第二節
「よし、休みはマーグへ行こう!」
翌日の昼食時間。
いつものように黒魔法科の三人と合流して食堂で食事をしている時、ナスカは自分が思いついて、自分が企画して、自分が手配したかのように提案した。
エメリィはいつもの事なので何も言わなかった。
「マーグって何?」
シェリンが首を傾けながら聞く。
「うん、せめてどこ? って聞いて欲しかったな。まあ、シェリンにはこれが限界か」
「むぅ、私だって、マーグくらい知ってるよ!」
妙に怒り出し、何故だか意地を張り出すシェリン。
そこにいた誰もが、じゃあ聞くなよと思ったが、何も言わなかった。
それがいつものシェリンだったからだ。
「じゃあ聞こうか。マーグって何なんだ?」
「マーグは有名だよね。私もよく話を聞くよ?」
「うん、だから何だって聞いてるんだが」
ナスカが聞くと、シェリンが明らかにテンパった表情を浮かべる。
「最近あの人やせたよね? うん、やせたやせた」
「そっか、やせたのか。それは気がつかなかったな」
「うんうん! ナスカも注意不足だね! 大体気づくよ、そんなことくらい!」
シェリンが少し得意げになる。
「まあ、それはともかくだ。マーグ地方に行こうかと思うんだがどうだ?」
ナスカはシェリンを除く二人に聞いてみる。
「え? え?」
「どうだ? と言われてもね。来いってことなの?」
アールが両肘をテーブルについて聞く。
「ま、そういうことだな。マーグにエメリィの家の別荘があるんだよ。移動も送って行ってくれるし。向こうで親睦を深めたり出来ればと思ってな」
「うん、まあ、ナスカくんやエメリィさんとの仲を深めるにはいい機会だと思うけど、どのくらいいるのかな? ボクは故郷に帰らなきゃならないんだよ」
「へえ、兄妹で学校にいるからここの生まれかと思ったんだが違うんだな」
トイネの兄であるミトネは、精霊魔法科に所属している、精霊が見える稀有な存在なのだ。
「そうだね。まあでも、マーグ地方なら近くだから往きか帰りにそのまま故郷に帰るって手もあるかな」
「ちなみに故郷ってどこなんだ?」
ナスカが聞くと、トイネがにこりと笑う。
「聞きたい?」
「? ああ」
「あのね、ボクの故郷はアツ地方かな。知ってる?」
にこにこと笑いながら言うトイネ。
「ああ、マーグよりももっと向こうだな……人って住んでたんだ、あっちの方」
ナスカがアツ地方について思い出すことを口にしてみる。
アツ地方は城下のこのあたりからはかなり離れており、よく分かっていないことも多いのだ。
どうも独自の文化圏を持っているとか、そもそも高等な文化はないとか、自然が豊富だとか、全く異なる生物がいるだとか、色々な噂だけはある。
だからこそ、どれが正しいかはよく知らない人間が多いのだ。
「失礼な人だね、ナスカくんは。でも知ってたから許してあげるよ」
「ああ、まあ、すまんな」
それでも少し上機嫌なトイネと、そんなトイネを不思議に思うナスカ。
アツ地方の事はよく知られておらず、変な噂を信じている人間も多いとは言うものの、そもそもそんな地方を知らない人間というのが圧倒的に多い。
事実、シェリンはもとより、アールも最初会った時には知らなかった。
だから、アツ地方を知っているというだけでトイネは嬉しかったのだ。
そんな上機嫌なトイネとは対照的に、すこし面倒くさそうな表情のアール。
「その別荘っていうのは、大きな別荘なのよね? 部屋が一つとかそういうのなら、ナスカもいるしお断りなんだけど」
エメリィに聞くアール。
アールの心配はもっともなことで、ナスカは正真正銘年頃の男子であり、キャンプなどの緊急時でもなければ一緒の部屋に寝るなどは考えられない。
むしろその心配を一切していないシェリンやトイネの方がおかしいのだが、多数は少数を駆逐してしまうのもだ。
「もちろん、当家の別荘ですから、本邸ほどではありませんが、それなりの広さはありますわ。それにたとえ一部屋しかなくとも、ナスカ様は紳士ですから、女性を不愉快にさせるようなお方ではありませんわ。雪山でのご様子をごらんになったでしょう?」
「……まあね」
アールは雪山でのナスカの様子を思い出して少し笑う。
ナスカは逆に少し身を縮める。
彼には少しトラウマ気味に残っているのだ。
「ま、エメリィがいるなら私も行くわ」
アールが最終結論を出す。
「よし、じゃあ全員……あれ?」
そこまで言って、ナスカはシェリンにはまだ聞いていなかったことに気づいた。
最初ちょっとからかって放置したままだったのだ。
シェリンのほうはからかわれたと気づいたが、話が別で進んでおり、起こるタイミングを逸して、一人むくれていた。
「で、シェリンはどうするんだ?」
「行かないもん」
「? 何でだよ」
「最近やせたから。マーグが」
顔がぱんぱんになるくらいに頬を膨らませたシェリンがつん、とあさっての方向を向く。
「シェリンは太ったけどな」
「どうして知ってるの!?」
「いや、知らないけどさ」
「え? あれ? ……うわーん!」
シェリンは泣きながらナスカの額をぺしぺしと叩く。
「まあ、落ち着け。シェリンに必要なのは、健康的な生活じゃないのか? そうすると、みんなで同じものを食べるとか、そういう生活は結構必要だぞ?」
ナスカが、叩くシェリンの手を遮って言う。
「どういうこと?」
「お前は一人でほっとくと、すぐに甘いもの食べたりハチミツ飲んだりするよな?」
「ハチミツは飲んだりしないよ!?」
「傍から見てると飲んでるようなものだ。いつも持ち歩いてるし。今も持ってるんだろ?」
「うん、もちろん!」
シェリンはごそごそとハチミツを取り出す。
「それが問題なんだよ。もっとみんなで同じものを食べて、健康的な生活をすれば必ずやせる日が来るさ」
ナスカはシェリンの肩を叩いて説得するように言う。
「でも、ハチミツは健康にいいし、太りにくいんだよ?」
「いや、世の中には限度ってものがあってだな。それは普通の砂糖よりも太りにくいってだけでだな」
ナスカは少しだけ呆れて言う。
「この合宿でもう少しお前の食生活を改善しようというのが、今回の狙いなんだよ!」
ナスカはシェリンの肩をがっしりつかんでそう言った。
後ろでトイネが「いつから合宿になったんだろうね」などと言っていた。
「私のためにわざわざ合宿を……?」
シェリンは少し感動しつつナスカを見上げる。
「まあ、今適当に考えただけなんだが」
「もう行かない! 絶対行かない!」
シェリンが目に涙をためてそう言った。
「まあ、シェリン様もそうおっしゃってるようですし、無理にお誘いしても──」
「いや、これは単に意固地になってるだけだろう。行きたくないわけじゃないと思うぞ? な、シェリン?」
ナスカは本人に聞いてみる。
聞かれた本人は、自分の心理的なことまで指摘されて、恥ずかしくて顔を赤くしていた。
「知らないもん。あとナスカは馬鹿だもん」
彼女はそう言って、余計な一言を付け加えつつ、ぷい、とあさっての方向を向いた。
「まあ、どうしてもって言うなら、シェリン一人置いていっていいんだがな。アールもトイネも行くから、寂しいと思うが」
「…………」
シェリンは意固地になりつつも、少しだけ表情を変える。
このまま意固地を続けると、本当にいけなくなると思っているからだ。
「ま、本人がそういうんだから仕方がないか」
「もっと誘う!」
ばんばんとテーブルを叩いて涙目のシェリンが騒ぐ。
「もっと、反省しながらシェリンさんよかったら来てくださいと誘うの! そうしたら私もまあ、そこまで言うのなら行こうかしらってなるでしょ!」
「なるでしょ、とか言われてもな」
「言うの!」
涙目でそう言われると、どうしようもない。
さすがにやり過ぎた感もあるし、他の三人もナスカがやり過ぎたと思っているようでそんな視線を感じた。
ナスカはこう見えて紳士としての振る舞いをエメリィに教え込まれていて、さすがに女の子に泣かれると反省するのだ。
「分かった分かった。反省する。よかったら来てくれないか?」
ナスカが少し反省したようにそう言った。
すると、泣いていたシェリンも涙目のままにこりと笑う。
「まあ、そこまで言うなら行ってあげてもいいかな」
シェリンの笑顔を見つつ、面倒臭いなこいつ、などと思っていたが、エメリィに「女性とは面倒なものなのです。それを許容する寛容さが紳士には必要なのです」といつも言われているので、そうは気にしなかった。
「じゃ、みんな行くという事でいいな」
「うん」
「そうね」
ナスカの問いに、みんなが返事をする。
「じゃ、そういう事で考えておいてくれ、エメリィ」
「分かりましたわ」
エメリィがナスカに応じる。
そう言ったエメリィも、それを聞いていた三人も、心の中で少しの違和感はあった。
友達と旅行に行くというのは、まだ学生である彼らには珍しいことではあるが、全くないと言う事はない。
だが、白魔法科と黒魔法科合同で旅行に行くというのはおそらく前代未聞だろう。
そもそも、白魔法科と黒魔法科は仲が悪い。
いや、白魔法と黒魔法自体が険悪である。
彼らも当初から仲がよかったわけでもない。
そして、彼らが出会ってからこれまで、そう時間が経っているわけでもない。
同じ科のクラスメートの方が余程長く親しくしている事だろう。
だが、今は実際それ以上の仲になり、結束のようなものもある。
今回もなんだかんだで全員参加だ。
トイネなどは、故郷に帰るにもかかわらず来る事になっている。
別に無理をしてまで来る事はない。
ただの遊びであり暇を持て余すはずの避暑だ。
だが、それをしてまで一緒に行動したいという望みがあるからこそ、彼女は来ると言ったのだ。
それはトイネだけではない。
アールもシェリンもそうだ。
彼女らも、どこに行くかではなくみんなで行くからこそ、そこに行きたいと思ったわけだ。
「では、詳細はまたお伝えいたしますが、皆さん苦手な食べ物などはありますか?」
「私はハチミツが好き!」
開口一番、シェリンが元気よく答える。
「シェリンは黙ってろな?」
「ひどい! 私だって嫌いな食べ物あるよ?」
「死ぬほどどうでもいいが、暇つぶしに聞いてやらなくもない。何だよ?」
「私はね、実はね、カカス人参が苦手!」
物凄くもったいぶりながら言い出すシェリン。
どうしてこう自慢げなのだと疑問にすら思ってしまう。
「そうか。じゃあエメリィ、旅行の間は必ずカカス人参を出すんだ」
「何で? どうして!?」
涙目のシェリン。
「特訓だ」
「そんなのいらないよ?」
「そんなんじゃ大きくなれないぞ!」
「まあ、このくらいの身長で別にいいよ?」
シェリンは女の子として、身長が低いわけでも高いわけでもない。
逆にそれ以上伸びても困るだろう。
「じゃあ、頭がよくならない」
「それは困る!」
「思い返してみろ、お前はもしかして、頭が悪くないか?」
「そう言えば思い当たるところがある。恥ずかしいから黙ってたけど、私、頭悪いかも……」
深刻な表情で考え込むシェリン。
「それはカカス人参を食べないせいだ!」
「ええ!? そうだったんだ!」
必要以上に驚くシェリン。
「そんなわけで、旅行中はカカス人参な?」
「う、うん……仕方がないよね」
シェリンは渋々それを受け入れる。
「……他に苦手な食べ物があるからはいらっしゃいませんか?」
エメリィが再度問う。
「ボクは、カカス人参もそうだけど、デマル菜や、ジャノ豚なんかも苦手かな」
トイネが指で数えながら嫌いなものを言う。
「そうか、じゃあ仕方がないな。トイネにはそれが入った食事は出さないようにしような」
「え? どうして? なんで? 克服は?」
自分だけ嫌いなカカス人参を食べる事になっていたシェリンがその差別に困惑する。
「だってほら、トイネは十分に頭いいだろ?」
「うん……あれ? でも大きくなれないよ? トイネはこんなにちっちゃいのに」
「シェリンはボクに喧嘩を売りたいようだね」
「シェリン、酷いぞ? 人の身体的な部分を悪く言うなんて」
「え? え? ご、ごめんなさい?」
戸惑いながらも謝るシェリン。
「で、でも、さっきナスカは私の事太ったって……」
「いいわけはしない!」
「う、うん、ごめんなさい」
シェリンは慌てて頭を下げる。
「そこまで頭を下げるんなら……トイネ、どうする?」
「まあ、今回は許してあげるよ」
「そういうわけだ。これからトイネの温情に感謝して生きて行くんだな!」
「う、うん……ありがとう、トイネ」
シェリンは逆にトイネが恥ずかしくなるくらいの感謝をした。
「さて、そろそろシェリン遊びにも飽きたし、教室に戻るか」
「そうだね」
「え? え? あれ?」
「そうね」
「そうですわね」
シェリン以外はそれぞれの教室へと戻って行く。
ナスカは呆れ気味のエメリィを伴って食堂を出た。
「あ、からかわれた!?」
背後でそんな声を聞いたので急いで教室へと戻る事にした。




