第二節
「あるところにひどいナスカがいました」
「何だいきなり?」
背中に背負ったシェリンがいきなりそんなことを耳元で言い出したので、ナスカは少しだけ驚いた。
「ひどいナスカは、美少女シェリンちゃんをこき使いました」
「こき使うって程じゃないだろ」
「こき使いましたっ! そんなある日、ひどいナスカはいつものように乱暴な振る舞いをしていると、間違えてとても強いゴーストを呼び起こしてしまいました」
「何だよそれ」
「ひどいナスカは大ピンチ! 殺されかけたところを、美少女魔法使いシェリンちゃんに救われました。ひどいナスカは改心して、生涯、シェリンちゃんに愛と尊敬の念を抱き続けましたとさ」
シェリンはそこまで言うと、再びぐったりとナスカの背で力を抜いた。
「何が言いたいんだ?」
「ナスカはいつかひどい目に遭う! 遭えばいい! 遭うの確定!」
「ナスカは疲れて歩けないシェリンちゃんを背負って歩いてやってるんだが」
「それは自業自得! そもそもね、あんな魔法が使える子がどうして悩んでるのかさっぱり分からない!」
「自業自得はちょっと違うと思うが、まあ、確かに魔法使わせ過ぎたのは悪いと思ってる」
ナスカが放ったファイアボールもどきは、広大な地域を焼き払い、起こした火事を全てシェリンの水魔法で消化させたのだ。
「反省できる子?」
「まあな。俺は反省できる子だ」
「それならいい。後は早く帰ってはちみつで体力回復するから、早く帰ろ?」
シェリンはナスカに背負られたまま、ナスカの頭を撫でた。
「いや、それこそ温泉で疲労回復じゃないか?」
「温泉よりはちみつの方が疲れが取れるんじゃないかな?」
「温泉入ってはちみつ食べれば一番いいだろ」
「あ、そっか! ナスカ頭いい!」
「お前が馬鹿なだけだろ」
「馬鹿じゃないっ! 証拠にここがどこだか分かってる!」
いつもの額が叩けないので、さっき撫でた頭をぽかぽか叩く。
ナスカは面倒臭そうにそれをただ受け入れていた。
「……そういえばさ、ナスカはエメリィさんの教えを使わないんだよね?」
「そうだな」
「じゃ、じゃあ、私って重いかな……?」
前に聞いた時には、エメリィから女性を抱えて重いか聞かれたら「羽のように軽い」と教えられていたため、そう答えたのだ。
「んー、羽のようじゃないが、軽いんじゃないか?」
「そっか……うん、合格!」
「何がだよ」
「何でもないよ」
シェリンが機嫌よさそうに言う。
「早くみんなのところに帰ろ?」
「そうだな、シェリンも重いし」
「ひどい! さっき軽いって言ったのに!」
シェリンはナスカの頭をぺしぺしと叩いた。
「……ん?」
しばらく歩いて、そろそろみんなの待っているところへ戻るという頃。
ナスカは妙な気配に気がついた。
「どうしたの? おしっこ?」
「うん、お前は年頃の女の子なんだから、もう少し言葉を選ぼうな? あとそうじゃない。何か変な気配がするんだが」
「気配……?」
「ああ、これは人間のものとはちょっと違う気がするぞ。どっちかというと、化物というか、怨念と憎悪の塊というか。そんなものが突き刺さって来るんだよ。感じないか?」
「え? え? 何にもないよ? あっ! またからかってる!」
シェリンに理不尽に責められるが、今はそれどころではない。
シェリンは確かにナスカより気配を感じにくい人間のはずだ。
だが、急速に増大しているこの強い気配、いや怨念を感じないわけがないと思う。
それほどまでに強い憎悪なのだ。
「くっ……! 本当に何も感じないのか?」
その瘴気は、ナスカの動きを鈍らせる程だ。
ナスカは何度も背筋が凍りそうな恐怖を感じている。
さすがに鈍感なシェリンでも、これに気がつかないのはおかしい。
「な、何にも……どうしたの? 何を感じてるの?」
さすがにナスカの口調に本気を感じたのか、シェリンが不安げに聞く。
「……つまり、狙いは俺一人か……!」
ナスカはシェリンをその場に下ろす。
「歩けるな? みんなのところに逃げろ」
「え? え? ナスカは?」
「どうもこいつは俺が目的みたいだ。一緒にいるとお前も攻撃を受けるぞ?」
ナスカはどことも分からない敵に向けて戦闘態勢を取る。
「で、でも、ナスカも怪我するでしょ?」
「いいから逃げろ! ほらっ!」
「きゃあっ!」
ナスカはシェリンを押す。
シェリンは三歩下がって立ち止まる。
「…………」
少しだけナスカを見たあと、そのまま後ろに走っていった。
「よし、これで俺だけだ……!」
ナスカはいつでもファイアボールを発動できるよう、炎の球を作る。
憎悪の気配は更に大きくなっていき、辺り一体をねっとりと包み込む程になっていた。
ナスカですら、恐怖を感じた。
手足が震えそうになるのをギリギリで我慢した。
「出てこい、出てこないと、この当たりを火の海にするぞ!」
言葉が通じるかどうかも分からないが、森に向かってそう怒鳴ってみた。
しん、とした森の中。
静寂なまま、それは現れた。
「……っ!」
ナスカは二歩下がった。
目の前にいるのは、前にも倒したことがあるゴーストだ。
ゴーストには一般の魔法はほとんど効かないが、ナスカの魔法レベルなら十分に倒せるだろう。
だが、それはそんなものではなかった。
ゴーストとは、魔法使いの幽霊だ。
こんな田舎に魔法使いなどそういるものではない。
ここにいる魔法使いと言えば、モールガット家の人間だろう。
白魔法使いに長けた一族であり、この森は彼らの魔法を実験・実演するための森だ、何がいてもおかしくはない。
そして、一族の長い歴史には、どんな人がいてもおかしくない。
例えば黒魔法に対抗するために、白魔法だけでなく、むしろ対局となる死の魔法を駆使する死霊使いもいたのかも知れない。
ナスカにはモールガット家の過去などは分からない。
ひとつ言えるのは、目の前にいるゴーストは明らかにナスカが見たそれよりも魔力が桁違いに強く、そして、黒魔法を使うナスカのみにその憎悪をぶつけるということだけだ。
「くそっ……!」
ナスカは後退りをする。
恐らくナスカが起こしてしまったのだろう。
この、憎悪に満ちた人造ゴーストを。
ファイアボールなら、少しはダメージを与えられるかもしれない。
だが、封印したファイアボールならともかく、今回のファイアボールではそもそも範囲を絞ることが難しく、一点集中の爆発は難しい。
一般的なゴーストならその程度でも十分だが、この人造ゴーストでは不可能だろう。
その圧倒的な強さは、この気配だけでもわかる。
自分では、倒せない。
そうは判断したが、今の状況を抜け出すのはかなり困難だ。
獣ならなるべく刺激せずに徐々に交代して離れるのがセオリーだが、今回は違う。
黒魔法を使うナスカを憎悪しているのだ。
逃げる間もなければ、既にナスカが黒魔法を使うということだけで十分に刺激をしているのだ。
「喰らえっ!」
ナスカはファイアボールを出来る限り的を絞って投げる。
爆発と轟音。
それはナスカ自身が爆風を浴び、火傷を負いそうな強力なものだった。
放った瞬間、ナスカは全速力で逃げた。
振り返ることもなく、足がもつれそうになりながらも逃げた。
どれだけ走っただろうか、ナスカにして、息が切れた頃の事だ。
「ナスカ!」
「ナスカ様っ!」
なんとか、みんなのいるところに戻って来れた。
いや、戻って来れたのではない。
みんながナスカ迎えに来てくれたのだ。
「どうしたんですの? シェリンさんからナスカ様のご様子がおかしいと聞いたので駆けつけて来たのですが……!」
「エメリィ! ゴーストだ! 魔法使えるか?」
「は、はい……!」
ファイアボールを足止めにしてかなり逃げてきたが、ゴーストの速度は馬にも匹敵する。
すぐ追いついてきているはずだ。
「そ、それで、どこにおりますの?」
「そのうち追いついてくる! アール! トイネ! 逃げるぞ!」
ナスカは、追いついたアールとトイネの手を引いて走り出そうとする。
黒魔法使いがいると危険だと判断したのだ。
「きゃぁっ! な、何よ!?」
「ナスカくん!?」
二人は驚くが、ナスカは構わず引っ張る。
「きゃっ!」
だが、バランスを崩したアールがその場に転ぶ。
「くそっ!」
ナスカはアールを抱え上げて走ろうとする。
「落ち着いてナスカくん! たかがゴーストでそんなに慌てなくても、君だけで倒せるんじゃないの?」
トイネが走ろうとするナスカの腰に抱きついて止めようとする。
「ただのゴーストじゃない! 多分人造ゴーストだ! 物凄く強い!」
「人造の……ゴースト? ああ、ケルベスのことですわね?」
エメリィが振り返って言う。
彼女があまりに穏やかに言うので、ナスカも落ち着いてきた。
「ケルベスってなんだ?」
「番犬代わりの人造ゴーストですわ。この敷地に放っておりますの」
ほどなく追いついてきたゴーストは、エメリィの存在に気づく。
「止まりなさい!」
エメリィが命令すると、おとなしく静止した。
「ほら、モールガット家の者の命令には従いますわ」
「……そっか」
ナスカはほっと息をついた。
「……あのさ、ナスカ。下ろしてくれない?」
ふと気づくと、赤い顔をしたアールが、そっぽを向きながら、困った顔をしてた。
「あ、悪い……わわっ!」
「きゃっ!」
ゆっくりと下ろそうとしたナスカだったが、一気に落としてしまい、アールはその場で尻餅をついた。
「ちょっと、何するの……ナスカ?」
「いや……その……」
ナスカは手足とも、尋常なく震えていた。
極度の緊張や恐怖と、そこからの開放で、いつの間にか座り込んで立ち上がれなくなっていたのだ。
「よっぽど怖い思いしたんだね」
ここにいる全員がナスカの精神的な強さを知っている。
死にそうになった時も、彼の冷静な判断で生き残って来れたのだ。
その彼がここまで恐怖する、ケルベスとはそんな存在なのだ。
「ナスカ様……申し訳ありません」
エメリィがそっとナスカを抱きしめる。
何も出来ないナスカは、されるがままにそれを受け入れていた。
ナスカは泣きそうにもなったが、それはギリギリで我慢した。
しばらくは四人も彼の回復を待った。
「で、何なんだよあの魔力のゴースト」
「あれは、何代前かは存じませんが、モールガット家の別荘となっていたこの一体に、黒魔法使いたちが目を付け、手薄になっている時に荒らして回っていたことがあったようで、そのためにケルベスを何人もの魔法使いで作り、この地に放ったのです。強力な魔力で、黒魔法使いにだけ反応して攻撃を加えるという仕組みになっていて、ですから、私たちモールガット家の者はここで安心して避暑をを行えるようになったのですわ。今回、黒魔法使いの方をお呼びしたのを忘れてましたわね。しばらく、封印しておきましょう」
エメリィはそう言って、右手を上げると、ケルベスは消滅した。
おそらくどこかに封印したのだろう。
「これで安心ですわ。申し訳ありませんでしたわ、ナスカ様。まさかケルベスに襲われるとは思わなかったもので……ケルベスが……襲う……?」
エメリィはそこに違和感を感じた。
トイネはあちゃ、と頭を抱えた。
ナスカは、じっとエメリィを見返していた。
「ケルベスは、黒魔法使いしか襲いませんわ……ナスカ様……?」
「ああ、うん……」
もう、いいわけは出来ないと悟ったナスカには、躊躇いもなかった。
いつもの冗談のような軽さで、だが、真面目な表情で、ナスカはこれまで隠してきた事を白状した。
「俺、黒魔法使いなんだ」




