第四節
「さて、じゃあ、いつでもいいわよ」
アールが言う。
そよ風が舞う一帯は、アールの黒いツインテールを揺らしていた。
そして、その隣のエメリィの金髪も揺れていた。
ここはモールガット家の裏の森。
演習のためとして紹介された場所だ。
昨日に続きここに来たのには理由がある。
アールが「あんたたちの戦力を詳しく知っておきたい」と言い出し、エメリィもそれに同意したので、では、ということでここに来ることになったのだ。
「よし、じゃあ、俺がこの森に火をつけて、シェリンがそれを消すという流れで行くか」
「うん……って、ええっ!? また消して回るの?」
一瞬頷きかけたシェリンは、昨日の苦労を思い出し、また泣きそうな顔になる。
昨日シェリンはトラウマになるほど広範囲の消火を行なって、疲れて立てなくなるほどだった。
それをもういつどやるとなれば、シェリンが嫌がるのも仕方がないだろう。
「大丈夫、俺に考えがあるんだ」
「どんな考え?」
「この近くに、ハチミツが名産の地域があるんだ」
「そうなの!? 知らなかった!」
「でさ、エメリィに頼んで取り寄せて貰ったんだよ」
「うんうんっ! それで?」
シェリンは嬉しそうに話を促す。
「頑張った後のハチミツはうまいだろ?」
「うんう……あれ? それって頑張ることには変わらないってこと?」
「そうだな」
「もうあんな苦労をするのは嫌っ!」
シェリンが飛びかかり、ナスカが始めていた魔法を止める。
ナスカはかろうじてバランスを保ち、転ばなかった。
「分かった分かった、別の案にするから落ち着け」
ナスカが言うと、シェリンが手を離したので、ナスカは魔法の準備をする。
「ふう、もう少しで昨日と同じことになりそうだった……」
シェリンはふう、とため息をつく。
ナスカの魔法は大がかりで、頭上には大きな炎があった。
「ちなみに他に方法って何があるの?」
「後で考える」
「うわぁぁぁぁんっ!」
ドゴォォォォォォォォッ!
シェリンの叫び声は、爆発音にかき消された。
それは雪山で見た巨大な爆発を小さくしたような爆発だった。
爆発は彼らの場所から、遥かに離れた位置にその中心があった。
だが、避暑に来ている彼らは、その熱い風を間近に感じてしまった。
「あー……また大きくなったな、もう少し爆心を遠くにしないとな」
ナスカのつぶやきを、エメリィとアールは聞いていなかった。
事情を知っていたはずのトイネすら、目を見張る程の威力。
シェリンだけが、後始末が大変そうだと半泣きになっていた。
「……これは、思ってたよりも……」
「ナスカ様……これは……」
「うーん、さすが『赤の魔法使い』の子ってことかな……ボクの想像よりも遥かに凄い」
呆然としたままの二人と、そこまでではないにしても感心しているトイネ。
「じゃ、早速だが消してくれ、シェリン」
「いーやーーーっ!」
逃げようとするシェリンの首根っこをつかむナスカ。
「まあ、落ち着け、お前は水をそのまま使おうとしてるから大変になるんだよ」
「だって、他にどうしようもないよ?」
「だからさ、水が操れるなら、雲も操れるだろ?」
「うん……ああっ、分かった!」
シェリンは思いついた、とばかりに手を打つ。
「そうか、じゃさっそく──」
「雷雲を連れてきて、ナスカをひどい目に遭わせる!」
「よし、個別に消してまわれ。今回は助けないから一人で帰ってこい」
「うわーん! 見捨てないで! 諦めないで!」
シェリンがナスカにすがりつく。
「わかったわかった。あのな、雨雲を作るか連れてくるか作るんだよ。そうすれば、労力そんなにかけずに消火できるだろ?」
「うん……ああっ! そんな手が! ナスカ凄い!」
シェリンが驚き、尊敬の目でナスカを見る。
「いいからさっさとやれよ。拡がっていくだろ?」
「あ、うん……えーっと……」
シェリンが空を見るが、そこには雲ひとつなかったので、仕方なく、雲を作ることにした。
「えぇぇぇぇいっ!」
空に叫ぶシェリン。
すると、青い空に白い塊が生まれ、それが徐々に大きくなっていった。
「……え?」
呆然としていたアールが、今度は怪訝そうに空を見上げた。
空にはもはや黒くなってきた雲が広がっていた。
「そろそろ降ってくるから、避難しよ?」
「そうだな、でもシェリンがいないとこれ以上雲が大きくならないから、お前だけは残れな?」
「え? ええっ!?」
「じゃ、みんな、あの小屋まで行くか」
ナスカが先導して、シェリン以外の皆を休憩用の小屋に連れていった。
「うわーん!」
やがて雨が降ってきて、すぐに土砂降りになった。
小さな小屋にも跳ね返った雨が降り込んでくるほどの豪雨。
近くにいる人間の声すら聞こえないほどの雨音に、ナスカたちはなすすべもなかった。
だが、その雨はすぐにやみ、また空には青空が戻る。
ナスカの魔法で火事になった火は全て消え、雨上がりの空には虹がかかっていた。
「ま、こんなところだ」
呆然としていたアールとエメリィに、ナスカが言う。
「こんなところって……あんたたち……」
驚きをどう表現していいかわからないアールは、何も言えなかった。
ナスカとシェリンの実力は、思った以上だった。
これはアールやエメリィだけではなく、トイネすら驚いていた。
いや、『赤の魔法使い』ローグの息子であるナスカは、驚きはしたものの、納得は出来た。
魔法は精霊によって実現されていて、ナスカはローグの血族という事で火の精霊に愛されている。
だが、シェリンの実力は予想外だった。
ある程度の才能はあると思っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。
雨雲を運んでくることはそう難しくはない、だが、雲を作ることはそれなりに難しい。
それが池や湖のそばなど、水が大量にある場所なら、高い実力があれば出来なくはない。
だが、空気中の水分を集めて雲にする、というのは、並みの魔法使いでは考えることもできない。
ナスカの作った火事による上昇気流が手助けになったとしても、かなり選ばれた者しか出来ないはずだ。
シェリンが原理に詳しいとは思えないので、頭の中の印象だけでそれを実現したのだ。
それは、水の精霊に愛されている証拠だろう。
理由は不明だが、かなり愛されているだろう。
それこそローグとナスカほどに。
ローグと言えば三百年生きている魔法使いであり、伝説の存在だ。
それと同じくらいの強さをシェリンにも感じる。
「今度またお兄ちゃんに見てもらうかなあ」
トイネがつぶやくが、それは誰も聞かれてはいなかった。
何故なら、ずぶ濡れのシェリンがナスカに飛びかかってナスカの服を濡らそうとしていたからだ。
「ナスカも濡れるのっ! 絶対濡らすっ! ナスカだけは濡らすっ!」
傍から見ていると、シェリンがナスカを抱きしめようとして、ナスカに避けられているようにも見えた。
「まあ、落ち着け、シェリン、風邪ひくぞ?」
「ナスカにも引かせるっ!」
「とりあえず、アール、どうだ、俺たち?」
ナスカはシェリンの額を手で押して制した。
シェリンはしばらくぶんぶん腕を振り回していたが、すぐに疲れてしゃがみこんだ。
「まあ、とにかく、二人の実力は分かったわ。かなり戦力になりそうね。学校の授業も受けずによくあそこまで出来たものね」
アールが感心と、ほんの少しの嫉妬を含んで言う。
「そ、そうかな、えへへ……」
「二人いるのに自分の事だと思えるお前は学校の授業を受けるべきだと思うぞ?」
「ひどい!」
シェリンは再びぶんぶんと腕を振るい、ナスカには当たらなかった。
「……二人とも、なんだけどさ……」
呆れたようにアールが言う。
「ほーらー!」
シェリンがしたり顔でナスカに言う。
額を押さえられているので、若干歪んだ顔だが、本人は気にしていない。
「まあ、確かにシェリンの魔法は格段に成長してるよな。頭悪いから使い方が全然分かってないから宝の持ち腐れだけどな」
「褒めてるかけなしてるかで言えばけなしてる気がする!」
「まあ、けなしてるからな」
「ひどい! そんなナスカはこう!」
シェリンはナスカの顔に魔法の水を飛ばした。
ざっばん!
それは、ナスカが初めてシェリンと会ったときに使った技だ。
だがそれは、その時とは大きく違っていた。
あの時は顔に水がかかり、多少髪が濡れただけだった。
だが、今、ナスカは、全身が濡れていた。
「へっへーん! ナスカなんてね、ずぶ濡れになってればいいんだよ!」
何の違和感も持っていないシェリンは、いい気になってナスカに言うが、ナスカはそれにやり返せなかった。
「うん、まあ、確かにシェリンもかなり上達したな……」
ナスカはシェリンの頭を撫でた。
ずぶ濡れのシェリンの頭は、ぽたぽたと雫がこぼれてくる。
「え? あ、うん……えへへ……」
シェリンはそれを嬉しそうに受け入れる。
「頑張ったな、シェリンのくせに生意気だけど。もう、生意気で増長気味のシェリンをどうへこませるかしか考えてないけど」
「レディ待遇を要求するよ!?」
シェリンは髪や服水を絞りながら、半泣きで言う。
「そんなことより、なんとなく納得してもらったってことでいいのか?」
ナスカはずっと黙っているエメリィに聞いた。
アールは先程から意見と言えるかどうかは分からないがともかく反応はあるのだが、エメリィはほとんど何も言っていない。
最初にナスカの黒魔法を見てからは、ずっと呆然としている、というよりも考え事をしていた。
「……ええ、拝見させていただきました。お二人への考え方を変えなければならないかと思います……」
エメリィは少し動揺を隠せないように言う。
「ですが、ナスカ様……あの魔法は、大変素晴らしいと思いますが……」
言いにくそうに、ナスカの表情を窺いながら、エメリィは続ける。
「……あの魔法は、一体いつ使うための魔法なのですか……?」
苦しそうなエメリィの言葉に、ナスカは心を抉られた。
次は温泉回です。




