第一節
それはある日の放課後の事だった。
ナスカはいつものようにエメリィを校門まで送っていた。
「そう言えば、今年の夏のお休みも私はマーグ地方にまいりますが、ご一緒しますか?」
ふと、エメリィがそう尋ねた。
「もっと退廃的な生活がしたい」
「私の話は正面から無視ですの!?」
「そうじゃない! エメリィといるとどうしても規則正しい生活を送ってしまうんだよ」
びし、とナスカがエメリィを指差す。
「え、と……それはいいことではありませんの?」
彼女が首を少し傾けて聞き返す。
「よくない! 俺はもっと退廃的な生活がしたいんだよ! だから休みは寮で退廃的な生活をする!」
「退廃的な生活とは、具体的のどのような生活ですの?」
「えーっと……」
「せめて考えてから喋ってくださいまし」
エメリィがため息をついた。
カードゥ魔法学園は、夏と冬に長い休みがある。
とは言え、別に夏が暑いわけでも、冬が厳しいわけでもない。
学園のあるカドメ王国の王城付近は気候が穏やかで、夏もそれほど暑くならない上、冬もそれほど寒くはならない。
だから、別に休みなど必要はないのだが、ほぼ全寮制である学園は、帰省のための機会として、長い休みを設けている。
だが、エメリィのように家から通っている生徒には関係もないし、ナスカのような実家に帰る気のない生徒も暇を持て余すだけの話だ。
去年エメリィにそう言ったら、マーグ地方にある彼女の家の別荘に誘われ、ついて行ったのだ。
「それで、いかがなさいますの?」
「うーん、マーグ地方かあ……」
ナスカは渋い顔をする。
マーグ地方は田舎であり、避暑地である事もあり、少し涼しく、冬になると雪に覆われるような土地なのだが、取り立てて何かあるわけでもない。
とても味のいい鶏の品種がいたりするが、その程度だ。
一応温泉が湧いているのだが、若いナスカがそれほど嬉しいわけでもない。
カドメ王国の文化では、風呂といえば大抵は冷水なのだ。
寮にも風呂はあるが、冷水だ。
水魔法使いの技術により、その水は常に浄化され続け、いつでも濁りのない風呂に入ることが出来る。
それは水魔法と仲の悪い黒魔法科も同じ事だ。
温泉といえば、若いナスカからすれば、療養の一つとしてしか考えていない。
「あそこって、確か何もなかったよな。ただ退屈なだけだった気がするんだが」
「退屈を優雅に楽しむのが避暑地ですわ。それに、私もご一緒いたしますから、退屈はさせませんわ」
長い髪をかき上げながら、エメリィが言う。
確かに去年も、退屈な中でもエメリィが色々なところに誘ってくれたり一緒に遊んでくれたおかげで楽しい思い出とはなっている。
「だが、エメリィといると退廃的な生活が……」
「ナスカ様は退廃的という言葉に憧れているだけではないのですか?」
直球で図星をつかれたナスカ。
「ち、違うぞ、俺はなんていうか、退廃的な生活をだな」
「どちらでも構いませんが、私の目の蒼いうちはナスカ様にはそのような生活はさせません」
「……じゃあ、仕方がない」
ナスカは退廃を諦めた。
彼は基本的に、エメリィが彼のためを思って言うことには逆らわないのだ。
「でもなあ……避暑かあ」
考えを避暑に戻すナスカだが、彼にはどうしても去年と同じ楽しさがそこにはないように思えたのだ。
去年は確かに楽しかった。
エメリィのおかげもあるし、エメリィもナスカがいたから楽しかっただろう。
だが、何故か今年も同じようなことをしても楽しめないと思ってしまうのだ。
それは二度目だから、などという単純なものではない。
確かに去年は楽しく過ごし、おそらく、もう一度来ても楽しいと思って帰ったことだろう。
だがそれは、去年の学園生活がにナスカが退屈していたからだとも言える。
今のナスカは学園生活に退屈はしていない。
むしろ毎日が充実して、楽しいと思えるほどだ。
特に演習に入ってからの日々は、大変な事も多いが、楽しかったりもする。
そんな彼からすれば、避暑地での刺激のない生活が、楽しいと思えるか疑問である。
「退屈しのぎなら、去年のもの以外にも沢山ありますわ。それに、ナスカ様ならどんなものでも楽しくしてしまえますわ」
「うーん……」
ナスカは考え込んでしまった。
別に行くのが嫌というわけではない。
エメリィは優しいし、一日中一緒にいても気苦労はしない。
事実、学園にいる間はほぼ一日中共に行動している。
飽きる事はないし、うっとおしいと思うこともない。
だが、エメリィと一緒にいて、わくわくすうような楽しさがあるというわけでもない。
エメリィはナスカにとって安定の象徴であり、落ち着きや安らぎを与えてくれるのだが、たまには刺激も欲しいのだ。
そんな気持ちが先ほどのような退廃的、などという言葉になって表れてしまうのだ。
「じゃあさ、こういうのはどうだろう。演習チームのあいつらも連れて行くとかさ」
「え……?」
驚いた表情のエメリィ。
そう来られるとは思っていなかったようだ。
「あいつらの予定は知らないけど、予定が合うなら──」
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!」
話を進めようとするナスカを慌てて止めるエメリィ。
「駄目か? あの別荘なら三人増えたところで全く問題ないと思うんだが」
「た、確かに別荘は問題ありませんわ。ですが色々と問題があるのです!」
エメリィがきっぱりと主張する。
「例えば?」
「例えば……その……、そう! 彼女たちは黒魔法使いではありませんか! 白魔法使いの名家である我が家に、黒魔法使いを招待するわけにはまいりません! 私が怒られてしまいますわ」
エメリィの慌てた主張。
「エメリィの親父さんは、どっちかと言うと黒魔法に寛容な人じゃなかったっけ?」
ナスカはエメリィの家に招待される事も多く、よく彼女の父親には会っている。
敬虔な信者であり、熟練した白魔法使いではある。
だが、悪は許さぬ、黒魔法は許さぬ、などという厳格なナスカの父とは違い、全てを赦そう、存在してよし、というタイプの人間なのだ。
もちろん黒魔法の存在も否定してはいない。
「わ、分かりました! では私の友人でもあるアール様を招待いたしましょう。彼女は安全……いえ、家に友人として招き入れても恥ずかしくない方ですわ」
「何で一人だけなんだよ。エメリィとアールが遊びだしたら、俺が退屈するじゃないか」
「もちろん三人で遊びます。どこへ行くにも三人一緒ですわ」
「俺は別に構わないが、アールが嫌がるだろう、それ」
ナスカが苦笑する。
別にアールはナスカを嫌ってはいないし、ナスカも嫌いではない。
だが、四人のチームメイトの中で、アールは一番遠い存在でもある。
元々白魔法を嫌っていて、最初にエメリィの方と仲良くなったからというのもあるだろうが、どことなくナスカという男としての存在に距離を置いているような気がするのだ。
そんな彼女が、その状況を楽しめるとも思えない。
「……分かりました。トイネ様も連れて行きましょう。彼女は賢くて友人として紹介しても恥ずかしくありませんわ。ナスカ様とも仲がよろしいようですし」
しぶしぶ、といった様子で、エメリィがもう一人の同行を認める。
「いや、二人を連れて行くのなら、もう一人も連れて行こうぜ?」
「…………」
エメリィが悲しそうな顔でナスカを見上げる。
ナスカはエメリィに女性がそんな表情をしていたらフォローするように教えられているが、彼女がどうしてそんな顔をするのか分からなかった。
「エメリィってそんなにシェリンのこと嫌いだったっけ? そりゃあ、黒魔法嫌いな頃には色々言ってたのは知ってるが、最近はそうでもないんだろ?」
「ええ、恥ずかしながら、黒魔法使いを誤解していた部分がありましたわ。今はそうでもないのですが」
エメリィは色々と言い難そうに話す。
「黒魔法は嫌いじゃなくなったが、シェリン本人は嫌いって事か? 確かにあいつはドジだしマヌケだし、時々わけの分からない事言い出すが、ああ見えて悪い奴じゃないぞ?」
「ええ、分かっておりますわ。可愛いお方ですし、殿方はあのような女性を放っておかないのでしょうね……」
寂しそうにうつむくエメリィ。
「? よく分からないが、女としてシェリンに嫉妬してるのか? エメリィは綺麗だし、頭もいいし、よく気が付くし、どこに負ける要素があるんだ?」
「……本当に、そう思いますか……?」
エメリィがナスカを見上げる。
そんな上目遣いの儚げなエメリィは普段にはなく、とても可愛いと思う。
「思うな、エメリィは嫉妬するどころかされる側の女だろ?」
ナスカの言葉に、エメリィの頬が緩む。
ナスカが天然で女の子を口説いているような事を言う事は十分に知っているし、これもその類であり、他意はないことくらい分かっている。
だが、それでもやはり嬉しいものだ。
「……ナスカ様は本当にお口が達者なお方ですね」
「そうか? よく人を怒らせるけどな」
「いい事も悪い事も素直に言い過ぎるからです。今はいいかも知れませんが、将来苦労しますわよ?」
エメリィが説教に入る。
「じゃ、エメリィは俺の起こしたトラブルをずっと解決して行ってくれ。大人になってからもな」
「ええっ! 構いませんが、学園を卒業した後もずっとご一緒出来るかどうかも分かりませんし……その、妻としてなら……」
「まあ、そんな冗談は置いておいてだ」
「…………」
「旅行の件は全員連れて行ってもいいよな?」
「知りませんわ!」
ふい、と横を向くエメリィ。
「何だよ、いきなりどうしたんだよ?」
「知りません! ナスカ様のご冗談と同じくらい知りません! 旅行は女性だけ四人で行ってきます!」
基本的にナスカには従順なエメリィだが、時々このように突然怒り出すこともある。
エメリィにとっては十分すぎる理由があるのだが、ナスカにはそれがさっぱり分からないため、こうなるとお手上げだ。
「何だかよく分からないが、俺がまた何かしたのか? 謝るから理由だけ教えてくれ」
「……もう、いいですわ。そんな鈍感なところもナスカ様の魅力ですし」
彼女はため息を一つつき、そう言った。
「避暑へは五人で行きましょう。もちろん彼女達の予定を確認してからですが」
「そうか、じゃあ、明日の昼休みにでも言ってみるか?」
「そうですわね、そのようにいたしましょう」
そう言ってい間に、校門までたどり着く、
校門ではエメリィの家の者が彼女を待っていた。
「それでは失礼いたしますわ」
彼女が優雅にお辞儀をする。
「ああ、また明日な」
ナスカは軽く挨拶をして、去っていく彼女を見送った。
「避暑か、もうそんな季節なんだな」
ナスカはつぶやくように言う。
季節は初夏である。
この前雪山に行ったばかりなので彼も季節感が狂っていたのだが、もうすぐ夏なのだ。
そう思うと、黒魔法科の彼女らに会ってもう結構経ったな、などと感慨深くもなる。
課題のない時も、昼を毎日一緒に食べているし、時には遊んだりもしている。
別に女友達が珍しいわけでもない。
ナスカは女生徒の多い、白魔法科に所属して、それなりに友達も多い。
その大半は女生徒だ。
だが、そんな友達と少し違う。
エメリィも含めて、彼女達とはただ仲がいいだけではない。
演習によって様々な苦難、場合によっては大怪我や死人が出たかも知れないような困難を共に乗り越えて来た者達だけが持つ共有感のようなものがあるのだ。
戦友、という言い方が一番近いのかもしれない。
「あ、ナスカくん、奇遇だね」
校舎に帰ろうとしていた彼に、にこやかに話しかけてくる少女の影。
「よお、戦友。元気か?」
ナスカはその見知った小さな影に挨拶を返した。
「戦友って何? まあ、確かに戦友って言えなくもないけどね」
トイネが笑って答える。
「そうだな。騎士たちの戦友の絆って、物凄い強いらしいぞ。それこそ困っていたら、多少の犠牲を払ってでも助けに行くくらいに」
「ふうん。ナスカくんはボクが困ってたら、助けてくれる?」
「まあ、セロリが食べられなくて困ってたら、無理やり食べさせるかな」
ナスカは頭に思い浮かんだトイネの嫌いなものを口に出してみる。
「ナスカくんは酷いね。もう戦友じゃないね」
「いや、もし暴漢に襲われてたら確かに身体張ってでも助けるけどだな、トイネが勝てないような暴漢に俺がかなうかと言うと、そこは疑問だな」
トイネは黒魔法科トップの成績であり、風の魔法を自在に操れるため、大抵の相手では敵わない。
「そうでもないよ、ボクはすぐ体力なくなるし、ナスカくんは最近物凄く強くなってるよね?」
「実感はないな。使う場所も限られてるしな」
ナスカは火の魔法使いだが、公式上は水魔法使いであり、それ以外の魔法を使っているところが学園にばれると、厳しく罰せられかねない。
だから、使う場所が限られてしまうのだ。
「それにね、守ってくれるって言うのは、強い弱いじゃないと思うんだ。どんなに弱くても、必死になって守れるかどうかってところだと思う。それ自体が強いって事なんじゃないかな」
「よく分からないが、まあ、トイネが敵わないような敵でも必死で守ってやると思うぞ?」
「そっか。じゃ、ボクたち、戦友ねっ」
嬉しそうににこにこ笑うトイネ。
「まあ、でも──」
「?」
ナスカはそこまで言って言葉を止める。
「いや、何でもない」
そう言って歩き出す。
トイネは不思議に思ったが、後に続いた。
物事には優先順位があって、トイネ以上に助けたい奴がいたら、そっちを優先するだろうけどな。
ナスカは、そんな言葉を飲み込んだ。
出来ればそんな事態には直面したくはないな、などと考えながら校舎へと戻っていった。




