくとも水と火の魔法が必要だったローグの魔法よりも実用性が遥かに高い。
白魔法と黒魔法の分け隔ては、ナスカたちのチームこそないが、世間ではまだまだお互いに牽制し合っているのだ。
軍も白魔法の部隊と黒魔法の部隊は分けられている。
だから、その構成から変える必要があり、おそらくかなりの時間がかかるが、ナスカの魔法は火の魔法使い単体で実現でき、覚えればすぐに使えるのだ。
ナスカはそんな魔法を一生懸命になって考えて、完成を喜んでいたのだ。
心の底から落ち込んでいた。
温泉の温かさは確かに疲れに効きそうだが、それ以上に彼の落ち込みは深かった。
「ん?」
気配がした。
女の子たちが来たのだろうか。
だが、これまでの経験から、エメリィはもう少し時間をかけて準備するだろう。
特に着衣脱衣のある温泉なら、湯に浸かって待っていたらナスカが逆上せるくらいの時間が経ってしまうだろう。
となると、他の女の子たちが先に来たのだろうか。
それにしても特にシェリンの場合は、余計な準備までして、かなり手間をかけるのではと思う。
となると、ナスカのように、誰かが先に来たのだろうか?
一番用意が速そうなのはトイネだろうか。
ただ、トイネの性格上、自分だけが先に行くとも思えない。
そうなるとアールか。
彼女は遊牧民の出身で、準備は早い。
もちろん、何の準備もせずに来たナスカよりは遅くなるが、女の子としてはかなり早い部類だろう。
「ま、問題ないか」
ナスカはアールと一番話をしたことがない。
いや、もちろん黒魔法クラス側の代表者とも言えるアールと会話をすることはあるが、二人っきりで話をすることがまずない。
前に野営で二人っきりになった時は結構気まずい思いもした。
だから、そんな場合、何を話せばいいのか分からない。
とはいえ、アールは女の子だ。
男風呂に入ってこない以上、話をする必要もないだろう。
「……ん?」
何か、違和感があった。
自分は何か、大きな思い違いをしているような気になった。
ナスカは聡明な男だ。
だから、自分の記憶を洗い出して、違和感の正体を探ることが出来る。
「~~♪」
アールの声が聞こえる。
聞こえないと思っているのか、鼻歌などを歌っている。
ナスカはそれを茶化すよりも、自分の記憶を洗い出すことに集中した。
屋敷で、ずぶぬれだったのでこのまま風呂に入ろうと、メイドに着替えだけ用意してもらい、先に行くと伝言して出てきた。
入り口から入り、すぐそこは脱衣所となっていて、そこで濡れた服を脱いで──。
「ちょっと待て!」
ナスカは違和感の正体に気付いた。
この温泉は特殊なのだ。
そう、ここはモールガット家専用の温泉、つまりは家族のための温泉だ。
「わ、広いわね! 景色も見えて、ゆったりと出来そうねえ」
すぐ近くから、アールの声が聞こえる。
家族であれば男女の分け隔てなどない。
ここは、男女風呂に分かれていなかったのだ。
「あれ? 誰かいる……の……」
ナスカの目の前には、アールがいた。
一糸纏わない、全裸の少女。
いつものツインテールの黒髪を下ろした上で、温泉に浸からないようにアップにしているアールが、呆然とした様子でこちらを見ていた。
それはほんの一瞬だったかもしれない、かなり長い時間だったかもしれない。
湯に浸かっているナスカと、立っているアールはじっと見つめあっていた。
「きゃぁぁぁぁっ! な、何なのよあんたっ!」
アールが悲鳴を上げながら、自分の身体を隠す。
それとほぼ同時に、ナスカもアールに背を向ける。
「いや、俺もさっき気づいたんだが、ここ、モールガット家しか来ないから、男女に分かれてないんだよ」
ナスカは冷静に答えたつもりだったが、声が上ずっていた。
さすがに仲間の女の子の全裸を見て、冷静でいられるわけがない。
「……そう……出て行けって言うのもさすがに悪いから……絶対こっち見ないでよ? 見たら電流流すから」
「そんなことしなくても絶対に見ないって。見るわけないだろ」
ちゃぽん、とナスカの背後でアールが湯に浸かる音がする。
「何よ、私の裸なんて見るわけがないって言いたいの?」
「そりゃそうだろ……でででっ! なんで電流流すんだよ!」
温泉の中に流れた微弱電流に、ナスカが反応した。
「あのね、あんた、レディを尊重するようエメリィに教えられてるんでしょ? 私だって一応レディ何だから。お世辞でも褒めなさいよ!」
「? どういうことだ?」
「私だって見られたくはないけど、でも、『お前の裸なんか見たくもない』って言われれば不愉快になるのよ。そのくらい分かりなさいよね」
「……でも駄目だろ。俺が無理だ」
「……今、本気の電流を流そうと思ったくらい腹が立ったわ。でも一回だけ猶予を与えてあげるわ」
「え? なんだ? なんで今のが駄目なんだ?」
「ねえ、あんたエメリィに、女性の裸についてなんて教わったの?」
「え? そりゃあ、『女性の裸を見て性欲に駆られることは最も忌まわしい事です』って言われただけなんだけどさ。俺はどうも駄目みたいで、ちょっとしたことでそういう気分になってしまうんだよ。だから出来る限りそれを遠ざけないと、立派な紳士にはなれないかなと」
「…………」
アールが沈黙する。
ナスカは逆鱗に触れた可能性も考え、電撃を覚悟する。
「はあ……あの子も自分の首を絞めてるの分かってないのねえ……」
アールの溜息。
「ちなみにそれはいつ言われたの? 何回も言われてるの?」
「え? 入学した頃に女の子と仲良くしてたら、俺を見透かすように何回か言われたなあ。最近は言われてないけど」
「でしょうね。雪山の時を考えたら、もう忘れてるかもしれないわね」
アールは少し呆れた口調で言う。
「? どういう事だ?」
「あのね、本当は……」
アールは言おうとして言葉を止める。
それは自分が言ってもいいものだろうか?
確かにナスカの今の押し付けられた考えは異常だ。
健康な男が、女の裸を見て何も思わないようにする、ということはおかしいと、女であるアールでも分かる。
ナスカが女の子とすぐに仲良くなるが、それ以上の関係にならないのも根本にはその性質があるのだろうと思われる。
ナスカのためにも、彼の周囲の女の子たちのためにも、その誤解を解いておくべきだろう。
だが、それが本当に正しい事なのか?
ナスカがこのような性格でも紳士のように振る舞っているのは、女の身体への興味を意識的に外しているからだ、とも言える。
この、女に囲まれており、かつ彼に好意を持つ者が何人かいるという環境の中、彼が女の身体に興味を持ったらどうなるのか。
その結果に、自分が責任を取れるのか?
そう思うと躊躇してしまう。
このまま何も知らないままでも、それを教えても、誰かが傷つくかもしれない。
元来責任感があり、そして誰よりも人を思いやる少女であるアールは、誰も傷つかない方法を考え、だがついにはそこに思い至らなかった。
「なんだよ?」
ナスカが急かす。
初めはただの親切心だった。
だが、その重大さに気づいて気後れした。
「ああもうっ! 言うわよ! ナスカ、あんたを信用するからね! あんた自身が責任取りなさいよ!」
アールは開き直ることにした。
「ああ……あれ? いや、よく分からないが、そんなに重要な事なのか?」
「それはあんたの心の持ちようよ。これから私が言う事を自分でじっくり考えなさい!」
アールはナスカに一定の信頼を置いている。
ナスカが周囲を傷つけることをするわけがない、例え自分に回答が見つけられなくても、ナスカなら見つけてやってくれる。
だから、言ってみることにした。
「あのね、男の子が女の子の裸に興味を持つってことは普通のことなのよ。別に忌まわしい事でも何でもないの」
「え? そうなのか?」
「でも! 女の子は男の子とそういう感情を嫌がるの。だからエメリィは忌まわしいって言ったのよ」
「……そうなのか。エメリィが嫌がるなら、やめておいた方がいいな」
ナスカは今知ったばかりの事実に、何の迷いもなく、そう結論付けた。
「それが、そうでもないのよ……ここからが難しいところだけど……あー、なんて言えばいいかな……好意を持ってる相手ならそれが許せるのよ、嬉しいのよ。でも、嫌がるけどね」
「ちょっと待て、結局どっちなんだ?」
ナスカは結論付けたばかりの事実が、どんどん揺らいでいて、混乱していた。
「……正直なところ、そこから先は、私も経験がないから分からないわ」
「そんな無責任な! ここまで言ったなら最後まで教えてくれよ!」
「だから、知らな……きゃあっ! 何見てんのよ!」
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
アールは、ナスカの水音を聞き、こちらに向かってくる様子から振り返ると、アールのもとに歩いてくるナスカの姿があり、電撃を流した。
ナスカは一瞬直立不動になって、そのまま水面に倒れた。
「すまん、ちょっと興奮してた。本当に悪かった」
ナスカの心からの謝罪が聞こえる。
ナスカが本気で話に熱中して、我を忘れてやってしまったことが覗える。
「まったく、人の裸二回も見ておいて……。一回目はまだ事故みたいなものだから許したけど」
「本当に悪かった。何でもするし、電流でも何回食らってもいい。許してくれ」
その口調からは、普段にはありえない誠意が込められていた。
そして、それを聞きながら、自分が大して怒っていないことに気付いた。
「ま、いいわ。ナスカだから許してあげる」
アールはそう言ってはっとなった。
さっき自分が言ったことと、今の自分の行動に理由が付けられずにいた。
「そうか、ありがとう。また後で腹が立ったらいつでも文句言いに来ていいから」
それを知らないナスカの紳士的な言葉も、聞こえては来なかった。
アールはそのまま言葉を発しなくなった。
ナスカも、これ以上は聞けないと分かり、話をするのをやめた。
しばらく、水音だけが辺りを包んだ。
「わっ! 広いー!」
それを打ち消したのはナスカでもアールでもなく、不意に入ってきた呑気な声。
「お、遅かったわね、シェリン。トイネとエメリィは?」
「もうすぐ来……きゃぁっ! どうしてナスカがいるの? え? わわっ! きゃぁぁぁっ!」
走る勢いで湯に向かってきていたシェリンが動揺して何かにづまずく。
そして、その勢いを保ったまま、湯の上に飛び上がり、アールをも飛び消えて行った。
ざぶん!
アールは背後に大きな水音を聞く。
その方向にはナスカがいて、だから振り返るのを少し躊躇した。
「ごぼごぼごぼ……なにこ……ごぼごぼ……」
そんな声を聞いて、緊急事態だと慌てて振り返る。
そこにいたのは友人が浴槽に浮かんでいる姿だった。
仰向けになって必死に顔を湯から上げようとしているが、どんどん下がって来るのでずっと必死になってバタバタしている。
なぜそのような状態になっているかと言えば、足が引っかかっているのだ、ナスカの肩に。
つまり、ナスカの肩に足、というか膝裏を乗せていて、だから、足をつけることが出来ず、頭が湯の中に落ちているのだ。
シェリンのドジには慣れているはずのナスカも、この状態にどう対応していいのか分からず、呆然としているようだ。
ナスカは向こうを向いているが、今の今日を理解はしているだろう。
そして、先ほどアールが混乱させることを言ったばかりなので、どうしていいのか分からなくなっているのだ。
「しょぅがないわねえ、ナスカ、目を閉じて、絶対に開かないでね!」
「え? おう、分かった……」
戸惑いながらもナスカは返事をする。
次はシェリンだ。
ちなみにシェリンは湯船の上に膝から上の全裸を晒している状態で、これでナスカの向きが逆なら、シェリンとナスカ双方が深い傷を負っていたことだろう。
「まったく……水魔法の使い手が溺れるなんてありえないわね」
そう言いながら、シェリンの頭を上げてやる。
「ぷはっ! はあ、はあ……死ぬかと思った……」
涙目のシェリンが言う。
「まったく……あんたはもう少し落ち着いて行動しなさいよ」
「起こして、起こして!」
シェリンが手をばたばたとする。
「……起こすと大変なことになるわよ?」
「いいから起こして!」
シェリンがばたばたと手を振るのでアールは溜息とともにシェリンを持ち上げる。
「ふう……助かった……」
シェリンはやっと安心したように一息ついた。
「ほんとうに、死ぬかと思ったよ」
「あんたの得意な水魔法使えばいくらでもなんとかなったと思うけどね」
「あ! そっか! その手があった!」
今更思い出したかのように言う。
「まったく……あら、やっとトイネとエメリィが来たわね」
アールはシェリンへの説教を中断し、入ってきた二人を見る。
「こんにち……わわっ! 何やってるの!?」
「ごきげんよ……きゃぁぁぁっ! シェリンさま、誰にお座りになっているのですかっ!」
「え? ……きゃぁぁぁっ! なんでナスカがこんなところにっ!」
シェリンはナスカに肩車をされている形になっていた。
年頃の男女で肩車、というだけでもかなりのことであるのに、今はお互いに全裸だ。
「うわぁぁぁぁっ!」
ナスカは心を無にして耐えようとしていたが、この事態にはさすがに無理だったようだ。
シェリンを振り落して、トイネとエメリィの間を走り抜け、逃げて行った。
残った四人は、ただ、呆然とそれを見ているしかなかった。




